2009年12月31日木曜日

大晦日の朝

大晦日の朝、部屋のPCが動きません。もう4年程使用しているのですが、常時ON状態で動かしています。それが良くないとは思っているのですが、仕事関係にも若干使用しているので、結局止められずにそのままでした。


今回もWindowsが起動せず、ブルーの画面に何やらメッセージが出ています。昨日の記事でもPCに関連することを書きましたが、僕自身は全然詳しくないので、こんな時は即テクニカルサポートに連絡しています。

ところが、今日は大晦日、どうやら正月も3日まで休みのようです。いやはやなんともと言った気分になりながら、ギャラリー内のPCでこれを書いている次第です。部屋のPCはメール転送程度しかしていないし、正月中ですのでそれほど影響は無いと思いますが、もしメールのレスポンスが遅い場合は、ご容赦下さい。

まぁ、年末にこんなことが起きるのも、休み中で良かったと思うしかないのですが、ギャラリーをオープンしてからも小さな問題は色々ありましたので、あまり気にしないようにしています。

それにしても、今年は出会う方のほとんどが初めてであったにも関わらず、懇意に話を聞いて下さったり、ご協力していただきました。

本当に有難うございました。

年明け早々から、次回展示やら色々と動かなければなりませんが、また皆さんの感動するお顔が見られるように頑張りたいと思っていますので、是非ギャラリーへお越し下さい。

それでは、皆さん良いお年をお迎え下さい。

2009年12月30日水曜日

つながり

2009年も明日1日です。明後日には、2000年代に入ってから10年目になるわけです。


小さい頃、テレビや漫画で描かれる21世紀という未来は、はたしてそうなるのかどうかすら想像出来ませんでした。映画「2001年宇宙の旅」で登場したHALですら、あの頃にはSFの世界に過ぎませんでした。現在はどの程度人工知能が進んでいるかは分かりませんが、何気なく普段使っている家電ですらその片鱗は見られるようになってきています。

この先どんな形で進化し、人との関わりを持っていくのかが注目されますが、いずれにせよ人が開発するのですから、生活がより便利で、そして人に対しても優しい存在になってくると思います。

コンピュータが開発され、ある特定の人たちが使用し、スタンド・アローンの状態だったころから、一般の人たちによるネットワーク化へと変遷するのにそう時間はかかりませんでした。もちろん、世界的なインフラ整備やハード・ソフトの急激な進化がそこにはあったわけです。多くの人はもはやPC無しでは仕事も遊びも出来ないようになってしまっているのが現状です。

今後、ますます進化していくのだと思います。最近のSNSにしても、よりオープンでフラットな感じになっているので、その安全性さえ保証出来れば、誰でもどこでも自由にさまざまな人と交流することが出来ます。それって、やっぱりハード・ソフトの進化の過程だとは思いますが、結局人が望んでいることが具現化されているものです。世間では社会の閉塞感や希薄感が取りざたされている中、本当はみんなそう望んでいるわけではないだということが分かります。なので、たとえその手段が変わっても、未来は人と人、人と世界の繋がりが感じられる世界であってほしいと僕は思っています。

さて、今日は少し買い物に出てから、帰って来てから掃除や整理をしないとと考えています。大がかりとはいきませんが、これも来年へのつながりの為ですね。

2009年12月29日火曜日

「ミエルヒ」

会期終了後のギャラリーは非常に閑散としています。何もない白い壁、それに残った釘の跡だけがそこにあった作品の痕跡としてあるだけです。今は大判作品を除く全作品の梱包を終え、本日発送の手配を取る状態です。今回は発送個所が2か所になり、大判の発送は年明けになりますので、それまでは壁に残しておこうと思っています。


梱包作業は夕方近くには終えたので、一旦部屋に戻り、一昨日深夜に録画しておいたテレビドラマを見ました。テレビドラマを録画することは滅多にないのですが、出演者や原作なんかをネットで知り、この時間帯の放送だときっと見逃すだろうと思い録画したのです。

HTB(北海道放送)制作のスペシャルドラマ「ミエルヒ」です。

HTBは年1回なのかドラマを制作、放映しているらしく、昨年は「歓喜の歌」というドラマを制作、全国ネットで放映、月間のギャラクシー賞も受賞したそうです。今回の「ミエルヒ」は、原作が今年劇団活動休止を決めたグリングの青木豪さん、主演はTEAM NACS 安田顕さん、その他に泉谷しげるさん、グリングのメンバーなどが出演していて、それだけで見てみたくなったわけです。

詳しい内容は特設サイトがありますので、そちらを見てもらった方がドラマ制作の思いや過程が分かると思います。

http://www.htb.co.jp/mieruhi/index.html
 
北海道を舞台にしたテレビドラマと言えば、「北の国から」を思いつく人が多いと思いますが、このドラマにはそんな広大な自然や際立って美しい光景が出てくるわけではありません。でも、その映像はトーンが普通のテレビ画面のそれとは違っていて、何か一枚一枚の絵のような雰囲気があり、それだけで美しいものでした。


主人公の気持ちにいくらか共感出来る面もあり、青木豪さんらしい部分も見られて、しみじみと見入ってしまいました。他の出演者もとても自然で、北海道に生きる人々を素直に演じていたように思います。父親役の泉谷しげるさんはほんんどあて書きですね。

今回は全国放映というより、いくつかの地方局が日時を替えて放送しますが、テレビ朝日でも来年の深夜帯で放送を決定したようです。地方局発信の番組は、その地方色が濃くなる傾向なので、なかなか全国区にはなりづらいのですが、こんような番組は色々な方に見てほしいと思います。

2009年12月28日月曜日

ハービー・山口写真展 無事終了です。

昨日でハービー・山口写真展が無事終了しました。ご来廊ならびにイベントに参加された多くの方に感謝いたします。昨日も17:00以降に滑り込みで見に来られたお客様がいらっしゃって、閉廊は20:00頃になりました。本当に有り難いことです。


メッセージについても、50名程になりました。最初はなかなか書いていただけず、どうしたものかと思っていたのですが、次第に記入して下さる方も増え始め、内容もイラストや装飾に凝ったものがあり、皆さんのお気持ちが直に伝わってくるような温かいものばかりです。思いのほか、クレヨンを使用されている方が多く、幼少の頃を思い出されているようでもあり、とても真面目に用紙に向き合っているような印象も受けました。こちらは、一旦ハービー氏へお送りして、1名を選考してもらいます。おそらく1月中旬には結果が発表できる予定ですので、楽しみにお待ち下さい。

作品に対しての趣味、嗜好がありますので、見に来て下さるお客様の顔ぶれが会期ごとに違うのは当たり前と言えば当たり前なのですが、今回も古くからハービー氏の写真が好きだった方はもちろん、DMのイメージに興味を持たれて初めて写真展に来られる方など来られる理由は多岐に渡っていました。これも、ハービー氏自身と作品本来の魅力に他ならないと思います。

オリジナルプリントの力強さや美しさは、実際に見てみないと分かりません。写真集はそれとは別の形での表現媒体ですので、それはそれで魅力があります。ご購入された方は、写真集を見返すたびに、会場に足を運びそれぞれのオリジナルを目の当たりにした時の感覚がよみがえってくると思います。

僕にとって、ハービー氏の作品は、愛と希望と人の暖かさ、そして、その時々、瞬間であっても最も大事だと思える繋がり(えにし:縁)を感じます。以前、井上ひさしさんの戯曲の台詞を紹介したことがありますが、まさに人が生まれ、何か大きな力のようなものに導かれ、かけがえのない人たちと出会えることは奇蹟そのものであり、その言葉を具現化したイメージが作品となっているのです。

今回ギャラリーを訪れて下さったお客様の多くは、本当に初めての方です。偶然何かでギャラリーを知り、写真展に興味を持たれ、重い扉を開けてくれた方々です。

繰り返しになりますが、来ていただいたことに心から感謝いたします。

今後も、感動や驚きを体現出来るような作品、空間を紹介していきますので、
いつでもお気軽にお越し下さい。

2009年12月27日日曜日

今出来ること、今しかやれないこと。

今年はいつにも増して、年の瀬という感じがしません。以前のように、今日で仕事終わり、明日から休みだなとの感覚があまり無いからかもしれません。一人で仕事をしていると、ほとんどの場合、自分の中で処理、消化しなければならないので、なかなか区切りのようなものが付きづらいことがあります。その反面、今日はこれはうっちゃおうとか結構ずぼらな考えもでてしまいます。気がつくと、あれもこれもとしなければならないことが溜まっているのです。


このところ、会期終了に近づいたこともあり、来廊して下さるお客様が増えています。出来るだけその方々と会話をするようにしていますので、当然のように雑事の処理なんかは開く前の午前中と夜になるわけです。それでも、量的には非常に少ないので負担には感じていませんし、むしろ昼の間に話した内容をもう一度振り返り、もう少し表現を変えた方が良かったのではないかとか少しは伝わったかなとか思いを巡らせていることが多いように思います。

若いころは元来面倒くさいことが嫌で非常に気持ち的にも弱いことが分かっているので、やれる時にやってしまえという考えが先に立ち、後で他にもこんなやり方があったなとかあの時は結論を急ぎすぎたなと後悔することが多かったように思います。年を経るにつれ、経験とともに少しはその判断能力も上がってきたのですが、まだまだだなと思うときは多々ありました。

ある経験をきっかけに、10年程前から、やれる時にやってしまえという少し乱暴で勢いだけの考えから、今自分が出来ること、今しかやれないことを納得して行うといった感じに考え方が変わってきました。時には熟慮して先延ばしすることも必要です。その区別をすることも徐々に分かってきたように思います。

今は、扉を押しあけて入ってくる方々、ひとりひとりの顔を見ながら、その瞬間に感じたことを言葉にして伝えることを一番に考えています。そして、それが僕の今出来ること、今しかやれないことだと素直に思えることだからです。

2009年12月26日土曜日

記憶と行動 その曖昧さ

最近分かったことですが、僕はどうも人と話をしていると他の事を忘れてしまうようで、昨日も来て下さったお客様へクリスマスカードを渡すつもりでいたのが、すっかり抜けてしまって、ほんと駄目だなと反省しきりです。そんなわけではありませんが、本日も1日遅れになりますが、クリスマスカードをプレゼントしようと思っています。


もし、これを読まれてから来られる方は、僕が忘れていたら話して下さい。

直接来廊されアンケート等に答えて下さった方やイベントご参加でお名前や連絡先が分かっている方には、時々メールで情報をお送りさせていただいているのですが、このところ顔と名前が一致しなくなることがしばしばあります。それほど多くは無いと思っているのですが、お名前が分からずに顔だけを存じ上げている方もいらっしゃいますので、時々僕の脳内記憶引き出しの中で混乱しているのだと思います。

年を取るにつれ、過去に出会った人たちや有名人の名前が思い出せないことがよくあります。そんな時は、あの時懇意にしてもらっていたり、とても好きだったりしたのに、なんで思いだせないのだろうと自分自身にがっかりしていまいます。ギャラリーをオープンしてからは、出来るだけ顔の見える営業をしていきたいと思い、それを実行してきたつもりでしたが、ここにきてすでにおやおやです。

以前、人間の記憶はその日のさまざまな出来事を取捨選択し、夜の時間に脳内に蓄えられるようなことを聞いた覚えがありますが、はたして記憶されたものが本当にその時受けた思いや感情までも忠実に記憶されるものだろうかといつも疑問に思っていました。事実年月とともに、過去の古い記憶は次第にあいまいになり、結果的にかなり自分自身の中で脚色されている場合が多いように感じます。

全てを記憶してしまっていたら、きっと脳内はパンク状態で、常にパニックしてしまうと思うし、一部の鮮明な記憶(良いことも悪いことも)を残して、その他はぼんやりとした記憶であった方が救われるのかもしれません。一種の防衛本能ですね。

そうは言っても、お客様の名前を思い出せなかったり、しなければいけないことを忘れてしまったりするのは困りものです。なんとかしないといけません。ほんと、死活問題ですから。

2009年12月25日金曜日

夢を追いかけて

最近夕方以降にみえられるお客様が多く、話をしているといつの間にか閉廊時間を過ぎていていることがあります。もちろん、来ていただけることには感謝しながら、自然と話してしまうわけですが、あまり遅くまでいられると、逆にお客様に迷惑では無いかなと感じてしまいます。


昨日も3人の若い方が18:00前後にみえられて、結局20:00頃まで色々なことを話してしまいました。そのうちの一人は以前ブログにも「心から感謝」(8月11日)というタイトルで登場した姉妹の妹さんです。姉妹ともとても素敵で、カワイイ感じの女の子なのですが、彼女らは写真にはこれまで触れたことが無く、それでもファッションやアートには興味があり、自分も何か表現することをしたいと夢見ていると言っては、会期ごとに必ずギャラリーに来て、興味深く作品を見てくれていました。

お姉さんの方は、今年の夏に上京し、自分の将来の為に専門学校に通い始めました。それからは妹さんがひとりで来てくれていたのですが、昨日はアルバイトも無い日だったので、寒い中ギャラリーへと足を運んでくれたのです。今月姉を訪ねて東京に行った時に見た展覧会のパンフを見せてくれたりして、楽しく話をしている内に、実は私も2月に東京に行くことにしましたと語り始めました。

彼女には夢があるようです。詳しくは話してくれませんでしたが、それはそれだけでとても素敵なことだと思います。その為に、東京という場所を自ら選んだのですから、僕がどうこう言う立場ではありません。なので、その後は話を聞くことに徹していました。

不安よりも希望の方がはるかに大きいことを、その瞳に宿しながら語る姿には、純粋に美しさや尊さのようなものを受け、現実はもっと厳しく、切ないこともあるだろうけど、頑張ってほしいなと思っていました。それと同時に、身も知らず、年齢も倍ほど違う女性が目の前で僕にこんな話をしているなんてことは、普通のおじさんでは得られないことだろうとも感じていました。

2009年は僕にとって、出会いと別れが数多く訪れた年でした。そのひとつひとつが僕の財産であり、力を生み出してくれる源でもあるのです。

来年以降しばらくは会えないと思いますが、心から応援しますよ。

また、いつか素敵な笑顔を見せて下さい。

2009年12月24日木曜日

ほんの少しだけセンチメンタルな夜

昨日の続きになりますが、polkaは一応無事施術を終え、部屋で休んでいる状態です。


実は、昨日ブログをアップした直後に病院から電話があり、かなり大暴れしたらしく、鎮静剤を打ったとのことでした。
何も分からないまま、意識もはっきりした状態で、勝手に自分の体をいじくりまわされるわけですから、人間でも抵抗してしまうと思います。だから、部屋から病院へ、そして病室の中までものすごくおとなしかったことがむしろ不思議なことで、僕も医師にはかなり暴れると思いますと言って、病院を一旦後にしたのです。

しばらくして、決められた時間に病院に行くと、施術はほぼ終了していました。最後の仕上げといったところです。待合室には、静かな様子でキャリアに収まっている猫を連れたカップルがいました。心配そうに猫の背をなでている女性を見ていると、彼らの気持が今は分かるような気がしました。しばらくして、そのカップルの診察が終了してから、医師からの説明を受けました。

医師はまだ30代とおぼしき男性で、診察室に入るとすぐに鎮静剤を打ったいきさつとpolkaに引っかかれた腕の傷を見せながら、医者として恥ずかしい話ですと言っていました。僕は単純にpolkaがけがをさせたことで、申し訳ないなと思い、すみませんでしたと何度か言ったのですが、そのたびにこちらこそプロとして恥かしいですと話していたのが印象的ではありました。

症状は、一時的な脱肛と、内腿の筋肉がだいぶ細っていることで、いきむ力も弱ってきた為に肛門が蓋された状態になったとのことでした。便はかなりの量が溜まっていて、小さなビニール袋に入れてあるものを見せられました。お持ちになりますかと言われましたが、それは丁寧にお断りしました。(持って行く人っているのかなと思いながら)それから、脱肛は一時的なものなので多分心配はないと思うが、えさと水やりを改善して下さいと忠告を受け、無事病院からpolkaを引き取った次第です。

たしかに、polkaは水を飲む回数が少ないので、普段の便も固くコロコロしたものでしたから、思い当たる節は充分にあります。それと、やはり年齢の影響は、見た目がそれほど変化なくてもあるんだなということ。自身も含めて考えさせられました。

今、polkaは昨日かなりお腹の中をいじられたので、じっと体をいたわるように大人しくしています。じき回復してくれるとは思いますが、まだまだ心配ではあります。

それと、やはり同時進行で年を重ねているんだなという実感みたいなものを、初めて感じましたね。何を思っているかは分かりませんが、僕の素をいつも見ている唯一の生き物ですから。そんなことを考えながら、昨夜はほんの少しだけセンチメンタルな時間を過ごしたのでした。

2009年12月23日水曜日

頑張れ、polka!!

今日は天皇誕生日で祝日です。ギャラリーは普段通り行う予定です。


ですが、5日前から、polkaが便秘状態に入り、自力で排便が出来なくなっていました。以前からそのような状態はあったので、しばらく様子を見ていましたが、いかんともしがたく、先ほど近くにある病院に連れて行きました。

朝一番からpolkaをキャリアーへと入れたのですが、引っ越しの時のような格闘レベルではなく、結構スムーズにいっていまいました。少し拍子抜けしましたが、やはり、少々弱っているのですね。病院へ行く途中も、待合室でもずっと鳴いていましたが、病室でキャリアーから出してからは、比較的落ち着いていた様子で、これはこれでまた心配になってしまいました。

今年で11歳ですので、人間でも何かあってもおかしくない年齢です。医師と話をし、これから2時間程点滴で水分補給した後、便を取り除くこととなりました。

ですので、今は治療を託し、一旦ギャラリーに戻り、このブログを書いているわけです。

それにしても、動物は痛いとかかゆいとか積極的に行動として表わさないので、それが困りものです。時折、言葉が使えたらどんなに便利かと思います。(いつもですと疲れてしまうと思いますが)今回も、便が出なくなってからは、じっとしていることが多く、水だけを飲み、何か分からないけど自分に降りかかった厄災がいつか通り過ぎるのを待っているような風情でした。

今すぐ、生死に至るわけでは無いとは思いますが、どうなるかは誰にも分かりませんから、その分からないってところが不安にさせます。普段とそれ程変わらない表情でありながら、中では一点のシミが全体に広がっていて、ある臨界点を越えた瞬間に状況が一変する場合もあります。実際、僕もそんな経験を何度もしてきました。

2時間後もう一度病院へ行きます。多分、ギャラリーはオープン出来ると思っています。

頑張れ、polka!!

2009年12月22日火曜日

もっと自由に

昨夕、少し時間があったので、2007年公演のコクーン歌舞伎「三人吉三」の後半だけを見ました。外でちらつく雪にほだされたわけではありませんが、ラストの雪のシーンが見たかったからです。ラスト、これでもかと言う大量の雪が落ちる中、三人の吉三の死に至る姿が、かつてのアメリカンニューシネマのようなイメージを彷彿させます。滅びの美学とでもいうように、舞台上全てが真っ白になる劇的な幕切れは、見ているものの魂までも浄化されるような気分にさせられます。


以前にも書いたように、僕は歌舞伎をほとんど見ないのですが、このコクーン歌舞伎だけは別物として見てきました。なので、物語のいきさつや内容の解釈は歌舞伎でのそれとは違うのかもしれません。さまざまな芝居の中の一つとして、単純に見ていました。

「三人吉三」は、歌舞伎の中でも一番とも言えるほど有名な演目です。「大川端庚申塚の場」でのお嬢吉三の台詞は、歌舞伎を知らない人でも一度は聞いたことがあると思います。河竹黙阿弥作、初演が1860年ですので、時代はまさに幕末の頃、これまでの価値観や世界との繋がりが大きく変革し、明日をも知れぬ毎日だったのではないかと思われます。

内容もこれまた、現代でもそこまで物語として設定するかと思えるほど、非常にネガチィブと言うか希望の無い出来事で綴られています。主人公はお坊、お嬢、和尚の3人の吉三と言われた、まぁ盗賊のような人たちです。その3人が百両の金と庚申丸と言う刀を巡って繋がり、過去の因果応報も絡みあいながら、奈落へと突き進む姿がラストの死へと繋がっていきます。

それにしても、このような今から150年近く前の作品やもっと以前のギリシア悲劇などを見るたびに、その表現の自由さを感じずにはいられません。「三人吉三」で扱っている題材は、女装したお嬢吉三とお坊吉三に芽生える友情以上の愛情や本人同士は知らなかったとは言え、カップルとなったおとせと十三郎が近親相姦であったり、ほんと過激で、ごった煮のような状況なのです。

今のようにテレビもインターネットもなかった時代、ごく限られた人たちへの娯楽として、密閉された劇場空間の中で演じられるものだからこそ出来たことなのかもしれません。そうかと言って、現在が表現を束縛されている状況ではないとは思っていますし、むしろ自分自身でその枠を見限っているような感じがしないでもありません。

閉塞的で暗い世の中ではありますが、こんな時こそ、もっと自由に、ときに枠をはみ出してもいいのでは思えてしまうのです。

2009年12月21日月曜日

最終週です。

昨日も少し冒頭で書きましたが、今週でハービー・山口写真展が終了します。終了間際のこの時期にはいつも寂寥感のようなものを感じてしまいます。まだまだ、満足感よりも強いのが正直なところです。


今回はイベントでの反応も良く、新たなお客様も見えられるようになり、自分自身も楽しみながらの写真展であったような気がします。イベントに参加出来ずに残念だったとかもう一度ハービーさんにお会いしたいとか、そんな言葉を聞くたびに素直に嬉しく思います。

それでも、写真を撮る、撮らないに関わらず、もっともっと多くの方に作品の魅力を伝えたい欲求が日増しに大きくなっていることは確かでした。

最近は天候も悪く、来てもらえるだけで有り難いと思っているのですが、そんな中訪れたお客様がどれほど楽しんでもらえたかもとても気になります。このような展示会は多くの場合、そのエンタテイメント性よりもアート性が優先し、何か難しいもの、見てもよく理解出来ないものと思われがちです。実際、そんな展示会が多いのも確かですから、自然とそんな方程式のようなものが成立しているんだと思わせられている感はあります。

僕は、先ずは純粋に自分が感じたものを優先させてほしいと思っています。演出的にテーマ性を導き出すように、展示・構成している部分はありますが、結局は自分自身の感性や経験や思いといったものから、作品に対峙し、感じたものに嘘はないはずです。

その解釈が、たとえ世間一般で言われているものと違っていても、全然構わないのです。本来アートは自由奔放なもので、表現者はもちろん観賞する人々もその枠に捉われない感じ方があってしかるべきなのです。

偶然にも、これを読んでしまった皆さん、一度来られた方でも、2度目は新たな発見があるかもしれません。ですので、何度でも見て、感じて下さい。

最終日27日は日曜ですが、通常通り営業しています。

もちろん、連絡をいただければ、時間外でも出来る限り対応させてもらいます。

2009年12月20日日曜日

発展途上・・・より普遍的なものへ。

今年もあと10日あまりになりました。現在行われているハービー・山口写真展も残り1週間です。ほんと、休んでなんかいられない気分なのですが、会期終了間近の寂しさのようなものも感じてきました。


これまで3度の企画展を行い、会期中のイベント等で多くの方と交流を持てたことは、とても有意義でこれまでの生活では味わえないことばかりでした。来られる多くの方は、僕が以前も写真関係の仕事をしていると思われているようですが、全くもってそのような仕事はしたこともない素人です。

