2009年6月30日火曜日

河瀨直美さん

先週の金曜日、部屋に戻りテレビのスイッチを入れると、まるで予期しない女性の顔が映し出されました。河瀨直美さんでした。しかも、”金スマ”と言うバラエティー番組です。(バラエティ番組を卑下しているわけではありません)実は、僕はテレビを付けていても大抵は見ていないことが多く、もちろんこの番組も始めて見るものでした。

河瀨直美さんが1997年"萌の朱雀"でカンヌ国際映画祭カメラド-ル(新人監督賞)を史上最年少で受賞、2007年"殯の森"で同じくカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したことは多くの方が知っていると思います。

彼女の映画の特徴は、描かれる自然の美しさとドキュメンタリー的な部分が絶妙なバランスで組み入れられ、独自の世界観を醸し出していることです。もともとが、ドキュメンタリー映画を制作していましたから、それは河瀨さんにとってはごく自然なことなのかもしれません。

出演者のほとんどが素人や新人と言うこともあり、徹底したリアリズム追及の演出は、意外な効果を発揮しますが、その反面映画(エンタテイメントとしての)自体の危うさも感じていました。事実、“萌の朱雀”以後制作された"火垂"、"沙羅双樹"は残念ながら商業的には成功しませんでした。

やはりこういう映画って、好き嫌いがはっきりするでしょうね。僕自身、"萌の朱雀"をビデオ(当時はDVD化されていなかった)で観た時は、奈良の圧倒的に美しい自然と繰り広げられる物語の静けさに戸惑いを覚えました。物語は非常に淡々と進められていきます。日常のありふれた情景がことさら強調されることもなく、哀しみがゆっくりと沁み込んでくる感じです。

河瀨さんの公式サイトを見ると、自身の好きな映画監督が載っていますが、タルコフスキー、ビクトル・エリセとあり、何となく納得してしまいました。彼らの共通点は、描かれる映像の一つ一つが詩的、もしくは抒情的であることだと思います。その為、描かれる表情や自然には監督自身の感情が投影し、一見何ひとつ無駄のない映像のように見える場面でも、時として観客にとっては難解で陳腐なものに映ってしまう場合があるのも事実だと思います。

なので、これまで僕は河瀨さんの映画をあまり人に勧めたことがありません。カンヌでグランプリを受賞し一時時の人のような扱いをされた時でも、周りの人にもことさら勧めたりはしませんでした。


番組では、河瀨さんの生い立ちから今までの流れの中で、映画監督としての顔とその反面非常に気さくで男っぽい性格に焦点を当てていましたが、僕自身は今後もあまり人には勧めないと思います。でも、こうしてブログに書くと言うことは、やはりいろいろな人に知ってもらいたいのかもしれません。

とても好きな映像作家ですので、なおさら微妙です。

2009年6月29日月曜日

蜷川実花さん


先日蜷川幸雄さんの話に触れたので、娘さんのことも話しておかないと不公平ですよね。
彼には確か2人の娘さんがいるのですが、写真ギャラリーをしていますので、長女で写真家の蜷川実花さんについてです。

蜷川実花さんと言えば、2000年度の木村伊兵衛賞をHIROMIX、長島有里恵さんと同時受賞し、”ガーリー・フォト”の代表としての印象が強いですよね。実際、1996年に写真新世紀、ひとつぼ展で同時受賞もしていますし、その後のマスメディアの対応もそうでしたから、世間の方もその形容で捉えていたと思います。

2008年東京オペラシティーで開かれた回顧展”蜷川実花展-地上の花、天井の色-“では、”ガーリー・フォト”から進化した姿を、テーマごとの作品を通して感じることが出来ました。

蜷川さんと言えば、強烈な色彩で彩られたものをイメージしますし、確かに直感的に蜷川実花、あるいは蜷川実花風と分かってしまいます。2007年六本木アクシス・ギャラリーで開かれた”ゼラチンシルバーセッション展”での、藤井保さんと同一ネガでプリントした作品を見たときも、その印象は拭えませんでした。

しかしながら、そう言う手法や技術は蜷川さん自身の個性として強く観客に訴えかけるものであり、決してマイナス要素にはならないと思いますし、なにより彼女自身のエネルギーを直に感じます。

1998年に出版された初めての写真集”17 9 ’97―Seventeenth September ninety‐seven”では対象がセルフヌードであったり、自分の身近な環境のものだったのですが、2000年以降の作品にはほとんどその傾向は見られません。その辺りも作家としての彼女の強さではないかと思ったりします。

”蜷川実花展”は、2009年4月の岩手県立美術館から始まって、2010年3月まで全国4ヶ所で巡回展が開かれます。是非とも、蜷川さんのパワーを全身で浴びてほしいと思います。

個人的には、初写真集の蜷川さんの不安げなセルフ・ポートレートも好きです。

ギャラリーにお越しの際、お声を掛けて頂けばいつでもお見せ出来ます。

2009年6月28日日曜日

蜷川幸雄さんそして"さいたまゴールド・シアター"

蜷川幸雄さんが主宰をしている"さいたまゴールド・シアター"が、彩の国さいたま芸術劇場小劇場で現在公演をしています。(7/1まで)正式公演としては今回で3回目になります。

演目は、"アンドゥ家の一夜"と言い、ケラリーノ・サンドロビッチさんが書き下ろした新作を蜷川幸雄さんが演出するという、ほとんど考えられない組み合わせのものです。第1回公演が岩松了さんの新作でしたし、その公演を観に行ったケラさんは自身のブログでも絶賛していましたからね。と言っても、僕は今回観られないので、テレビ放映してくれないか願っているだけですが。

"さいたまゴールド・シアター"は、2006年に蜷川さん自ら選抜をして結成された、平均年齢70歳の劇団です。55歳以上の一般人を対象に募集したところ、約1200名の応募があり、その中の48名(現在は42名)が選ばれました。経歴はさまざまで、ほとんどの方はこれまでに演劇経験など無い人達です。そのメンバーと1年のレッスン期間を置き、中間発表会を経た後、2007年6月に第1回公演を行いました。

実は僕は彼らを生では観たことがありません。第1回公演の準備の様子を映したドキュメントとその公演をテレビ番組として見ただけです。1年間で何が出来ると言ってしまえばそれまでですが、劇団員の表情や蜷川さんとの接し方を見ていると、まさに俳優そのものであるように、僕の眼には映りました。実際、芝居から受ける印象は、その年齢や芝居経験の浅さを感じさせない程熱いものでした。

蜷川さん自身現在73歳で、年間10本以上の演出を行っている化け物のような方ですが(大変失礼な言い方ですが)、劇団員の方々は素人でしかも70歳近い年齢ですから、これは尋常ではありません。芝居として成立させること自体冒険だったと思います。

第1回公演"船上のピクニック"と第2回公演の清水邦夫作"95kgと97kgのあいだ"は、職歴など、劇団員の過去の経験を生かしたキャラクター設定とその身体表現で高い評価を受け、"95kgと97kgのあいだ"は国内外を代表する現代舞台芸術が集う祭典「フェスティバル/トーキョー」(2009年3月)に招聘されました。

