2010年1月31日日曜日

若き写真家たちの思い

今日はとても興味ある写真展を紹介します。


タイトルが、高校生5人による卒業写真展 わたしたちの・・・・


来月、23日(火)~28日(日)、場所は塩釜にあるビルドスペースというギャラリーです。

ビルドスペースHPの紹介によると、「宮城県内の写真部に所属する高校三年生5人が、卒業を目前にして、三年間の活動の成果を、ギャラリーでの合同写真展という形式で発表します。」とあります。

ひとつの高校での卒業写真展というのはよくありますが、他校の人たちと合同でしかも個人的レベルで写真展を行うことはあまりありません。そんなことを考えると、卒業写真展の括りではなく、ひとりひとりの作品展の趣が強いような気がします。
若い時分から自己表現し、発表、そして人の評価を受ける事は、非常に良いことです。5人は多分仲は良いのだと思うのですが、それぞれが違う環境で育ち、違った考えを持ちながら、写真という表現手段を用いて作品として発表する過程だけでも、それは本人達にとって刺激的な体験だと思います。

残念ながら、その期間は開廊していて見にいけないので、ここで紹介だけでもしたいと思った次第です。是非、若い写真家たちの思いを感じて欲しいと思います。

さて、これから、久しぶりに写真展を見に行こうと思っています。出来るだけあれこれ考えずに、写真を楽しんで見られればいいかなとの思いがあります。

それともう一つの楽しみは、明日マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」のDVDが届く予定です。今日の夜にでも、スクリーンと、出来れば5.1chにセットしておいて、明日届いたらすぐに見ようと企んでいます。

2010年1月30日土曜日

素敵な一言

こういったギャラリーは、大抵、平日の昼には多くのお客さんはみえられないのが現状です。カフェなんかを併設していればまた違うのかもしれませんが、僕の場合はそんなに器用ではありませんので、純粋に作品を鑑賞し、楽しんだり、感動したり、これまで経験したことのない驚きとかを感じてもらえる場を提供しているわけです。


昨日もそんなのんびりとした時間が過ぎていました。数名のお客さんが帰られ、一息入れていた15時過ぎに、一人のお客さんが扉を開けました。現在のギャラリーは入口から2.5mほどカーテンで仕切られているので、その通路を過ぎたところでないと、お客様の顔を見ることが出来ません。

カウンターの中で出てこられる様子を窺っていると、現われた方はとても若い女性です。最近は学生の方もみえられるようになったので、大学で写真をしている人かなと思いながら、一通り見て回るまでは、声をかけずにいました。学生さんの場合、ほとんどの方が写真部に入っている方ですね。普段は仲間の写真や写真集等でしか他の人の写真と接していない方々ですので、このようなプロのオリジナル・プリントを間近で見ることは、貴重な経験になるわけです。

さて、一通り見終わった様子でしたので、ちょっと声をかけてみました。学生さんですかの問いに、はい、高校生ですと、まだあどけない笑顔を見せてくれました。エッと心の中で少しだけですが驚きました。なにより、女子高生が一人でギャラリーに来られることは初めてだったからです。それでも、以前からよく来られる高校で写真部の顧問をしている先生の紹介かなぐらいに、その時はそう思っていました。

でも、話をする内にそうではないことが分かりました。自分で写真は撮っていないけど、前から興味があり、携帯サイトで偶然ギャラリーを知り、一度来てみたくなったようです。それから、1時間ほど話をしている内に、なにやら携帯を覗きこみながら、電車の時間をちょっと、と言われました。電車?どちらから来られたのと聞いてみると、彼女の口から出た街の名は、確か宮城県の北部にある街だとおぼろげながら分かりました。

そう、電車に乗ってわざわざ来てくれたのですね。都心で通勤されている方には多分、分からないと思いますが、電車で移動することはこちらでは一仕事です。ましてや、この寒さですから。

このギャラリーは場所が非常に分かりづらいこと、3段ほど下がった階段の奥にある入口の鉄扉には30cm四方の看板が張り付けてあるだけで、ちょっと入るのをためらうような風体なのです。僕が言うのも変な話ですが、よく扉を開ける気になりましたねとの問いかけに、彼女は眼を細め微笑み、はにかみの表情を見せながら、場所も良く分からずに迷い、ようやく見つけた時も入り口で少しだけ躊躇しました、でも思い切って扉を開け、このような写真と出会えてとても良かったですと話してくれました。