こんなことは書いちゃいけないのかもしれませんが、入学したての小学生と同じです。日々の出来事や人との出会いから得られるものが、僕にとっては最良の学習であり、経験であるわけです。ですので、いろいろと失敗や失礼なことも話したりしたと思います。

今までのものは、これまで好きで見てきた写真展やギャラリーや芝居からの影響が、多分に表れていた企画展であり、展示方法であり、空間設定でした。ですので、創造性という意味ではこれからだと思っています。

世間では、私には生涯忘れられない曲があるとか私はあの曲で救われえましたとか、音楽そのものが聴く者に力を与えたようなことを良く聞きます。これは、何も音楽に限らず、アート全般に言えることだと思っています。一枚の絵や写真に心奪われ、感動を覚え、心地よい癒しや救いが得られた経験は誰しもあるのではないでしょうか。偶然何かでこのギャラリーを知り、今まで知らなかった作家の作品に触れ、そんな気持ちになってもらえることが、現在の僕にとっては最大の喜びなのかもしれません。

僕自身、作品を発表しているわけではないので、創作し完成に至るプロセスや作家の心情を正確に伝えることは出来ません。が、その手助けをすることは出来ると思っています。何より、作品群を見て、実際の展示構想や照明も含めた空間設定を考えるだけで、自分自身が癒されている感覚を覚えます。そこで感じる幸福感(大げさかもしれないが)や心の疼きや痛みといった、ある意味普遍的ともいえる感情を共有できればとの思いがそうさせているのかもしれません。

今日も数名がギャラリーを訪れてくれます。

何かひとつでも感動や新しい発見を見出してくれればと思っています。

2009年12月19日土曜日

二度寝の朝、自分が何者かであること。

昨夜は午前4時頃目が覚めてしまい、もう一度寝るか迷った挙句、2度寝をしてしまいました。案の定、再び目覚めた時には、いつもよりかなり遅い時間になったのですが、ひとりで仕事をして、誰にも迷惑をかけるわけでもないとは分かっていても、何かすっきりしません。やはり、スタートは大事ですから。


前にも書いたと思いますが、昔から終わりよければすべて良しという言葉はあまり好きではなくて、結果をすぐ求められる仕事自体には非常に懐疑的でした。昨今は生活スタイルや時間の流れそのものが矢のように早くなり、結果が即求められることが多くなりました。

僕なんかはその辺が生理的にも嫌で、したがって上の者と意見が食い違うことは多々ありました。サラリーマンであること自体、不条理を受け入れなければならないことは充分に理解していましたが、そのたびにわだかまりのようなものは滓となり残っていったように思います。そのような積み重ねは、ときどきは眠れない日を作り、遅くまで仕事で会社にいることだけで妙な安心感を得るような、今考えるとなんと無駄だったの、という日々を過ごした時期もあります。

だいぶ以前に、若いうちは自分が何者であるかすら分からないまま仕事や生活をし、徐々に自身の在り方が固まってくると言われたことがあります。それは、家族や仲間、地域といった繋がりから結果的に自分自身があぶりだしのように生まれてくることを意味していると考えていましたが、未だ分からないままです。

昨日、青森県から出張で仙台に来られた方が、ギャラリーにみえられました。その方はオープン当初からHPでギャラリーを知り、前から来たかったがなかなかその機会が無く、今日の仕事の前に行こうと思ってくれたとのことでした。ご自身撮影もして、印刷関係の仕事をしているようで、写真については僕なんかより造詣が深い方です。2時間半程、お話をしていたと思います。とても勉強にもなり、楽しく、有意義な時間が過ごせました。

オープンして7カ月、他県の方もたまにいらっしゃいます。そんな、見ず知らずの方と写真を通して、まるで旧知の仲のような会話を交わせることに、何物にも代えがたい喜びを感じます。きっと、そんな繋がりの中で、僕自身がこれから何者であるかが分かってくるのだと思います。

2009年12月18日金曜日

さてっと、年賀状だ。

昨晩からみぞれまじりの雪が舞い始めました。今朝は白い雪化粧にうっすらと包まれていないかと期待していたのですが、道路はすっかりそのままで、端の方に残っているだけでした。今日も夕方から本格的に雪が降るような天気予報です。


昼過ぎから少しずつ降り始めるようなことも話していたので、お客様も少ないかなと思います。この時期になると今夜あたりは忘年会も多いのでしょうね。今日は気温も上がらないようですから、雪解けが凍り、足を滑らさないように気をつけて下さい。

僕はと言えば、そろそろ年賀状を作らないと、と思っています。以前は年末の休みもぎりぎりまで仕事をしていて、年始も早々から出勤していたことが多く、年末年始との感覚が薄れていました。それでも、元旦に届く年賀状の相手先を見るたびに、すっかりご無沙汰しているなとか元気にしているんだと、常にそばでいたころの事を思い出します。

昔は年一回の便りのように、まるで生存確認のような扱いをされる場合もあったりして、少し馴染めないような感覚もあったのですが、歳を取るにつれて、こういう文書での便りもいいよなと思えるようになってきました。

今はなかなか友人でも住所まで教えていることが少ないし、メールでのやり取りの方が手軽ですから、それで済ます場合も多いのでしょうね。でも、そんなメールも決して否定的には考えてはいません。繋がりという点では、むしろ本当の今が感じられるからです。

ツイッターとかだと、さまざまな人たちと本当に今を共有している感覚がフラットに得られるから、メール以上にそんな感じになるのかなと思ってもいます。

さて、まずは図柄から考えないと。それから住所録の整理をして…面倒くさがりの僕ですので、ちまちまと進めていく姿が眼に浮かびます。

最後に昨夜の雪の名残の画像をアップしておきます。




2009年12月17日木曜日

昨夜届いた2つの便り

昨夜は2つの思いもしない便りが届きました。


1つはハービー・山口氏からのメール、それから昨日の記事へのコメントです。

ハービー氏からのメールは、昨日のイベントに来ていただいたお客様がその時の感想や思いをハービー氏宛てに直接送られ、その文面が転記されてあるものでした。内容は、とても自分に前向きで素敵なものでした。

これは、ハービー氏の温かい人柄や確固たる生き方、そして会場で真摯に接している時の言葉がお客様の心を動かし、その発露として現れたものだと思います。僕自身、本当に嬉しいことで、イベントを開催して良かったなと思える瞬間でもありました。

そしてもう1つ、昨日の記事についてコメントがありました。まだ、このブログにはコメント欄がありませんのでチョット紹介します。コメントを寄せて頂いた方は外来禁煙を行っているお医者さんで、井上ひさしさんの記事を検索して、偶然僕のブログを読まれたようです。門外漢の僕のタバコについての記述に、専門的なご意見が書かれていて、非常に参考になりました。また、記事の内容で少し表現的に語弊を招くような箇所もあったかなと考えた次第です。

この2つの便りで感じたことは、自分の言動や行動の在り方によって、それを受けた人たちに何らかの影響を与えているんだなということです。影響と言うとこれまた語弊があるかもしれませんが、何かを感じるきっかけのようなものです。

ハービー氏の場合は、僕自身ではなくハービー氏の影響力がそういう行動をするに至ったわけですが、コメントは僕自身の記事に対するリアクションですからね。当初からコメントなんか来ないだろうと思っていましたし、それを意識して書いてもいませんし、一種の備忘録のような感じで始めたのが正直なところです。

でも、これからは少しだけそんなことも意識しながら、自分の今の気持ちに嘘が無いように続けていこうと思います。ですので、間違っていそうだったり、そうだよねと感じた時はコメントして下さい。

2009年12月16日水曜日

井上ひさしさんが肺がんで闘病中を知って

劇作家の井上ひさしさん(75)が肺がんで闘病中であるニュースが、昨日から今日にかけてネットやテレビで伝えられていました。10月に新作戯曲「組曲虐殺」を書き上げた後に、病状が判明し、現在は来春復帰を目指して療養中とのことです。


井上さんは一日に40本は吸うと言われる程の愛煙家ですので、やはり原因はタバコなのかなと思ってしまいます。愛煙家の代表格として、僕がすぐに思い浮かぶのは映画監督の市川崑さんです。市川さんは92歳で肺炎の為、お亡くなりになっています。晩年は健康を気遣ってか、タバコには手を付けなかったようですが、人間92歳まで生きて、まっとう出来れば充分なような気もしますし、タバコ即ガンという構図はどうかなと首をかしげる所でもあります。

かといって、タバコを吸われない方にとっては、隣でスパスパと吸われることは迷惑この上ない事だとも感じています。僕自身も、出来るだけ気をつけてはいるものの、この場でタバコを吸ってしまってまずかったなと後悔することはありましたから。

人の嗜好は、それが法に触れない限りは、自由であり、自己責任の範囲であるとずっと思ってきました。40歳を過ぎてから毎年受けていた人間ドックでは、特に異常が見られなくても、常套句のようにタバコは控えた方が良いですよと言われ続けました。それでも、分かってはいるけどね・・・と心の中で呟きながらも、止めようと思ったことはありません。

この10年はオフィスでの禁煙が徹底されていたので、会社では2時間おき程度の休憩時間に吸うぐらいで、以前よりは減っていたのですが、最近少し増えてきた感じです。ギャラリー内は禁煙ですから、たまに表に出て吸うわけで、昼間特に増える理由はありませんが、夜部屋で吸う割合が増えているのですね。

これは部屋にいる時に行っている内容が変わったからなのかなと思います。これまでは帰宅が遅いこともあり寝るまでの時間が少なく、その中で次の観劇をどうしようとかあれこれネットで情報を集めたりして、タバコに手をつける頻度も少なかったわけです。今は、大抵はギャラリー内のPCで行っていますので、上の部屋に戻ると、テレビやDVDなんかを見たり、考え事をする機会が増えて、知らず知らずの内にタバコに手がいってしまうようです。

生活習慣の変化は時として人に大きな影響を与えると考えています。その為、多くの人はあまり大きな変化を好みません。僕の場合、今年はとても大きな変化点であり、これまでお付き合いしてきた方とはまるで違う方々と毎日接するようになりました。

毎日が新鮮であり、刺激的である一方、時に気が滅入ることも正直あります。まぁ、そんなこともありタバコもちょっと増えているのかと客観的に眺めながら、減らそうとの思いはあまりありません。これが今の自分なので、もう少し受け止めてから、次に進もうと思う気持ちが強いからです。

その為に数本程度タバコが増えてもいいでしょう?(誰に聞いているのか分かりませんが・・・。)

2009年12月15日火曜日

クリスマスカードに添えて

いやぁー、寒いですね。


今朝の最低気温は氷点下だったとのニュースを聞き、たった今表に出てみましたが、日差しは出ていますが、空気が刺さるような冷たさです。山沿いでは朝早く雪も降ったようでいよいよ冬本番です。

もっとも12月も中旬ですし、街中クリスマスムードで、光のページェントも始ったことだし、少しぐらい寒い方が気分的に盛り上がるというものです。今年は、もしかしたら何年か振りに、ホワイトクリスマスになるんじゃないかとの期待感があります。ギャラリーから15分程歩くと、光のページェントをしている定禅寺通りがあるので、是非体験してみたいと思っています。

この時期になると、だいぶ以前(15年程前)は仕事がらみで海外へのクリスマスカードを出すために、文房具屋さんを見に回っていましたが、ここ数年はそれも無くなり、たまたまそういったフェアーを行っている店で、眺めるでもなく見かける程度でした。

さて、今年は何を思ったのか、クリスマスカードをごく身近な人に出そうかなとしています。そんなわけで、昨日はイベントの整理や詳細を一通り終えた後に、2日前に届いたクリスマスカードを眺めていました。
おわかりでしょうが、届いたのは、他の人からのクリスマスカードではなく、これから出そうとしているクリスマスカードです。少しだけ紹介します。

お菓子のブリキのような箱に、アルファベット26文字分のカードが入っています。一文字ずつのカードを開くと飛び出す絵本のようにデザインされた絵柄が出てくるもので、日本でも有名なアメリカのポップアップブック作家Robert Sabudaの作品です。

あえて画像は出しませんので、興味がある方はギャラリーへお越し下さい。

数に限りはありますが、おひとりにつき1枚差し上げます。

とても素敵なカードを作る人で、以前から好きで他の作品も良く見ていたものでした。

今年はこのカードに一言添えて、送ろうと思っています。

僕には仕事や遊びで付き合ってくれた息子や娘のような年代の子がいて、今でもごくたまにメールなんかのやり取りがあるけど、その中のひとりの女の子は昨日14日が誕生日でした。仙台に移る時に、寒いだろうと僕に手袋をプレゼントしてくれた子です。まだ、手袋は使っていないのですが、大事にしまっています。その子が、自分の誕生日は討ち入りの日だから覚えやすいでしょうと、笑顔で話していたことを今でも思い出します。

誕生日おめでとう。いつも元気で、とびっきりの笑顔を見せてくれていましたが、これからも変わらずにいて下さいね。

この文を読んだ一部の人には、誰かが分かるようになっています。

2009年12月14日月曜日

ハービー・山口スペシャルイベント 無事終了です。

ハービー・山口スペシャルイベントが無事終了しました。


当日会場で直接申込をされた方も含め多くのお客様に来ていただけたこと、心よりお礼と感謝の気持ちでいっぱいです。有難ございました。

ハービー氏のフランクで温かい言葉に真剣に聞き入るお客様のお顔を見ているだけで、何か胸に込み上げるものがありました。また、第一線で活躍される写真家であるハービー氏と直接語り合える場を作れたことは、その光景を見ているだけで僕自身企画した甲斐があったと感じられる瞬間でもありました。

内容は多岐に渡り、ハービー氏自身の生い立ちから、写真家になろうとしたきっかけ、Londonでの生活、そして写真家である前にひとりの人間としての在り方や方向性など、時にジョークも交えながら、珠玉の時間を過ごせたのではないかと思っています。またサイン会でのハービー氏の丁寧な受け答えに対するお客様の笑顔を見ていると、こちらまでついほくそ笑んでしまいました。

僕が一番感じたことは、ハービー氏自身のリベラルな姿勢とやはり人との出会いが大事なんだなということです。ネット社会や昨今の経済不況により、ややもすればその人間関係まで希薄になってきていますが、人間生身で語り合ったり、触れることがもっとも重要なことだということです。至極当たり前のことですが、改めてその大事さを感じました。

ギャラリーを訪れた何人かの方に、こういうギャラリーという場所で、長い時間話をしてくれる人に会ったことがありませんねと言われたことがあります。いくらかのビジネス・トークはありますが、僕はそれよりも、もう二度と訪れないかもしれないこの時間を出来るだけ楽しんでもらい、作品や作家への興味や捉え方などの手助けになればとの気持ちが強いだけなのです。これも、無意識に人との出会いを大切にしたい気持ちが働いているのだと思います。

会場ではPC操作をしていたので、場内の様子の画像がありませんが、その前にギャラリーでのハービー氏の画像がありますので、アップしておきます。




最後になりますが、今回のイベントで司会・進行を快く引き受けて頂いた、ブリッツ・インターナショナル代表 福川芳郎氏、僕なんかよりよっぽどしっかり仕事をこなしていたデザイナー学院の小倉君、遠藤君、日野さん、ギャラリーオープンからお世話になりっぱなしの宮城県芸術協会の小出さんに、心より感謝致します。


会期はまだ2週間あります。皆様お誘いあわせの上、是非、オリジナル・プリントを見に来て下さい。ハービー氏へのメッセージも会期終了まで行うことに変更し、その後おひとり様を選考させていただき、写真集を進呈する予定です。

2009年12月13日日曜日

ハービー・山口スペシャルイベント当日です。

ハービー・山口スペシャルイベント当日です。


天気予報は晴れのち曇りのようですが、窓から見える空はどんよりと曇った感じです。このまま雨が降らないでいてくれることを祈るばかりです。

この歳にして、不安や期待やなんか色々な感情が渦巻き、少しテンションが上がり気味です。元来の上がり症なので、会場でパニくってしまうのが怖いのですが、何とかなるでしょうと言い聞かせながら着替えを終えたところです。

polkaは事無げに、いつものように前足に顔を乗せながら、ソファーの上で寛いでいます。餌も食べ終え、今日の朝の一仕事は終わったような感じで、部屋でうろうろしながら着替えをしていた僕を眺めていました。

実は僕の部屋はギャラリーと同じビルにあり、通勤手段がエレベーターという便利さなのです。今日イベントで使用するPCはギャラリーにあるデスクトップですが、すでに梱包しているので、今は部屋にあるPCでこれを書いています。

これからギャラリーに降りて、持ち込む荷物の最終確認をします。

なので、イベント状況は明日にでも報告します。

では、参加して下さる皆さん、会場でお会いしましょう。

2009年12月12日土曜日

昨夜は「マクベス」、明日はハービー・山口スペシャルイベントの日です。

昨夜は、NHK芸術劇場をまた見ていたのですが、放映された舞台は仲代達矢さんが主演で無名塾公演の「マクベス」でした。「マクベス」はシェークスピアの4大悲劇のひとつで、多くの劇団で公演されていますし、僕も何度か観ていたのでストーリーは分かっていました。


今回の公演会場は、石川県七尾市の能登演劇堂というところで、初めて耳にするホールでした。番組冒頭の解説によると、1985年、無名塾が合宿をこの地で行って以来、旧・中島町(現・七尾市)との交流が始まり、1995年に仲代さん監修のもと、演劇専門の公設ホール能登演劇堂が造られたとのことでした。

そして、このホール最大の特徴は、舞台正面奥の大扉が観音開きで開放されると外の自然風景を借景する大掛りな仕掛けがあることです。合戦の場面では外から本物の馬が走りこみ、有名な森が動く場面では、50人の市民がエキストラ出演していました。

外の情景を生かす試みは、野外でのテント芝居やシアターコクーンで実際目にしたことはありましたが、この舞台はその域を超えているように感じました。演目が「マクベス」だったこともあり、非常に効果的だったように思えます。昨日はこの演出が見たくて、テレビをつけたようなものでしたので、大変満足です。

話は変わりますが、いよいよと言うかやっとと言うか、ハービー・山口スペシャルイベントが明日になりました。今日の営業終了後と明日朝から、会場へ持ち込む荷物を準備する予定です。引っ越し荷物のチェックではありませんが、チェック表を作って備えないと絶対何か忘れるような気がします。物事は段取りでほぼ決まってしまいますからね。

気になるのはお天気です。今朝も昨日からの冷たい雨が降っています。天気予報では今日の午後には止み、明日は晴れのち曇りとのことですので、信じてみようかと思っています。会場は地下鉄地上出口からすぐ見えるほど近いですので、小雨なら影響は少ないとは思いますが、やはり晴れていてほしいものです。

そんなことを書きながら、前述の舞台も雨の日はどうなったのかと、ふと思いました。役者さんや馬は大変だけど、それもリアリティーがあって、面白かったのかもしれませんね。

明日のイベントでもリアリティーはもちろん大事ですけど、ほんの少しだけ現実を忘れられるようなそして忘れていた何かを感じられるような、そんなイベントであってほしいと願っています。

明日はもしかするとブログ更新が出来ないかもしれませんが、状況は追って紹介する予定です。

2009年12月11日金曜日

徒然なるままに

寒さは僕だけではなくてpolkaも感じているらしく、朝や帰宅後にガスストーブを入れるようになってからは、近くの椅子の上に丸まっている姿が多くなりました。いつもは、リビングのソファの背もたれ上に鎮座しているのですが、温風が出ている近くの方がいいみたいです。


付き合い始めてから10年を過ぎています。人もそうですがいつもそばにいると、姿形の変化にあまり気がつかないものです。polkaもでっぷりと垂れ下がった下腹以外は、ここ数年ほとんど変わってないように、僕の眼には見えます。

以前は、ほぼ毎日のように写真を撮っていたのですが、カメラの眼を通してもあまり変わりない姿を確認しては、ずっと変わらないままここにいるのかな、などと思っていました。

多分1年半前に撮ったのがこれです。




プロフィールにある画像はもっと以前のもので、5年ぐらい前ですので、あまり変わっていないですよね。


僕の方はと言うと、今は昔の知り合いにはほとんど会うことが無くなったのですが、たまに会うと変わったと言われることが多いです。まぁ、年相応に髪も薄くなってきましたし、皺も増えていますので、しばらく会っていない人にとって変わって見えるのは当然と言えば当然のことです。

大学の入学式に受付で父兄と間違えられるくらい老け顔だったのが、年齢とともに追いついてきて、追いついたと思ったらさらに老けてきた感じがしないわけではないのですが、この10年以上公私とも年上の方との付き合いがなく、精神的にはまだまだ若いとは思っています。(体力的には老いを感じつつあります)

今日はほんと徒然なるままに書いているような感じです。

最後にひとつ、O髙君へ。

昨日ネットで電報を頼んだのですが、「はしごだか」の漢字が使えず、しょうがないので一般的な高にしてしまいました。ほんと、ごめんなさい。

明日の結婚式が盛況につつがなく行われることを心からお祈りしています。

2009年12月10日木曜日

匂い 遠い記憶

一昨日の爆笑問題のニッポンの教養を見ていたら、何かとても懐かしい気持ちになりました。番組は「何か においます?」のタイトルで、匂いに関する最新の情報を紹介していて、訪ねて行った大学が東京工業大学(以下東工大)でした。


僕が初めて東京で一人暮らしした場所が、当時は東急目蒲線(今は目黒線と多摩川線に分かれました)の大岡山で、その駅前に東工大はありました。春先には行内にある桜を見に行ったりしていましたし、20分程度歩くと、洗足池もあり、東工大の前の通りから洗足池までがちょうどよい散歩コースでもありました。

その頃の大岡山は、高層のマンションもなく、目立って学生が多いというわけでもなく、とても落ち着いた雰囲気でした。駅前の東急病院沿いのイチョウ並木の坂道を下ったところを左折してすぐのところに、僕の住んでいた安アパートがありました。

番組では、匂いに関する分析やデータ化、そこから匂いを作り出したり再現したりする技術を見せながら、匂いの持つ意味のようなものを話していました。匂いって、人の記憶を呼び起こす作用があると以前から思っていて、僕にとっては、銀杏の臭い匂いを嗅ぐと大岡山を思い出しますね。

また、匂いは非常に弱い感覚だとも思っています。海外に行くと空港でその国特有の匂いを感じることがあります。(特にアジア圏では)それでも何日かそこにいると、それほど感じなくなってきます。変化点では非常に敏感だけど、持続性の少ない感覚なのかなと思っていました。

嗅覚は、他の視覚や聴覚とは違う脳の部分で認知していて、ある意味本能に近い、とても原始的な感覚であると言われています。また、「匂い」は感性や想像力を刺激し、快不快に直結するいっぽうで、視覚情報や先入観に左右されやすく、体調や好みなどによっても感じ方が変わってしまう、つかみどころのないものだとも話されていました。

ギャラリーに来られる方は、誰しも感じていると思いますが、常にアロマが漂っています。理由付けは色々出来ますが、良い香りの中で作品を見て頂いた方が、精神衛生的に良いかなぐらいの感覚です。最近は「アロマディフューザー」と言うらしく、仙台でギャラリーすることが決まった時に、東京の知人からいただいたものです。



この方は結構個性的な女性なのですが、何より気を遣わなくても良い(失礼な言い方かな)ので、話をしていてとても楽しいのです。また会う機会もあると思いますが、今はこのディフューザーにオイルを垂らしながら、いつも想い出しています。