ドキュメント番組の中で、稽古途中に劇団員の女性が、私にはこの状況でこのセリフは言えないと蜷川さんに話す場面があります。蜷川さんは、自分よりも年長のその女性に対し、自分の枠だけの考えだとその中でしか演技は出来ないし、台本に書かれたフィクションに意味を見出し(想像力)て行かなければ、他者との関係や繋がりを拡げることも出来ない。僕は99%台本に忠実に行う。それが僕の演劇哲学でもあると話していました。

これは、とても意外なことでした。セカイのニナガワと言われ、稽古場での厳しい言葉や行動が世間ではややもすると誇張気味に語られていた人ですからね。蜷川さん自身脚本は書かれないので、プロの演出家として作家を認めている(受け入れる幅が広い)から言ったのだと思いますし、逆に言えば、そういう作家としか仕事をしていないのでしょう。

いずれにせよ、"さいたまゴールド・シアター"は現在日本で最も刺激的な劇団のひとつだと言えます。

そして、個人の可能性は一つの意志の前では決して年齢には依存しないと言うことです。

また蜷川さんにとっては、シェークスピア全演目公演に並ぶライフワークなのかも知れません。
今後の活動を期待していますが、本を書く人は大変でしょうね。

今までの正式公演は、劇団員がほぼ全員が出演しているのですから。

2009年6月27日土曜日

色・・・いろ

6/19から日本マクドナルドが、 クォーターパウンダー「日本バラ色計画」キャンペーンを実施していますね。ニュースリリースのページでは、「キャンペーンの今回の計画について、「日本バラ色計画」は、“バラ色でいくぜ”という「BIG MOUTH!」を掲げ「クォーターパウンダー」を食べて、不況で暗くなっているニッポンを明るく幸せな“バラ色”に塗り替えていこうという計画です。」とあります。

僕自身はほとんどマクドナルドには行かないのですが、テレビコマーシャル等を見ると、何となく元気が出てきますね。色彩は人の心、感情に直接的に影響を与えるものですし、とても明確で、素敵なコンセプトだと思います。

テレビコマーシャルは、安室奈美恵さんが自分自身と戦い、最後は自分を超えて行くと言った造りをしていますが、実写とCGを織り交ぜ、しかもモノクロで展開するクールさは見事です。

それにしても、マクドナルドと言って即座に思い浮かぶ色は赤ですよね。コーポレートカラーとして長年使用していましたから、今回のキャンペーンは期間限定とはいえ、非常に大胆で冒険的なものだと誰しもが思うところです。しかしあえて、その色を変えてでも”日本を明るく幸せなバラ色に変える”というメッセージは単純に嬉しい感じがします。

今、ギャラリーの中はモノクロームの世界です。

モノクロームを直訳すると単色になりますが、実際は白と黒、そしてその中間であるグレーを始め、トーンの差により無限の色を表出させているわけです。その効果は、現実として人が見ている色彩の世界から、非現実の世界へと導いてもくれます。それでも写し出されたイメージは、確実にそこにあった事実なのです。だから、ある人はまだ生まれていなかった時代のイメージに妙に懐かしさを感じたり、逆に色彩の無い世界にその時の色や温度や光りを感じるのでしょう。


そんなことを考えていると、普段何気なく見ている色って、とても不思議に思えてきます。

2009年6月26日金曜日

HOPE 空、青くなる


ハービー山口さんの写真集”HOPE 空、青くなる”が、6月18日に発売されました。
ハービー山口さんは、写真を通して人々の気持ちをポジティブにし、そして人々の心に希望が溢れ、安らぎを取り戻し、優しい社会になることを願い、作品を発表し続けている作家です。
全点モノクロでセレクトされた一つ一つのイメージは、観る者に直接響き、心暖まるものばかりです。

また現在、川崎市民ミュージアムで、”ポートレイツ・オブ・ホープ ~この一瞬を永遠に~”、 東京銀座RING CUBEで”the Roots ~CHEMISTRY~”、丸の内新東京ビルにある丸の内カフェで”ルクセンブルク in 丸の内”の関連企画として、それぞれ写真展が開催されています。

3会場で同時期に行われることは、あまり聞いたことがありません。
近隣の方は是非観に行って下さい。
そうでない方は今は写真集を手に取ってみて下さい。
忘れかけていた大切なものが見えるかもしれません。

そして今秋になりますが、当ギャラリーでもハービー山口さんの企画展を予定しています。
その際は是非オリジナルを観て頂きたいと思います。

2009年6月25日木曜日

”イル・ポスティーノ”

“1Q84” 1,2巻本日同時購入しました。

いやぁ、厚いです、重いです!!

ネット上では様々なレビューやコメントが飛び交っていますが、気にせず1000ページの大作をゆっくりと楽しみたいと思います。

1984年で思い浮かぶのは、ジョージ・オーウェルの小説やその映画です。たしか、ヴァン・ヘイレンも同じタイトルのアルバムを出していたような気がします。

映画”1984”の監督は誰だったろうと調べてみると、マイケル・ラドフォードだったのですね。日本では2005年公開されたアル・パチーノ主演の”ヴェニスの商人”が最近の作品ですが、代表作は何と言っても”イル・ポスティーノ”だと思います。

なんか、出だしと違った方向に行っていますが、今日はこの映画の紹介をします。

”イル・ポスティーノ”は、1994年制作のイタリア映画です。題名は日本語では郵便配達人を意味します。簡単に書いてしまうと、1950年代イタリアのとある小島が舞台で、チリの反体制派の著名な詩人とその詩人に手紙を配達していたどこにでもいるような普通の青年との心の交流を描いたものです。

この映画の良い所は、”すべてにおいて美しい”の一言に尽きると思います。綴られる言葉、描かれる自然の描写、一音一音染み入るような音楽、すべてが調和しているのです。後半部に好き嫌いが分かれると思いますが、生きることの哀しみと素晴らしさを自然に感じられる映画です。

主人公の若者を演じたマッシモ・トロイージ(イタリアの喜劇俳優ですが、この映画ではとてもそうは見えません。)は、心臓に持病を抱えながら撮影に挑み、ロケ中に倒れてしまいます。そして、”今度は僕の最高のものをあげるからね”とスタッフに言い残し、撮影後間もなく亡くなったことはとても有名な話です。またもうひとりの主役であるフィリップ・ノワレの存在感ある演技も素晴らしいです。(”ニュー・シネマ・パラダイス”に出演、2006年に亡くなっています。)

詩というものを通し浮かび上がる言葉の力強さ。

それら珠玉のような一言、一言により表現される日常の情景や心の機微。

眼に見えるものだけが真実ではないことを再認識出来ます。


晴れた日の午後、ゆったりとした気持ちで見てほしい映画です。

2009年6月24日水曜日

polka近況報告




今日は朝から頭痛がします。頭痛持ちではないのですが、忘れた頃に顔を出します。
梅雨時で気温が変動しがちですので、色々と注意して行きたいと思っている次第です。
そんなわけで、あまり考えがまとまりそうにないので、今日はもう一人(一匹?)の住人であるpolkaの近況報告をします。

早朝に鳴きはしますが、相変わらず元気でいます。僕が部屋にいる時は大抵ソファーが定位置で、表を眺めたり、寝たりしています。
小さい頃は僕がソファーで寝たりしていると、体に乗ってきたりしていましたが、ここ数年は我関せずといった感じです。もう11歳ですから当たり前ですけど。

