2009年6月13日土曜日

井上ひさしさんと言う人

今日の仙台は昼近くから一時雨が降り出し、半袖では少し肌寒い感じです。現在は止んで陽が差していますが、天気予報ではまた降るようです。梅雨なんですね。僕は仙台で高校まで過ごし、大学は雪深い山形で暮らしていたのですが、東京での28年の間にすっかり寒さには弱い体質になってしまいました。ギャラリーが半地下にあることをかつて何度か書いていますが、外の気温と比べると2~3℃程度低く感じます。夏に向けては問題ないですが、冬場は寒い期間が長いかなと思っています。

話は変わりますが、2月初め公共手続きに区役所に行った際、雪交じりの通り向いに仙台文学館の垂れ幕を見ました。仙台文学館は初代館長を井上ひさしさんが務め、今年で10周年を迎えるそうです。その記念として”井上ひさし展 吉里吉里人国再発見”と言う企画展を行うと記されていました。(3/28~7/5)

井上さんは僕の好きな作家の一人で、ここ数年は芝居で触れていました。それにもかかわらず、その垂れ幕を見るまでは、井上さんが仙台ゆかりの人であることをすっかり忘れていました。
井上さんご自身はその言動によりさまざまに解釈され、世の人も好き嫌いがはっきりしているのではないかと思いますが、僕は単純に、作家として40年に渡り色々な話題作を発表し続けていることに感心してしまいます。しかもその完成度の高さは、現在の日本の劇作家の中でも第一級であると思います。

井上さんの戯曲の中にはよく伝評物がありますが、それを完成させるための膨大な資料とその資料に付けられた付箋の多さに驚かされたことがあります。その為か、筆の進みは極めて遅く、自ら”遅筆堂”とのペンネームを冠しています。公演延期になることもたびたびですが、井上さん自身は悪びれることなく、役者もそんなものだと理解を示しているのも面白い所です。

2007年公演”ロマンス”(これも最終稿が公演1週間程度前でした)の中で主人公であるチェーホフに、「人はもともと悲しみを持って生まれ落ちる。でもその内側に笑いは備わっていない。だから自分の手で作り出し、分け合い、持ち合うしかありません」と言わせています。これは、井上さん自身が小説や戯曲を創作する上での基本的な考え方だと思います。また、NHK BSで放映された100年インタビューでも、笑いにより人と人とのむき出しの衝突が避けられ、そして余裕が生まれ、結果として生活の質が良くなるようにしたいと話されていたと記憶しています。

あらゆる表現者はその創造物に対して明確なビジョンを持って発表していくものだと僕は思っています。そしてそれは、いわゆるアーティストと呼ばれている人だけではなく、いつも身近にいる人たちであっても良いと思うのです。

何か今夜は、まだ引越し荷物に隠されたDVDを掘り起こして、井上さんの芝居を観ようかと思っている次第です。

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