2009年8月20日木曜日

記憶、感動・・・驚き


昨日の午前中、小雨降る中ギャラリーの通り向かいにあるビルで、窓拭き作業を行っていました。命綱一本で屋上からぶら下がり、スパイダーマンのように、3人で作業しています。

この12階建てのビルには数多くの窓があるのですが、最初から決めてあったのか、特定の窓のみを拭いているようでした。一枚にかける作業時間も非常に短いので、特に汚れていた箇所だけを拭いていたのかもしれません。

僕は年を取るにつれて、高所恐怖症気味になってきています。上京した頃は、高層ビルが物珍しく、訳もなく昇っては地上の眺めを楽しんでいたのですが、最近では7階の自宅マンションのベランダから下を覗き込んだだけで、足がすくむ思いがします。

何とかと煙は高い所が好きと言いますが、特に頭が良くなったわけでもなく、むしろ物忘れも時々出てきて、そんな時は少しへこんでしまいます。

特に数字と人の名前が覚えきれないときがよくあります。電話番号なんかは普段使う所以外はほとんど覚えていませんね。だから、携帯やPCの住所録が消えてしまったら、と思うととても怖くなります。

以前、あるアンケートで「平日の朝、家を出て、携帯電話を忘れてきたと知った時、あなたは取りに戻りますか?」との質問をサラリーマンと女子高生にした結果を見たことがあります。
皆さんはどちらの方が戻る割合が高いと思いますか。

これが意外にもサラリーマンの方が圧倒的に多いのです。理由は、携帯電話が無いと仕事にならないが一番多かったように記憶しています。一方、女子高生の場合、昼間は学校での活動が主なので、その間は実際話もできるから取りに戻らない人が多かったと思います。

高所恐怖症と年齢との関係は分りませんが、記憶との関連はいやおうなしにあるのだと思います。ましてや、非常に便利な世の中になり、覚えていなくても良い部分が増えるにつれ、その能力も衰えてくるのかもしれません。

それが直接の理由では無いのですが、ここ数年、芝居や写真集、展覧会などを繰り返し観るようになりました。その時の記憶や感動を呼び起こすためというより、むしろ、その時に感じられなかった新たなものを見たいが為のような気がします。

話にまとまりがつきませんが、僕は年を経るにしたがって、感動はするけれども、驚きは薄くなっていくように思っていました。それは、実際の世界の方がフィクションをはるかに凌駕することが多く、その事実を目の当たりで経験する機会が増えるためだと考えています。
だから、自分は7階のベランダで下を見て足がすくむ思いをするけど、12階のビルで命綱1本で作業をしている光景には、さほど驚かないわけです。

でも一方で、まだまだそんなことはないんじゃないの、という気持ちもあります。

それが広い意味でのアートの可能性だと、僕は思っています。

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