また、猫は夜行性と言われていますが、こいつは昼も夜もよく寝ます。環境が変化したこともあるのか、良く食べてもいますね。以前はいわゆる猫食いそのもので、気が向いたら食べ、キャットフードが乾燥してしまうと見向きもしなかったのですが、最近はそうでもなく、餌をたびたび交換することもありません。お腹のたるみも一層大きくなっているようです。

時々、以前の写真を見ますが、あまり変わっていないように思います。毎日一緒にいるとその変化に気付かない場合がありますが、純粋に変化が少ない印象です。老いていくのは自分ばかり、そんな気さえします。

でも、僕自身は年を取ることはそれ程悪いものではないと思っています。いまさら若かったあの頃に戻りたいとも思いません。結局、その瞬間を生きていくことが、生きているもの全てに共通しているものですからね。

2009年6月23日火曜日

展示の見直し

昨夜の雨とうって変わり、今日は朝から初夏を思わせるような天気です。風が強いのと湿度が高いのが少し厄介ですが、まあ雨よりは良いですね。

ギャラリーの中は半地下の影響もあり湿度が高めになるので、昨日は休みだったのですが午後からドライで乾燥していました。今回の展示は、デジタル作品を直に壁に留めているので、湿度が問題です。

主にコットンベースの用紙を使用していますので、湿度によりたわみが発生してくるからです。と言う訳で、今日の午前中は全点展示の状況を見直しました。久々に脚立を取り出して来て、たわみを起こしているものを全て取り付け直しです。1時間30分程掛かりましたが、精神衛生的にはすこぶる良好になりました。

やはり当たり前ですが、よい状態で作品を観ていただきたいですからね。全体をもう一度眺めながら、どことは言いませんが、以前とても著名な美術館で1m×1m程度の額装された写真作品が波打っていたのを見て、とても悲しい気持ちになったことを思い出しました。そんな思いはしたくないので、これまでもそうでしたが、毎日の確認は今後欠かせない日課の一つになります。

さて、ギャラリーがオープンしてから、約1ヵ月が過ぎましたが、来てくださったほとんどのお客様は展示されている作品や内容に満足されている様子です。今日はお客様のアンケートでの感想を一部ご紹介します。


○時代に沿いつつ同時代を輪切りにしている。その切り口にフレッシュな感覚を覚えました。

○今回の写真展、すごく良いです。うめつくす感じが圧倒的で、サイズのまちまちなところ、見にくい所にも写真があるところも含めて、すごく好きな展示でした。

○写真は記憶についてのメディアだと改めて感じた。

○オリジナル・プリントがこうして見られる場所があるのは、とても嬉しいです。有名・無名問わず、どんどん見たいです。

○モノクロに逢えて良かった。


まだまだ、仙台でも無名の小さなギャラリーですが、オリジナルで、そして質の良いものを出来る限りお見せしていく予定です。
是非、お気軽にお立ち寄り下さい。

2009年6月22日月曜日

紫陽花


雨上がりの曇り空の下、朝から北山5山の一つである資福寺へ行ってきました。北山5山とは文字通り仙台北部にある北山一帯に点在する5つのお寺の総称です。ギャラリーからは、自転車で10分程度と比較的近くにあります。

資福寺は仙台では紫陽花で有名なお寺です。境内には約1200株の紫陽花があり、あじさい寺と呼ばれています。あじさい寺と言えば北鎌倉の明月院を思い起こしますが、全国各地にそのように呼ばれているお寺がたくさんあるようです。

物の本によると、紫陽花は梅雨の頃に咲き、気温の変化が激しい時期であったため医療の発達していない時代には、多くの病人や病気による死者が出たそうです。そのために、寺によっては死人に手向ける花とも呼ばれ、過去に流行病等があった地区の寺に多く植えられていたそうです。

山門に入る前の参道両側のほとんどが紫陽花です。まだ少し早かったようで、すべてが咲いているわけではありませんでした。山門を抜け、正面にある本堂までの空間は小路にしつらえ、路に沿って色とりどりの紫陽花が植えつけられています。ほぼ等間隔で並べられたベンチもあり、ゆっくりと見られるようになっていることに、押し付けではない優しさを感じます。

又、山門と本堂の途中の仕切られた空間に、枯山水の庭があります。残念ながら、中に入ることはできなかったのですが、入口の格子戸を覗き込むと、白砂は雨に濡れやや灰色がかっていましたが、確かに枯山水でした。枯山水の庭は回遊式庭園と違い、散策等せずに室内から静かに対峙し眺めるものです。そして、白砂に置かれた大小さまざまな石は、その組み合わせや置き方により一つの観念的な世界を作り上げます。

そして、本堂の前面を覆うように竹林がありました。天にすくっと聳え立つように伸びている竹林は何故か潔く、心が洗われる感じがします。
こういう場所に来ると時間が止まりますね。見頃前だったので、ほとんど人がいなかったことも一層そんな感じにさせてくれます。

上の紫陽花は本堂裏にある民家に咲いていたものです。そのご主人と話をしたところ、非常に珍しい種類のようです。僕は花には詳しくないので良く分からないのですが、そう言われると何となくガクの形が違うように見え、妙に納得してしまいます。

その方も写真が趣味らしく、動物の写真を撮っているとおっしゃっていました。こんなギャラリーをしていますと案内状を渡すと、へえと言って、詳しい場所を聞いてこられ、今度観に行きますと言って下さいました。思いがけないことでとてもうれしくなってしまいました。

帰りに子供の頃よく遊んだ青葉神社に寄ってみました。周りのお店や町並みはすっかり変わっていましたが、深い樹木で暗くなった石段の参道を登っている内に40年前頃の記憶が不思議と蘇ってきました。この近くの友達の家に遊びに行き、その子と下の公園で野球をしたこと、神社のお祭りで買ったベッコウアメの甘さ、参道に沿って繋がった出店の赤い提灯に何故か心躍ったこと。それは、当時は本当に些細な事だったのですが、今も記憶の引き出しに残っていたのですね。


2009年6月21日日曜日

日向敏文

以前、ギャラリー開廊時にCSN&Yの"Deja Vu"(デジャ・ヴ)を流していることを書きましたが、上のイメージは誰もいないギャラリーで一人準備をしている時などに聞いているアルバムです。2007年にソニーからオーガニック・スタイルという企画盤の一つとして発売された日向敏文 the BEST ~In the Twilight~と新譜の"ISIS2"です。

日向敏文さんは、1980年代に東京ラブストーリーを始めとするテレビドラマや多くのCMへの楽曲提供、プロデュース業と幅広く活躍されていました。その後表舞台からはすっかり姿を消してしまっていましたが、2006年に自身のレーベルを立ち上げ、公式サイトも出来ました。それでも当時のレーベルだったアルファーレコードはもう無いので、初期のアルバムは残念ながら廃盤になっています。
ネットでも情報を取れてなかったのですが、ようやく公式サイトを見つけ、このアルバムが発売されたことと同時にピアノ・ソロアルバム"ISIS2"も自身のレーベルから発売されることを知り、同時購入したものです。

