2009年8月6日木曜日

64回目の「原爆の日」

広島は本日6日、64回目の「原爆の日」を迎えました。

午前8時から行われた平和記念式典の中継を見ていて、秋葉市長による広島平和宣言に若干の違和感を覚えながらも、忘れてはならない事実をあらためて感じました。

戦争をフィルムや写真などでしか見たり、聞いたりしたことのない世代が約70%を占める現在、どれほどの人たちが現実に起こった事実として捉えているかは分りませんが、現在もどこかで戦争や紛争が行われている限り、起こったことを起こらなかったものとして消してはいけないと思います。

ただ、僕自身の政治的なポリシーや意見を語るのは本意ではないので、広島平和宣言について言及はしないことにします。

戦争や紛争にまつわる悲惨さ、悲しみ、そこで生まれた人間としての尊厳、優しさ、誇り等を表現したものは、昔から多くあります。

絵であれば、ピカソ”ゲルニカ”、岡本太郎”明日の神話”、写真ではロバート・キャパ”崩れ落ちる兵士”が有名です。

僕の好きな劇作家である井上ひさしさんが作る芝居にも、戦争や原爆に関係する芝居が多くあります。

“紙屋町さくらホテル”、”父と暮らせば”の2作品は原爆と関連した芝居です。前者は実在していた移動演劇隊・桜隊が広島で原爆に遭遇した事実を下敷きにし、後者は原爆から3年後の、ある父(実際は原爆投下時に亡くなっている)と娘だけで綴られる物語です。

いずれも、悲劇である戦争や原爆という事実を正面から見据えたうえで、反戦のメッセージをあからさまに提示せずに、人間本来が持ちうる誇りや哀しみの感情を巧みなセリフや演技として表現し、明日への希求や平和への真情をきれいで豊かな日本語で描かれたものです。

僕は8月の暑い日差しが感じられると、なぜかこれらの作品を思い出します。


64年前の今日、日本の”広島”は、カタカナ表記の”ヒロシマ”に変わりました。

そして、それはまぎれもない事実として、決して忘れてはいけないものなのです。

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