2009年12月9日水曜日

この時期考えること

この時期になると年賀状と来年のカレンダーをどうしようかと考えます。


昨年まではごく限られた人にしか年賀状は出していなかったので、印刷してある年賀状に宛名を自前で印刷して出していたのですが、今年は枚数も増えますので、要検討です。

先日日本郵便のHPを見ていたら、今年から「ウェプポ」なる新しいシステムがありました。Web上だけでいろいろなデザインの年賀状が出せるようで、メールアドレスやツイッターIDだけしか知らない人にも、はがき媒体として届けられるようです。

システム的にセキュリティーの問題はどうなのかとは思いますが、面白い試みではあります。でも、普段メールやツイッターのやり取りだけで知っている人がはがきでの年賀状を欲しいのかなとも思うし、そうは言っても、年賀状ははがきだよねと思う人もいるので、それはそれで有りなのかもしれません。

まだ時間があるので、チョット考えます。

カレンダーについては、普段から自宅にも大きなものは置いていません。常にPCを動かしているので随時それで見たりすることが多く、卓上カレンダーを置いているぐらいです。ここ数年は自前で作ったものが多いですね。今もギャラリーのカウンターに置いています。図柄は自分で撮った写真を使用して、いつもはpolkaと花の写真の2種類を作っていました。と言っても、これはアート写真とは関係ありません。

まぁ、僕自身印刷フェチのようなところがあり、色々な用紙を使用しては試しているところがあるわけです。今年は、越前和紙がベースのはがき大の用紙に印刷し、市販のプラケースに入れて卓上カレンダーにしました。ちなみに、これが12月です。



今年は全然写真も撮っていないし、こちらもぼちぼち考えます。
なんか、あれこれ考えている内に、年を越してしまいそうな気もしますが、出来るだけ楽しんでいこうとは思っています。

2009年12月8日火曜日

オラファー・エリアソン  あなたが出会うとき

昨日の仙台は風が強く、「大雪」にちなんでとても寒い一日でした。昼間は次回写真展のDMを置いてもらう為、自転車で仙台市内を走っていました。時折陽が射すこともあったのですが、小雨が降ったり、曇ったり猫の目のような天気でした。午後2時過ぎにはみぞれのような雪がほんの数分降ったらしいのですが、これがそうだったのかと思えるような初雪とは感じられませんでした。


仙台では芸術全般については仙台メディアテークという文化施設が有名です。仙台メディアテークは設計を世界的な建築家である伊東豊雄氏が手掛けており、市の文化施設(図書館、ホール、展示場がある)でありながら、その外観や内部構造に建築物としてのさまざまな特徴を持っているので、そのデザイン性も含めて多くの方が見に来られます。

いつも、1階にある「NADiff」にDMを置かせてもらっているのですが、他にも多くのDMやチラシが置いてあります。時折、覗きにいっては、他に面白いものが無いかをチェックしたりしています。昨日はその中で、とても懐かしい名前を発見しました。

それは、オラファー・エリアソンです。

オラファー・エリアソンさんは、デンマーク生まれの現代美術作家で、色、光、鏡や霧などの自然現象を駆使して、インスタレーションを制作しています。手に取ったチラシは、現在、金沢21世紀美術館で始まった大規模な展覧会の案内でした。

Olafur Eliasson Your chance encounter  (オラファー・エリアソン あなたが出会うとき)
2009年11月21日-2010年3月22日  金沢21世紀美術館
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=460

オラファーさんの作品を、言葉や写真で説明するのは非常に難しいですね。その作品内部に身を置くことで、発生している現象を体験し、感じるようなものなので、実際に見に行かなければ分からないと言っても良いと思います。


オラファーさんの作品は2003年頃にネットで偶然知ったのですが、その後2005年末か2006年初めに北品川にある原美術館で展覧会が行われ、その時に初めて作品を体験しました。交錯あるいは一定の周期で動く光の軌跡や部屋全体に放された色彩の内部に入り込むと、当然非日常でありながら、何故か穏やかでもあり、また、適度な緊張感が自身の知覚を刺激します。とても不思議な体感だったことを、今でも覚えています。

お近くの方は、是非体験してみたらいかがでしょう。

そう言えば、原美術館に見に行った時に常設展示を制作すると聞いていましたが、どうやら伊香保にあるハラ・ミュージアム・アークに、今年の10月完成したようです。こちらも隣に牧場もあり、気持ちの良い場所です。また、行かれた際は、是非牧場直産のアイスクリームを食べることをお勧めします。

2009年12月7日月曜日

漢字・・・そんな感じじゃ駄目です

昨日の記事にあるO高君であるが、本当の高は「はしごだか」だったことが今朝分かりました。実際は、「髙」であったわけで、なんか申し訳ないことをしたような気持ちになりました。


名前については、それぞれ使用する漢字にも意味があり気をつけてはいるのだけれど、名字はもうすでにあるものの意識が強く、名前ほどは良く確認していないことが多いのです。本当に失礼な話だと思いますが、僕自身も初めての人に名前を正確に呼ばれることは少なかったこともあり、それについてはあまり気にもかけていなかったことがそうさせているのかもしれません。

ワープロやPCで文字を入力するようになってからは、特に名前だけではなく、あらゆる漢字が書けなくなってきている気がします。実際メモを取ったりする時に、漢字に迷い、ひらがなで書いていることが多くなりました。それでも、以前は読む方はそれほど苦もなかったのですが、最近は読みや変換した漢字ですらどの漢字を使うのかに迷うようになってきました。やはり、本や文章を読む機会が減り、かつ型どおりのビジネス文書ぐらいしか書かなくなったからかもしれませんね。

そんなわけで、このブログも少ないボキャブラリーの中で、自分が理解できる漢字でしか書かれていないと思います。もっと文才があり、より分かりやすい言葉を使って書けたら、どれほど世界が広がるかといつも思っています。

また記事を読み返していると、いくつか障害に関わるものがあります。ものごとの妨げとなる障害という漢字が、一般的に「障害者」に使用されているケースが多いですが、戦前は「障碍」との混同があり、当用漢字表により「障害」への書き換えが進んだそうです。現在、その「害」(負としてのイメージが強いのだと思う)の当て方を巡って、さまざまな分野で検討されているとのことです。

僕自身はその漢字以前に、あらゆる人(僕も含め)が「ショウガイシャ」だと思っていて、だからこそひとりで生きていくことが難しいと感じているので、どの漢字が適当なのかよく分かりません。だから、この人はこんなショウガイを持っているのに、とても凄いことをしているんだよと声高に言いたいのではなく、素直にその行為や表現に感動し、記事として載せているのです。見ているだけで、元気や勇気や前向きな力を貰えますから。

それにしても、日本語って、特に漢字はいろいろと当てられるので難しいですが、気をつけて使っていこうと改めて感じた次第です。そんな感じじゃ駄目です。

O髙君、電報を打つ時にはちゃんと伝えますので、許してね。

2009年12月6日日曜日

結婚します・・・僕ではありません

今週末、5月と7月、2回もギャラリーに遊びに来てくれた前の会社の後輩が結婚します。7月には奥さんとなる女性と一緒に来てくれて、今準備をしていると聞いていたのですが、はて、そろそろだよなと思い、メールしたところ、今月12日に式を挙げると分かりました。


本当はお祝いに駆け付けたいところなんですが、彼も気を使ってか、(来てほしくなかったのか・・・冗談)招待状も無かったので、先ずはこの場でお祝いをしたいと思います。

結婚おめでとう。O高君!!

7月に一緒に遊びに来てくれて、その時は何か遠慮がちに彼女の名前を口に出していたけれど、これからはちゃんと紹介してあげて下さいね。その日の夜遅くまで、楽しい時間を2人とすごせたことは僕にとっても良い思い出の一つになっています。

思い起こせば、僕の部署を離れ、毎週新潟へ行くようになり会う機会も無くなった折、久しぶりに蒲田での夕食の帰り際、駅前で「今日は彼女の家に行きますから。」と話したことが、初めて彼女の存在を知った時でした。

平日は東京にはいないし、土日も朝早くから出かけ、写真ばかり撮っていたのに、良くそんな出会いがあったものだと感心しながら、内心はとても嬉しかったです。

あれから、もう3年ぐらい経つのかな。

その後、会社を辞め、どうなっちゃうのか心配していたのが、引っ越しして一緒に暮らすようになった時には、親御さんにもすでに了承を受けていたらしく、やはりその辺はO高らしいなと思っていました。その後、色々とありましたが、僕も仙台に戻り、O高も就職を決め、そしていよいよ結婚ですね。

結婚前から同棲のように一緒に暮らしていると、結婚式後もそれほど変わりないと思われがちですが、実際はそうではないことが徐々に分かってきます。やはり、責任とか信頼とか目に見えない部分での重さのようなものが違ってくるかなと思います。

目に見えないものって、実は見えるものよりよっぽど重要で大切です。常日頃の生活の波に揉まれてしまい隠れてしまうものや慢性化した生活リズムの中で気付かなくなってしまったものに、後々取り返しのつかない大きな出来事が埋もれているかもしれません。

なので、これからも新鮮な気持ちで彼女を見守ってあげて下さい。

O高はそれが出来る人ですから。

本当に良かった。繰り返しこころからおめでとうと言いたいです。



済みません。今日はほんとうの日記のようになってしまいました。

2009年12月5日土曜日

レオン・フライシャーというピアニスト

レオン・フライシャー


NHK芸術劇場で昨夜紹介されたアメリカの81歳になるピアニストです。盲目のピアニスト・辻井伸行さんのことを以前記事として載せましたが、昨夜の番組で紹介されたこの方も、物腰の柔らかさの中に人としての強さがとても印象に残りました。

僕は本当にクラシックには疎く、番組を見るまでは全く知りませんでした。がっしりとした体格で、哲学者然たる風貌も漂わせ、とても81歳の老人には見えません。しかも、37歳の時に、後々判明したジストニアという大変変わった病気の為、右手が不自由になり、事実上の引退となります。20代に「100年にひとりのピアニスト」と称され、前途有望であったレオンさんにとって、それは僕らの想像をはるかに超えるほどの衝撃だったに違いありません。

このジストニアという病気は、演奏家の方には少なからずいるようで、番組に出演していた整形外科医の方も200名程の治療に当たったと話していました。神経系の病気で、その原因は脳にあるとは分かっていますが、いくつかの治療のどれが効果的であるかはまだ解明されていないようです。しかも、演奏家の多くは、演奏をする時に症状が現れる(指が勝手に曲がってしまうとかしびれ・麻痺を起こす等)ので、余計に心的苦痛を感じるはずです。

レオンさんはこの症状の為、35年間左手だけの演奏を行うかたわら、指揮の勉強もして、後進への指導という立場を取りながら音楽と付き合うようになります。90年代後半に、ボツリヌス療法により目覚ましい回復を遂げ、2004年には両手で演奏、録音出来るまでになり、再びピアニストとしてステージに立てるようになったと言います。

番組で演奏している様子は、一音一音を慈しみながら、ひとつひとつの鍵盤に向かっているように感じます。時に激しく、時になでるように、現在も治療を行っている指先が自然に舞っているかのようです。それは、40年もの長い間、なんとか右手で演奏出来ないかと苦悶しながら毎日ピアノに向かっていたことが、とても信じられない話のように思えます。

レオンさんはインタビューで、「私が病気になった時、ピアノではなく音楽に向き合うようになり、指揮を学び同時に指導者としての立場でいれたことが私の人生にとって非常に重要な部分を占めていました・・・そして、突然、私にとってもっとも大事なことは両手で演奏することではないと気付きました。」と話していました。

81歳という年齢で、後何年現役としてステージに立つことができるかは誰にも分かりません。

レオンさんはこうも言っています。

「コンサートは僕にとって冒険です。・・・人生はあらゆる可能性がある限り決してあきらめないことです。」

まさに、アーティストですね。

2009年12月4日金曜日

「ポラロイド」カメラ、10年夏に復活

「ポラロイド」カメラ、10年夏に復活


昨日発表されたニュースです。

ニュースリリースによると、写真関連製品を世界展開するサミットグローバルグループがこのほど、Polaroidブランドのライセンスを獲得。日本法人を設立し、国内市場向けにフィルムやカメラを販売する、となっています。

以前、このブログでも紹介したオランダのプロジェクト「THE IMPOSSIBLE PROJECT」とも連携し、来年春から秋にかけて、フィルムも販売されるようです。「SX-70」の復刻版や「Polaroid One」も復活するようで、楽しみですね。僕自身も、手持ちのSX-70がまた使用出来るかもしれないので、今後のラインナップに注目していきたいと思っています。

フィルムは、従来のものとは違っていると思うので、色合いやゆるい調子の再現がどの程度になるかがキーですね。現在、トイカメラも一部の女性を始め、人気がありますから、またまた再燃するのでしょうか。

そんなこともあり、今日はポラロイドで撮影し、コラージュのように作った写真集をひとつご紹介。


「Come Again」Robert Frank Steidl 2006年


歴史的写真集「The Americans」を発表したロバート・フランクのチョット変わった写真集です。「Come Again」は、自身でポラロイドを使って、スケッチブック1冊分にコラージュ作品を作り上げたものを複製した写真集です。ポラロイド部分にのみワニスをかけ、4色のつや消しインクで印刷されています。ばっと見、本物のポラロイド写真がつぎはぎで貼り付けられたように見えます。スケッチブック上についてしまったシミなんかも忠実に再現されていますので、写真集そのものが作品となっていると言ってよいと思います。

今年になって、文字通り「Polaroid」という写真集も発表しています。

それにしても、ポラロイド復活のニュースは、温故知新ではないのですが、とても嬉しいニュースではあります。

2009年12月3日木曜日

燐光群公演「ハシムラ東郷」

2,3日前の新聞に、舞台公演の記事が載っていました。


燐光群公演「ハシムラ東郷」エル・パーク仙台 12月8日、9日

このところ公演情報なんかはずっとご無沙汰で全く知らなかったのですが、へぇ、仙台公演があるんだといった感じで記事を読んでいました。

燐光群はわりと好きな劇団の1つです。主宰の坂手洋二さんの戯曲に惹かれて、毎回のように下北沢まで観に行っていました。と言っても、古くから知っていたわけではなくて、「ダルマさんがころんだ」を、スズナリの前から3番目の席で観たのが初めてでした。

最初の印象は、一言でいうとずいぶん説明が多い芝居だなでした。とてもメッセージ性が強く、ややもすればそれだけで拒否反応が出てしまい、芝居自体に没頭出来ない感覚になってしまいます。それでも、何回か観ていくうちに、坂手さんが描いている世界観や言葉の一つ一つの重さのようなものに感心させられ、そして表現というものの多様性に驚かされ、いつのまにか良く観るようになっていました。

燐光群は、スズナリを始め、比較的小さめの劇場で公演を行っていますので、最前列なんかの席になると、本当に役者が目の前で演じている姿が見られます。役者の息遣いまで感じられた上に、いわゆる小劇場での舞台設営のうまさも見ることが出来ます。

今回の公演は、目立った客演もないようですし、燐光群、劇団公演の新作として見られるのではないでしょうか。あるいはアトリエ公演のような雰囲気もあるかもしれません。クレジットを見ると、美術は島次郎さんがしているようです。坂手さん同様絵画から入った人ですので、2人のこだわりがどのような形で見れるのかも楽しみの一つですね。

残念ながら、僕は仕事で観に行けませんが、料金も非常に安い設定になっていますので、是非多くの人に観てほしい舞台です。

100年前にアメリカでもっとも有名であったコラムニスト、ハシムラ東郷と現在とがどんな形で繋がってくるのか、はたまた、坂手さんの決してシニカルではない眼で見つめた日本とアメリカの現在に至る関係を垣間見られるのではないかと思います。

公演情報は燐光群HPからどうぞ。

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/
 
 

2009年12月2日水曜日

ハービー・山口スペシャルイベント準備中

ハービー・山口イベント機器リハーサルに行ってきました。


今回はDVDの映像と音声をスライドショーのように流しながらトークをしてもらうので、PCと音響・プロジェクターの接続確認が主な確認内容です。

PCはデスクトップをカートに乗せて運んで行きました。手持ちのノートは3年以上前のものなので、非力なのか、ドライブの関係なのか、音声が途切れることがあり、今年購入したデスクトップで行うことにしたのです。

受付でホールのカギを受け取り、係の人と一緒に3階までエレベーターで上がり、会場の重い扉を開けた途端、久しぶりの劇場のような空間に、懐かしい気持ちと高揚している自分を感じました。(役者でもないのに)

PCをセットして、係の人が音声機器やプロジェクターへの接続を行う姿を見ていると、不思議とモチベーションが上がります。いよいよ、再生となり、明かりが消され、映像が写り始まりました。やや遅れて音声も流れ始め、ホール特有の残響音も感じられます。それから、画面の調整に移りましたが、予想通り、少し手間取りました。

僕もプロジェクターを持っているので、PC側の画面設定とプロジェクター側のそれとの違いで比率が合わなくなることを知っていました。ましてや、今回会場で使用するプロジェクターが良く分からなかったので、この調整が主な目的だったわけです。

さまざまなやり取りがあって、映し出された画像がこれ。(ピンボケで済みません)




200インチの4:3仕様ですので、最後尾の方でも充分見えると思います。日曜日に近くの市庁舎前で行われたベガルタ仙台のパブリック・ビューイングで使用されたスクリーンが190インチで、ちょっと覗きに行った時に小さく感じたのですが、同様なサイズでも密閉された空間ではとても大きく見えます。


当日再度調整は必要だと思いますが、先ずは一安心といったところです。
それにしても、借りた時間が1時間だったのですけど、短いですね。
当日はさっさと行わないと、間に合わないかもと若干焦り気味です。

さて、お席の方はまだありますので、ぜひご参加していただければと思っている次第です。

イベント詳細はこちらから。
http://kalos-gallery.com/event/planning.html

2009年12月1日火曜日

「過去のない男」

昨日は日中陽が射して、いくらか暖かい陽気にも関わらず、午前中は雑務に追われ、午後から買い物やらこれから予定しているハービー・山口イベント機器リハーサルの準備などでいつの間にか夕方になっていました。夕食後やっと一息付けましたので、久しぶりに映画(DVD)を見る気になりまして、この映画を選びました。



「過去のない男」アキ・カウリスマキ 2002年


アキ・カウリスマキは、以前、カルト映画の巨匠のような言われ方をしていましたが、この「過去のない男」はカンヌでもグランプリを取った作品で、美男・美女が出てくるでもなく、決してハッピーでもないんですが、妙に心に響く映画です。アキ・カウリスマキの映画シリーズには労働者(敗者)3部作と言われているものがあって、これは2作目に当たります。

ですので、ストーリーも展開も明るいわけでなく、セリフ回しもいつものように非常に淡々としていて、何が面白いんだと思われる人も多くいるはずです。それでも、映像的には非常に美しいし、人生そのものを感じさせてくれる役者の演技や表情を見ているだけで、その味わい深さに魅了されてしまいます。音楽にクレイジーケンバンドの「ハワイの夜」と「Motto Wasabi」が、あまりドラマと関連していないところで採用されていたりしているのも面白いところですね。

アキ・カウリスマキの作品を見ていると、やっぱり小津安二郎の影響が強く感じられるし、ジャームッシュやベンダーズなんかも思い起こさせます。そう考えると小津安二郎ってすごい人だったんだなと改めて分かるわけです。あの黒澤明が自宅で熱心に「東京物語」のビデオで見ていたほどですから。

さて、「過去のない男」を一言で表すと、人間再生のドラマということになると思います。不幸にして過去の記憶を失ってしまい、徐々に自分の過去を知るにつれ、先ず、それが本当に自分であると理解し、認めることが出来るかですよね。でももっと重要なのは、記憶を失ってしまった今の自分を理解してくれる誰かが、そこにいるだけで、人は生きていけるということです。

アキ・カウリスマキは、ドラマチックにそして声高に訴えるのではなく、日常の生活の中にこそ見出せるものだと、静かに語っているように思えます。

それにしても、僕はこのフィンランドの映画監督の名前をいつも正確に言うことが出来ません。あの、ちょっと変わったフィンランドの映画監督とか映画のタイトルを言ってしまいますが、そうそう分かる人はいないのが現実です。やっぱり好きな人や物はちゃんと覚えようと思います。

おっと、そろそろ会場に行かないといけない時間です。それでは、又、明日。

2009年11月30日月曜日

「終わりよければ全てよし」

早いもので明日から師走で、2009年も残り1カ月となります。


年を重ねるごとに、1年の進む感覚は早くなると言いますが、まさにそんな感じです。

今年は仙台に戻ってきて、5月からこのギャラリーをオープンし、全く知らない方々との出会いや協力があり、なんとか3度の写真展、いくつかの企画を行ってきました。やることなすこと全て初めてなので、試行錯誤の連続でした。そんな中、なかなか思うように行かない状況にじりじりしながらも、あせらずに、出来るだけ楽しんでいこうとだけは思っていました。

昨日もテレビを見ていると、プロスポーツ界でも大詰めなんだなと思わせる中継がいくつかありました。女子プロゴルフでは、最終戦1打差での逆転賞金女王、ボクシングの内藤・亀田戦はその壮絶な打ち合いで、徐々に崩れてくる内藤選手の顔を見ながら、華やかな中にとても残酷な部分を見せつけられる思いがしました。

プロスポーツの世界では、必ずスポットライトを浴びる一方に、必ず影となる存在がいます。影となる存在になった人々は、大げさにいえば、これまでの実績や経歴がその時、その瞬間で崩れてしまうわけです。厳しいですね。

「終わりよければ全てよし」と言う言葉があり、これまでいろいろと問題や混乱はあったけれど、結果としてうまく言ったので良かったというような形で使われる場合が多いと思います。たしか、シェークスピアの戯曲の題名だと思いますが、芝居や原本を読むとそうとばかりは言えないように感じます。

それについては深く言及はしませんが、この物語が単純なハッピーエンドの喜劇だとは思えないし、登場する人物それぞれの立場により、事の顛末としての解釈が違ってくるからです。極端なことを言えば、結果は本人にしか分からないし評価し得ないことなんじゃないかなと思うわけです。

逆に、そんな自己評価に対して、周りの共感や賛同している姿や声を聞くことで、本当にこれで良かったんだろうなと再確認させられるんだと思えます。だから、終わり自体は、決して多くの人々に良しと認められることじゃなくて全然構わないのだと、僕は思っているのです。

2009年11月29日日曜日

「Nearness Of You : The Ballad Book」

部屋でよく聞いているアルバムです.