日向さんのアルバムは、デビューアルバムの"サラの犯罪"、2ndアルバム" 夏の猫"と言う初期のものが好きでした。そして、ピアノ・ソロアルバムの”ISIS”を聞いたときは、鳥肌ものだったことを今でも鮮明に覚えています。

また、このアルバムは、いわゆるニューエイジものとして捉えられそうですが、実は全然違います。楽曲は全てインストメンタルですが、まるで物語を語るように聞く人に迫ってくる感じがします。そして日本人離れしたどことなく退廃的で斬新な音作りが、いつのまにか違う世界へと入っていってしまうような錯覚を覚えさせるのです。

収録された多くの曲は20年以上前に作られた曲ですが、今でも古臭さを感じさせません。

Amazonでも試聴出来るはずですので、興味のある方は聴いてみてください。


日向敏文公式サイト
http://www.toshifumi-hinata.com/

2009年6月20日土曜日

2008年観劇記録

今日は今更と言われそうですが、2008年に観に行った芝居の中で、印象に残った作品を挙げたいと思います。

○”春琴” サイモン・マクバーニー 世田谷パブリックシアター
○”顔よ” ポツドール 本多劇場
○”どん底” ケラリーノ・サンドロビッチ シアターコクーン
○”焼肉ドラゴン” 鄭義信 新国立劇場小劇場
○”父と暮らせば” こまつ座 紀伊国屋サザンシアター
○”まほろば” 蓬莱竜太 新国立劇場小劇場
○”sister” 長塚圭史 パルコ劇場
○”人形の家” デヴィッド・ルヴォー シアターコクーン
○”シャープさんフラットさん” NYLON100℃ 本多劇場
○”The Diver(ザ・ダイバー)” 野田秀樹 シアタートラム
○”幸せ最高ありがとうマジで!” 本谷有希子 パルコ劇場
○”太鼓たたいて笛ふいて” こまつ座 紀伊国屋サザンシアター

演目の後ろは劇団名もしくは作・演出家で、順番は優越ではなく、観に行った順番です。
そしてあくまでも私見です。書いているうちに、やっぱり偏っているな(作家や出演している役者や会場等を考えると)と自分でも感じました。

ひとつひとつの感想や印象についてはおいおい書こうと思いますが、今回は2作品について紹介します。
本谷有希子作・演出の”幸せ最高ありがとうマジで!”と蓬莱竜太作・演出の”まほろば”です。実はこの2人は、この作品で2009年岸田國士戯曲賞に選ばれています。岸田國士戯曲賞と言うと、写真では木村伊兵衛賞に当たるのではないでしょうか。いつも演劇界の芥川賞と称されます。(○○界の芥川賞と言う表現がとても多いですが)2人共ここ数年何度かノミネートまではされていましたが、今回めでたく同時受賞となったわけです。

本谷さんの方は、文筆・ラジオ等メディアでも取り上げられているので、ご存知の方もいらっしゃると思います。映画にもなった”腑抜けども、悲しみの愛を見せろ”が演劇でのデビュー作で、女の病気シリーズと銘打って5作程上演をしていました。自身の容姿からは想像出来ないようなどろどろとした女の情念や妄想、倒錯した姿を描いていました。本作も強烈な個性の女性が主役で、最後はちょっと悲しい気分になりました。

一方、蓬莱さんは劇団モダンスイマーズの座付き作・演出家で、劇団全公演を行いながら、舞台版”世界の中心で、愛をさけぶ”や”東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~”と言った話題作の脚本・演出もしています。モダンスイマーズでは骨太の作品が多かったのですが、外部演出によりその幅が拡がっているように見えました。今回の受賞作は、出演者が女性だけの3世代の物語で、よくもこんな台詞や感情表現を演出出来るものだと感心させられました。

岸田國士戯曲賞に対する世間の評価もさまざまですが、それぞれにオリジナリティーがあり、まだまだ若い(本谷さんは来月30歳、蓬莱さんは33歳)作家なので、その可能性がますます伸びることを期待しています。

次回公演予定です。
劇団本谷有希子 ”来来来来来” 本多劇場 7月31日~8月16日 
その後地方公演がありますが、残念ながら仙台では無いようです。
モダンスイマーズ10周年記念”血縁~飛んで火に入る五兄弟~” 赤坂レッドシアター 
7月17日~8月2日

興味のある方は一度観に行って下さい。
芝居は生ものですから。

2009年6月19日金曜日

”見えるものと見えないもののあいだ”


昨日の谷崎潤一郎繋がりで、僕の好きな作家を紹介します。

女性作家の米田知子さんです。

1965年兵庫県明石生まれの米田さんは、イギリス、ロンドンを拠点に活躍されています。最近では、2008年の9月に東京北品川にある原美術館で大規模な個展”終わりは始まり”を開催しました。

米田さんの制作テーマは、”記憶”と”時間”だと言われています。言い換えると、”見えないものを見る”視線とそこに派生していた出来事と時間との関わりだと思います。米田さんは実際に撮影を行う前に、場所や歴史を入念にリサーチします。そうして、出来るだけ客観的な情報を得た上で、自身の感情や意識を介在させずに、写真と言う手段を用いて一瞬を剥ぎ取るようなやり方で制作しているように、僕には思えます。

上のイメージは、”見えるものと見えないもののあいだ” と言う代表作の中の一つです。これは、歴史上の人物が実際に使っていた眼鏡のレンズを通して、彼らに関係のあるテキストまたは写真などを見るという手法で制作されています。

谷崎潤一郎が夫人の松子へ宛てたラブレターを、彼自身の眼鏡を通して見た瞬間を捉えています。二人の間にある歴史や時間は、周囲には決してうかがえない”見えないもの”ですが。四角いレンズを通して書簡を見ると、何かその”見えないもの”が浮かび上がってくるように思えます。また、谷崎潤一郎の筆跡はとても流麗で、趣があり、ぼんやり映し出された眼鏡のツルの部分が一層見る者に時間の流れを感じさせます。カメラはハッセルブラッドで、自然光と資料室の明かりだけで撮影されているそうです。

”終わりは始まり”を開催した原美術館は現代アート系の作品を展示、所蔵している美術館ですので、その意味でも米田さんの作品が単純な写真作品として捉えられていないことがよく解ります。もちろん、プリント自体も素晴らしいです。

ちなみに、原美術館はとても好きな私立美術館のひとつで、一階のカフェでは中庭を見ながら食事も出来ます。群馬県渋川市の伊香保グリーン牧場内に、別館のハラ・ミュージアム・アークもあります。全体が黒塗りの板張りで作られた建物は、周りの緑とのコントラストが映え、とてもきれいでした。また、牧場でのアイスクリームが格別だったと記憶しています。もう一度行ってみたい場所です。

2009年6月18日木曜日

陰翳礼讃

僕の住んでいる部屋は、おそらく一般家庭の部屋と比較すると非常に暗いと思います。これは暗い雰囲気、気分になるということではなく、単純に暗いのです。ギャラリーから夜戻ると、先ずテレビを付けます。それから一灯のスポットライトを付けるだけです。他に照明がないわけでは無いのですが、大抵はそんな感じです。