昨日はこの言葉が全てでした。

彼女は見も知らない僕に元気をもたらしてくれました。

感謝です。

2010年1月29日金曜日

新聞っていいなと思える時。

唐突ですが、この頃、新聞っていいなと思える時があります。


なんでこんな事を書くかと言うと、僕は一昨年まで数年来新聞を読んでいない時期があり、挙句の果てにテレビも見ていなかったので、情報源はもっぱらネットだったからです。

冗談のように聞こえると思いますが、仕事の関係で部屋に帰ることもおぼつかず、新聞をゆっくり読む時間すら取れないほど忙しい日々が続き、当時住んでいた7.5畳の台所の片隅が、読まれていない新聞の山で埋まってしまったことがあります。次第に増殖し続けるその山を見るたびに、早く処分しないととは思うものの、紙類処理日と合わなかったりして、だんだん片付けることも面倒になり、結局は業者に頼んで処分してもらった事がありました。そんなことがあってから、いつしか新聞を取ることも止め、ニュースソースとしての新聞の存在が僕の中から消えてしまいました。

ネットで見ると言っても、それは自分の興味あるものや最新ニュースの表層だけで、結局は世間の動きや詳しい中身まではよく分からないまま、周りにいる人間に教えられることのほうが多かったように思います。今はたっぷり時間もあるので、ほぼ毎日見ています。

新聞を開くと分かりますが、先ず重要と思われる記事が真っ先に目に飛び込んできます。なので、先ずそれから読み始め、徐々に自分の興味ある記事へと読み進むことになりますよね。ここが新聞のもっとも重要な部分だと、僕は感じていて、それがとても効果的な紙面に出会うといいなと思うわけです。ただ時系列的にニュースとして載せているのではなくて、ニュースの重要性によりレイアウトを決め、読者に伝わるようにしているという点が、何かすごく人間的であるように感じられます。

ブログやネットでのニュースや記事は、その時に一番新しいものが上位に載ってくるか、常に更新されています。僕もそうなのですが、現在こうして書いている記事にしても、多分数日後にははるか昔の事のように思えて、その時どう書いているかさえ忘れているものです。(リアル感が薄れてくる)

本当はついさっき載せたものの方がより重要なものであっても、目に留まるのは常に新しい情報になるわけで、記事の重さのようなもの表現では新聞の方に分があると思えます。それでも、デジタル情報には、2次元情報以外のもの(音声や動画など)も含まれていて、より効果的に表現出来るので、一概に新聞の方がリアル感が上だとも言えません。

アナログもデジタルもそれぞれの良い部分があるわけで、それを上手に選択していくことが大事なのでしょうね。

2010年1月28日木曜日

ちょうど一年…異邦人のような感覚

仙台に引っ越して来てから、ちょうど1年になります。


1年前の今日は、朝5時に起きて、polkaをキャリアーへ入れるために格闘していたことを思い出します。夕方過ぎに引っ越しを終え、飛行機での長旅を終え、新居へと連れてこられたpolkaが示したおどおどとした表情やその後ひとところに隠れてじっとしていた事がはるか昔のことのような感じがします。

その日も今日と同じように北国といった感覚の寒さではなかったように思います。まぁ、仙台は東京から新幹線で2時間ですし、もはや泊まりがけで仕事に来なければならない場所でもなくなりましたので、少し北にある地方都市ぐらいが一般的なのかもしれません。それでも、300kmの距離感と体感としての温度差は、はるか遠い北の場所まで連れてこられた(自分から来たわけですが…)ような気分を、polka以上に感じていたような気がします。

これは決して仙台が好き、嫌いということではありません。実際、僕もこの土地で生まれ育ってきた人間ですから、やはり帰るべき場所との思いは、東京で生活していても常に感じていました。

ただ、離れていた約30年という月日は計り知れないもので、いまだどこかで異邦人のような感覚に捉われる時があります。もちろんギャラリーをオープンしてから出会った人々は幸いなことに皆さん良い方で、その都度大きな力を与えてもらったり、感動を共有出来たり、これまで経験することがなかったさまざまな思いを感じることが出来ました。

