2009年7月3日金曜日

1982 Part2

1982年Part2です。

その頃、付き合っていた女の子と始めて行った芝居が、オンシアター自由劇場の"もっと泣いてよ、フラッパー"だったと記憶しています。今思えば、これが観劇の始まりでしたね。場所は銀座8丁目。地下1階から4階までが日本一のおもちゃ屋で、そのビルの8階にある博品館劇場でした。

オンシアター自由劇場は、当時ストレート・プレイともミュージカルとも違い、劇団員自らが楽器を演奏しながら、物語を作っていく方法の演劇を行っていました。代表作は、後に映画にもなっている"上海バンスキング"でしょうね。

劇団員はそうそうたるメンバーです。串田和義、吉田日出子、大森博、真那胡敬二(当時は真名古敬二)、小日向文世、笹野高史(敬称略)等で、今も芝居はもちろんそれ以外でも活躍されています。小日向文世さんは当時、二枚目役が多かったように思います。

また、今年映画”おくりびと”に出演した余貴美子さんも”上海バンスキング”のリリー役(バクマツ演じる笹野高史さんの恋人役)で、一時劇団にいましたね。今もおきれいですが、その頃はとてもチャーミングでした。

この頃からオンシアター自由劇場も、六本木に劇団で構えていた自由劇場からより大きな劇場で行うようになります。1989年に串田和義さんがシアターコクーンの芸術監督に就任してからは、1996年の解散まで定期的にシアターコクーンで公演していました。一人ひとりが個性的で魅力的だったこともあり、とても時流に乗った劇団の一つだったと思います。確か、野田秀樹さんの”夢の遊眠社”が、駒場小劇場から本多劇場や紀伊国屋ホール等の商業ホールをメインにしていったのもこの頃だと思います。

80年代を思うと、世の中は色々な意味で拡大していく反面、軽薄短小の流れもあったりして、なんかすごいカオス状態の中を勢いだけは保ちながら、前を見ることだけを考えていたような気がします。

その時一緒に観に行った女の子とは翌年の初めに別れ、本当に身も心も寒かったことを、これを書きながら思い出してしまいました。


明日、明後日はいよいよワークショップです。
更新出来ない可能性はありますが、その様子は別途掲載予定です。

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