多分大概の人には眼を悪くするとか言われそうですが、その方が落ち着くのでそうしているだけです。最近は間接照明も一般家庭に入りだし、明るさ一辺倒の状況から変わってきていると思いますが、やはり明るい部屋を好む人の方が多いと思います。僕も以前はそうでしたが、東京で最後に引っ越した時からそうなってしまいました。

谷崎潤一郎の随筆に”陰翳礼讃”と言うものがあります。とても有名な本なので、ご存じの方もいらっしゃると思います。その本の一節にこのようなことが載っています。

 「美というものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った」

谷崎潤一郎は、薄暗くて、清潔で、静かなところに日本の陰翳の美はあらわれると言い、事実、昔の日本家屋はそうであったのではないかと思います。生活環境も変わり、そうもいかなくなったのでしょうね。それでもこの本は照明・建築関係の方には、今でもかなりの確率で読まれているようです。

又、”陰翳礼讃”と言えば、杉本博司さんの作品にもあります。闇の中の一本の和蝋燭が燃え尽きるまでを長時間露光して撮影されたもので、光の帯と影だけを写し撮ったものです。実はこのオリジナル(だと思いますが)を観たのは、”春琴”という芝居が行われた世田谷パブリックシアターのロビーででした。
上演された”春琴”は谷崎潤一郎の”春琴抄”と”陰翳礼讃”をモチーフにして、イギリス人演出家のサイモン・マクバーニーが日本の役者を使い制作されたものです。2008年に初演、その後イギリス公演を経て、2009年3月に日本で再演され、大変好評を博した作品です。

日本の大御所である杉本さんとイギリスの気鋭の若手演出家とが、同じテーマでコラボしているようでとても興味深かったし、まさか芝居の会場で杉本さんの作品が観られるとは思ってもなかったので、何か得をした気分で帰ったのを覚えています。

もちろん芝居も非常に面白く、2008年では5本の指に入るものだったと思います。


そんな理由で、部屋を暗くしているわけではないのですが、しばらくはこの状態は続いていくと思います。


そう言えば、U2のニューアルバム”No Line On The Horizon”のジャケットに、杉本さんの”海景”が使用されていましたね。

2009年6月17日水曜日

傘がない

昨夜の関東地方でのゲリラ雷雨はすごかったですね。ニュースで流れる渋谷の様子は、まさにバケツをひっくり返したような状態でした。仙台は梅雨らしいシトシトとした雨でしたが、それでも傘を差して歩いているのはちょっと鬱陶しいです。

僕が外出するときは大抵両手が使えるようにとショルダーやトートバッグを持ち歩いていますが、雨が降ると傘で片手がふさがってしまい、それだけでテンションが下がってしまいます。だから、新宿とか地下街がある場所に出かけた時は、出来るだけ傘を使わないように目的地まで行くことを考えていました。もちろん傘は折りたたみで、カバンにすっぽり収まってしまうタイプです。

最近の折りたたみ傘は非常にコンパクトで邪魔にならないので、時々カバンに入れたつもりで出かけ、いざ雨が降ってきた時に入っていないこともよくありました。そのたびに駅やコンビニでビニール傘を買ってしまい、いつしか玄関の傘立ては一杯になってしまいました。それでも引越しの時に2、3本を残して処分したので、今はすっきりしていますが、たぶんまた増えていくような気がします。

だいぶ前振りが長くなってしまいましたが、傘で思い出すのが、井上陽水さんのファーストアルバム”断絶”に収録された”傘がない”と言う曲です。たしか、1972年ころに初めて聞いたと思います。僕はまだ中学生で、歌詞の意味は良く判りませんでしたが、それほど早熟ではなかった僕でもとても切ない気持になったのは覚えています。

その頃はフォーク・ブームでした。しかもほとんどのミュージシャンはテレビには出演しなかったので、彼らの生の声を聞く手段は主にラジオでした。特に地方に住む若い人たちはそうだったのではないでしょうか。
当時のフォークソングの多くはメッセージ性の強いものでした。”傘がない”もやはりそうだったと思います。歌詞は、若者の自殺のニュースから始まり、愛する彼女に会いに行きたいけど傘がない、それが今の自分にとって巷で流れる自殺のニュースよりも大事なことだという、一見利己主義でセンチメンタルな印象があります。

しかし、その時の社会状況を考えるとそれだけの歌とは思えません。急激な高度経済成長により生活の質が上がり、同時に周りは競争社会へと変貌し、人々の中にも徐々に不公平さが感じられるようになりました。そして、東大安田講堂事件を頂点に、若者の社会に対する考え方に変化が現れるのです。それが、”シラケ”であり、自身の関心も”社会”から”自分”へと向けられるようになったのです。

僕は“傘がない”と言う曲は、歌詞に使われるあいまいな言葉をメタファーとすることで、時代の風潮に対してのアンチテーゼとして発表されたのではないかと思う一方、単純に愛する人に対してのセンチメンタルな心情を歌った曲だとしても良いと思っています。


とらえ方は人それぞれです。

傘がなくても、雨に濡れても、愛する彼女に会いに行けば良いのです。
今がそんな時代だと思うのは、僕だけでしょうか。

2009年6月16日火曜日

イッ才ガッ彩

昨日、富士フィルムフォトサロン仙台で開かれている日本デザイナー芸術学院仙台校写真展”イッ才ガッ彩”を観に行きました。日本デザイナー芸術学院仙台校は、東北では唯一、写真学科のある専門学校です。岩手・宮城内陸地震から1年を迎えたのに合わせ、被災地の復興を願うために企画された立体写真と一緒に、専門生による”色”をテーマにした作品とそれぞれのフリー作品が合わせて約20点展示されていました。

一口に”色”と言っても、とらえ方は人それぞれです。色はその彩度や明度が重なり合うことで無限に拡がります。また、撮る側の視点や発想によって、一つとして同じ色がイメージ出来ないのも難しい所ですね。

画家であるゴッホは、自分は見えるものしか描くことが出来ないと話していたと言います。つまり、そこに描かれている色彩もゴッホの眼に映ったものであるという事です。肖像画に描かれた背景のブルーであるとか、ゴッホには実際そう見えていたものを、他人も同じように感じるかというとそうではないのです。

又、このようなテーマのある写真展は、ある意味商業写真での制作と似ているように思えます。企画を立てる人、構成を考える人、実際に写真として撮る人、セレクションする人などいろいろな人との関わりから、きちんとしたイメージを作っていきます。それは個人の表現というより、むしろ共同作業として成立します。だから、他者の意見をちゃんとくみ取り、それでいて自分ともしっかり向き合っていくことが必要となってくるのです。

プロの作家の条件のひとつとして、技術やセンスだけではなく、相手を受け入れる懐の広さ、人柄の良さがあると、僕は思っています。また、若い時期に良くある感性の押しつけのような作品を個人的にはあまり好みません。そういう意味では、個々の優しさが感じられたとても良い写真展だったと思います。
フリーの作品もありますので、また違った個性が観られます。

残念ながら、本日12日が最終日です。
お近くの方は、若い感性で”色”という非常に難しい命題に取り組んだ作品をぜひご覧になって下さい。

2009年6月14日日曜日

あの日の彼、あの日の彼女。

横木安良夫写真集 “あの日の彼、あの日の彼女。1967-1975”の巻末に、直木賞作家角田光代さんのショートストーリーが掲載されています。題名が、”あの日の彼 あの日の彼女” となっています。1967-1975にあった出来事をモチーフにしていて、年齢の違う5人の登場人物それぞれの想いを、青春グラフィティーのように描かれています。