次第にそんな感覚も無くなるようになるかは分かりませんが、ひとつだけ分かったことがあります。それは、ごくごく当たり前のことです。
場所がどこであれ、結局人とのつながりの中でしか人は生きていけないということです。しかも、その手段や方法はいくつもあり、自分自身で取捨選択していかなければなりません。

僕の中での基準のようなものは、この事が自分の気持ちと直接繋がっているかどうか、です。
心や気持ちの無いコミュニケーションは、自己表現ではなく単なる発表や押しつけでしかないものです。

もし、そういうコミュニケーションをごく自然に交わすことが出来るようになれば、少しは異邦人から脱皮出来るのかもしれませんね。

2010年1月27日水曜日

まとめの時期です。

いまいち体調が優れない中、決算が間近になりましたので、昨日指導会に参加してきました。過去3回あった指導会も今回が最後だったので、全然分からないままに打ち出した決算資料を持って会場へと向かったわけですが、それほど大きくない部屋に入ると、普段は1人、2人しかいないのが普通だったのですが、部屋中に相談する側とされる側で溢れていました。


ほとんどの方はノートPCを持って、その場で操作しながら指導を受けていたようですが、僕の場合は、この指導会が推奨するソフトも使用していないし、ギャラリーのデスクトップで管理していることもあって、打ち出した紙資料を見ながら、間違いを指摘するような形でした。

担当してくれている女性の方は、懇切丁寧に教えて下さるのですが、結構指摘項目が多くそれをPC操作手順と内容の把握に分けてメモしながらでしたので、なかなかに大変です。もっとも僕以上に担当の方のほうがずっと大変だったと思いますが・・・。約1時間の指導も終わり、ギャラリーへと戻り、忘れない内に指摘事項の一つ一つをつぶしていきました。まぁ、なんとか形にはなったように思います。

僕自身、経理なんて今までしたこともなかったし、出てくる言葉も何これと思うものばかりで、本当に大丈夫なのかなと不安を感じながら、日々の入力を行っていました。以前、工場の原価管理、分析をさせてもらったこともあったので、大まかには理解していたつもりでしたが、いざ白紙の状態から記録・入力し、そしてそれをまとめていく作業はまるで違うものです。

今回大きく感じたのは、発生している内容の把握と言うよりは、むしろソフトの手順や決まりごとでの戸惑いが多かったことです。ソフトは非常に優れているもので、日々の入力や始まりと期末の手続きに間違いが無ければ、自動的に必要な帳票を作成してくれますし、かなり使用者の立場に立ったインターフェースを取っています。でも、ソフトの性格から言って、直感でごく自然に入力を促すようにすることは難しいのかもしれませんね。

現在のソフトの多くは、インターフェースや操作にしても、マニュアル無しにある程度直感で行えるようになっていますし、分野が違っても共通している部分なんかは規格化されつつあります。それでも、それぞれのソフトには一長一短があり、万人に受け入れられるものを作り上げることは不可能に近いと思います。僕のようなおやじ連中は、マニュアルを読むことを極端に面倒くさがりますからね。

これは、デジタル環境が刻一刻と変化しながらそれを体験してきた世代ともうすでにその環境がある中で育ってきた世代とは、明らかに感覚は違うなんだろうなぁとも思います。この先、どれほど対応できるかを考えたりするのですが、時々不安になることがあります。進化し続けるデジタル環境の中で、もはや説明不要なほどの常識を、本当の意味で常識として受け入れられるような、より人に優しい開発になって欲しいと思います。

2010年1月26日火曜日

昨日はほとんど寝てました。

昨日の朝からちょっと体調を崩してしまい、しなければならないメールや資料の作成を午前中にどうにか済まし、午後からは部屋で寝ていました。以前から腰痛持ちであって、疲労が溜まってくると腰に来ていたのですが、そんな感じではありませんでした。


今回は少しお腹の調子が悪いのと、若干寒気もしたので、風邪なのかなと思いながらも、今日午前中に外せない用事があったので、これでもかと言えるほど寝ていました。昔から寝りゃ治るだろうという思いがどこかにあって、大抵はいつの間にか治っていることが多かったように思います。

