2009年11月18日水曜日

「ツイッターは一度もやったことがない」

「ツイッターは一度もやったことがない」


これは、先週来日したオバマ大統領が、中国市民との対話集会での発言です。

ツイッターとは、サイト上に140文字以内の短い文章(つぶやき)を投稿できるネットサービスで、他の人の「つぶやき」も見ることができます。特定の人の「つぶやき」を一覧に登場できる機能があり、これを「フォローする」と言います。自分が「フォローされる」と、その相手の画面上に自分の“つぶやき”を載せることができ、ゆるやかな交流が可能になるわけです。

日本でもこの半年で爆発的に利用者数が増大し、その一因としてオバマ大統領も参加しているというフレコミが挙げられます。実際、オバマ大統領と思われるアカウントは存在していますし、利用者のほとんどはオバマ大統領の「つぶやき」と信じていたと思います。

ネットの世界は、当初だれでもつながり自由に閲覧可能な空間を与えてくれるものとして考えられていたように思いますが、実際のブログやSNSなり結局閉じられた世界の中で、情報のやり取りが行われていたように感じます。それは、蓄積型とでも言えばいいのかもしれません。

一方、ツイッターは短いセンテンス、何気ない言葉をフォローしていくことで、不特定多数の人間と瞬時に情報だけでなく、時間までも共有しうるものとして、よりオープンでフラットな世界として受け入れられています。フロー型(消えていくもの)と言えますかね。

元来人間は、日々の出来事を瞬間、瞬間に理解し対応していますが、その全てを記録として残すことは出来ません。その中の情報の一部が脳に蓄積され、データベース化されていて、必要な時に引き出しから出すように思い起こすのだと思います。そういった意味では、フロー型は自然な流れなのかもしれません。

さて、今回のオバマ大統領の発言が、どんな波紋を起こすかは不明ですが、少なからずショックを受けた人はいるのでしょうね。ネット上とはいえ、共感や共有していたと信じていた人々は、そうではなかったことを本人が明言して、知ってしまったわけですから。

ネットの場合、その匿名性から、有名人のブログやコメントを誰が書いていても、実際見る人には分からないわけですし、その辺の許容は個々にはあるのかもしれません。だからといって、他人の言葉と分かっている場合、たとえ署名が本人であっても、その人本人の発言として理解することに違和感を覚えることは当然の事と思います。

人間関係の希薄さや言われもない閉塞感に満ちている現在において、ネットのようなオープンな世界は必要だと感じています。また、そこでの表現や行動が自身の生きるすべとなっている方も実際に多くいるのですから、やはり情報提供や発言には出来る限りの良識や正直さが必要なのかなとも思います。

そうでなければ、所詮は絵空事に過ぎない仮想世界になってしまうからです。

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