モチーフになっているのは、リカちゃん人形(具体的には載っていないですが)、アポロ11号月面歩行、初めて日本に来たパンダであったりして、登場人物の感情には何故かとても共感を覚えてしまいます。
特にノストラダムス大予言の1999年地球滅亡の年に32歳になる少年とそのクラスメートとの会話の中で、世界が終わることがなんとなく想像できても、自分が32歳になることが信じられないと言うくだりがありますが、そのことはとても理解できます。僕自身と年齢が近い少年であったことと、その少年が帰宅後、そんな事も忘れ、野球をしに飛び出して行くあたりはそのままだったような気がします。

又、写真集に掲載されている作品は、写し出された人々の”あの日”ですが、それらを今見る人は、時代や場所を超越して、それぞれの”あの日”を想い起こすことが出来ると思います。、そして、これらのショートストーリーがそのエッセンスにもなっています。

最後は宣伝になってしまいますが、写真と文章とを混在させた本は、色々と出版されています。
それでも、その程よさやトータルでの完成度という点で、この写真集は秀逸だと思います。
残念ながら、現在はほとんど入手出来なくなっています。
特装版は現在当ギャラリーでのみ販売しています。
是非、この機会にお買い求め下さい。

2009年6月13日土曜日

井上ひさしさんと言う人

今日の仙台は昼近くから一時雨が降り出し、半袖では少し肌寒い感じです。現在は止んで陽が差していますが、天気予報ではまた降るようです。梅雨なんですね。僕は仙台で高校まで過ごし、大学は雪深い山形で暮らしていたのですが、東京での28年の間にすっかり寒さには弱い体質になってしまいました。ギャラリーが半地下にあることをかつて何度か書いていますが、外の気温と比べると2~3℃程度低く感じます。夏に向けては問題ないですが、冬場は寒い期間が長いかなと思っています。

話は変わりますが、2月初め公共手続きに区役所に行った際、雪交じりの通り向いに仙台文学館の垂れ幕を見ました。仙台文学館は初代館長を井上ひさしさんが務め、今年で10周年を迎えるそうです。その記念として”井上ひさし展 吉里吉里人国再発見”と言う企画展を行うと記されていました。(3/28~7/5)

井上さんは僕の好きな作家の一人で、ここ数年は芝居で触れていました。それにもかかわらず、その垂れ幕を見るまでは、井上さんが仙台ゆかりの人であることをすっかり忘れていました。
井上さんご自身はその言動によりさまざまに解釈され、世の人も好き嫌いがはっきりしているのではないかと思いますが、僕は単純に、作家として40年に渡り色々な話題作を発表し続けていることに感心してしまいます。しかもその完成度の高さは、現在の日本の劇作家の中でも第一級であると思います。

井上さんの戯曲の中にはよく伝評物がありますが、それを完成させるための膨大な資料とその資料に付けられた付箋の多さに驚かされたことがあります。その為か、筆の進みは極めて遅く、自ら”遅筆堂”とのペンネームを冠しています。公演延期になることもたびたびですが、井上さん自身は悪びれることなく、役者もそんなものだと理解を示しているのも面白い所です。

2007年公演”ロマンス”(これも最終稿が公演1週間程度前でした)の中で主人公であるチェーホフに、「人はもともと悲しみを持って生まれ落ちる。でもその内側に笑いは備わっていない。だから自分の手で作り出し、分け合い、持ち合うしかありません」と言わせています。これは、井上さん自身が小説や戯曲を創作する上での基本的な考え方だと思います。また、NHK BSで放映された100年インタビューでも、笑いにより人と人とのむき出しの衝突が避けられ、そして余裕が生まれ、結果として生活の質が良くなるようにしたいと話されていたと記憶しています。

あらゆる表現者はその創造物に対して明確なビジョンを持って発表していくものだと僕は思っています。そしてそれは、いわゆるアーティストと呼ばれている人だけではなく、いつも身近にいる人たちであっても良いと思うのです。

何か今夜は、まだ引越し荷物に隠されたDVDを掘り起こして、井上さんの芝居を観ようかと思っている次第です。

2009年6月12日金曜日

志賀理江子さん

2008年木村伊兵衛賞受賞の志賀理江子さんが、宮城県名取市北釜地区にアトリエを構えたとの記事が6/10付の河北新報に掲載されました。名取市は宮城県南部に位置し、仙台とは南東で隣接し、近くには海岸もあり自然にも恵まれています。また、仙台空港もあり、2年前の空港線の開業により仙台市内へのアクセスは非常に良くなりました。

志賀さんと仙台との関わりは、2006年に仙台メディアテークで企画・開催された"Re: search オーストラリアと日本のアート・コラボレーション"展の出品に当たり、仙台に滞在し、地元の方に質問を行いながら撮影を行った時からだと言います。その時の作品は、木村伊兵衛賞受賞作でもある写真集"CANARYカナリア"にも入っています。

志賀さんはこれまでイギリスを拠点とし作家活動をしてきたこともあり、オリジナルで作品を観る機会が僕自身ほとんどありませんでした。受賞作である"CANARY"と"Lilly"と言う2点の写真集での情報がほぼ初めての出会いだったと思います。木村伊兵衛賞後に、新宿コニカ・ミノルタプラザでオリジナルプリントを観た時に、それらは写真表現の枠に捉われず、むしろ現代アートに近い感覚を覚えました。プリントに現われている表現手段は、明らかに再編集されたものであったのですが、その手法はデジタルでのそれとも違うと思いました。
その後、東京オペラシティアートギャラリーでの"トレース・エレメンツ"展、東京都写真美術館での"オン・ユア・ボディ"展を続けて観た時もその印象は変わりませんでした。

HPで経歴を見ると、東京工芸大学を中退してロンドンに渡り、ロンドンチェルシー美術大学に入学し、その後もロンドンを拠点とし活動をしています。その点も考慮すると、作品制作時点での発想が国内の若手作家とは違うのかもしれません。そしてそのことで、われわれ観る側は、作品から受ける世界観を、一つの統一されたイメージとして理解出来るのだと思います。
僕自身は、志賀さんの作品を通して、生と死、瞬間と永遠、過去と未来と言った相反する言葉を、同次元の空間と現実の中に具現化されたイメージとして感じます。

いずれにせよ、このように才能豊かな若い写真作家(まだ28歳とのこと)が当地でアトリエを構え、作品制作を行うことは非常に嬉しいことです。この次は、宮城を始め東北各地で撮影された作品をまとめた個展を是非観たいと思います。

2009年6月11日木曜日

溢れる情報

昨日からギャラリーのある10階建てのビルに、モバイルWiMAXを利用したUQコミュニケーションズ基地局設置工事が始まりました。2.5GHz帯域の認可が下りたのが2007年の暮れですから、約1年半の準備期間を終え、来月から正式サービスを行う為に、現在盛んに工事が行われているようです。一般的に、ワイヤレスブロードバンドと言われているものです。