「Nearness Of You : The Ballad Book」 マイケル・ブレッカー 2001年


マイケル・ブレッカーと言えば、圧倒的なテクニックとパワフルな演奏スタイルで有名なテナーサックス奏者ですが、その彼があえてバラードに挑戦したアルバムです。その為、ファンの間では賛否両論があるようですが、僕は他のミュージシャンのスタジオワーク(1人の演奏者として)での演奏を聴いた時に感じていた優しさや柔らかさが表現されているのでとても好きです。

マイケル・ブレッカーは、2007年、57歳という若さで亡くなっています。ジョン・コルトレーン以降、その演奏スタイルで多くのミュージシャンに影響を与えたとも言われているマイケルは、ジャズファンのみならず、さまざまなジャンルの方々から死を悼まれたことはまだ記憶に新しいことです。

このアルバムは、ジョン・コルトレーンのバラッドを意識していると言われているように、非常に解りやすいフレージングを用いて、一音一音をとても大事にして吹いているのが分かります。メンバーも豪華すぎるほどなのですが、個々の個性が出しゃばることなく、良い意味で見守っているような様子が浮かんできます。当時も体調的に激しくブローすることが困難であったという話もあり、メンバーもそんなマイケルを気遣っていたのかもしれません。

確かにこれまで発表してきたアルバムとは異質で、今まさにやりたいことをやる的な演奏とは真逆ですが、なぜか心が捉われます。いわゆるヒーリング・ミュージックと称されるものとは明らかに違う表現者としての一面が、このアルバムにはあると思うのです。

タイトルの「Nearness Of You」はスタンダードですので、いろいろな方が歌っています。

このアルバムではジェームス・テイラーでしたが、こちらはノラ・ジョーンズのものです。

 http://www.youtube.com/watch?v=2eIH-7qq-WA
 
 

2009年11月28日土曜日

「LOVE CAKE PROJECT」~「The Missing Piece」

街はすっかりクリスマス・イルミネーションに彩られ、仙台でも12月12日から年内一杯「光のページェント」が開催されます。表参道イルミネーションも13年振りに復活するようで、みんなで日本を元気にしたいという思いを感じます。


そんな折、ふとしたことで、こんな運動を知りました。

「LOVE CAKE PROJECT」(ラブ・ケーキ・プロジェクト)

これは、国際NGOワールド・ビジョン・ジャパンが行っている食糧援助プロジェクトで、クリスマスのホールケーキを1人分だけカットして、その1ピース分のお金を貧困や飢餓で苦しんでいる子供たちへ役立てようとする運動のようです。詳しくはこちらのHPでご覧下さい。

http://www.worldvision.jp/
 
参加しているケーキ屋さんは、東京、横浜にある数店のようですが、暗いニュースばかりが報道される中、何かホッとするような話題でもあります。


そんな1ピース分カットされたケーキを見ていると、約30年前に出会った一冊の絵本を思い出しました。僕がまだ大学生の頃で、真っ白な表紙に当時流行っていたテレビゲームのパックマンのようなものが描かれていました。

「ぼくを探しに」シェル・シルヴァスタイン著 倉橋由美子訳 講談社 1979年

かなり有名な絵本ですので、一度は見かけたことがあると思います。僕の場合、訳が倉橋由美子さんだったので、それに惹かれて、何気なく手にしたものでした。

非常に簡単な文章と稚拙とも言える絵で描かれたその世界は、とんでもなく深く、しかも含蓄に富み、子供の絵本とは思えないほどでした。僕は、その後、やっとの思いで(当時はネットもなく地方では洋書は限られたところでしか手に入らなかった)原書「The Missing Piece」を手に入れ、ふたたび読んだ覚えがあります。

覚えがあるというのは、今は僕の手元にはないからです。当時好きだった女の子にあげてしまったように思います。われわれの年代までは、「自分探し」などと言って、大学を一種のモラトリアムとしている風潮が残っていました。そんな自分の置かれている立場で、そこに書かれている1つ1つの言葉に読んでいると、他人ごとではない普遍的な何かを感じていたのだと思います。

今でも、普段は意識していなくても、自分の「The Missing Piece」を探しているのかもしれませんね。

2009年11月27日金曜日

朝陽の中で微笑んで

今日は朝から用事が立て込んで、午前中外出していたので、更新がチョット遅れました。毎朝一番でこのブログを書きながら、いろいろと思いを巡らせ、13時オープンの時間を迎えるのが日課のようになっています。


サラリーマン時代は遅くても始業1時間前には自分のデスクにいましたので、朝8時前には出勤していたことになります。電車のラッシュがひどくいやなことも一因ではありますが、この朝の時間はその日の行動や以前から検討していたことを考える時間としてとても大事なひとときでした。

でも、この習慣は40歳を超えてからの話です。それまでは、いつもぎりぎりに出社しては、即仕事のような感じでした。以前にも書いたと思いますが、僕が勤めた会社は、製造関係だったため、昼夜工場は動いていました。その為、夜間の問題事は、現場サイドでのレスキュー対応に任せ、翌日からの事後処理が常です。(しばしば、夜や休日に呼び出されることはありましたが。)

ですので、朝早い時間での情報収集が必要になります。メールが常用的に情報伝達方法となってからは特にそうで、朝一に確認するメールの数は日増しに増え続け、100通を超えることは当たり前にありました。

人間の情報処理能力(僕の能力)には限りがあり、全てを把握することは難しいですから、当然取捨選択するわけですが、既定のルールに従っていないメールはなかなか曲者で、見逃しが後で大きな問題を起こす場合があります。不思議なもので、このようなメールは結構見ているもので、徐々に危機察知能力みたいなものが備わってくるのかなとも思ったりします。

そんなこともあり早起きだったのかもしれませんが、暖かい朝の日差し(冬場を除いて)は、とてもすがすがしい気持ちにさせてくれます。朝の来ない夜はないとはよく言ったもので、その通りだなと思えることが何よりの幸せなのかもしれません。

今日もとても穏やかな朝でした。この調子だと日中も暖かいことでしょう。
そんな時はこんな曲を聴きながら、ギャラリーを開くとしますか。

http://www.youtube.com/watch?v=4ALbujzAQvw
 
儚い透明感に包まれているこの曲は、気分的にはチョット違うかもしれませんね。


でも、そんな小さな希望の積み重ねが、今ここに或ることに他ならないと思ってもいるわけです。

2009年11月26日木曜日

「QUINAULT」 ~クウィノルト~

濃密な空気感と眼も眩むほどの緑の色彩。


「QUINAULT」上田義彦著 2009年 青幻社

1993年、京都書院より初版刊行後、2003年、青幻社より再版、そして、2009年再々版された写真集です。僕が初めて書店で手にしたものは初版だったと記憶していますが、当時はまだ写真についてはそれほど興味が薄く、購入はしませんでした。しかしながら、圧倒的な描写力は、写真の域を突出しているような印象を受けました。


アメリカ・インディアンより「QUINAULT」と名づけられた森を正面から見据え、8×10により忠実に撮影したこれらのイメージは、太古の昔から現在へと繋がっている生の強さを感じます。

この写真集の特徴は、幻想的ともいえる森の情景に臆することなく対峙している姿が一貫して感じられること、美しすぎるほどのプリント品質(オリジナル・プリントは別物だと思いますが)、そして、裏写りを考慮して、1ページが折り返しされ、袋状になっていることです。

上田義彦さんの作品を最後に見たのは、2006年暮れから2007年春まで東京大学総合研究博物館で開かれた「CHAMBER of CURIOSITIES 東京大学コレクション-写真家上田義彦のマニエリスム博物誌」展だったと思います。冷たい小雨が降る中、博物館に入ると、そこは小川洋子さんの世界でした。入口から、夥しい量の学術標本が展示されている部屋を通り過ぎ、やや奥の一室に作品が展示されていました。

いわゆる記録写真(学術写真)には主観性は必要ないのですが、ここにある一枚、一枚にはそれぞれの個性といったものあり、柔らかさや奥行きのようなもの(作家性に通ずるもの)を感じました。確か、インクジェットによるプリントだったと思いますが、充分に表現されていると感心したものです。写真集も刊行されていますので、眼にした人は多いかと思います。

上田義彦さんは、2006年に「at HOME」という、家族を写した写真集も出しています。この写真集はライカで撮影、モノクロですが、柔らかい光にあふれ、写真家上田義彦の違った一面が見られる秀作であると思います。

いずれも、機会があれば、手にとって見ていただきたい写真集です。




2009年11月25日水曜日

「花の命は短くて…」

polkaよりも長い付き合いで、かれこれ12年以上生きているものが、部屋にいます。


それがこれです。



もうだいぶ痩せてしまいましたが、どこにでもあるミニチュア観葉植物です。花の名前はとんと門外漢なので不明ですが、かなりぞんざいな扱いにもめげず、葉を茂らせています。


このような植物の寿命がどれほどのものなのか、僕には全く分かりませんが、ホントよくもっているものです。ほとんど日光には当たっていないし、ときどき水を替えるくらいで、手入れもしていないまま12年以上もじっと耐え忍んでいるかのようです。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」

これは、「放浪記」で有名な昭和の女流作家、林芙美子さんが色紙などによく書いていた言葉ですが、著作にはそれらしい言葉はなく、解釈もいろいろとあるようです。林さんが亡くなったのが48歳、その点では自身の生涯の短さを予測していたかのようにも思えます。

井上ひさしさんの戯曲「太鼓たたいて笛吹いて」では、晩年の林さんの仕事振りを評して「緩慢な自殺」としていましたが、とても気性が激しく、真っ直ぐな、そして現代にも通ずる行動的な女性でした。また、その少々エキセントリックな行動の為、周囲でも林さんの事をよく思っていない人が多くいたと言われています。

当時の女性に対する位置づけは今とは大幅に違っていましたので、言葉に隠された意味に深いものがあると思いますが、今となってはその真意は分かりません。

毎朝目覚めると、この観葉植物が目の前にあります。何も語らず、ただそこにいる(或る)だけですが、なぜか安心します。同時に、polkaの耳障りな鳴き声を聞いてまた安心します。時折、永遠にそこにいるような錯覚を覚えますが、そうではないことも充分分かっています。

「花の命は短くて…」、…以降の言葉は、人それぞれでしょうが、短いのは花の命だけではないのだろうと、歳とともに強く感じていることは確かですね。

2009年11月24日火曜日

今朝届いたメール

今朝早くあるお客さまからメールが届きました。


ハービー・山口スペシャルイベントにも参加して下さり、本当に写真が好きな方なのだと思います。メールの中で、今まで首都圏でしか見られなかった作品が仙台でも見られることを大変喜んでいらっしゃる内容がありました。

僕自身、東京で28年、写真を本格的に見始めてから約7年ですが、毎週のように美術館、ギャラリーを巡り、オリジナル・プリントを見てきました。写真集やHPに紹介される画像とは全く違う世界が広がっていることに改めて感心し、その見かたも徐々にイメージ優先から背景にある思いや温度や感情のようなものを感じ取るスタイルに変わってきたように思います。

1枚の写真に心を捉われてしまうことは、実は非常に稀なことです。確かに、圧倒的な力や存在感が感じられる写真はあるにはありますが、その一枚によって得られる情報はとても少ないものです。ですので、あるテーマや作家の思いを持った写真作品は、意図して展示された一連の作品群を写真展として見ることで、明確になると思っています。

その上で、写真集を手に取られると、表現手段の違いはありますが、同じような感覚を違った観点で見ることが出来ます。また、それは、脳内に記録された写真展の感覚を、引き出しから引っ張り出す発露にもなるわけです。

今朝のメールは僕にとって、とても勇気づけられるものでした。

今回初めてギャラリーに来られた多くの方は、前回、前々回の写真展に来られなかったことをとても残念がっています。これは、僕自身の宣伝不足であり、本当に申し訳ないなと思います。

でも、そのようなお客様のお話を聞くことが、とても僕の力になっています。場所は分かりづらく、入口も何か入りづらいギャラリーですが、少しだけ重いドアを押し入ってもらえると、世界が変わります。

ほんの少し変わったおやじが、そこにいます。実はとても人見知りなのですが、話を始めると、あっと言う間に1時間以上過ぎていることがよくあります。ですので、出来るだけ時間に余裕を持って来てもらいたいと思っています。先ずは、こころゆくまで作品を楽しんでいただくことが第一です。

そのついでで構いませんので、疑問、質問等があればいつでも話かけて下さい。

2009年11月23日月曜日

ピアニストの贈り物 ~辻井伸行・コンクール20日間の記録~

昨夜は21:00からずっとテレビの前にいました。「JIN 仁」から始まって、NHK ETV特集、そして古澤君が出演していた「ママさんバレーでつかまえて」と、約3時間連続で見るなんてことはめったにありません。昨日が休廊日だったこともあって、昼間に雑務を済ませて、夜はのんびりできたのも理由のひとつです。


NHK ETV特集は、ピアニストの贈り物 ~辻井伸行・コンクール20日間の記録~と題されたものでした。今年の6月、こぞってマスコミに取り上げられ、CD売上が増大、コンサート・チケットも入手困難になってしまった全盲のピアニスト、辻井伸行さんが「第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で優勝するまでのコンクールのドキュメントでした。

クラシックはほとんど聞いたことのない僕ですが、6月にこのニュースが流れた時には正直驚きました。なんか、とんでもないコンクールに優勝したんだろうなとか映し出される映像を見ながら、全盲でよくこんな素晴らしい演奏が出来るものだと素直に思いました。

僕はバン・クライバーン国際ピアノコンクール自体知らなかったのですが、昨夜見た内容を見る限りでは、あまりに苛酷であり、しかも課題曲演奏を比較評価するのではなく、プロとしての資質を見出すためのコンクールのように感じました。ファイナルまでに演奏した曲数は、ソロ、室内楽、協奏曲、リサイタルと11曲に及んでいました。それを、約2週間で行うわけですから、ファイナルまで進んだ演者には、大きな緊張とストレスが強いられるわけです。それだけでも、まるでマラソンのようなスポーツをしているように、持久力と体力が求められます。

それが、若干20歳、全盲の辻井さんがファイナルまで勝ち上がり、ついには優勝してしまったのですから、日本人関係者だけではなく、そのコンクールに関わった人たちの驚きは並大抵のものではなかったはずです。しかも、コンクールの間の辻井さんは、非常にリラックスして、冷静に見えました。ファイナル演奏後、舞台裏でペットボトルの水を飲んでいる光景が、唯一、やはり緊張していたんだなと感じられる部分でした。

番組が終了して、僕の頭の中に浮かんだ言葉がありました。

「私たちみんなが、才能を等しく持ってはいない。
しかし、自分の才能を伸ばしていく機会は等しく持てることでしょう。」

そう、J.F.ケネディーの言葉です。

このコンクールは、ある意味、この言葉を具現化したものでもあるのでしょう。

さて、辻井さんは、これで輝く未来へのスタートに立ったわけです。しかしながら、コンクール優勝のニュースが6月、そして今は11月後半です。約半年が経って、どれほどの人がこの奇跡的な快挙を覚えているのかなとも思ったりします。

物事の流れが早く、少しでもメディアから遠ざかってしまうと忘れ去られるような昨今です。ピアニストもそうですが、全てのアーティストというものは、その活動をサポートし応援している人々がいるから成立していると思います。

だからこそ、実際にコンサートへ行ったり、CDや作品を買ったりすることが大事なんです。もちろん、アーティストはそうなるように、プロとしての意識と継続した努力が必要なのは言うまでもありません。

2009年11月22日日曜日

「IZU PHOTO MUSEUM」

10月に高松宮殿下記念世界文化賞を絵画部門で受賞した杉本博司さんの写真展が、現在静岡県長泉町にオープンした「IZU PHOTO MUSEUM」で開催されています。「光の自然(じねん)」展と称された写真展では、杉本さん自らが設計した美術館外・内装とともに、カメラを使用しない「放電場」シリーズやカロタイプは発明したタルボットの当時のネガをプリントして作品などが展示されています。


杉本さんと言えば、現在世界的に知名度のある日本の写真家の一人で、写真のみならず古美術やアートには深い造詣の持ち主です。今回も美術館設計にも関わり、世界各国で行った展示会の経験を存分に生かしていると想像出来ます。U2の最新アルバムジャケットに使用されているイメージが、「seascape」シリーズの作品であることも有名ですね。

現存するタルボットのネガの多くは著名な美術館で所蔵し、文化的遺産として管理、保管されているのですが、杉本さんは15点のネガを自身で買い取り、プリントを行っています。劣化しつつあるネガを美術館は貸出しませんからね。それでも、自分で買い取ってまで、約170年前の写真に対する感動や状況を再現し、作品として表現しようとするところが、杉本さんのすごさだと素直に思います。 

「IZU PHOTO MUSEUM」は、以前このブログでも紹介した「クレマチスの丘」に新設されたものです。古屋誠一展を観に行った時にも感じましたが、少し高台に位置する丘稜に作られた庭園や美術館は、時間を忘れてしまうほど美しいものでした。現在、「IZU PHOTO MUSEUM」を含めて、3つの美術館があるわけで、ジャンルもそれぞれ違っているので、幅広い楽しみ方が出来るのではないでしょうか。

そういえば、2007年に開催された古屋誠一展が、来年5月にふたたび行われます。当時の再現らしく、IZU PHOTO MUSEUMではなく、ヴァンジ彫刻庭園美術館で行われるようです。もう一度、行きたい場所ですね。

詳細はこちらからどうぞ。

http://www.clematis-no-oka.co.jp/main.php
 
 
 

2009年11月21日土曜日

鍋が恋しい季節

毎日寒い、寒いと書いているようですが、寒さと不景気も影響してか、今年は家庭などでも鍋が増えるようなことをネットで見かけました。確かに、寒い季節になると不思議と鍋が恋しくなるものです。

家庭や友人と一緒にひとつの鍋を囲み、楽しい会話の中で同じ食材をつまむことは、それぞれの皿にきれいに盛り付けられた料理よりも味わい深いものがあります。なにより堅苦しさがないし、それに鍋ってあまり制約がないじゃないですか。その辺が良いところですね。

サラリーマンの頃は忘年会、新年会や普段の飲み会でもよく鍋を食べに行っていましたが、一番強烈だったのは、今から15年程前に韓国出張で食べた鍋です。ソウル市外に仕事場はあったと思うのですが、一週間の短期出張の間、毎日鍋(チゲ)を食べた覚えがあります。夏の暑い盛り、昼の気温はゆうに35℃を超えていましたが、近くに料理屋があまりなかったこともあり、昼食はいつも同じ店で、熱々のチゲでした。

いまでこそ日本にも多くの韓国料理店があり、普通にチゲを食べられるようになりましたが、当時はよっぽどでなければ、そのような場所に行く機会はありませんでした。チゲやチジミなんていう言葉もその時知ったわけだし。

店の中は、東南アジアの多くがそうであるように、半袖ではとても寒いくらいクーラーが効いていて、チゲを食べるのには適した環境でした。結局5日間毎日その店でチゲを食べたわけですが、3日目ぐらいには飽きてしまうだろうと思っていたのですが、毎日違う種類が用意され、飽きることはなかったですね。元来、辛いだけのものはあまり好きな方ではないのですが、辛さよりもうまさが先に立ち、その種類の多さにも驚かされました。日本でも地方や家庭でそれぞれ特有の鍋がありますから、その種類は思った以上に多いのでしょうね。

食文化は、その土地、土地で独特の発展をして、人々の生活と非常に密接な関係を作っていますから、知らない土地に行った時は、鍋に限らず、好んで土地のものを食べるようにします。当時思っていた韓国イコール焼肉というイメージは、この5日間で飛んでしまったかのようでした。

さて、仙台はどうなんだろうかなと考えましたが、秋田のきりたんぽ鍋のような特徴ある鍋が思い浮かびません。僕が知らないだけなのかなと思いますが、もしかしたらこの冬の間にそんな鍋に出会えるかもしれませんね。

2009年11月20日金曜日

僕とpolkaのルーチンワーク

ホント、寒いですね。昨日は関東では日中でも10℃を下回るほどだったと聞きましたが、仙台も自転車に乗っていると手がしびれるような感覚を受けます。僕もついに一昨日の夜から、ガスストーブのスイッチを入れてしまいました。出来るだけ先延ばしにしていたかったのですが、一番の理由は、部屋に戻った時、いつも撫でているpolkaの体がとても冷たかったからです。


僕がいない時のpolkaがどんな行動をしているかは分かりませんが、大抵は寝ているのだと想像出来ます。polkaは夜、部屋のドアの鍵を回す音に反応し、いつもドアが開くのを待っています。そして、僕の姿を見るのと同時に、やっと戻ってきたとでも言っているかのように、一声鳴き、体をすり寄せてきます。

その後は、水と餌の要求に移ります。まだ充分に残っている水と餌の容器の前にすくっと立ちながら、上目遣いに僕を見つめた後、交換しろと鳴きます。僕は少しじらすように、2度目の鳴き声を待ちます。それから、2度目の鳴き声を聞いた後、おもむろに水と餌を交換するのですが、交換している間は、polkaは関係ないとでも言いたげに、離れたところでうろうろとしています。

そして、少し経ってから交換された容器に近づき、新しいものであることを確認してから、ようやく食べはじめます。そのあとは、さも当然と言った顔つきをしながら、今日のお気に入りの場所へ移動して、食後の胃を休めるようにゆったりと寛ぎます。もうその時点では僕はどうでもいい存在になっているかのようです。

この一連の行動はpolkaにとっては、長年続いているルーチンワークです。生存の為のルーチンワークと言ってもいいのかもしれません。年齢を重ねてもこの変わらぬ行動が、polkaの体の状態を示してくれています。ときどき起こす便秘状態の時は、この行動をしないことが多いですから。

ルーチンワークと言うと何かネガティブなイメージを受けますが、長い期間同じことを同じように繰り返し行うことはなかなか出来ないものです。僕なんかはとても面倒くさがりなので、毎日しなければならないことを、忙しさにかまけて先送りしてしまうことが頻繁にありました。

物事には優先順位があり、その結果として当たり前に日々行わなければならないことを反故にする場合は仕事ではよくあることです。そのため、一般的にはルーチンワーク的な物事をより簡単に短時間で片付けられるようにしようと考え、システムとして取り入れてしまうわけです。

でも、まぁ、毎日行われるこのやりとりを、polkaがどう思っているかは分かりませんが、僕自身はただのルーチンワークとは思っていません。今日も部屋を出るときに、違う場所で寝ていましたが、それはそれでいいのです。また、今夜行われるであろう、ある種儀式のようなひとときが、僕自身の生存のルーチンワークでもあるのです。

2009年11月19日木曜日

「役に立つ」

「役に立つ」


幼い頃よく、これは後からでも役に立つから覚えておきなさいとか世の中で役立つ人になりなさいとか言われたことがある人は多くいると思いますが、この「役に立つ」ってどういうことなのかなと今でもふっと思うことがあります。もちろん、生活する上で実益として役立つ(人に対しても)ものが第一なんだろうとは思うのですが、それだけではないよねという気がいつもどこかにあるのです。まぁ、自分の中では、これだなというところはあるにはあるのですが・・・。

一昨日の「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介されていた、山口県の作業療法士、藤原茂さんが行うリハビリ療法の現場と言葉にはそんな「役に立つ」の原則のようなものが表れていました。藤原さんが扱う患者さんは、脳梗塞などで体の一部が失われてしまった人たちで、その中の多くの人は己の身の上に絶望し自殺を考えたことがあると言います。

藤原さんの目指すリハビリは、患者さんの機能回復だけではなく、人生を回復し、障害を抱える前よりも、もっと輝かせることです。番組の中で2人の患者さんとのやり取りが紹介されていました。

一人は女性で、左手が不自由な方でした。その女性は車椅子生活から解放されこそしましたが、左手は動かないままです。自身の生活の為、右手だけで料理を作ることを考え、実践するようになります。その方法が口コミで広がり、多くの方から料理方法を是非教えてほしいということになり、女性の周りにはそんな人たちが多く集まるようになりました。その後、女性は大きな機能回復のリハビリを行わなくても、他の人に料理を教えることで、表情が一変し、明るく若々しくなっていきます。

そして、女性本人が笑顔で語った一言が素敵です。

「私が出来ないのは左手が使えないことだけです。その他は全て出来ます。」

もう一人は男性の方でした。その方も8年前に脳溢血で仕事も出来なくなり、車椅子の生活からようやく自立でき始め、まだ60歳である自分の人生を今後どう生きていくべきか悩んでいる時期でした。男性は自立出来たとはいえ、足元はまだ不安で、後遺症の為に失語症を患ってもいました。

