2009年11月9日月曜日

「見えるもの」、「見えざるもの」

展示における演出効果を意識させられた写真展に、2007年10月に東京都写真美術館で開催した「鈴木理策」展が挙げられます。

僕はそれまで様々な写真展をギャラリーや美術館等で観ていましたが、整然と並べられる作品群の美しさはやはりそこでしか得られないもので、その様式的な美も含めて楽しんできたように思っていました。しかし、同時にもっと演出的な展示でその作家が表現しようとしている世界をより効果的にすることが出来ないのだろうかとも感じていました。これは、僕自身舞台が好きであることも影響していると思います。

「鈴木理策」展は、その一つの回答でもありました。この写真展は小説や芝居でいうと大きく3つの章で分けられています。「海と山のあいだ」、「KUMANO」そして「White」・「桜」だったと思います。それぞれが、そのテーマに合わせた形で展示され、ライティングにもかなり工夫を施されていました。言葉で会場の様子を表現するのは非常に難しいですね。作品自体から受ける印象が会場の雰囲気により一層濃いものとなり、観る者にとっては何か熊野の山やその自然の一部に入ってしまったような印象を受けます。

会場を出て、ガーデン・プレイス内にあるベンチに腰を掛けながら、しばらくは茫然とその余韻に浸っていたことを思い出します。これは、写真集のような媒体では得られないものです。展示会として、その場でしか体感出来ないものであって、やがて会期が終了し、無くなってしまうことにある種はかなさも感じてしまいました。

写真は時代やその場の感動や状況を一瞬に捉え、残すという、いわゆる記録としての性格が重要な部分だと思っています。それはまた、単純に美しさや悲惨さや喜びなどを表すだけではなく、その内面にあるもっと大切な部分をも写し取っています。

「見えるもの」しか写らない写真でありながら、「見えざるもの」に人は感動を覚えているとも言えます。ですので、本来はそんな演出効果は必要ないのかもしれません。(余計な情報を与えないという意味で)何かまとまりが付かなくなってきましたが、とにかく「鈴木理策」展での展示演出には、ハンマーで頭を殴られたほどの衝撃だったわけです。

今回で3回目の写真展ですが、それぞれの演出を自分なりに考えて行ってきています。その基本は、会場でしか得られない感情が内に湧き上がるかどうかです。

お客様が来られる動機はさまざまです。偶然手にした案内状で、あるいは何かの拍子でたどり着いたホームページの内容に共感を覚え、見に行こうと思い立つわけですからね。

そのための演出(会場の雰囲気)は、僕個人としては、とても大切なものだと思っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