現行のサービスと大きく違う点は、その伝送速度です。現在の最高伝送速度は規格上限で28.0Mbpsですが、モバイルWiMAXは75Mbpsとかなり上回っています。簡単に言えば、基地局があればネット環境を意識せず、大容量の情報を受発信出来ることになります。現在携帯電話でネットワークへいつでも繋ぐことは出来ますが、通信速度の問題で利用できるコンテンツやサービスには制限があります。これを解消するのが、この規格とLTEと言う新しい規格だと言われています。
野村総研の予測では、2010~2011年度が黎明期で、普及期は2012年度以降としています。

無線で100Mbps近い伝送速度が可能になると、そのアプリケーションやコンテンツが大きく変わっていくでしょうね。子供の運動会とかの映像を高画質に、しかも遠隔地へライブ中継することも可能になりますから。又、この12年で世の中に出ている情報量は、637倍になっていると言われています。(総務省データ)僕たちは、溢れる情報の波の中にのまれずに、それを取捨選択する能力がますます必要となって来るでしょう。そして、溢れる情報と共に溢れる感動も欲しいものです。

それにしても、上の画像の足場は職人さんが、2tonトラック一杯に積まれた部品をロープで上げながらひとつずつ組んでいました。何か、とてもアナログな場面で、妙に感心してしまいました。


それと、今日からカレンダーをUNIQLO CALENDARに変えました。画像は、都市部の風景がミニチュア化され、しかも動画になっています。2006年木村伊兵衛賞を受賞した本城直季の"small planet"のようですが、動いている分新しい感覚です。又、BGMでは、サキソフォン奏者清水靖晃がフューチャーされています。とてもクールです。カレンダー画像をクリックすると聴けるはずです。

2009年6月10日水曜日

リトル・ダンサー

6月7日 アメリカの演劇界では最高峰であるトニー賞が発表されました。ミュージカル部門では15部門中10部門で"ビリー・エリオット・ザ・ミュージカル"が受賞したようです。"ビリー・エリオット"と言うとお気づきの方もいらっしゃると思いますが、2000年に公開された映画"リトルダンサー"の原題で、つまりそれをミュージカル化させたもので、監督であるスティーブン・ダルドリーが演出を行っています。

スティーブン・ダルドリーと言う監督は、"リトルダンサー"、"めぐりあう時間たち"、日本では今月公開予定の"愛を読むひと"の3作品だけしか撮っていないと思いますが、いずれもアカデミー賞にノミネートされています。アカデミー賞にノミネートされた作品だけがすなわち良い作品とは言えませんが、それでも必ず認められた作品を作ることは非常に困難ですし、素晴しい才能だと思います。もともとは舞台で活躍されていた方なので、本作品の受賞は特に変わったことではないのかも知れません。

さて、映画"リトルダンサー"は、ビリー・エリオット役であるジェイミー・ベルの真っ直ぐな少年の初々しさと愛情溢れる父親の姿がとても印象的だったと記憶しています。父親役の役者の名前が判りませんが、炭鉱不況の中、ストライキする側から子供の学資の為に寝返り、職場へのバスに乗り込む場面やバレー学校の面接に付き添う場面は、思わずグッと来てしまいます。使われている音楽も、T・レックスやザ・ジャムだったように思います。

又、この映画の良いところは、背後にある時代性(政治的背景)をきちんと描きながら、そこで苦しみながらも希望を失わない弱者の立場を、決して暗いタッチではなく、暖かく見つめていることだと思います。これは、"めぐりあう時間たち"でも変わっていないなと感じましたが、おそらく監督自身の想いなのでしょう。そして、夢は見るものではなく、つかむものと実感させられ、元気になる映画でもあります。
オリジナルのミュージカルは観るのが難しいと思いますので、映画の方は機会があれば、是非観て欲しいですね。


そう言えば、先週紹介した"焼肉ドラゴン"が、6月12日(金)NHK教育芸術劇場(22:30~)で放映される予定です。地上波では初めてだと思います。(BSでの放映は昨年ありました)最初の説明はこれまでと同じかも知れませんが、そんな説明がなくても、心に響く舞台です。
こちらも必見です。

2009年6月9日火曜日

オリジナルの強さ

仙台に来てから、4ヶ月が経過しました。来た当初は、一年で一番寒い時期で、28年間東京で過ごしてきた僕にとって、ここが生まれた場所とは言え、寒さの違いが肌で感じられました。昨日、自転車でふらり市内を走っていると、いつのまにか公園の木立にも緑が目立つようになっています。柔らかい風が初夏の雰囲気を感じさせ、もうじき来るであろう梅雨の存在さえ忘れさせてくれるようでした。

たまたま、時間があったので、こちらに来てからとても気になっていたインテリア・ショップに行ってきました。そこは、テナント探しの時に偶然発見したお店で、スポット照明の中、イームズを始めミッドセンチュリーの家具が素敵なまでにレイアウトされていました。しかも、それらのほとんどはオリジナルに見えたので、仙台にこのようなお店があることを嬉しく思ったのでした。

12:00開店のお店を覗き込むと、まだお客さんがいなかったので、入ってオーナーの方とお話をさせてもらいました。聞けば、開店して18年になると言います。これはすごいことです。おそらく、その当時、東京でさえ、個人レベルでこのような家具を扱っているお店は少なかったと思います。今でも一人でやってらっしゃると聞いて、又々驚きです。

そして、何より強く感じたことは、オリジナルであることの強さでした。これは、仙台でのオリジナル(出店と言う意味で)と共に、展示されている家具が発するオーラのようなものです。決して、似たものやコピーではない本物からでしか感じることの出来ないものだと思います。

家具に限らず、日常的に使用する陶器や漆器などの中には、アート作品として充分に値するものが多くあります。たとえそれが工業製品であってもそうだと思います。何故なら、そこには造形美や機能美以上に、作家と言うか作り手の心や想いが見えて来るからです。

そして、それがオリジナルである強さを一層際立たせ、作品自体の魅力になるのだと思います。

2009年6月6日土曜日

「日々是好日」

今日は朝から雨模様で、一日中降り続くようです。このところ週末にかけて天気が崩れるようで、何か心も沈みがちになりそうですが、これから梅雨に入るというのに、これではいけないと自分に言い聞かせている所です。

ネコのpolkaは相変わらず僕を5時に起こしにかかりますが、最近は無視しているので、途中で諦めて寝るようです。彼は雨が降ろうが、お陽様が差そうがお構いなく、ぼんやりと外を眺めているかと思うと突然部屋を走り回ります。(もっとも一日の内で、1、2時間程度しか行動していないようですが。)そうして大半は、自分の世界に浸り、気ままに過ごしているのです。

そんな姿を見ていると、本当にごくたまにですが、「日々是好日」と言う禅で使われる言葉を思い出すことがあります。これは、決して毎日が大安で良き日であると言う解釈ではないのですが、そんな意味でもいいんじゃないかと思えてしまいます。
本来は、ままならない世の中をどういう気持ちで生きて行けば良い日になるかを問う言葉で、かの宮本武蔵を書いた吉川栄治さんはこう示しています。

晴れた日は晴れを愛し 雨の日は雨を愛す 楽しみあるところに楽しみ 楽しみなきところに楽しむ 

さて、僕自身はまだまだ出来た人間ではありませんので、なかなかそんな心境で毎日を過ごすことは出来ないのですが、明日この雨が上がったら、久しぶりにカメラを携えて、買ったばかりの自転車でゆっくり街中を散歩?でもしようかと思います。