藤原さんはその男性に、利用者の代表として、施設の見学者を案内する「水先案内人」を務めてもらうことを提案します。これは本人にとっても藤原さんにとっても、リスクのある提案でした。失敗すれば、男性は再び大きな挫折感を負うわけです。

既に「水先案内人」をしている患者さんと一緒に病院を回ったときには、見学者への返答にも窮し、途中車椅子に戻ってしまいました。案内時間の2時間は男性にとっては、途方も無い時間に感じられたに違いありません。すぐ後に、藤原さんは男性の意思を確認します。男性は挑戦することを望みます。藤原さんは不安を抱えながらも、本人の意思を尊重し、男性のために名刺を準備すると話します。

いざ、本番の日が来ました。新しく作成された名刺を渡された男性は、意を決したように案内を行います。しばらくは無難にこなしながらも途中疲労が見られるようになり、様子を窺っていた藤原さんに車椅子を差し出されます。一旦は車椅子を使用しましたが、廊下を曲がり、藤原さんからの視線が見えなくなったその時に、車椅子から立ち上がり、自分の足で案内を続けます。藤原さんは追いかけ、その事実を確認すると、何も声を掛けることなく、その様子をじっと見つめていました。

その後姿は、まさに親が子を見ているかのように、僕には感じられました。

それから、ある療法を行っているグループに見学者は興味を示します。でも、その療法は自分では興味がなく、全く知らないと言ってもよいものでした。これまでは、自分の考えを言葉にすることで説明を行っていましたが、失語症の影響で他人にはよく理解されず、結果的に自分よがりになってしまうことが多々ありました。

その時男性は、自分では要領の得ない作業をしている女性に質問をします。見学者の興味を自分が質問することで、聞き出す方法を取ったわけです。当然、女性はその療法を好んで行っているので、的確な回答が導き出されることになります。男性はそうやって見学者とのコミュニケーションを取ることを見つけたのです。

2時間の見学が終わり、藤原さんとの会話の中、男性の体を気遣って、次は2カ月後ぐらいにしましょうかとの問いに、男性は今月中でもいいですと、何かをつかんだような様子で語ります。

この2つの出来事は、たぶんはたから眺めているだけだと、それほどの事ではないように感じるかもしれません。でも、本人や後押しする藤原さんにとっては、その後の人生もかかっているのですから、大海に1人小舟で出航するような思いだったと想像出来ます。そして、結果的に周りの誰かの為という生きがいのようなものを見出すわけですが、その前提として、先ず自分の為にということもあるわけです。



「役に立つ」…… 自己と他者とのつながりで、結果として互いに求めあう何か。

ほんの小さな一石が、やがて大きな波紋となるように。

いまは、そんな気分ですか。

2009年11月18日水曜日

「ツイッターは一度もやったことがない」

「ツイッターは一度もやったことがない」


これは、先週来日したオバマ大統領が、中国市民との対話集会での発言です。

ツイッターとは、サイト上に140文字以内の短い文章(つぶやき)を投稿できるネットサービスで、他の人の「つぶやき」も見ることができます。特定の人の「つぶやき」を一覧に登場できる機能があり、これを「フォローする」と言います。自分が「フォローされる」と、その相手の画面上に自分の“つぶやき”を載せることができ、ゆるやかな交流が可能になるわけです。

日本でもこの半年で爆発的に利用者数が増大し、その一因としてオバマ大統領も参加しているというフレコミが挙げられます。実際、オバマ大統領と思われるアカウントは存在していますし、利用者のほとんどはオバマ大統領の「つぶやき」と信じていたと思います。

ネットの世界は、当初だれでもつながり自由に閲覧可能な空間を与えてくれるものとして考えられていたように思いますが、実際のブログやSNSなり結局閉じられた世界の中で、情報のやり取りが行われていたように感じます。それは、蓄積型とでも言えばいいのかもしれません。

一方、ツイッターは短いセンテンス、何気ない言葉をフォローしていくことで、不特定多数の人間と瞬時に情報だけでなく、時間までも共有しうるものとして、よりオープンでフラットな世界として受け入れられています。フロー型(消えていくもの)と言えますかね。

元来人間は、日々の出来事を瞬間、瞬間に理解し対応していますが、その全てを記録として残すことは出来ません。その中の情報の一部が脳に蓄積され、データベース化されていて、必要な時に引き出しから出すように思い起こすのだと思います。そういった意味では、フロー型は自然な流れなのかもしれません。

さて、今回のオバマ大統領の発言が、どんな波紋を起こすかは不明ですが、少なからずショックを受けた人はいるのでしょうね。ネット上とはいえ、共感や共有していたと信じていた人々は、そうではなかったことを本人が明言して、知ってしまったわけですから。

ネットの場合、その匿名性から、有名人のブログやコメントを誰が書いていても、実際見る人には分からないわけですし、その辺の許容は個々にはあるのかもしれません。だからといって、他人の言葉と分かっている場合、たとえ署名が本人であっても、その人本人の発言として理解することに違和感を覚えることは当然の事と思います。

人間関係の希薄さや言われもない閉塞感に満ちている現在において、ネットのようなオープンな世界は必要だと感じています。また、そこでの表現や行動が自身の生きるすべとなっている方も実際に多くいるのですから、やはり情報提供や発言には出来る限りの良識や正直さが必要なのかなとも思います。

そうでなければ、所詮は絵空事に過ぎない仮想世界になってしまうからです。

2009年11月17日火曜日

「out of noise」



「out of noise」


数日前から、ギャラリーを閉めた後によく聞いています。

2009年3月に発売された坂本龍一さんの5年ぶりとなるオリジナルALBUMです。

CDの紹介では、國崎晋氏(Sound & Recording Magazine)によるALBUM解説や坂本龍一による参加アーティストの紹介、写真素材を多数掲載したブックレットが付属する豪華仕様の“フルアートワーク盤”と、アートワークを排除し、純粋に「音源」のみを楽しんでもらう目的で制作された“パッケージレス盤”の2形態でのリリースとなっています。

僕が持っているのは前者のものです。でもまだブックレットをよく読んでいません。だったら、“パッケージレス盤”でいいんじゃないのと言われそうですが、奏でられる音を自分の中で消化できたころにぼちぼち読もうかと思っています。

坂本龍一さんのことを30歳前の方はどれほど知っているでしょうか。もちろん、音楽だけではなく、坂本さんに関わる著書が多く出ていますので、幅広い層で知られているとは思います。ただ今は、メディア(主にテレビ)への登場が少なくなっているし、毎年のようにCD発表を行っているわけでもなく、世界的に著名なアーティストの一人として認識される場合の方が多いのかもしれません。

坂本さんが一般に認知されたのは、1970年後半に結成したYMOだと思います。その後、忌野清志郎さんとのシングルリリースでテレビへの出演も増え、その知名度が上がってきました。そして、役者としても出演した映画「戦場のメリークリスマス」、続く「ラストエンペラー」でのアカデミー賞作曲賞受賞により、世界的にも認められる音楽家となりました。

映画で使用された曲をはじめ、とてもオリエンティックで抑制された美しい旋律が特徴だとおもうのですが、それだけには止まらず、現代音楽やボサノバなどを取り入れたりして、その音楽の幅を広げていったように感じます。

今回の「out of noise」もさまざまな音源を取り込み、ミニマムかつ刺激的な楽曲を聞くことが出来ます。今は何か「音響系」なるものがあるらしく、このアルバムもそういった意味では、1つ1つの音源の響きを大事にしつつ、きちんと計算されながらも坂本さん自身の自由さも感じられます。坂本さんを昔から聞いていない人にとっては、やや単調で難解のように聞こえるかもしれませんが、僕はとても気に入っています。

「out of noise」なにかとても象徴的なタイトルですね。騒音の外というか、喧騒を離れてというか、今の坂本さんの心情と創作の自由さが表現されているようにも思えます。

2009年11月16日月曜日

2回目のファイン・アート・フォトグラファー講座

昨日、2回目のファイン・アート・フォトグラファー講座が開かれました。


参加していただけた方は、3名と少なかったのですが、その分個々の質問や意見について充分な時間が取れましたので、とても活発な意見交換が出来ました。3名ともアート写真に対する興味や自身の写真についての思いが、ストレートに感じられ、僕にとっても非常に刺激的でした。少人数であっても開催したことは、素直によかったなと思え、こちらでも自己表現や発表出来る方が多く存在し、その場の提供や環境作りを充分出来うるのではという、何か確信めいたものを感じています。

一回、9800円という参加費。自己啓発や勉強の機会として、高いように感じるかはその人それぞれの価値観により違うと思います。ただ、自分の目標や希望を具体的に持ち、それが写真家であり、それをフォローするギャラリーに関連することである場合、実際の現場での経験や学習はその職種につかない限り分からないものです。

また、本当に市場が求めている写真作品や写真家は、作品を取り扱い、写真家との交流に多くの経験を持つギャラリーでなければ得られないものと思っています。そんな部分を知っていただき、今後の方向性や指針なりに気づいてもらう講座であるわけです。

ですので、この講座を受けることで、写真家としての成功や道を直接的に得られるものではありません。あくまでも、その道を切り開くのは参加された方自身です。

今回で2回目となりますが、幸いなことにその意向をきちんと理解された方々が集まってくれていますし、当たり前のことですが、それは首都圏のみに限られたことではありません。いまやネット環境は大きく変貌し、どの場所にあっても表現や意思を発言する場は提供されています。しかしながら、やみくもに発信していても伝わらないことも事実としてあります。

そういった状況や問題の解決の糸口には、自分の知らなかったことを求める前向きな姿勢と自己投資が必要だと思います。また、そう感じ、実行する時期は、若ければ若いほどいいと言われています。(個人的に年齢は関係ないと思っていますが)

ただ、そういう時期の多くの方は、生活の為がまず先に立ち、なかなか踏み出せない現実があるのも承知しています。人間、食べるためにだけにあらず、というとても理想論的な言葉もありますが、そうはいかないことも現実としてあるわけです。

でも、自身の志の中で必要と感じた時、その為の自己投資を行わなければ、前に進むことすら困難であるような気もします。知ることへの希求のようなものは、僕の場合、年を重ねれば重ねるほど大きくなっていったように思います。そのたび、あの時に知っていればなんてことをよく感じてしまいます。

今後もこの講座やフォト・コンサルティング・サービス等を通して、多くの方と出会いたいと思っています。是非、一歩踏み出してみて下さい。

2009年11月15日日曜日

三谷幸喜作、演出ミュージカル「TALK LIKE SINGING」 オフ・ブロードウェーで開幕

三谷幸喜作、演出によるミュージカル「TALK LIKE SINGING」が、日本時間13日にオフ・ブロードウェーで開幕したようです。


SMAPの香取信吾さんが主演なので、その話題が先行していますが、オフ・ブロードウェーで日本のオリジナルミュージカルが上演されることは今回が初めてです。劇場も850名収容、約2週間の公演後、赤坂ACTシアターで日本公演を行うとのことで、流れが逆なのも今までになかったことです。

三谷さんのミュージカルというと、2000年、2003年に上演した「オケピ!」が有名ですが、その時も既存の役者さんが演じていましたし、後のWOWOW生中継の際に、本人いわく「既存のミュージカルの枠に囚われない画期的なミュージカル」と話していたように、構成も含めて大変面白いものでした。なお、2000年版で岸田國士戯曲賞を受賞しています。

「TALK LIKE SINGING」は、赤坂ACTシアターHPによると、出演者が4名とミュージカルにしては非常に少なく、日本語と英語が繰り返し演じられる一風変わった作り方をしているようです。三谷さんはストーリーテラーとしても第一線の方ですが、演劇的な実験もよく考えていますので、興味をそそられます。(日本公演も同じ演出をするかも含めて)

ミュージカルと言えば、音楽です。今回の音楽監督は、元ピチカート・ファイヴの小西康陽さんです。香取さんとは、「慎吾ママのおはロック」以来になりますか。ピチカート・ファイヴは、1990年代に「渋谷系」といわれ、一世風靡したグループですが、デビュー当初は日本ではほとんど受け入れられず、むしろアメリカやヨーロッパでの知名度が高かったと思います。一番知られている曲はこれですね。

http://www.youtube.com/watch?v=NJ1vq_utNV0


来月はクリスマスですのでこちらも。

http://www.youtube.com/watch?v=t8iGzd1vbjM


香取さん以外の出演者は、三谷作品にはよく出ている中から他のミュージカルにも出演されている方を選んでいます。特に堀内敬子さんはストレート・プレイでも秀でた女優さんです。テレビでは、主役を演ずることはないのですが、大抵の舞台役者さんがそうであるように存在感のある脇役を好演しています。

「12人のやさしい日本人」(WOWOWで生中継されたもの)がアップされていましたので興味があれば是非。(三谷さんの作品はDVD化されることが少ないので貴重です)

http://www.youtube.com/watch?v=d6ad2fWxQhw


それにしても、三谷さんの創作意欲には感心します。テレビでの人形劇シナリオ、先日紹介した「なにわバタフライN.V.」と立て続けに作品を発表しています。周りがそうさせている部分もありますが、やはり本人次第ですからね。

2009年11月14日土曜日

ブルーノ・セナ

ブルーノ・セナ


セナと聞いてF1を思い出す人は数多くいるはずです。そう、ブルーノは、かつてF1ワールドチャンピオンであったアイルトン・セナの甥です。2010年、新規参戦する「カンポス・メタF1」からF1デビューをするそうです。

目元や顔の輪郭が、叔父であるアイルトンを彷彿させます。アイルトンはブルーノのドライビングの才能を、生前から高く評価していて、マクラーレンチームを離れる際のインタビューに「もしあなたが、わたしを優れたドライバーだと評価するのなら、それは私の甥のブルーノを見るまで評価するのを少し待ってください」とも語っていたと言われています。

1994年サンマリノ・グランプリでの不慮の事故死まで、アイルトンは常にF1界のトップでしかもアイドル的存在でした。当時の日本でもホンダの参戦もあり、非常に人気があり、グランプリごとにテレビ放映もされ、その動向も注目されていました。

最近では、日本からはホンダ・トヨタ、そしてタイヤメーカーであるブリジストンがF1から撤退するニュースが報じられていました。この世界的不況下で、F1運営にかかる経費が企業自体を圧迫し、資本投資するほどのメリットが受けられないことが原因ですが、何かとても悲しいことです。

かつてモータースポーツは、その開発技術が市販車へ有効に活用されていました。しかし、昨今のエコに対する風潮は、走りや性能もそうですが、環境への配慮が重要視され、市場もそれを求めています。いわゆるスポーツカータイプが市場に出てこなくなったのが現状なのです。

実は、僕も一般に走っている車については、走ればいいぐらいの感覚でしか見ていなく、あまり興味がありません。なので、F1は純粋にスポーツとして好きで見ていました。また、最先端の技術を駆使して競っているのに、1レース、1シーズンの中に、とても人間くさいドラマがあります。そこに惹かれ、毎回レースを見ていたような気がしますし、その時のアイドルがアイルトンだったわけです。

さて、親の七光りならぬ叔父の七光りでもあるブルーノは、周囲もかつてのアイルトンの再来を願ってもいますし、とても大変だと思います。ブルーノも来年で27歳、途中母からのレース禁止の時期もあり、2005年からF3本格参戦、その後GP2とキャリア的には浅い感じもしますが、可能性を感じずにはおられません。

チームも新規参戦ですので、非常に難しいですが、初戦から表彰台なんてことになったら、本国ブラジルはもとより、かつてアイルトンから希望や感動を受けていた世界中の人たちが、再び表舞台に立ったセナの名前に感動することでしょう。また、楽しみが増えました。

2009年11月13日金曜日

「JIN 仁」、「深夜食堂」

10月に入ってから毎回見ているテレビドラマが2本あります。


1つが東芝日曜劇場枠で放映されている「JIN 仁」、そして、もう1つがTBS系で金曜深夜に放映されている「深夜食堂」です。正確に言うと、「深夜食堂」は地元局では放映されていませんので、ネット動画で後から見ています。

最近はいろいろなネット動画が出ていますので、関東圏のみで放映されている番組でも評判が良ければ、比較的安易に見ることが出来ます。本当、便利になったものです。特に深夜帯の番組で忘れていたり、忙しくて見逃したりすることは良くあることで、画質は落ちますが録画した番組を選んで見るような感覚ですね。

2本とも原作は漫画です。ともに青年向け隔週誌に掲載されているもので、この青年向けというところがいかにも日本的です。アニメ大国である日本の中でもこの分野は、世界でもあまり見られないところですからね。

漫画が原作となっているテレビドラマや映画はここ数年多いです。文字離れやミックスメディアが言葉として現れ始めてから、若者層でもより手軽にやさしく見ることが出来る漫画に良質な物語が生まれてくるのは当然の流れのような気がします。また、漫画の世界はまさしく絵コンテそのものですから、いろいろな意見はあると思いますが、映像として表現しやすいのかもしれません。

さて、この2本は、それぞれ内容もテイストも全く違います。内容はここで紹介するよりも、いろいろなメディアに出ていますのでそちらに委ねますが、共通する魅力として登場人物やそれを演ずる役者さんにオリジナリティがあることと、強さも弱さも同時に持ちうる等身大の人の姿を描いているところだと思います。また、時代背景にも惹かれます。

「深夜食堂」に関しては、主演が小林薫さんなんで特に気に入っているのですが、起用されている役者さんを見るだけでも面白いですね。監督として松岡錠司さんや山下敦弘さんが起用されていたり(山下監督の「リンダ、リンダ、リンダ」は、岩井俊二監督「花とアリス」と並んで、女子高生を描いた秀作です)、フード・コーディネーターが「かもめ食堂」の飯島奈美さんだったり、深夜帯のテレビドラマとは思えない豪華さです。逆に深夜帯だから出来る番組でもありますが。

ここ数年、翌週も楽しみに見たいと思えるテレビドラマがあまり無かった(もっともテレビは見ていなかったので)のですが、久々にはまってしまいました。原作も読んで(見て)みようかと思っているのですが、印象が変わってしまうかもしれないので、どうしようか思案中です。

興味があれば、見てください。

でも、「深夜食堂」は、ダイエット中の人には酷かもしれません。

その辺の責任は負えませんのであしからず。

2009年11月12日木曜日

進化系カメラ 「GXR」

昨日は朝から強い雨が降っていました。このところ、まとまった雨も少なく、すっかり乾燥していましたが、久しぶりの雨でギャラリー内もしっとりとした感じでした。

こんな日は、ほとんどお客様も来られないので、雑事をこまごまと奥の部屋で行っていました。元来の面倒くさがりはこの年になっても相変わらずで、常日頃またこの次にでもやればいいやと思いながら、結局はずるずると残ってしまっていた事をぼちぼちこなしていたのです。

そんな時、ネットで流れてきたデジカメ新製品のニュース。

リコーが12月に発売予定のレンズ交換式デジカメ「GXR」です。このカメラは一眼レフカメラのようにレンズだけを交換するのではなく、レンズと撮像素子が一体化した「カメラユニット」をワンタッチで交換できる斬新な仕組みを採用しているのが特徴です。

もともとリコーは、GRシリーズやGXシリーズで軽量、コンパクトでしかも映りの良さを前面に出し、一部のカメラファンから圧倒的な支持を受けていましたが、今回発売されるGXRは、この定評を崩すことなく、一風変わった作りになっています。

各社コンパクトデジタル一眼として、独自規格のマイクロフォーサーズ採用し軽量化を図り、レンズ交換可能なタイプとし、女性をターゲットに商品発表をしていますが、リコーはあくまでもコンパクトデジカメにこだわり、かつ「カメラユニット」交換により状況に適した設定を提供しようとしています。
YouTubeにも概要がアップされています。

http://www.youtube.com/watch?v=OdfceTxv1p8

ラインナップを見ると、カメラユニットには50mmマクロと24~72mmズームの2タイプが用意され、本体と含めると9万円~13.5万円前後と価格が高いように感じます。また、ユニットは年2~3本程度の発売を見込んでいるようです。

いかにもリコーらしい発想と言えばそう言えなくもありません。工業製品の多くは、ユニット設計の集合されたものが、完成体として製品になる場合がほとんどです。特に製品が大きくなればなるほど、そのような形で設計されています。ユニットごとでの設計、製品品質を上げていき、それを組み合わせた方が、不具合時にも原因特定や被害の広がりをより小さい範囲で見つけることが出来ますから。

僕も以前よくリコーで部品打ち合わせをしていましたので、技術・開発者の製品に対するこだわりや品質への思いは良く分かります。市場がどう受け止めてくれるかですね。

それにしても、プレスリリース会場に大森事業所と載っていたのを見た時は、何かとても懐かしい気持ちになりました。

2009年11月11日水曜日

久しぶりに戯曲を読んで

休廊日でもある月曜日に、久しぶりに戯曲を読みました。このところ、夜にDVDでちょくちょく芝居を見てはいたのですが、繰り返し見ているものでもあり、新鮮さという意味ではちょっと刺激が少ないなと思っていました。(繰り返し見ることで新しい発見はあるのですが)

そんな中、2週間ほど前に購入していた、以前紹介したこともある「せりふの時代」秋号をようやく読んでみました。個人で仕事を行っている人は分かると思いますが、こういう仕事はなかなか公私の区別がつきづらく、落ち着いて本なんかを読むことが以前より少なくなってしまいます。先日は、あえてオフと言い聞かせながら、読み始めたら、これが予想以上に面白くて、2本続けて読んでしまいました。

鄭義信「バケレッタ!」、マキノノゾミ「晩秋」の2本です。

両方ともごく最近舞台で上演されたもので、「晩秋」は現在明治座で行われています。
鄭義信さんは「焼肉ドラゴン」の作家でもあり、とても好きな作家の一人です。一方、マキノゾゾミさんと言えば、自身の劇団であるMOPが以前より好きだったので、劇団公演は良く観に行っていました。しかし、外部公演では割と大きなものを扱っていたりして、その形態も以前からある芝居のそれを踏襲するようなものだったので、なかなか観ようとは思いませんでした。(「晩秋」も明治座ですから)

「バケレッタ!」は、長年小さな劇団を支えてきた座長の葬式から物語が始まります。かと言って、暗いだけの話ではありません。死期を意識した座長の再演や劇団にかける思いなんかが、本当にさりげない言葉に感じられ、それを取り巻く劇団員それぞれの悲喜こもごもも面白可笑しく、そして少しだけ哀しげに描かれています。とてもベタで、なにか、アングラの香りさえ感じられます。劇団「黒テント」を経て、87年に「新宿梁山泊」を旗揚げした鄭さんらしいような作品に思えます。

後で分かったのですが、この戯曲は在日韓国人を自ら公表し(当時の芸能界では公表することがタブーでもあった)、若くして亡くなった女優の金久美子さんへのオマージュでもあるそうです。

一方、「晩秋」ですが、これがとても素晴らしいんです。何が素晴らしいのかと言うと、状況がはっきり頭の中に浮かぶこと、いたずらに修飾されたセリフが無くすんなりと入ってくることです。それでいて、その一言一言にはきちんとした意味があり、決して押しつけがましくない優しさを感じます。奇をてらっていない正攻法の「お芝居」(悪い意味ではなく、素直に)を見せつけられた思いです。

明治座の公式HPによると、坂東三津五郎、八千草薫、森光子とそうそうたるメンバーが名を連ねています。いかにもといった、うがった思いなしで観られると、相当に楽しめる芝居だと思います。主演の坂東さんは歌舞伎役者でありながら、セリフ回しでそんな風に感じることが少ないので、違和感なく芝居に入り込めるのではないでしょうか。

