2009年9月1日火曜日

一人芝居 -自意識のスタイル-

役者1人だけで演じられる芝居。

舞台の大、小はあるけれど、舞台上にはたった一人しか存在しないし、誰も助けてくれません。そんな、究極でもあり、役者の度量があからさまに見えてしまうもの。それが一人芝居です。

イッセー尾形「都市生活カタログ」シリーズ
加藤健一「審判」
白石加代子「百物語」シリーズ(朗読劇)
大竹しのぶ「売り言葉」 
戸田恵子「なにわバタフライ」
風間 杜夫「カラオケマン」「旅の空」「一人」3部作、「コーヒーをもう一杯」「霧のかなた」

僕がこの5年の間に観た一人芝居です。一人芝居は数多く上演されていますが、なかなか観に行く機会がありません。年に1、2本といったところでした。やはり、劇団・プロデュース公演やミュージカル等のような総合芸術としての演劇を観る方が好きだった為と思います。

一人芝居といってもさまざま手法があります。ほとんどは、一人の登場人物を演じ、あたかもそこに相手役がいるかのように物語を進めるやり方です(加藤健一、戸田恵子、風間 杜夫)。それとは逆に主となる人物を演じながら、他の役も舞台上で演じるもの(大竹しのぶ)、それから一人の人物の行動やしぐさに焦点をあてたり(イッセー尾形)、本を読み進めながらその場その場を身体表現とともに物語る(白石加代子)ような、一種パフォーマンス的なものですね。

さて、この中で一番圧巻で、心打たれた芝居はというと、加藤健一「審判」です。

加藤健一さんは、「審判」を公演したいがために、自身で加藤健一事務所を立ち上げました。
バリー・コリンズ作のこの作品は、2時間半休憩無し、舞台上には証言台と人間の骨が一つだけ、軍事法廷の証言の場として主人公であるロシア兵士のモノローグが延々と続きます。
しかも、その内容は非常に重く、深く、そして人間が本来持つ矛盾性を多く含んでいるため、観ている側にも非常に負荷が強いられます。また、第二次世界大戦中の実話を下書きとして、フィクション化されていることが、よりリアルに感じられる所以であると思います。
台本は分厚い電話帳一冊分にもなり、当然ながら、役者にも考えられないほどの精神力と体力を要求することになります。

僕は、2005年に25周年記念公演と称された舞台を観ました。加藤さんは、当時55歳ぐらいだったと思いますが、演じることへの強靭な精神力とバイタリティーがまだまだ感じられる舞台だったように思いました。次の公演があるとすれば、通産215回目となり、区切り良いように思いますが、難しいかもしれませんね。

役者の魅力の一つに、それぞれの自意識のスタイルというものがありますが、加藤さんは「審判」を繰り返し演じ、自身もその度に年を重ねられることで、独自のスタイルを確立してきたと思います。その為、幾たび上演されても、観る側はどこかしら新しい発見がある訳です。

そのことは、役者だからではなく、あらゆる表現者に当てはまることだと考えます。
そして、そんな自分自身の拠りどころや表現手段といったものへの飽くなき追求に、僕らは感動し、魅かれるのだとも思います。

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