2009年6月5日金曜日

Teach Your Children

写真展のタイトルにもある"Teach Your Children"は、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングが1970年に出したアルバム"Deja Vu"(デジャ・ヴ)に収められた楽曲のタイトルです。当時中学に上がったばかりで仙台にいた僕には、おそらく聞く機会もなかったと思います。そして、その時代の音楽を知ったのも、彼らの影響を受けたイーグルスやレッド・ツェッペリンを聞くようになってからです。

今回の写真展では、常時このアルバムが流れています。(もちろんレコードではなく、新たにデジタル・マスタリングされたCDです。)その時代に聞いたことが無い僕でも、何故か懐かしい感じがします。アコースティックな音とハーモニーが、後のフォーク・ロックやウエストコースと・ロックへ引き継がれ、それをリアルタイムで聞いてきたせいなのかも知れません。

1967-1975は、日本の高度経済成長期末期から終焉の時期です。アメリカも1975年に終了したベトナム戦争でのおびただしい疲弊もあり、また世界的にも1973年のオイルショックにより、思想的にも経済的にも大きく変動した時期と言えます。

展示された作品にもその時代の影が見え隠れしています。そして、音楽も然りです。世代の違いはあっても、観に来られている方はすでにその事に気づいていることでしょう。




2009年6月4日木曜日

芝居通い



ここ5年間、僕はギャラリー通いと並行して、ほぼ毎週の様に芝居を観に行っていました。つまり、昼はギャラリー、夜は芝居と言う感じです。年間の観劇数は50~60回ぐらいだと思います。昨年の暮れから今までは、ギャラリーの立ち上げで観に行っていませんが、テレビで芝居の放映があれば、必ず観ています。

芝居の良いところは、生であり、映画やテレビのように撮り直しがきかない点と劇場での一体感(臨場感)ではないかと思います。劇場といってもその規模は大、小さまざまで、大きいから良いというわけではありませんし、演ずる役者さんも、テレビや映画で活躍する方だけがすばらしいわけではありません。ブランド、企画力があっても、それが即成功につながらないのも面白いところだと思います。
2008年に観た芝居の中で、非常に感銘を受けた作品は、4月に上演された"焼肉ドラゴン"です。もう1年前になると思うととても不思議に思います。それは今でもその時の感情を、たった今見終わったかの様に思い起こせるからです。脚本は在日であり、数々の戯曲の他、映画「月はどっちに出ている」、「血と骨」の脚本でも有名な鄭義信(チョンウィシン)さんです。演ずるのは、日本と韓国の実力派の役者さんですが、多分テレビではあまりお目にかからないので、一般の方にはなじみが無いかもしれません。日本語(しかも大阪弁)と韓国語が飛び交い、韓国語の部分は字幕も出ますが、難解な芝居では決してありません。
一言で言うと、市井に生きる人々のひたむきさと家族の暖かさを、生来人間の持つ生命力とバイタリティーに託し描いた秀作です。特に素晴らしかったのは、母親役を演じた韓国人女優のコ・スヒさんでした。彼女は天才ではないかと思えるほど、自分の年齢よりはるか上であり、しかも子供が4人いる母親の心情を見事なまでに体全体で表現していました。又、カーテンコールで観客が立ち上がり、拍手を送っていたのがとても印象的でした。それは新国立劇場小劇場では今までに見たことが無い光景だったからです。
この公演はテレビでも放映され、昨年の演劇賞のいくつかを受賞しています。もし、再演があれば是非観に行きたい芝居のひとつです。

日本人にも天才的な役者さんはいらっしゃいます。
その話は又、別の機会にしたいと思います。


2009年6月3日水曜日

ギャラリーと言う小さな箱

僕が写真作品を観る為にギャラリーや美術館に足を運ぶようになったのは、今から5年程前です。ですので、写真との関わりはまだ非常に少ないと思います。それでも、ほぼ毎週のように出かけて、完成されたオリジナル作品に触れたことは、貴重な経験でした。時には、日に4、5ヶ所を回ってみたり、結構無茶な見方をしていたと思っています。それゆえ、観る時間も短く、ギャラリーの方とも充分にお話も出来ないし、間違った作品の読み方をしていることもままありました。

今回ギャラリーを開設に当たり、来られるお客様と出来るだけお話がしたいと思っていました。これまで来られたほとんどの方々とは、撮られた時代の話や作品自体の説明や些細なことまで、何がしかの会話がありました。アート作品は直接その良さを感じられるものもありますが、その背景や制作過程等が理解の手助けをしてくれます。それは、写真に限らず、現代アートや古典芸術についても同じ事が言えると思います。

同じ作品を観ても、感じ方は人それぞれです。その時の体調や気分でまるで違う印象を受けることもあります。又、作品の中に作家の生き様が見えることもあります。そしてそれは、その作家のことを知れば知るほど、自然に自分の内で広がりを感じるようにもなります。

企画展として、一人やグループでの作品を展示することは、その作家の意図することをお客様にも感じてもらえるように、言葉やイメージ、展示方法等で翻訳することのようにも思えます。作品と共に翻訳された言葉やイメージが、直に観られるお客様と共有し感じ合えることが出来れば、その瞬間、ギャラリーと言う小さな箱は無限に拡がる宇宙のようにもなれると、僕は思うのです。

2009年6月2日火曜日

ありがとうございましたの一言が。

今日は朝からお日様が顔を出し、気温も上がるかと思いましたがそれほどでもなく、とても過ごしやすかったです。ギャラリーは半地下で陽も差さないので、空調をかけなくても入ると少しひんやりとします。

オープンして2週間が過ぎ、6月に入りました。今まで来廊して下さった方の多くは、40歳以上の方でしたが、その方々は若かった頃の時代やモノクロームへの懐かしさをお話されます。又、企画展のタイトルにもある1967-1975以降に生まれた若い方は、写し撮られた時代の断片に決して古臭さを感じず、逆に新鮮な驚きを受けている様子でした。多くの方は、展示された一枚、一枚をゆっくりとかみしめるように鑑賞し、時には一度見た個所に戻りながら何かを確認するような光景も見られます。

まだ全然知名度が無いので、毎日の来廊者数は少ないですが、来られた皆様のほとんどの方は帰り際に"ありがとうございました"と言ってくれます。これは、僕にとってはとても驚きでした。僕自身、ギャラリー通いを始めてから、そんな言葉をギャラリーの人にかけたことがあったかどうか思い起こしながら、その言葉の意味を毎日考えています。
又、来廊してくださった方が、"ギャラリーと聞くと何か敷居が高くて、入るまですごく緊張しました"とか"私は写真の事は全く知らないのだけれど・・・"と、とても遠慮がちに話されてくるのが印象的でした。その度に僕は出来るだけ優しい言葉を選び(村上春樹さんを見習って)、お客様の感じる印象を上段から壊さないように説明をしてきましたし、これからもそうするつもりです。

"ありがとうございました"の答えを見つける事はもちろんですが、出来る限り敷居も低くして、誰しもが作品と相互に作用しあうことで共鳴や感動を得られるようになれたらいいなと思います。