そんなわけで、昨日から2日分ぐらい寝ていたこともあり、今朝は少し足元がふらつき気味でしたが、幾分良い状態に戻っています。昨日頂いたメール等は、今日中に返信しますので、もう少しお待ち下さいね。

一人で行っているので、倒れてしまったら、即、業務に支障を来たします。それだけに、体調にはこれまで以上に気を付けてきたつもりなのですが、まぁこういうこともあります。以前の会社で連日の残業や徹夜なんかをしていた頃に、自分の子供のような年齢の社員にバケモノ扱いをされたことがありますが、寄る年波には勝てませんし、ずいぶんとおとなしくなりました。

このあと、出かけて来てから、多分午後ぎりぎりでギャラリーをオープンするようになると思います。毎日違う趣向ややり方をしていないので、その点では助かっています。

でもその分来られるお客さんとの対応には気を使わなければなりません。時折頭が回っていないなと感じることあり、体調が思わしくないと余計そんな印象を与えかねませんので、注意していかなければと思っています。

2010年1月25日月曜日

小さなイベント

昨日の小さなイベントは、とても前向きなご意見も聞けて、僕にとっても有意義な時間でした。ほとんどが初対面にも関わらず、気軽に打ち解けあってしまう様子は、見ているだけでも楽しいものです。


皆さんの話を伺っていると、やはり写真撮影やプリントといったものに対して色々と疑問を持ちながら制作している事が良く分かります。僕は写真作品の直接の製法技術的なものにほとんど素人ですので、なかなかそのような質問には答えることが苦手なのですが、それぞれ専門に行っている方もお見えになっていますので、情報収集の場としても有効であるように感じました。

また、同じような疑問や壁のようなものは、その方のキャリアの差にもよりますが、同じようにぶつかった経験があるものです。その壁はたとえ小さいものでも、一人で乗り越えるにはそれなりの時間と労力を要し、時にはうっちゃってしまう場合も多いのではないかと思います。

そんな部分をより多くの方と交流を持つことで、もし、解決の糸口を見つけられたなら、それはとても素晴らしいことですね。人それぞれ求めるポイントは違っても、共通に語り合える部分はあるわけで、それを自身の経験知のみでしか判断や行動を起こせない事はとても悲しいことです。

よく私はアートなんて難しいものは分からないからと、始めから自分で壁を作ってしまう方もいらっしゃいますが、僕自身、全てを理解して展示や紹介をしているかと言えば、そうではありません。もちろん、表現される作品の背景や作者の考えといった補助的な知識は出来るだけ受け入れ、理解しながら、一つ一つの作品と対峙するのですが、それでも果たしてこれが正解であるかどうかについては、常に疑問を持っています。

自らをもしくは目の前にあることに疑いを持つことは、ある意味、自分を信じることのパラドックスのような気がします。日々そんな矛盾のような感覚の中で、だれもが生きて暮らしているのだと思います。だからこそ、表現せずにはいられないのかもしれませんね。

昨夜ソファに寝転がり、polkaを撫でながら、この小さなイベントが何かの発火点のようなものにならないかな、などと一人夢想していました。撫でられながらも、そんな様子をじっと見ていたpolkaは、思い出したように大きな欠伸をすると、ソファーの背から飛び降り、今日の寝床へと向かっていきました。これも、現実ではあります。

2010年1月24日日曜日

生活の一部としてのアート

今日は日曜日でギャラリーはお休みなんですが、ちょっとしたイベントがあります。(2月は21日を除き、日曜も開廊します)


普段は休みといっても、雑事は結構あるもので、毎日ギャラリーに一人でいる場合が多いです。そんなプライベートな時間の中で、ギャラリーに訪れてもらったお客さんの中で希望された方々を招待し、所蔵の映像や写真集なんかを紹介しながら、それぞれが楽しんでもらえればと思い、行っているのです。

今回で3回目となり、人数も増えてきましたので、何か形になればいいなという漠然とした想いがあります。もちろん、ギャラリーですので、写真に関連したものを紹介していったり、普段交流出来ない写真愛好家への交流の場として活用されるのが本筋と考えていますが、特に意識なくさまざまなアートについての場であっても良いような気もします。