いずれも上演すると、2時間30分程度ですが、読んでいるとそれほど長くは感じられません。実際、両方を2時間程度で読んでしまいましたから。

毛色の全く違った作品でしたが、生と死といった人間の織りなすドラマはやはり普遍的なもので、時代や環境が変わっても、変わらずに受け入れられるものがそこにはあるのかな、と改めて感じさせられました。

2009年11月10日火曜日

ベガルタ一色

一昨日夕方、地元新聞社から市街各所で号外が発行されていました。

地元J2ベガルタ仙台のJ1昇格決定のニュースでした。昨年の入れ替え戦に敗れ、今年は開幕では若干の出遅れもありましたが、その後順調に戦歴を重ね、7年振りにJ2での3位以内が決定し、自動的にJ1昇格が決まったとのことです。

今年はプロ野球での楽天とベガルタ仙台の試合結果が、毎日のように朝夕のニュースで流れ、結構地元では盛り上がっているのだと改めて思っていました。

J1が発足したのが1993年で、当時僕はカズやラモスが所属していたヴェルディー川崎の本拠地、等々力競技場に程近いマンションに住んでいたので、毎週末に行われる試合のたびに会場の明かりで夜空が照らされている模様や大きな歓声を聞いていました。地元でもかなり盛り上がっていたことを思い出します。

あまり詳しくは知らないのですが、その後下部組織であるJFLからJ2と新JFLとに移行があり、現在のようなJ1、J2、新JFLといった形になり、J1とJ2では毎年入れ替えがあるようになったようです。

ベガルタ仙台も2001年に東北で初めてJ1入りを果たしましたが、2003年にはJ2降格、その後なかなかJ1昇格を果たせなかったので、今回のJ1昇格で地元ファンや関係者の喜びはひとしおだったのではないでしょうか。号外まで出るくらいですからね。翌日の新聞での扱いも地方紙とは言え、凄かったです。全面ベガルタ一色でした。

スポーツの世界で、プロの団体が各地域に出来てきたのは、いつごろからだったのでしょうか。といっても、知名度や規模的にも野球とサッカー、バスケットぐらいだと思いますが、また、全国的な広がりという点では、サッカーが一番なんでしょうね。

いずれにせよ、プロとして行うことの経営的な部分と恒常的に地域を活性化させる部分(文化・スポーツ振興という意味で)で最も重要なものは、地域との密着度とファンや地元の人々のバックアップですね。プロスポーツって或る意味夢を売っているものだと僕は思っていますが、ただ声援を送るといった無形の援助・応援だけでは成り立たないものです。

ですが、このあたりの曖昧模湖とした部分も含めて、うまく成立させることはなかなか難しいのも現実としてあるわけです。

それにしても、ベガルタ仙台が来年J1で大活躍し、楽天も今シーズン並みに注目度を浴び、仙台がいよいよ注目されるようになれば、それはそれで良いことです。

名ばかりの「地方の時代」を払拭する意味でも、とても大事なことです。

2009年11月9日月曜日

「見えるもの」、「見えざるもの」

展示における演出効果を意識させられた写真展に、2007年10月に東京都写真美術館で開催した「鈴木理策」展が挙げられます。

僕はそれまで様々な写真展をギャラリーや美術館等で観ていましたが、整然と並べられる作品群の美しさはやはりそこでしか得られないもので、その様式的な美も含めて楽しんできたように思っていました。しかし、同時にもっと演出的な展示でその作家が表現しようとしている世界をより効果的にすることが出来ないのだろうかとも感じていました。これは、僕自身舞台が好きであることも影響していると思います。

「鈴木理策」展は、その一つの回答でもありました。この写真展は小説や芝居でいうと大きく3つの章で分けられています。「海と山のあいだ」、「KUMANO」そして「White」・「桜」だったと思います。それぞれが、そのテーマに合わせた形で展示され、ライティングにもかなり工夫を施されていました。言葉で会場の様子を表現するのは非常に難しいですね。作品自体から受ける印象が会場の雰囲気により一層濃いものとなり、観る者にとっては何か熊野の山やその自然の一部に入ってしまったような印象を受けます。

会場を出て、ガーデン・プレイス内にあるベンチに腰を掛けながら、しばらくは茫然とその余韻に浸っていたことを思い出します。これは、写真集のような媒体では得られないものです。展示会として、その場でしか体感出来ないものであって、やがて会期が終了し、無くなってしまうことにある種はかなさも感じてしまいました。

写真は時代やその場の感動や状況を一瞬に捉え、残すという、いわゆる記録としての性格が重要な部分だと思っています。それはまた、単純に美しさや悲惨さや喜びなどを表すだけではなく、その内面にあるもっと大切な部分をも写し取っています。

「見えるもの」しか写らない写真でありながら、「見えざるもの」に人は感動を覚えているとも言えます。ですので、本来はそんな演出効果は必要ないのかもしれません。(余計な情報を与えないという意味で)何かまとまりが付かなくなってきましたが、とにかく「鈴木理策」展での展示演出には、ハンマーで頭を殴られたほどの衝撃だったわけです。

今回で3回目の写真展ですが、それぞれの演出を自分なりに考えて行ってきています。その基本は、会場でしか得られない感情が内に湧き上がるかどうかです。

お客様が来られる動機はさまざまです。偶然手にした案内状で、あるいは何かの拍子でたどり着いたホームページの内容に共感を覚え、見に行こうと思い立つわけですからね。

そのための演出(会場の雰囲気)は、僕個人としては、とても大切なものだと思っています。

2009年11月8日日曜日

商品開発の陰で

11月6日のasahi.comによると、デルが個人向けノートPCブランド「Adamo by Dell」の第2弾として、「世界最薄」の最薄部9.7mm、最厚部10.3mmを実現した「Adamo XPS」を、11月18日に発売すると掲載されています。

PCに限らず、さまざまな商品の「軽薄短小」の動きは、1980年代、高度成長からの変化の一環として、消費者のライフスタイルや考え方により自然発生的に生まれてきたもので、現在もエコにも通ずるものはその流れの中にあると言えます。

PCもここ10年のハード・ソフト、インフラ等の急激な発展により、いわゆるデスクトップ型よりも携帯出来る、どこでも使用出来るノート型がその一端を担ってきたと思われます。ネットPCやB5タイプのものと比較すると、重量はありますが、今回のデルの製品は最薄なんだろうと思います。

これと対抗するアップル社の「MacBook Air」が、最薄部4mm、最厚部19.4mm(アップル・ストア13.3インチ版技術仕様から)ですので、「Adamo XPS」は平均的な薄さで際立っています。まぁ、PCはその処理能力など見た目だけでは良し悪しを判断するのがむずかしいですし、使用する人の嗜好もありますので、どちらが優れているとは言えませんが、機構、外装設計の開発にはかなり困難を極めたことは容易に想像出来ます。

さまざまな特徴(素材やデザイン等)を画面で見ながら、かなり前ですが、僕が家電量販店で衝撃を受けた製品を思い出しました。正確に言うと、漠然とした姿・形を思い起こしただけですが、気になったのでちょっと調べてみました。

それは、1998年に三菱電機が、HP社との提携により、カスタムメードの部品で製造された「Pedion」というPCでした。

スペックは今と比べれば相当に劣っていますが、最厚部で18mmと「MacBook Air」に勝っています。液晶が12.1インチと若干小さめですが、当時では十分に大きなクラスでした。
しかしながら、見た目以上に、そのスペックの低さや使用感の悪さなどにより消費者の支持を受けることが出来ず、その後改良版も出しましたが、ついには2001年にシリーズの幕を閉じることとなったそうです。

僕も当時の仕事柄、お蔵入りになった製品や事業撤退に至ったものを何度も間近で見てきましたが、開発者の落胆した表情を垣間見た時やその後の部署移動とかの連絡はとても悲しいことでした。

それでも、そんな失敗を繰り返しながら、さまざまなヒット商品を作っていることも事実としてあります。
また、ほとんどの開発者は純粋に物作りをしている人ですので、他の分野でも真摯に取り組んでいる姿を見せてくれていました。

それが無かったら、物作りなんて出来ないですからね。

2009年11月7日土曜日

今少しだけ悩んでます…。 「上海バンスキング」復活公演

今、少しだけ悩んでます。

でも、仕事のことではないんです。昨日、「なにわバタフライN.V」再演のことを書きましたが、もっとすごい再演が同じ時期に行われるのです。

それは、渋谷シアターコクーンで行われる「上海バンスキング」復活公演です。

以前、「上海バンスキング」のことはこのブログでも載せましたが、いまや伝説となっている音楽劇のひとつです。僕自身、この芝居もですが、オンシアター自由劇場にはすごい思い出や思い入れがあるし、たぶんこれが最後だろうなとの思いもあるからです。

配役は開演1時間前に発表されるので、ダブルキャスト、トリプルキャストなんてことになるかもしれませんが、やっぱりオリジナル・キャストで、吉田日出子さんのマドンナことまどかを演じる姿をもう一度観たいのです。

吉田日出子さんは最近ではテレビや映画、舞台での出演がなく、僕が最後に観た芝居は、2005年両国にあるシアターχ(カイ)で公演された「母アンナ・フィアリングとその子供たち」でした。その後2007年に、この芝居の再演が吉田さん主演で行われる予定でしたが、体調不良で降板するニュースが流れていたので、とても気がかりでした。この時の劇場関係者の話で、吉田さんがメニエール病を患っていることが書かれていました。最近でも、美保純さんが同じ病状で舞台降板の記事が出ていましたね。

もし、復活公演で出演すれば、約4年ぶりの舞台出演になるわけです。吉田さんの魅力はなんと言っても、独特の声質とその存在感です。好き嫌いは分かれるところですが、吉田さんの出演無しでは、「上海バンスキング」はありえないと思います。

さわりはこちらから。
http://www.youtube.com/watch?v=hZzj5VoO8E8

吉田さんの役者としてのすごさが出ているテレビ番組では、鶴瓶の「スジナシ」があります。「スジナシ」は、元は名古屋の中部日本放送が製作したいわゆる地方のみに発信された番組でしたが、その内容が評判を呼び、BSをはじめ、関東圏でも放送されるようになり、2006年には新宿紀伊国屋の舞台上で行われもしました。決まっているのは場面設定のみ、台本や打ち合わせもない状態で約15分程度の芝居を鶴瓶さんと毎回違うゲストが行います。ですので、即興性はもちろん、役者としての力が地で出てしまう面白さがあります。DVDでもレンタルされていますので、興味のある方は是非見てください。(たぶん第2巻だったと思います)

さて復活公演には当然、串田和美さん、笹野高史さん、小日向文世さんのクレジットもありましたので、本当にオリジナル・キャストです。ただ、余さんの名前がなかったので、リリー役は違う方が演じることになるのかと少し残念ではあります。

あぁ、悩みます。東京にいたなら、速攻でチケット購入してしまうところですが…。

もうちょっと考えます。でも、このチケットって、おそらく即予約完売になると思われるので、手にいれることすら難しいかもしれません。コクーンのチケットメイトも解約してしまったし、いやはや何ともです。

2009年11月6日金曜日

「なにわバタフライN.V」

昨日は一転して穏やかな秋模様、先週末の寒さを忘れてしまいそうな天気でした。

最近は季節の変わり目でもあるので、毎日の気温がコロコロと変わってしまい、その日の朝何を着ればいいんだと悩むことも多いと思いますが、僕の場合は衣装持ちではないので、そこらにあるものを適当に着てしまいます。

ギャラリーの中は、その日の気温に応じて暖房を入れたり、切ったりしていますので、大きな変化はありません。半地下の割には意外に乾燥することも分かり(エアコンの影響もあり)、夏に大活躍の除湿機も奥の部屋にしまっています。その時にならないと分からないことがままありますから、適宜対応といったところです。

さて、PARCO劇場やぴあのメールマガジンで、来年2月にある三谷幸喜作・演出、戸田恵子主演「なにわバタフライN.V」再演の案内が、頻繁に入ってきます。2004年PARCO劇場で初演したこの芝居は、三谷幸喜さんも戸田恵子さんも初めての1人芝居でした。師走の寒い風が吹く中、観に行った覚えがあり、もう5年前のことだったことに、月日の早さを感じてしまいます。

今回はタイトルにN.Vと付いているように、ニューバージョンのようです。詳しい内容は明かされていませんが、音楽が無くなったことだけが公表されています。三谷さんの作品は再演が多いのですが、そのたび毎に脚本の見直しを行っています。三谷さんと言えば、シチュエーション・コメディーでは一線級の実力を持った方で、2時間暗転無しなんて芝居はこの人ぐらいじゃないでしょうか。今回もどんな味付けになっているか非常に楽しみですね。

初演の時は、PARCO劇場と比較的大きな劇場だったこともあって、舞台上には楽屋をしつらえたようなセットを作り、舞台の半分程を使用していました。700人規模ですので、ちょっと後列の人はつらかったと思います。今回は世田谷のシアタートラムですから、大きさ的(約200名収容)にもちょうど良いのではないでしょうか。

芝居は演ずる役者の表情が見えるくらいでないと話にのめり込めないと私的には感じています。かと言って、オペラグラス片手に表情だけを追いかけても、全体が見えなくなるので興ざめしてしまいます。
また、芝居はよく総合芸術と言われてもいますが、観客も一緒に考えながら観ることで、その一員を担っていると思います。現に、役者のひとつの仕草や一言のせりふで、その場の空気が変わってしまうことを、僕は何度も実感したことがあります。そんな雰囲気に呼応しながら、役者も演ずる部分で否応無く変化してくるのです。

これは僕だけが感じていることかもしれませんが、戸田恵子さんは意外に気性が激しい人のように思います。何度か出演している舞台を観ましたが、カーテンコールでの表情に、自身の納得度みたいなところが表れます。そのあたりも注目かもしれませんね。

でもこれだけ紹介しておきながら、僕はというと、多分その頃は次の会期で観に行けないだろうなと思います。

チケットは少々お高いです(本当に最近の芝居は高いです)が、お近くの方は必見です。

なんと言っても、芝居は生が一番ですから。

2009年11月5日木曜日

テレビのある暮らし

仙台に戻ってきてからテレビをよく見ています。受信料を支払っているからというわけではありませんが、NHKを見る機会が多くなりました。特に、23時以降にある番組は、時にNHKらしからぬ番組もあって、いつのまにかリモコンのボタンに手を伸ばすようになったと思います。

東京に出たときは、会社の寮に入っていたので、当然のように部屋にはテレビは無く、談話室のような部屋で流れている番組を眺めるでもなく過ごし、その後、寮を追い出され、6畳一間キッチン付の安アパートに暮らし始めてからも、しばらくはテレビを買うことはありませんでした。その当時は音楽や映画の方に興味があったので、もっぱら家では音楽、外に遊びに行けば映画館ばかりだったように記憶しています。

それから20代後半になり、次第に会社でも仕事を任され始めると、周りのエンジニアがそうであったように、遅くまでの残業は当たり前、徹夜もしたりで、帰宅してのテレビはお決まりのリバイバル映画だったり、ほとんどが見るだけで疲れるものばかりで、ただテレビのスイッチを入れていただけでした。
その頃から、レンタルビデオが出だしたので、映画館へは足が遠のきはじめ、家で映画を見ることが多くなり、何故かアートにも興味が出てきて、美術館なんかに行きだしました。まぁ、当時は写真も好きでしたが、もっぱら絵画や彫刻を見に行ってましたね。

そして、30代は、特に中盤以降ですが、ある事情で外の世界(テレビも含め)とのつながりが希薄になりました。今はまだ話す時期では無い(多分ずっと無いと思いますが)ので飛ばしますが、40代で新たな会社に入社し、住居を川崎から池上のマンションに移してから、自宅にホームシアターを置き、当時は出たばかりのHDDレコーダーも購入し(ハイビジョン番組が8時間しか録画できない!)、レンタルDVDや番組を録画したものを楽しむようになりました。

芝居を観にいくことを再開したのもこの頃です。仕事は信じられないほど忙しく、帰れない日もしょっちゅうありましたので、HDDレコーダーは重宝しました。でも、そんな趣味の関係で、もっぱらWOWOWやBSの番組を録画しては、後から見ているケースが多かったのです。ですので、テレビで有名な芸能人とかお笑いなんかは、全くと言ってよいほど知らなかったわけです。

そして、今、2年後どうなるのかなと考えながら、地上波放送を20年分ぐらい、一気に見ているような気分なのです。

それにしても、いまさらこんな自己紹介のようなことを書いているのか自分でもよく分からないのですが、眼の前に展示されている作品のミュージシャンらの若かりし頃への懐かしさや今を生きている若者達の笑顔とまっすぐな眼差しにほだされてしまったのかもしれないですね。

2009年11月4日水曜日

初日…夜空には満月

昨夜は見事な満月でしたね。

19:00過ぎに表に出た瞬間、かなり低い位置にまん丸の月が眼に入りました。一日中冬のような寒さでしたので、大気は澄みきり、とてもくっきりと美しかったです。
それにしても、夜になると一層寒さが増して、久しぶりに顔が痛い感覚を受けました。

そんな寒い中、昨日見えられたお客様はほとんどが初めてのお客様でした。連休最終日でもあったし、今年一番の寒さも手伝って、いきなり押し寄せるようにはいらっしゃらないだろうと思っていましたが、それでも来ていただいたお客様には感謝です。

僕も出来るだけ来ていただいた全てのお客様とお話をしたいのでが、何人か重なってくるとどうしても出来ない場合があります。本当にごめんなさい。
でも、話かけてほしくない人もいるわけで、僕の方も何となくですが判るようになってきました。逆に話しをして欲しいと思っているお客様も、何となくですが判るようになってきました。

仙台のお客様は全体的にとても遠慮深く、時間の流れも少しゆったりしている印象です。僕も高校までは仙台でしたが、その後東京での生活のほうが長いせいもあり、都会のせわしなさや人との稀薄性を感じながら、今ここでとか、こちらから動かないと、と言うような、一種脅迫めいた感覚がどこかにあるような気がします。

いい悪いは別にして、そんな文化や地方性はどんな世の中になっても残っていくべきだと思います。日本全国画一化していっている現在、地方都市が小東京化していく感覚は、利便性や効率性を考えれば、それはそれで正しい動きなのかなとは思いますが、何かつまらないですものね。まぁ、そんなことを時折考えながら、1人ギャラリーの扉が開くのを待っているようなわけです。

蔵王や泉ケ岳(この山は仙台市内になっています)には初冠雪があったのですが、今日は少し、暖かさが戻るようです。この時期、コンビニのおでんが一番売れるようなことを今朝のニュースで言っていました。寒さに慣れる前に、急に寒さに触れ、暖かさを求める人の気持ちが影響していると解説していました。

今日も、ギャラリーの中は暖かさに溢れています。

身も心も温めていってもらいたいと願っています。

2009年11月3日火曜日

今年一番の寒さですが、本日お披露目です。

急に寒くなりました。

昨日は、午前中、自転車を飛ばして、DMを置いてもらっている所を何カ所か覗いてきましたが、どこもほぼ半数ぐらいになっていました。会期途中で補充しようと思います。
昼食後、午後早くギャラリーに戻ってきたのですが、寒さが尋常ではありません。自転車置き場からかじかんだ手をさすりながら、ギャラリーの入口扉のカギをポケットから取り出そうとした時、ポツリ、ポツリと冷たい雨が降ってきました。

体感的には10℃を下回っていたのではないでしょうか。仙台は、もうコートの季節だなと思っていたところに、扉をたたく音がしました。返事をして開けてみると、いつものヤマト便の人です。

「今日は小さい荷物です。」と言いながら、段ボールで1箱を手渡しでくれました。写真集「HOPE 空、青くなる 」でした。昨日来なかったので、どうしたのかなと思っていたのですが、日曜日だったこともあり、今日の状況次第で連絡をしようと思っていた矢先でしたので、とりあえず開催に間に合って良かったと胸を撫で下ろした次第です。

いつも来るヤマト便の人は、2名程いるのですが、最近は一人作業になり、大変だと言っていました。僕に来る荷物は大抵巨大なので、前回の高橋数海写真展での大判(1200×1500mm)を搬入する時には、2人で運んでくれました。2ヶ月後、つい先日こちらから運び出す時は1人でしたので、ほとんどの荷物を僕と2人でトラックまで運びました。

トラックへの積み込みが終わり、支払も済んで、僕もほっとしたところ、ヤマトの人は一旦ギャラリーから表に出てから、少ししてまた戻ってきたのです。何かあったのかと思ったのですが、手伝ってくれたお礼にと、飲み物を置いていきました。これが、あきらかに、前にある自動販売機から買ったものなんです。

これって自腹なんだろうなぁと思いながらも、悪い気はしませんでした。でも、他のところでもそんな感じだと大変だよなとも思いました。大変と言うのは、ヤマトの人はもちろん頼んだ人もですね。僕の場合は手伝える状態だったので良かったのですが、そういうお客さんだけとは限りませんから。

そう言えば、サービスセンターに引き取り依頼をした時にも、荷物の大きさすら聞かれなかったことを思い出しました。保険の件もドライバーに話して下さいと言われて、変だよなと感じてたんですよね。荷物を見て、保険のことを話した時、人の好いそのドライバーは、結構慌てていましたから。

どの会社でも、事務方と現場とに実務の部分で温度差があります。特にこの不況の折ですから、その言われも得ぬ不条理感は、解っていてもね…、と言うところはあります。「踊る大捜査線」(古い!)じゃないですけど、時に叫びたくもなる気持ちは充分理解出来ます。

僕はどうなのと言うと、今のところどっちも一人でしてますので、幸か不幸か文句を言う相手がいません。時折ある自己矛盾に向き合う程度です。

まぁ、そんな時は目の前にある作品を眺めては、小っちゃい、小っちゃいと心でつぶやきながら、結局は作品に癒されてしまっています。(癒されるという表現はあまり好きではないのですが、ちょうど良い言葉が思いつかないので)

さて、本日お披露目です。

寒さもあるので、入口のドアは微妙にしか開いていないかもしれません。
少し重いドアを押し開いた先は、暖かい空間に包まれます。

どうぞ、気をつけてお入り下さい。

2009年11月2日月曜日

暖かい陽だまりのような空間で・・・

ハービー・山口写真展もいよいよ明日開幕です。

今回のギャラリーは明るさで一杯。作品の持つ温かさを感じてもらいたいためです。
観る方が自然に笑顔になってくれれば、しめたものです。

言葉や講釈は必要ありません。感じるままに感じてもらえれば、それで良いとさえ思っています。(本当はそうじゃない気もしますが)

開幕までの準備期間に、その時々で展示構成や演出を考えるわけですが、今回も作品を見続けている内に自然と決まっていく感じで、何か作品自体に導かれているような錯覚を覚えました。本当はより客観的に判断し、決定していかなければとは思っているのですが、感覚が先に立ってしまいます。まだまだ、アート写真好きのおやじなんですね。

企画展も3回目となりますが、高橋数海写真展の時には、来廊者の半数以上が初めて来られた方でした。今回はハービーさんの知名度もあるので、どれほど多くの方との新たな出会いがあるかも楽しみです。もちろん、毎回来て下さるお客様は、来るたびに違ったギャラリー空間をお見せしているつもりですので、それはそれでお話を伺うだけでも面白いです。

仙台はまさに寒い冬へと向かっている時期ですが、暖かい陽だまりのような空間で、写しだされた笑顔やまっすぐな想いの一つ一つを感じてもらえればと思います。お一人でも構いませんが、出来れば、身近な誰かと一緒に時間と空間を共有してほしいとも思っています。

