2009年9月4日金曜日

残された時間

9月に入ってから急に肌寒い日々が続いているように感じます。いつもの9月は残暑もしっかりとあり、半袖を着て汗をぬぐいながら、早く涼しくならないかと空を眺めていたのですが、今日も長袖じゃないと寒いほどです。気象庁は秋の始まりを9月としているらしいのですが、今年は本当にそんな実感があります。

そんな訳でもないのでしょうが、最近のpolkaはよく鳴きます。動物が鳴く場合、特に野生ではなく、ペットとして飼われているものは、大抵何かを訴えかけている時です。10年も暮らせば大体分かるだろうと言われそうですが、水やえさが欲しい以外はほとんど理解出来ないですね。

水やえさが欲しい場合は、入れる容器の前で待っていたり、その鳴き声にも特徴があります。モンゴルの発声法にホーミーというものがありますが、丁度そんな感じです。そして、それは非常に耳障りで、寝ていてもすぐ目が覚めてしまう程です。

以前はそんな鳴き声ばかり聞いていたと思うのですが、この頃は僕のすぐ横でソファーの背もたれ部にいるときなどに、か細い声で鳴く時があります。もう、甘える年齢はとっくに過ぎているのにと思いながら、喉を撫でると、目を細め自分から顎を上げるしぐさをします。人間も年を取っていくと子供に帰っていくとよく言われますが、猫もそんなものなのかなと思い、自分もそうなのだろうかと考えたりします。

誰しも、自分が20代の時に20年後の自分のことなど想像もしないと思いますが、僕は45歳を過ぎた頃、この先の20年は明らかに今までの20年とは違うだろうことをはっきりと理解しました。

つまり、この先の20年は自分に残された時間の一部だということです。人の寿命は誰にも分りませんが、平均寿命を考えると、少なくとも、僕にはそう感じられました。そして、残された時間の中で、僕以外の誰かにどんなものを残せていけるのか、とも思いました。

polkaが時々発するか細い鳴き声を聞くたびに、ふっとそんな想いも思い出します。


まだ、時間はあります。ゆっくりと考えていこうと思います。

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