2009年9月15日火曜日

the impossible dream

「……人生自体がきちがいじみているとしたら、
では一体、本当の狂気とは何か? 本当の狂気とは。夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。だが、一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。」

これは、ミュージカル「ラ・マンチャの男」で、教会を差し押さえた罪により宗教裁判を受けるため牢獄に入れられてしまったミゲール・デ・セルバンテスが、自作の「ドン・キホーテ」を劇中劇の形で行うことになったとき、主人公であるドン・キホーテがDUKEと呼ばれるある囚人の言葉に激しく反論したときのとても有名な台詞です。

ドン・キホーテというのは、読書の好きなアロンソ・キハーナというひとりの田舎郷士が、騎士物語を読みふけるうちに熱中し、いつのまにか現実と物語の区別がつかなくなり、自らをドン・キホーテと名乗り、旅に出て、そこでさまざまな冒険を繰り広げる物語ですね。

ミュージカルの脚本は、作者であるセルバンテスが「ドン・キホーテ」を着想したのが、セビリアで入牢中であったという事実をもとにしているようです。ですから、セルバンテスと牢獄の囚人たちの現実、彼らが演じる劇中劇におけるアロンソ・キハーナの「現実」、そしてキハーナの「妄想」としてのドン・キホーテという多重構造で構成されているわけです。

このミュージカル自体は、2002年、1000回記念公演(1000回目ではありませんでしたが)の時に帝劇で一度だけ観たことがありますが、この台詞はずっと以前に言葉としてどこかで読んだものでした。

その時分は、ちょうどバブルがはじけ、世の中のほとんどが一斉に不況の坂を転げ落ち、物事もネガティブに考えがちだったように思います。当時の会社でも雇用調整(いわゆるリストラ)が始まり、目の前で起こる理不尽な出来事を「しょうがないよな」の一言で片付けてしまっている周りに、とても違和感を覚えながら、それを受け入れるだけでしかなかった自分の立場に憤りを感じていました。

なぜ、今こんなことを書くのかと言うと、昨日、部屋で探し物をしていたときに、鉛筆で書かれたメモ書きの紙片を偶然見つけたからです。紙片は、当時使用していたシステム手帳のメモ用紙でした。たぶん、偶然眼にしたこの言葉を忘れないように、システム手帳から一枚ページを抜き取り、やはりそのとき使っていたファーバー・カステルのシャープペンで書いたのだと思います。

その時は、この言葉がドン・キホーテの台詞とは知らずに、純粋に今ある自分に重ね合わせていたのかもしれません。そして、そんな自分をかりそめの姿のようにも感じていたのです。「……」の部分は、ミュージカルで松本幸四郎さんが演じている台詞として耳から入りました。そこでは、セルバンテス自身が軍人だったころに、そのあるがままの人生というものを受け入れた人間がどんなにむなしく、つらいものであったことを切々と説いているのでした。


あれからずっと僕の心の中を離れないこの言葉は、確かに自分自身を見つめなおし、問いかけてくれるものであったろうし、これから先も時々現れては、今在る自分を最確認する機会を与えてくれるのだろうと思っています。

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