きっと、優しい風がこころの中を通り過ぎていくことでしょう。そして、あまりに身近であるがゆえに、普段気にかけてもいない本当の安らぎといったものが、実は目の前にあったことに気付くはずです。

それは、ほとんどの人は自分を取り巻く本当に小さな世界の中で、感情と共に生き、ごくごく身近な人たちと親しい関係を持ちつつ、ほんのわずかであれ幸せを希求しながら生きていくものだと、僕自身が信じていることを意味しているのです。

2009年11月1日日曜日

「決定的に自由であるために」

世の中にはすごい人がいるものだと、衝撃を受けることって誰にでもあることだと思いますが、まさにそんな人を見てしまった気分です。

その人は、生け花作家の中川幸夫さんでした。

偶然スイッチを入れたテレビから映し出されたこの作品を見た瞬間、なにかとんでもないものを見てしまったような感覚を覚え、作品の映像が無くなってもしばらくは画面から眼を離すことが出来ませんでした。

中川幸夫「花坊主」1973年 

カーネーション900本を自作のガラスの器に密閉状態にし、白いふすま紙の上に逆さに1~2週間程置くと、赤い液体が流れ出てきて、このように拡がった状態になると解説していました。こういう生け花としての表現があること、そしてそれ自体が決して奇抜さだけではなく、アートとして成立している姿に、僕は感動していたのだと思います。

中川幸夫さんのことは、多くの方がすでに知っているのかもしれません。しかし、僕自身生け花はおろか、花の名前さえよく知らない門外漢ですので、どんな人なのか興味が湧き、少し調べてみました。

中川さんは、3才のとき、怪我がもとで脊椎カリエスにかかり、それ以来背中は曲がったままです。小学校卒後、大阪の石版印刷屋へ奉公に出るが、病気により9年後帰郷。祖父、おばが池坊に属していたことから、いけばなを始め、1949年「いけばな芸術」へ送った作品写真が重森三玲に認められました。しかしながら、1951年家元と衝突、絶縁状を叩きつけて上京。それ以降は、どの流派にも所属せず、独自の前衛華道の道を歩むようになったそうです。

「決定的に自由であるために」が、池坊脱退声明でした。戦後間もない頃ですから、当時は並々ならぬ決意と行動であったと想像出来ます。それからは、生活も困窮の極みではありましたが、個展をはじめ作品制作を精力的に行い、現在は故郷の香川で過ごされているようです。

おどろおどろしいまでの赤の色彩と密閉された空間で悲鳴を上げているかのようなカーネーションの花びら達、死してもなおその生の美しさを、「活ける」ことによって表現していかのように僕には感じられます。

中川さんはガラス作品制作も行っています。また、写真との関わりも深く、自身の作品の写真も撮ら、図録に載せています。師事した写真家は土門拳さんだと言います。

まだまだ勉強不足ですね。世の中には僕の知らないとてつもない人がまだまだ沢山いるのでしょう。

「決定的に自由であるために」…… それにしても、すごい言葉です。

2009年10月31日土曜日

憂世と浮世

3日前に歌舞伎公演「女殺油地獄」について掲載しましたが、その放送があった週の爆笑問題のニッポンの教養で偶然にも「カブキズム!」と題された放送がありました。

登場していたのが、早稲田大学名誉教授で比較演劇学者の河竹登志夫さんでした。河竹と聞いて、えっと思う方は結構多くいらっしゃると思いますが、「こいつは春から縁起がいいわえ」など数々の名台詞を残した天才歌舞伎作者・河竹黙阿弥のひ孫でもある人です。

僕が河竹さんを初めて知ったのは、かなり昔のテレビ放送だったと思いますが、その時紹介された「憂世と浮世―世阿弥から黙阿弥へ」 (1994年刊行NHKブックス)という本が読んでみて、改めてとても面白い方だなと思っていました。

本の題名である憂世と浮世ですが、これは両方とも「うきよ」と読みます。(そんなこと解ってるわいとツッコまれそうですが)河竹さんは本の中で、この2つの「うきよ」を次のように言っています。

中世武家社会の芸能である能の世界観と 近世町人社会の芸能である歌舞伎に流れる世界観を 対比させたもの。 簡単にいうと、この世の悲劇をシリアスに受けとめ、 そこからの救済を願うのが「憂世」観であり、「どうせこの世は憂きことばかり」と開き直って、いま、この時を 楽しんでしまおうというのが「浮世」観。洋の東西を超えて、人間が生きるところにはいつも、この二つの世界観が楕円の二つの中心のようにあるのだ。

番組で、現在はどちらですかの質問に対して、河竹さんは「浮世」だと話していました。価値観の多様化や生活習慣・レベルの差はもとより、社会構造自体複雑極まりなくなってきた現代において、憂きことは、簡単に解消しきれないし、死ぬまでに残ってしまう可能性の方が高いと言えます。それだったら、いま、この時を「浮世」と思い、生きることを楽しむことのために、日々送った方がましで、むしろその為の問題解決の手助けをした方が良いのだと考え、そう話したのかもしれません。
まぁ、そうは言っても、生きていくだけでもそれはそれでしんどい世の中でもあるわけで、一筋縄では行かないのが現実です。

一昨日の深夜、8月に遊びにきた元部下(こういう言い方はあまりしたくないが)から1通のメールが届きました。その中には以前の会社にアルバイトに来ていて、とても親しくしていた古澤君の近況が書かれていました。

古澤君は8/9の「ひとときの幸せ」にちょっと載せた演劇をしている若者です。フルネームは、古澤裕介君と言います。ポツドール公演では劇団員でもないのに、ほぼレギュラーで出演し、鉄割アルバトロスケット公演にもよく出ていたりしていて、その方面では、結構ファンもいます。普段の彼はとても真面目でとてもいい奴なので、芝居をしている彼を見ると何か同じ人間のようには思えないほどです。
そんな古澤君も最近テレビの端役(失礼な言い方ですが)で出演していました。(クレジットも出ています。)

http://www.veoh.com/browse/videos/category/action_adventure/watch/v19264722qqEg67sH#

http://dramato.blog98.fc2.com/blog-entry-11457.html

1つは東京DOGS、もう1つはNHK ママさんバレーでつかまえて、です。
いずれも中盤から後半にかけて、登場してきます。

彼とメールのやり取りをした最後が、9月の始めです。その時には、ここ何カ月かはアルバイトに集中しています。アルバイト先が必要な時入れるようにしないと解雇される恐れがある為です。いまは日々の生活で目一杯です、と言うようなことが書かれていました。

やはり不況の影響は大きいのですが、頑張って芝居を続けて欲しいなとずっと思っていたのです。そんな折、この知らせで、テレビ出演して良かったなとホッとした感情と同時に、自分は約2ヵ月も連絡すらしていなかったことに気付き、愕然としてしまいました。

昨日も書きましたが、気持ちだけではダメなんです。

このブログもそうですが、今日にでも、言葉として伝えようと思います。

僕自身、河竹さん同様、この世は「浮世」だと思っている人間ですから。

2009年10月30日金曜日

プロ野球ドラフト会議

昨日午後にプロ野球ドラフト会議がありました。

今年の話題は何といっても18歳の高校No.1左腕、花巻東(岩手)・菊池雄星投手が何球団に1位指名を受けるかと一般の方が招待という形で見られるようになったことです。一般の方が見られることもあり、抽選の箱が透明になり、各球団の代表が封筒を取る時の手の動きが分かるようになっていました。

僕は仙台では地上波で放送されていなかったこの中継をKeyHoleTVで見ていました。ブロックノイズだらけで音声も途切れがちではありますが、興味ある番組が首都圏だけでしかやっていない時に、時々見たりします。昨日のドラフト会議中継は、アクセス数も多かったこともあり、途中何度も途切れましたが、1位指名の場面だけは見ることが出来ました。

菊池選手がプロ入り宣言をしてから、花巻東高校に訪れた球団は日米合わせて20チームらしいのですが、国内プロ入りを宣言してから、ドラフト会議前には9球団が1位指名をするのではないかと言われていました。

いざ蓋を開けてみると、最初の4球団からは菊池選手の名前が出てきません。一瞬会場にざわめきがでましたが、その後最終的には6球団による指名となりました。それから先はニュースでも報じられたように、西武が指名権を獲得したわけです。

1位指名しなかった3球団については、それぞれの大人の事情もあったわけで、責められるものではありませんが、これまでドラフト会議をめぐって行われてきた過去の出来事を思うと、やはりほんの少しですが違和感を覚えます。

ドラフト会議で指名を受けた選手の多くが、幼いころからの夢でしたと言いますが、まさにその言葉に嘘はないように思います。でも、指名を受けられる立場になった時点で、それはもう決して夢ではなく、大人となった現在の現実でもあるのです。

菊池選手の場合は、どの球団でもOKとの意向がありましたから、特に問題にはなりませんでしたが、今回巨人から指名を受けた長野選手は過去2度の他球団指名拒否をしていることも事実としてあります。まぁ、職業選択の自由があるとはいえ、誰しもがプロ野球選手にはなれませんし、一般の多くの人もこの職業じゃなければ(この会社じゃなければ)と思っていても、実際そうなることは少ないですからね。

でも、人生は1回きりでしかも非常に短いのですから、初志貫徹みたいな考えには、年を重ねる程に惹かれます。また、真摯にそんな人生を送っている人々には少しでも応援していたいなとも考えています。

そして、最も大事なのは、その事を心で思うだけではなく、ちゃんと相手に伝えることなんだろうけど、
ホント、むずかしいですね。

2009年10月29日木曜日

昨夜のお供は、~Norah Jones~


写真展準備も、昨夜作品タイトルのキャプションを取り付け、ほぼ終了。その後、ひとりギャラリーでミュージック・ビデオ(DVD)を見ました(聞きました?)。

Norah Jones 「LIVE IN NEW ORLEANS」2003年、EMIミュージック・ジャパン

2002年8月にニュー・オリンズのハウス・オブ・ブルースで録音された今作品は、ライブハウスという箱の小ささもあって、非常に普段着のノラ・ジョーンズが見られて、僕の好きなDVDの一つです。

映像的には、カメラワークも凝っていない(ステージも狭いのでいたしかたない)し、必見のステージかと言うとそうではないのですが、なんかとても親密な雰囲気でリラックスした姿が見られ、こちらとしてもいざ見るぞと構える必要がありません。

だから、ノラ・ジョーンズの名唱や素晴らしいコンサートを期待する方にはお勧め出来ません。でも、何故かホッとします。

ノラ・ジョーンズと言えば、父親が世界的に有名なインドのシタール奏者、ラヴィ・シャンカールですが、今から15年ほど前にインドへ行った時に、仕事の合間を縫って、ラヴィ・シャンカールのカセットテープを買った覚えがあります。レコード店とおぼしきそのお店には、レコードよりもカセットテープが所狭しと並んでいました。インドに限らず、東南アジア各国では、当時はまだカセットテープが主流だったように思います。

そんな家庭環境もあり、ノラは幼いころより音楽との関係を深めていきました。最も影響を受けたシンガーはビリー・ホリデイで、「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」が大好きだったそうです。音楽に関して言えば、かなり早熟ですね。

デビューアルバム "Come Away With Me" をブルーノートからリリースしたのが、2002年2月ですから、それから半年しか経っていないデビューしたてのノラ・ジョーンズが見られる映像という点では貴重なDVDなのかもしれません。

さて、ハービー・山口写真展でも、BGMを用意しています。HP上で書いたように、皆さんがお持ちになる音楽もおかけしますが、それ以外のときはずっと流れています。

それも含めて、楽しんでもらえればと思っています。

2009年10月28日水曜日

「女殺油地獄」

この4、5日程、昼間は外出、帰ってきて写真展準備と何かと落ち着かない感じでしたが、昨日夜に、先週録画していた「女殺油地獄」(NHK芸術劇場)をやっと見ました。

「女殺油地獄」と言えば近松作品の中ではかなり変わったもので、人形浄瑠璃として初演、その後歌舞伎で上演されましたが、不評であった為、一旦お蔵入り、明治になるまで再演はされなかったそうです。その後、明治に歌舞伎として再演された後は、歌舞伎はもとより数多く映画化されたり、テレビドラマとしても放映されるようになりました。(潤色されたりしますが)

ごく最近では、これを原作とした「ネジと紙幣」が森山未來主役で舞台化され、仙台でも地方公演として行われたばかりです。こちらは未見ですが、演出・劇作が倉持裕さんですので、より奇妙にぐちゃぐちゃしたものになったように想像出来ます。

先週放映された「女殺油地獄」は、上方歌舞伎です。今年6月に東京・歌舞伎座で上演、片岡仁左衛門が「一世一代」(演じ納め)とうたって取り組んだ舞台でした。番組冒頭でのインタビューでは、この上演を最後に主人公である与兵衛を演じないとわざわざ宣言しているにもかかわらず、意外にもあっさりとその経緯を話した後、与兵衛という人物像や作品全体を非常にやさしい言葉で分析でもするように語っています。それは、逆に片岡仁左衛門の役者としての深さを感じさせるに十分なものでした。

僕はほとんど歌舞伎を見たことがありません。この歌舞伎も実は初見でしたが、映画や舞台で観たりしていて、ストーリーを知っていたこともあり、とてもすんなりと入ってきました。やはり、事前の経験や学習は大きいものです。

それにしても、自堕落で放蕩な男、与兵衛が、結局は借金のために隣の油屋の妻を殺してしまうと言う本当にどうしようもない話なのですが、片岡仁左衛門が演ずる与兵衛は何か憎めない悪党でもあり、時にかわいくも見えたりします。もちろん原作の良さもあるのでしょうが、やはり、役者の力量によるものが大きいなと再認識させられました。

日本には滅びの美学というか、死に対してもそのありように意味を持たせる(宗教観ではなく)傾向のように思います。この作品も最後の殺人をおこす場面が見せ所となります。与兵衛が凶行に及ぶまで、そして殺人を起こしてしまった後、フッと我に変える、その時々の表情の移り変わりは見事の一言です。また、油屋の妻、お吉が背をのけぞらせながら死んでいくのですが、その形が、まさに歌舞伎なんですよね。

それからこれは上方歌舞伎なので、ゆったりとした関西弁で進みます。その響きの心地よさも手伝ってか、後味の悪さが薄れ、なぜか物語としての美しさ(はかなさにも似た)を感じてしまいます。明治の時代から再演を繰り返し、現在へ繋がっている理由もそんなところにあるのかもしれません。

やはり、良いものは良いということです。でもそれは、伝える人や物や場がなければ、そこで止まってしまいます。だからこそ、良いものを良いと素直に認め、伝え、残すことが大事なんだと思います。

2009年10月27日火曜日

ほぼ展示終了~愛の溢れる空間へ

展示が昨日でほぼ終了しました。

久しぶりに体を動かしたことで、運動不足を改めて実感しつつも、心地よい疲労感の中、展示後のスポットに照らされている作品を見ていると、自然とモチベーションが上がる思いがします。

初期の「LONDON」から「静かなシャッター」までの代表作が並べられている光景には、ハービー・山口氏の一貫したスタンスが感じられます。人に対しての優しさ(自分を含めて)や想いが一杯詰まったこれらのイメージは、気持ちを豊かにしてくれます。

写真集としてまとめられた『LONDON-Chasing The Dream-』は、夢を追い求めての副題通り、ハービー・山口氏自身の原点であり、青春の軌跡のようなものです。

新装版の表紙である煙草をくゆらすジョー・ストラマー、アトリエで頬杖をつくヴィヴィアン・ウェストウッド、クリケットに励む女学生などの作品には、時代性とともに美しくも希望に満ちた情景が色濃く写し出されています。

その後の「PEACE」、「静かなシャッター」における若者の笑顔、こどもやお年寄りの姿には、まだまだ世の中捨てたもんじゃないよと言った肩ひじ張らない素直な思いが感じられ、きっと元気や勇気がもらえるのではないかと思っています。

また、「代官山17番地」の代表作であり、DMやチラシのイメージに使用している作品は、大判(960×1200mm)で展示されています。ゼラチンシルバープリントの質感は、大判であっても損なわれることがなく、むしろその表現の確かさに驚かれるのではないでしょうか。

今日もまた宣伝の様になってしまいましたが、今ギャラリーは、「The Big Love」のタイトル通りに、愛に溢れる空間に生まれ変わっています。

皆さんの笑顔にお会いできることを、楽しみにしています。

2009年10月26日月曜日

作品搬入、展示作業真っ最中!

ちょっとバタバタとしています。

昨日午後、ハービー・山口氏の作品搬入があり、荷受、開梱、作品確認を行いました。今回の展示点数は31点になります。内、大判(960×1200mm)が2点あり、スペース的には結構ぎりぎりになるかと思いますが、出来るだけ余裕があるような感じにしたいと思っています。

作品を1点、1点見ていると、クオリティーの高さと写真本来持っている力のようなものを感じます。なにより、作家としてのスタンスを明快に伝わってきますので、どの世代の方にも受け入れられるのではないかと思います。

販売する写真集も決定しました。今年再販された「LONDON-Chasing The Dream-」の新装版になります。ハービー・山口氏の原点とも言えるロンドンでの10年間がここに凝縮されています。また、この新装版には特典として、ハービー・山口氏のロンドン在住時のスペシャル・フォトプリントが巻末についていますので、とてもお買い得です。

収録されているイメージのいくつかは展示作品として見ることが出来ますので、オリジナル・プリントとの比較も楽しでいただけるのではないかと思っています。

詳細については、追ってHPに掲載していきますから、今しばらくお待ちください。

なんか、今日は現状報告と宣伝になってしまいましたが、期待に違わぬ展示内容になることは間違いないと感じていますので、多くの皆様に見ていただきたいと心より願っています。

短いですが、今日はこれまでです。

2009年10月25日日曜日

奇跡

残念ですが、奇跡は起きませんでした。

昨日のプロ野球パリーグCS第4戦が、楽天での野村監督最後の試合になりました。日本ハムのスレッジ選手に始まって、スレッジ選手に終わった感がありましたが、短期決戦と言われるものには、何かそんなツキもある選手が出るものです。

野村監督の試合後インタビューの中で、人間何を残すかが大事、そして教え子のような選手やコーチを残すことで、少しは野球界に貢献したかなと言う意味の言葉が非常に印象に残りました。両チーム合同でのグラウンド上の胴上げも、野村監督だからのことだったと思います。

もうひとつ、今週、奇跡は起こらなかったと話していたのが俳優の長門裕之さんです。そう、3年以上介護を続けてきた妻、南田洋子さんの死去です。南田洋子さんは3年前、認知症により女優を引退し、その後長門さんが介護を続け、その様子はドキュメンタリー番組として放映されました。

つい、2週間前の映像を見ると、何か普通に戻った様子で、僕自身非常に驚きました。その矢先の出来事だったので、会見の様子はとても見ていて痛々しかったです。長門さん自身とうに覚悟はあったと思いますが、目の前に現実を突きつけられた時の感情は何事にも及ばないものです。

井上ひさしさんの名作に「きらめく星座」という芝居があります。何回目の再演の時かは覚えていませんが、すまけいさん演ずる広告文案家、竹田にこんなセリフがありました。

「水惑星だからといって、かならず生命が発生するとはかぎりません。しかし地球にあるとき小さな生命が誕生しました。これも奇跡です。そのちいさな生命が数限りない試練を経て人間にまで至ったのも奇跡の連続です・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わたしたちがいる、いま、生きているというだけでも奇跡中の奇跡なのです。こうして話をしたり、誰かと恋だのけんかだのをすること、それもその一つ一つが奇跡なのです。
人間は奇跡そのもの。人間の一挙手、一投足も奇跡そのもの。
だから人間は生きなければなりません。」

あまりにストレートな言い回しなので、何か気恥かしい思いがする人もいると思いますが、井上作品の根底に流れている一節だと、僕は思っています。人が感情の生き物である限り、落ち込んだり、へこんだりすることはままあるわけで、時にこんな言葉を思い出しながら、勇気づけられもしているわけです。

だからこそ、決してきれい事ではなく、短いこの時間の間に、本能としての生だけではない楽しみや感動を得たいとし、そして、残せる何かを探しているのかもしれません。

2009年10月24日土曜日

「aeroTAP」

昨日の続きのようですが、YouTubeでこんな動画がありました。

http://www.youtube.com/watch?v=UelOXuLQwCQ

ちょっと調べてみると、「マウスに疲れたらジェスチャで―― PC を空中で操作する「aeroTAP」をネクステッジが開発」とあります。

「離れた場所から Web カメラを介して簡単なジェスチャでコンピュータを操作できる、非接触型のインターフェイス。リモートコントローラは必要ない。汎用の PC の既存の汎用アプリケーションを、を安価な Web カメラのみで操作できるようになる。」とも書いてあります。

実際、YouTubeの動画では、Web カメラが操作している人間の手の動きを認知し、位置情報をコンピュータ側に返しているように見えます。レスポンス的にはどの程度実用化出来るレベルなのかは分かりませんが、モニターがもっと巨大(投影されたものでもよいが)で、3Dで目の前にあったら、「ミッション・インポッシブル」(特に好きな映画ではありません)の世界に近づくような気もします。

ネクステッジって筑波にある従業員12名(2007年会社案内による)の、いわゆるベンチャーなんですかね。会社概要には、「ソフトウェア製品のグローバリゼーション("G11n") - インターナショナリゼーション("I18n")およびローカリゼーション("L10n") - に関するスキルに特化したサービスを提供します。」とありますので、ソフトウエアを開発した環境とは違った環境(外国や異文化)へ適合させるための翻訳家のような立場と言ったらいいのでしょうか。

最近はあまり聞かなくなりましたが、「スキマ産業」という言葉が頻繁に使われる時期があったように思います。一般受けではないけれど、それなりの需要もあり、困ったところに手が届く的な商売ですね。ネクステッジも、そういう意味では「スキマ産業」のような範疇に当たるとも言えます。

人のスキを突くと言うととても悪い印象しかありませんが、このような発想は大手ではほとんど出来ないと思いますので、率直に良いことだと思います。
なんとなくですが、体の不自由な方とかにも活用出来そうですしね。

2009年10月23日金曜日

バーチャルな世界

今朝のニュースで「デジタルコンテンツ Expo 2009」の一部が放映されていました。
今週25日まで東京都の日本科学未来館と東京国際交流館で開催されている「デジタルコンテンツ Expo 2009」は、ゲームや映画、Webコンテンツなどの展示や講演、シンポジウム、映像上映などからなる総合博覧会だそうです。

3次元化技術については、仕事上1995年頃から接してきたこともあり、いくつかの展示会やセミナーを受けたりしていましたが、その当時はまだ形状化の容易さや操作性といった技術者レベルの内容でした。それから、ハードの進化とともに、処理能力が飛躍的に増大したことも重なり、一般にもバーチャル・リアリティーなる仮想現実の世界が認知されるようになりました。

現在では、学術的というよりはむしろ普段の暮らしの中での活用が重要視されているような気がします。とりわけ、娯楽である映像やゲームでは、良く耳にするようになりました。テレビや映画での3D映像については、もうじき一般に発売され、家庭でも見られるようになりますし、ゲームもしかりで、Wiiのような体感型ソフトが次々と現れています。

「デジタルコンテンツ Expo 2009」は、大きく分けると次世代コンテンツ技術展2009(ConTEX)、 ASIAGRAPH 2009 in Tokyo 、国際3D Fair 2009 in Tokyo となっています。放送では、次世代コンテンツ技術展2009(ConTEX)に展示されているいくつかが紹介されていました。