このブログを読んでもらっている方はすでにご承知でしょうが、僕自身、写真以外のアートにも興味があります。(芝居関連が多いですが)最近は、異なるアートの融合や他業種とのコラボのようなものが良く目につきますし。

アートに対する偏見やそのランク付けのようなものは以前に比べれば少なくなり、いわゆる生活の一部としてのアートも受け入れられるようになってきました。そんな身近に感じられるようなアートが、少しでも自身の生活の楽しみになって欲しいと思います。

そんなわけで、集まって下さる皆さんのご意見、ご希望も取り入れながらも、やや自分勝手な想いも含めて、試行錯誤しながら行っていくつもりです。

2010年1月23日土曜日

表現そして対話

昨夜NHK芸術劇場で、昨年11月に行われた明治座「晩秋」の舞台中継がありました。この舞台は、以前戯曲を読んだ時に紹介したものです。マキノノゾミさんが作・演出をし、主演が歌舞伎役者の坂東三津五郎さん、森光子さんが特別出演していて、国民栄誉賞受賞後の舞台として注目されたものです。


いつものように録画をセットしてから、放送時間が来るのを待ちながら、ソファーに寝転んでいました。実際見るのなら何も録画をする必要なんてないじゃないかと言いたい方がいらっしゃると思いますが、僕の場合、テレビ中継の場合は、繰り返し見るということが第一なんですね。つまり、一度見ただけだと、よく理解出来なかったような感覚がいつもつきまとい、残念な思いをしてしまう場合があるわけです。

録画して繰り返し見てみると、都度新しいものが見えてきたり、久しぶりに見た時なんかは、やはりその時との心持も変わってきているので、違う解釈が出来ることを面白く感じます。しかしながら、このやり方は本来の舞台の見方ではないと僕自身も分かっています。

やはり舞台は生で見るのが一番なんです。その場で受けた感覚や感情の揺れといったものは、演ずる役者さんが生み出す表現との対話により得られるものだと思っているからです。そしてそれは日常の空間の中で、テレビという媒体を通して見るものとは、明らかに違うものです。

また、これは芝居に限らないものだと思っています。アート作品の中にはその刹那的な部分に美を見出し、その場でしか得られないものをインスタレーションとして表現しているものが多いのです。そもそもインスタレーションの意味は、「展示」ですので、その場の空間や時間も含めて感じとって欲しいものであるはずです。

つまり、それは一方通行の表現では無いということですね。見る方と表現するものとの間には、自然のうちに、何らかの対話が発生しているのです。なので、誤解を生じたり、何か分からないけど良かったとか、心地よかったとか、自分には合わないとか、人それぞれの感覚が生まれるのだと思います。

さて、昨夜の芝居はというと、僕自身の年齢のせいもあるのだと思いますが、とてもしっくりきた良い舞台だったと思います。戯曲の言葉や雰囲気を壊すことなく、演出されていたと感じました。森光子さんは年齢による衰えは隠せませんが、それでも物語っている姿には、素直に感動を覚えます。

とても、元気になれた夜でした。

2010年1月22日金曜日

With Glowing Hearts ~燃える心と共に~

2月12日(現地時間)から、カナダ、バンクーバーで冬季オリンピックが開催されます。日本選手団も結団式を終え、連日、注目の選手や競技が紹介されています。今年は、サッカー、ワールドカップも開催するので、スポーツ好きには楽しみな年ですね。


バンクーバーとの時差は、現地時間が日本時間より17時間遅れなので、開会式は日本時間では13日午後になります。競技が行われる時間も深夜・早朝から午後にかけてになるわけです。なので、夕方から夜のニュースで、その日のハイライト映像が流れるように思います。

深夜遅くからの生中継を見る人も多くいるはずですので、2月は若干寝不足気味の方が増えるのでしょうね。まぁ、今はワンセグがあるので、昼間も仕事の合間に携帯を覗きこむ人もいらっしゃると思います。その他動画配信もあるので、ほんと今はいろいろな手段で楽しむことが出来ます。

前回のトリノではメダルは1個だったのですが、さて今回はどうなるのでしょうか。テレビからは盛んに、メダル、メダルとの声が聞こえてきます。選手の中には、何大会連続出場と紹介される方も多くいるように思います。スピードスケートの岡崎選手やジャンプの岡部、葛西両選手にはその年齢も含めて、純粋にすごいなと感じます。

