2009年8月12日水曜日

少しずつ、少しずつ。

8月に入ってから、各地での集中豪雨、台風9号による浸水や昨日起きた静岡での地震による災害といった天災の被害や犠牲のニュースが立て続けに流れているように感じます。

異常気象や地球温暖化などの言葉を耳にしてから、もう何年たったのでしょうか。
また、阪神・淡路大震災が起きてからすでに14年が過ぎ、あれから様々な地震への備えや耐震構造建築への移行がよく話されてもいました。

備えあれば憂いなしの言葉通り行っていても、やはり個人としての限りはあるし、それゆえに自然の恐ろしさや大きさが目の前に起きた時点で改めて感じることになります。そして、同時に心に痛みも感じます。

地球規模でマクロ的に見れば、このような天災や異常気象はそれほどのことではないと思えなくもないですが、産業革命以降の人口物の急激な進化やそれによる環境汚染などは、氷河期が起きた時代にはなかったことで、多少なりともその影響は自然に及ぼしてきていると思います。

そんなことを考えながら、以前読んだ一冊の本を思い出しました。

“魂の森を行け―3000万本の木を植えた男” (新潮文庫) (文庫) 一志治夫(著)
この本は、「潜在自然植生」に基づく森林再生術を習得した植物生態学者・宮脇昭さんの人生を描いたノンフィクションです。宮脇さんは1928年生まれですから今年で81歳です。今も現役で、各地で植樹活動の指導を行なっているそうです。

本の中で宮脇さんはこのようなことを言っていたと思います。

「その土地本来の森であれば、火事や地震などの自然災害にも耐えられる能力を持つが、人工的な森では耐えられない。手入れの行き届かない人工的な森は元に戻すのが一番であり、そのためには200年間は森に人間が変な手を加えないこと。200年で元に戻る。」

以前書いた”リンゴが教えてくれたこと”の著者である木村 秋則さんも、山の自然の土に出会ってから、自然栽培の道が開けたと話しています。


はるか昔、人間は自然への畏怖や畏敬の念を日常的に感じながら生活し、自然との共生を体現してきていたのだと思います。また、それは、現在のような社会の複雑性も少なかったから出来うるものだったのかもしれません。

でも、人って、社会ってそんなに変わってしまったのかなという思いも、僕にはあります。

確かに利便性、効率性を追求し、価値観の多様化が急激に進んでいる世の中ですので、自然と人、人と人とのバランスが崩れることは、ある意味仕方ないことなのでしょう。
特に、今は人と人とのバランスってとても難しいですものね。

だからと言って、このままでいいとは誰しも思っていないはずです。

先ずは、身近なところから、自分の出来る範囲で。

少しずつ、少しずつ。

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