ここでは、おもに大学が行っている技術研究の成果を目で見て、実際に触れ、体感出来ます。大学での研究というと僕なんかはすぐ基礎研究を思いついてしまいますが、今では民間と協力しながら、実用化へのプロセスがより密接になってきました。

その中でインターフェースでおもしろかったのが、東京工業大学と電気通信大学が出展した“Haptic Ring”でした。モニターに小熊が表示されているのですが、これを映像として映った自分の手で撫でると、小熊が反応するという展示です。言葉で表すとなかなか分かりずらいのですが、画面上のバーチャルの小熊がまるで目や触覚があるかのように、手の動きを感知し、同時にひとさし指につけられたリングによって、触れている人自身もその触感を得ることが出来るようです。

今までは、視覚、聴覚の部分が多く取り上げられていましたが、この例にもあるようによりリアルに触覚や嗅覚といった五感に迫ったものが取り上げられるのでしょうね。ネット上に現われる物に触れて確かめたり、においをかいだり出来る世の中が近々来るかも知れません。

その時は、「ミッション・インポッシブル」みたいな感じになるのかな。でもにおいはどうなんだろう。夜中、部屋中にいやなにおいが充満している状況を想像すると、今はにおいはいいかなと思ったりします。

2009年10月22日木曜日

まさに劇的

まさに劇的。

昨日から始まったパリーグCS初戦での幕切れ。
逆転サヨナラ満塁ホームランによる一瞬の終了。スコアが、9x-8、9の横に付くxが普通ではない勝負の意味を表しています。

9回表を終了して、誰もが楽天の勝利を確信したと思います。勝負事は下駄を履くまで分らないとよく言いますが、全くその通りです。同じ野球では、今年の夏の甲子園決勝、日本文理の9回2アウトからの反撃が記憶に新しいですが、今回は逆転してしまったのですから、見事としか言いようがありませんね。楽天にしてみればかなりのダメージですが、問題は今日でしょう。何と言ってもエース登板ですから。

少し前に、決して劇的ではなく。と言うお題の話を書きましたが、このような状況での演出なしの劇的さは必要なことだと思います。ファン心理からすると、よくぞそこまでと何もそこまでと立場の違いにより感じ方が両極端になってしまいます。でも、そんな試合やプレーを見たくて、球場に足を運んだり、テレビで観戦するわけですから、そう言う意味では初戦からドラマチックな幕開きだったことが、今後何が起こるか分からないぞと言う期待を抱かせます。

昨日のKスタ宮城でのパブリック・ビュー観戦も2200人だったと聞きます。帰り道は寒さが気温以上に感じられたでしょうが、今夜も頑張って応援して下さい。


話は全然変わりますが、一昨日、劇団グリングの第18回公演のDMが届きました。

公演名の中に「活動休止」の文字があります。HPにも詳細は載っていませんでしたが、しばらく劇団としての活動を休止するようです。

グリングは僕の好きな劇団の一つで、毎回のように観に行っていました。主宰の劇作・演出家の青木豪さんには、他の公演を観に行った際も何回となく見かけていたので、とても寂しい感じがします。首都圏近郊の方は、この機会を逃すとしばらくは観られませんので是非観に行ってください。

ここのDMはいつもマット調のハガキに、公演を象徴するような写真を載せてあり、とても気に入っていたのですが、当分は目にすることが出来ないですね。

以前、テレビのインタビューで、「何気ない普通の人の生活やその時々に話す言葉の裏には、全く持って大きなドラマが隠されているかもしれません。そんな芝居なら僕にも作れるかもしれないと思って劇作を始めました。」と青木さんが話していました。

生きていくことそのものが、むしろ劇的なことであると言っているようで、僕自身そんな世界に惹かれていたのかもしれません。なので、活動休止はとても残念です。

2009年10月21日水曜日

「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」

今週の24日から11月8日まで、千葉、幕張メッセで第41回東京モーターショー2009が開かれます。

ニュースリリースによると今回のショーテーマは、”「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」(「和文」)(“Fun Driving for Us, Eco Driving for Earth”)(英文)としました。環境と共生する中でクルマの楽しさを追及する「楽しさと環境(Fun & Eco)」の考え方をシンプルに表現し、クルマに乗る喜びも、環境に配慮することも、どちらも「楽しもう」とポジティブに捉え、「楽しさ」と「環境」の両立を強く訴えているものにしています。「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」”とあります。

エコカーと称されるハイブリットや電気自動車の実用化、政府支援などが一般の消費者にも受け入れられてますので、少しベタな感じはしますが、当然と言えば当然ですね。そんな中、バイクやスクーターにも電気や燃料電池を使用し、エコを意識したモデルが出展されます。

ホンダは「スーパーカブ」の電動モデル「EV-カブ」、ヤマハは来年発売を目標としている「EC-03」とコンセプトモデルとして未来的なデザインの「EC-f」「EC-fs」の2種を出展しています。一方、スズキは、燃料電池搭載のビッグスクーター「バーグマン・フューエル・セル・スクーター」で、航続距離を約350キロと想定し、中大型バイクに焦点を当てているようです。

これらのバイクに特徴的な点は、エンジンといった吸排気に関わる部分が無い為、軽量化とデザインの自由度が広がることが挙げられます。実際、軽量アルミフレームを使用していたり、「EC-f」「EC-fs」についてはかなり独創的なデザインですね。

これは、北里大学名誉教授で医学博士の田口 文章氏へのインタビュー記事の一節です。

“ある人が、これまでの人類のエネルギーの推移をみてみると、薪、石炭、石油、天然ガスへと移り変わってきた。次第に炭酸ガスを出さない方向に動いているというのです。なるほど化学式で見てみると、薪は水素原子1個に対して炭素原子が10個。これに対して石炭は水素1個に炭素が2個、天然ガスになると水素4個に炭素1個と表現できます。となると、次のエネルギー源は炭素のないものになるはずだ。それがウランと水素だというんです。元素の中で一番重いウランと一番軽い水素がこれからの主役というわけですが、ウランは廃棄物処理の問題がありますから、水素が人類のエネルギーとして最重要になると私も思いますね。水素にはロマンを感じます。”

田口 文章氏は、パンダの糞とシロアリから分離した有用菌で、 水素を取り出し、生ゴミを分離処理する研究で、今年イグ・ノーベル賞を受賞した方です。将来的に、この生ゴミから水素ガスを取り出す技術が実用化し、システム化されれば、当然のように自動車やバイクの燃料にもなるわけです。

まぁ、世界的規模でのエコ化の情勢を後押しにして、各社とも技術開発に臨むわけですが、一企業の利益追求だけのエゴにはなって欲しくないと思っています。

2009年10月20日火曜日

オリオン座流星群

オリオン座流星群が、19日夜から23日未明にピークを迎えます。

今年は月明かりがないため条件が良く、1時間あたり最大で50個以上の流星が、東の夜空に浮かぶオリオン座近くの場所(放射点)を起点に広い範囲に現れ、肉眼で観測出来るとのことです。

国立天文台のHPを見ると詳しい情報が見られます。
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20091019/#Section1

見える時間帯が、22時から深夜0時を回ってからなので、一人で表に出るには少し寒いですね。(もちろん一人じゃない方が良いですが)ベランダ等で暖かい格好をして見ることが出来ればベストです。今年のオリオン座流星群では、流星群が活動し始める22時よりも前に月は沈むので、月明かりの影響を全く受けずに見ることができる絶好の条件と言えます。

さて、流星群と言えば、僕は松任谷由美さんの「ジャコビニ彗星の日」を思い出します。
確か、1979年にリリースされたアルバム「悲しいほどお天気」に入っていたと思います。
哀しく切ない詩が、揺れ動く女性の気持ちを表現していて、秋という季節がとても感じられる曲です。

夜のFMからニュースを流しながら
部屋の明かり消して 窓辺に椅子を運ぶ
小さなオペラグラス じっとのぞいたけど
月をすべる雲と 柿の木揺れてただけ
'72年 10月 9日
あなたの電話が少ないことに慣れてく
私はひとり ぼんやり待った
遠くよこぎる流星群

それはただどうでもいいことだったのに
空に近い場所へ出かけてゆきたかった
いつか手をひかれて川原で見た花火
夢は つかの間だと 自分にいい聞かせて
シベリアからも見えなかったよと
翌朝 弟が新聞ひろげ つぶやく
淋しくなれば また来るかしら
光る尾をひく流星群

   (「悲しいほどお天気」1979年)より(LP:TOJT-10641)(CD:TOCT-10641)

http://www.youtube.com/watch?v=8CynJ53RukE

そう言えば、この頃からCDが発売され始めたのかな。

2009年10月19日月曜日

羽根のない扇風機

「Dyson Air Multiplier」

今月ダイソン社から発表があった羽根のない扇風機ですね。羽根がないのに「扇風」とは変ですが、いままでに無かった製品ですので、日本語ではそう紹介されています。

ダイソン社と言えば、強力な掃除機で有名で、家電らしからぬ形と色遣いの面白さがよそとはちょっと違うことをアピールしていたように感じていました。実際、掃除機のパワーは強力で、毎日polkaの抜け毛に困っていた僕も掃除機購入の際には検討対象のひとつでした。

今朝のテレビで実際に動いている姿を見ましたが、比較的コンパクトなサイズで、何も無い穴から噴出される風の様子は、とても近未来的(表現が古い!)な印象がしました。2001年宇宙の旅の一コマにでも登場していたら面白かったのに、とも思いました。

羽根がないのに風がくるのはなぜかと言うことでYouTubeなどに動画がアップされています。

http://www.youtube.com/watch?v=gChp0Cy33eY

理屈は、下部部分に静圧の高いファンがあってリング状の部分に空気を送り込み、リング状の部分にはノズルが付いてベンチュリのようになっていて、周囲の空気を巻き込むように風を送るようです。

原理は分かっても、それを商品化するには相当な発想の転換が必要であったり、安全性も含め検討しなければなりませんから、4年の開発期間は決して長くはないと思います。値段は少々張りますが、ちょっと変わったインテリアの範疇かなと感じました。

販売は当面、ネット上とインテリアショップになるとのことで、家電量販店に並ぶのは来春からですので、商品としての位置づけもうなずけます。

日本の夏は蒸し暑く、エアコン無しでは寝苦しいと言われますが、仙台での久々の夏はエアコン無しで過ごせました。首都圏以北で売れるかもしれませんね。

それにしても、こんなしゃれっ気一杯の商品を見ていると、何故か心がうきうきしてくるのは僕だけでしょうか。

2009年10月18日日曜日

高橋和海写真展 無事終了です。

昨日で、高橋和海写真展「Moonscape」が無事終了しました。

集客数にはまだまだ満足していませんが、訪れて下さったお客様には写真展自体は満足されたものだったと思っています。

今回の特徴的なことは、自分では写真を撮らないけれども、案内状のイメージがきれいで、実物を見たくなり来られた方や学生の方にも来て頂けるようになったことです。写真を撮られないお客様には、イメージの美しさやその世界観をまるで絵を見るような感覚で捉えている様子が感じられました。実際、話をさせてもらうと、「写真じゃないようですね」といった言葉を何度も聞きました。写真を撮られている方の多くは、プリント品質と美しい色彩に感心されていたように思います。

アンケートにあった感想の一部がこちらです。

○一番奥の大きな写真、絵画のようで不思議でした。でも見入ってしまいます。しずかな写真たちですね。楽しませていただきました。

○引力がテーマとのこと。まさに引き込まれる写真たちでした。静止画の中に時間の流れをこんなに感じさせられることってあんまりないと思う。美しいです。とにかく。画を褒める時、「写真みたい」というのに写真を褒める時は「まるで画のよう」と言うのはなぜだろうと思いつつ(笑)本当に画のようでした。


今回は、暗めの照明と対比するような明るめの照明をカーテンで仕切ったり、大判作品の展示に少し趣向があり、いわゆるギャラリースペースでの展示状況と違っていましたが、大きな苦言も無く、楽しんでいただけたのではないでしょうか。

意見は分かれると思いますが、単純に作品展示の場としてだけのギャラリーではなく、作品個々が本来持っている良さを効果的にそして見ているお客様がいろいろな観点から見られるような演出は、今後も行っていこうと思っています。

今回初めて来て下さった方、横木安良夫写真展に引き続き再廊して下さった方には本当に感謝している次第です。引き続き、もっと多くの方に来て頂けるよう頑張って行きますので、これからも宜しくお願い致します。

2009年10月17日土曜日

「My Funny Valentine」

あるブログから思いだした一曲。

「My Funny Valentine」

誰もが一度は聞いたことがあるジャズのスタンダードです。ジャズ畑を問わず、数多くのシンガーに歌われていますが、僕が思い出したのはチェット・ベイカーが歌ったものです。

チェット・ベイカーは、アメリカのジャズトランペット奏者ですが、むしろボーカル・スタイルに特徴があり、中性的で囁くような歌い方で人気を博しました。

1950年代前半が彼の最盛期でした。その後は、彼自身の精神的な不安定さもあり、ドラッグに関わるトラブルに見舞われ、1970年代初頭までは表舞台からすっかり姿を消してしまい、生活保護を受けていたとさえ言われています。

1973年にディジー・ガレスビーの助けを受け、復活を果たし、日本でも2度ライブを行っています。そして、2度目の来日の翌年、アムステルダムのホテルの2階から謎の転落死をしてしまいます。58年という短い時間に、自己破滅を繰り返し、進んで不幸に走って行ったように思えてしかたありません。

後に、写真家のブルース・ウェバー(カルバン・クラインの広告写真等で著名なファッション・フォトグラファー)が、チェット・ベイカーのドキュメント映画「Let’s Get Lost」を撮り、アカデミーを受賞しています。残念ながら、日本でのDVD化はされていないこともあり、僕は未見です。タイトルの「Let’s Get Lost」は「ここから、逃げ出そうぜ」みたいな意味で、ブルース自身とても好きな曲だったそうです。

YouTubeにもいくつかアップされていましたが、この2つを聞き比べてみて下さい。
1つ目は、映像はありませんが、発売時のものです。
http://www.youtube.com/watch?v=jvXywhJpOKs

2つ目が、日本公演でのライブです。
http://www.youtube.com/watch?v=UOEIQKczRPY

ときどき、時間の流れは否応なく残酷に感じられることがありますが、僕は、枯れたような、そして一つ一つの音を慈しむようにトランペットを吹いている晩年の姿に心打たれます。

最後に、ブルース・ウェバーの「Let’s Get Lost」を少しだけ…。
http://www.youtube.com/watch?v=l5H2bzk2zcc

2009年10月16日金曜日

ブログ

ギャラリーをオープンしてから約5か月になります。

このブログもほぼ同時期に始めました。これまで日記の類も含めて毎日何かを書きつづる習慣がない僕がよく続いていると思います。内容は相変わらずで、文章もちっとも上達していませんが、改めて気がついたことがあります。

一見義務化されたことのように思えることも、けっしてそれだけではない何かを見つけ出せれば、続けることが出来るということです。

以前の仕事でも就業後に、一日の業務報告なるものをメールで出すようになっていたのですが、僕は出さないことが多く、良く怒られていました。その時は、めんどくさかったことが一番でしたが、やはり僕の中にやらされ感があり、それ自体が無意味のように思えたからかもしれません。

誰しも生活するために仕事をするわけですが、多くの人は本当に自分が望んだ仕事をしているとは限りません。それでも、その中に自分の居場所ややりがいを見い出して、毎日コツコツと頑張っているのです。幸いなことに僕は学生の頃から思っていた「物作り」の世界で仕事をしてきました。毎日の仕事の中で、かけがいのない人と出会い、海外での仕事もさせてもらい、充分に楽しくさせてもらったように思います。

初めて就職した会社には当時は本当にごくごく少数でしたが、会社のために仕事をする必要はないよ、自分のためにしなさいとか会社以外の人と多く付き合いを持ちなさいとか言ってくれる人がいて、その言葉を実践してきたように思います。そして、かなり管理外でわがままな仕事をしていたにも関わらず、容認してくれていたように、今は思えます。

そんな僕がまるで畑違いの仕事をするようになり、ここでもさまざまな人たちの支えもあって、新鮮な出会いと刺激的な毎日を送っています。

そして、その時々で感じたことや日々の何気ない情景とかを思い起こしながら、毎朝パソコンの前で、自分自身を確認するように書いています。

そんなわけで、しばらくは小学生のような文章で、ブログを続けていこうと思っています。読んで下さっている方々は、じき人並みの文章が書けるようになるかもしれませんので、しばらくはガマンして下さい。(いつのことやら!?)

2009年10月15日木曜日

痕跡

昨夜の宮城スタジアムでの日本対トーゴサッカー親善試合、明日から始まるプロ野球パリーグクライマックス・シリーズと、このところ大きなスポーツイベントが宮城県内で続いています。

昨夜も試合途中からテレビで観戦しましたが、試合内容はともかく、きれいなスタジアムには正直驚きました。日韓ワールドカップ時に作られたこのスタジアムは地理的・構造的な問題を多く含んでいるため、あまり評判が良いとは言えません。県内では、箱物行政のの象徴として捉えられる場合が多く、慢性的な赤字を抱えていると聞きます。

新たにスタジアムのような巨大な施設を建造する場合、やはり立地的な部分での困難さが付きまといます。市街地に近い場所はすでに大きな土地資源も少ないので、結局は利便性の悪い場所を選ぶことになり、利便性が解消しない限り、おのずと稼働率も下がるというものです。宮城スタジアムの場合、多目的スタジアムですので、さまざまなイベントにも使用できるわけですが、専用スタジアムと比較して客席との距離があり見にくいとか、さまざまな制約もあります。

地方にある美術館や博物館のような文化施設の多くもそのような傾向で作られてきました。先ずは中身より建物が重要視されていた訳で、まぁ、そういう環境すらなかったところに作ることはそれだけで意義あることだとは思いますが、結局は物足りない器だけの存在になってしまっていました。

しかしながら、専用の施設を作った場合、それだけで稼働率の確保や集客率といった運営面を解消しきれるかどうかの問題があったことは否めない事実です。そのへんが、非常に難しい選択ですね。スポーツ・文化施設は一般的に人の生活と直接的に密着しているものではありません。僕自身、暮らしや人の心や情感といったものを潤し、今より心豊かな生活を送れる場を提供するものだと思っています。

また、人は生まれてから死ぬまでの短い時間の中で、自分ではそう感じていなくても自然に自身の痕跡を残しながら日々を生きています。仕事や家庭、地域でと、その内容や目指すところはいろいろありますが、自己表現を形に表わし、同じ時間を生きている人々はもちろん、未来に対して残していくのだと思います。スポーツ・文化施設はそういう痕跡の場でもあるのです。

午前中、誰もいないギャラリーの中で、僕は一人で展示されている作品を見ながら、アートもその中のひとつなんだよねと感じながら、頭の中で自分の痕跡のことを考えたりします。でも、それって、自分では確認できないことなので、結局は今の積み重ねが大事なんだろうなと、ひとりごちてしまうのです。

2009年10月14日水曜日

スッキリ。

やっと出ました。スッキリです。

何がってお思いでしょうが、実はこの3日間polkaは便秘でした。朝からあまりきれいな話ではありませんが、玉のような赤ん坊ではなく、ちょっと大きめのウンチが今朝早くでたのです。

話は少しズレますが、polkaは幼い頃から水の飲み方が下手なのか、鼻に水をいれクシャミをしたり、飲んだ直後に戻すことが多いのです。普通猫が戻したりするのは、毛づくろいをして飲み込んだものを毛玉にして出すのが一般的ですが、polkaの場合はそうではなく、ふんばってもウンチが出なかった時などにもよく戻していました。

ですので、家にはペーパータオルが欠かせません。これまで10年以上も一緒に過ごしてきたので、しょうがないなと思いながらも、毎回僕がその後片付けをしているわけです。

今回もふんばってもウンチが出なかったあと、何度か戻しました。それが2日程前の話です。その後、便秘が続き、polkaは来るべきその時に備えるように、すっかり安静モードに入りました。エサにはほとんど手をつけず、水だけを飲んで、あまり動かない状態です。

polkaはこれまで病気らしい病気をしたことのない猫です。でも過去に2回だけ病院に行ったことがあります。1回目は、去勢手術で、2回目はそれから数ヵ月後、おしっこが何日か出なくなったので、病院へ連れて行きました。その時は、尿道結石っぽくて、薬で治療をしました。いずれも生まれて1年以内のことなので、たぶん覚えていないと思いますが、その時の暴れようは、迎えに行った時の看護婦?(スタッフ)さんの表情を見れば良く分りました。

以前から時々便秘はあったのですが、今回は少し長かったので、最悪病院行きを思い浮かべていました。そんな矢先だったこともあり、内心ほっとしながらも、今日からまたうろうろと部屋を徘徊し、朝5時頃に耳元で鳴いてくる姿が頭に浮かびます。

でも、まぁ元気なことは良いことです。表情はあまり変えないし、言葉も発しないので、考えていることは良く分りません。でも、もし言葉を使うようになったら、お互い気まずい思いをするかもしれないし、それはそれで良いのかもしれません。

今では、いつもお互いの存在を意識しながらも、すっかり甘えることもないのに、気がつくと隣にいる、そんなあり方が自然で良いのかなとも感じています。

2009年10月13日火曜日

決して劇的ではなく。

先の「楽屋」舞台中継後にイッセー尾形さんの一人芝居が放映されていました。

以前文化庁メディア芸術プラザのHPで、「イッセー尾形の演劇はポップアートだ」という記事を読んだ覚えがあり、調べてみると、イッセー尾形さん自身が書いた文章で、次のようなことが掲載されています。

「コーラの瓶を美術館に置くと、何の変哲もないガラスの容器が、魅力的に見えてくることと関係があるらしい。それよりなにより、コーラの出回っている量は多すぎて、気にも留めないという当たり前の日常を、美術館に置くことによって意識化させるのだそうだ。確かに僕の取りあげる人物は、どこにでもいるフツーの人たちに限られている。劇的とは無縁の人に、真っ白の舞台上でスポットライトを当てる。(中略)観客も舞台で演じられた僕の役を通して、身近な人を再発見するのであれば、ポップアートといえるかもしれない。」

確かにイッセーさんが演ずる人達の多くは、ごく一般に生活をし、ほとんどは、仕事の枠組みに知らないうちにはまりながら、人物形成されている人達と言ってもよいと思います。ただ、そこには演劇としての誇張や解釈や表現の方法によって、だれもが持っている優しさや哀しみや良い意味でのいい加減さが表れています。

そんな何も無い舞台上で演じられる姿に、観客は共感や驚きや可笑しさを感じ、こんな人いるよねとか絶対いないよな、などと思いを巡らせているのです。思いを巡らせることは、舞台上で創造された人物や場面を、観客自身が想像し、同時に共有していることです。だから、イッセーさんが行う芝居は、いわゆるパフォーマンスではなく、演劇なのだと思います。

ポップアートとの関連は前述した言葉の通り、モチーフや方法論的に共通性を見出すことは出来ますが、何か違うような気もします。たぶん、表現の媒体として、自らの肉体が目の前にあることがそのように思わせるのかもしれません。より直接的と言ったらいいのか、届く距離感が近いこともそのように感じさせる一因だと思います。

そんなことを考え、現実の世界に目を向けてみると、僕たちも様々な職種や仕事上の立場の中で、その役割を演じているだけではないかとさえ思えてきます。しかもそれが、決して劇的ではなく、日常の中でごく自然な形で行われているのですから、あらゆる人間はとても素晴らしい役者であるのかもしれません。