一方で、新しい選手はどうかというと、今年は何かを期待させられるような選手が出てきているような気がします。15歳で出場を決めた高木選手を始め、同じスピードスケートの小平選手も今年になって頭角を現してきていますし、若く、勢いのある選手も目立つようになっています。

冬のスポーツは、団体競技が少ないので、日本人気性として盛り上がりに欠ける部分もあるのですが、一個人を応援することもすごく大事なことだと思います。また、オリンピックは常にナショナリズムを感じる大会ではあるのですが、それだけでは無いはずです。国に限らず、出場する個々の能力や才能、姿勢に感動し、共感を得られる大会でもあるわけです。

バンクーバーオリンピックのテーマは、"With Glowing Hearts."(燃える心と共に)だそうです。
そう、Withという言葉には色々な意味が含まれているのです。

2010年1月21日木曜日

最近の映画

明日から製作費に70億かけたという大作映画「オーシャンズ」が全国公開されます。海の中で繰り広げられる生命の営みを描いたドキュメンタリーと紹介されています。以前にも「アース」や「ディープブルー」といった作品がありましたが、撮影スタイルや技術や映像はそれを越えていると言われています。
http://oceans.gaga.ne.jp/

今朝のテレビで、一部のメイキングや映像が流れているところを偶然見ました。映像はまるで3Dグラフィックと思わせるような感覚と生命の美しさ、神秘性が表れていましたし、撮影スタイルや技術は、この映画の為のみに開発されたと思われるカメラや機器を駆使していることが良く分かりました。


変な話ですが、最近は想像を超える美しさや色彩の豊かさに満ちた映像を見ると、先ずCGかなという先入観が強くなってきたように感じます。これも、コンピュータ技術開発の賜物ではありますが、逆に弊害のような気もします。

話題の3D技術を駆使した「アバター」についても、その評価はおおむね良好で、一部の人には、今後の映画製作の分岐点のような作品とさえ言われているようです。その昔、CGは作り物、仮想現実として、一般の認識も「そういうもの」という感覚だったと思いますが、今では現実との境界が映像の中では非常に曖昧になってしまい、現実のセットと思われていたものがCGであったり、逆に完成度として驚かされるケースが増えてきました。

「オーシャンズ」は、ドキュメンタリーですので、もちろんCGではありません。ただ、さまざまに開発された機器を使用し、これまでは撮ることが出来なかった光景が目の前に現れることで、現実感を越えてしまっているのですね。

監督は、フランス人のジャック・ペランとジャック・クルーゾーの共同です。ジャック・ペランというと、僕は「ニュー・シネマ・パラダイス」での映画監督役を思い出しますが、最近は制作サイドの方が多いようです。
ここに来て、「オーシャンズ」、「アバター」といった映画館の大画面で見たいと思わせてくれる映画が出てきたことは非常に良いことです。

あっと、それから、来月公開予定の「抱擁のかけら」も見てみたいですね。ペドロ・アルモドバル監督で、主演がペネロペ・クルスです。

興味ある方はこちらから。

http://www.houyou-movie.com/

2010年1月20日水曜日

プロフェッショナル

このブログでも過去たびたび登場してくるテレビ番組に、「プロフェッショナル 仕事の流儀」があります。12月の初めに、今年の3月で打ち切りになるとの一部報道がありました。同番組でキャスターを務める脳科学者の茂木健一郎さんが東京国税局から巨額の申告漏れを指摘されたことが原因とされているようです。番組のキャスターはある意味番組の本質を具現化したものとして捉われる場合が多いですし、また現在、多くの冠番組が放映されている事を考えると、致し方ないのかもしれません。でもNHKなんだから、そのへんはもう少し検討してほしいとは思います。


昨夜もつい見てしまったわけですが、登場したのは移植外科医の加藤友朗さんでした。先週出演したIT技術研究者の浅川智恵子さんの時もそうだったのですが、その言葉や実際の行動を見ながら、単純にこれはすごいなと思わせるだけではないプラスアルファのキャラクターが必ずありますね。これは、多分その道の最前線で実際に従事している自負や責任のようなものが、有形、無形の姿として現れてくるからだと僕は思います。

よく、新人が何年か経ってようやくひとり立ちしてくるようになると、あいつもそれらしい顔になってきたねなんて言葉を上司なんかが言いますが、ひとつの物事を正面から見据え、打ち込んでいけば自然と変わっていくものです。それは、決して慣れといったものではなく、自分も気づかないまま体に沁み込んでいった記録や記憶の蓄積がそうさせるのだと思います。

昨夜の加藤さんの場合は、直接人の生死に関わり、しかもパーソナルな問題なだけに、よりその状況の大変さが伝わってきます。これは持っているスキルやそれに要する体力・気力だけでは、とても出来ることではないからです。

先ずは、コミュニケーションです。僕は、この意思の疎通というか向かう覚悟といったものをきちんと共有できるかで、この仕事の半分以上は終了していると感じました。後の半分は困難ではあるけれど、持っているスキルや経験値が解決の糸口を見つけてくれるものであるように思います。

それにしても、普段は会えなかったり、知ることが出来ないような凄い人が世の中にはたくさんいるのだと、この番組を見ていると毎回思ってしまいます。登場してくる人たちに共通して感じることは、とっても伝える部分を大事にしていること。



僕はどれほど、今の思いを本当に伝えられているのだろうか。

見るたびに、そんなことを、考えてしまうのです。

2010年1月19日火曜日

何もしない日

昨日の午後は久しぶりに何もしない日でした。


午前中に雑事を済ませ、さて午後からすることをあれこれと頭の中で思い浮かべている内に、突然のように今日は何もしない日にしようと思いました。自分でそう決めて、部屋に戻り、見るわけでもないテレビをつけ、昔やっていたドラマの再放送を見ながら、ソファーに横たわっていると、自然にウトウトと眠ってしまいました。1時間程度眠ったのでしょうか、いつの間にかテレビではワイドショーが始まり、よく分からない司会者が正義感を振りかざし話している様子に少しうんざりしながら、天井を眺めている内にまた寝ていました。

それから1時間後、ようやく眼を覚まし、起き上がった頃には、陽はすっかり西に傾き、射しこんでくる西日が部屋の一隅を照らしていました。polkaはというと、向かいにある一人掛けのチェアーで寝ていたようで、僕が起き上がる姿に気付きながらも、態勢は崩さずに眼だけを向けています。

平日の夕方、多くの人は仕事をしているのでしょう。普段は、僕も休廊していても出かけたり、何かしら仕事らしいことをしているわけで、ソファーから起き上がった自分の姿にまだ現実感がわかないまま、しばらくは静かな時間に身を任せていました。

会社勤めの頃の休日は大抵予定があって、朝から準備やらすぐ出かけてしまったりしていたのですが、それでも何ヶ月かに1日は何もしない日がありました。その時は、肉体的に休息を求めていたのだと思います。

昨日はそんな日だったのですかね。その後、自転車を直しに外に出たんですけど、久しぶりに寒さも弱まり、穏やかだったので、帰りは少しだけ遠回りをしてきました。また部屋に戻ると、そう言えば今夜遅く電気工事で停電になることを思い出し、ギャラリーのPCやら切っておかなければならない機器の電源を落としました。

そんなこんなで何もしない日が終わり寝たのが、0時過ぎです。停電の時間には眼が覚めないだろうと思いながら寝たのですが、何故かその直前に眼を覚まし、プチという音と共に、部屋中が真っ暗になり、再び電気がつくまで起きていました。その間、時折聞こえる工事の声や音を聞きながら、こんな時間でも現実は休みなく続き、人は生活し、仕事もしているのだなと妙に感心しながら、いつしか眠りについていったのでした。

2010年1月18日月曜日

阪神・淡路大震災から15年

阪神・淡路大震災から15年が経ち、テレビを始めさまざまなメディアで取り上げられています。15年の歳月は、単純にもうそれほど経つのかということの一方、よくもそんな短い期間であれほどの被害から復興したものだという思いが交じります。


現在、神戸市民の中でも、約1割の人々は震災を知らない人たちだと言います。その人たちは親や親戚、周りの住民の方々から、その時の状況を聞くことはあるでしょう。戦争もそうですが、その体験を人に語ることは、その人にとっても非常に苦しいことです。かと言って、忘れ去るにはあまりにも大きな出来事だったわけで、それは後々に伝えられ、生かされていく必要があると思っています。

現在、芦屋市立美術博物館で、企画展「震災から15年」という写真展が開かれています。ニュース報道によると、5年刻みで開かれているようです。被災者が撮影した避難所などの写真を展示するほか、公募で集まった市民16人の記録写真約500点が展示されているとのことです。

今朝のニュースでは、当時は報道の過激さから被災者は写真に撮られることを極端に嫌がり、報道写真を撮れるような状況ではなかったと、当時ボランティアをしていた男性が語っていました。そこで被災者自身にフィルム入りカメラを渡して、自ら写真を取ってもらうよう協力を仰いだそうです。

そんな身近な記念写真でもあるかのような写真のいくつかが紹介されていましたが、それぞれの写真の背景には瓦礫となった家屋があったり、外で食事をしている写真なんかは撮られた日付を見ると、震災から2カ月後であったりして、やはり損害の酷さを物語っていました。

元来写真は記録媒体として重要な部分を担っています。それは、目の前のものを、あるがままの姿で残し伝えると言うことです。それは乱暴な言い方をすれば、報道カメラマンであれ素人の方であれ、記録として残る写真としては遜色のないものであるように思います。

月日が経つにつれて、記憶というものは非常にあいまいでぼんやりとしたものになってきます。その時の強烈な印象ばかりがいつまでも残り、他の小さな幸いのようなものは忘れ去られてしまうものです。

この震災で幸いを感じた人は誰ひとりいないと思いますが、その中で笑顔を忘れず頑張っていた人々の姿と短い時間で復興をしていった人々のパワーは、現実のものとして写真に残されています。そしてそれは、これから先も伝えられるべきもののひとつであると、僕は思います。

2010年1月17日日曜日

寒さの中の一週間・・・これから

中村ノブオ写真展が開幕して、1週間が過ぎました。


最近の寒さや雪の影響もあるのか、残念ながらそれほど多くのお客様が見えられているわけではありませんが、一枚一枚の作品に向けられている姿を拝見するだけで、僕も嬉しくなってしまいます。

中村ノブオ氏は福島県三春の出身です。以前から来ていただいている学生さんが昨日お見えになって、私は隣町の出身なんですとおっしゃいました。大学の写真部に在籍している方ですが、中村氏を知らずに、今回初めて作品を見たということでした。まぁ、その方にとっても、中村氏はお父さんと同じような年齢ですし、メディアに登場しているわけでもありませんから、知らない事は決しておかしいことではありません。

写真家に限らず、ほとんどのアーティストは、毎年きちんと自身の作品を発表し続けている人でさえ、なかなか広く一般に知られることは少ないと思います。専門として、その道に携わっている人でも、同様に感じます。

僕らギャラリーサイドでももっと広報を行い、広くお客様に見てもらう努力をしなければといつも感じているのですが、それはなかなかに難しいことです。なので、一つ一つ出来るだけの事をしようと思っています。

来られる方々とは極力お話をさせてもらっています。少しでもアート写真への興味とその入り口への道先案内のつもりでしていることです。それと、HPにもありますが、今回の展示は、前半と後半とで趣を変える予定です。後半は2月初めからにしようと思っているのですが、途中1日を除いて、日曜日も営業することにします。

ですので、1月中と2月以降にそれぞれ違った趣の中で、作品を見、ギャラリーを体験していただけると嬉しいと思います。その時には、是非感想をお聞かせ下さい。僕からも色々とお話させてもらいます。

2010年1月16日土曜日

雪化粧の朝、思ったこと。

昨夕から降ったり止んだりしながらしていた雪。


朝の光の中で、きらきらと路面を輝かせています。幹線道路にはほとんど残っていない雪も、ちょっと横道に入ると車の轍以外は一面白く化粧されているようです。今日は土曜日とあって、一般の会社は休みが多いので、しばらくはこの状態のままなのかもしれません。

今朝の最低気温は氷点下3度、予想最高気温が1度のようなので、夜は確実に路面が凍結するでしょうね。僕はまだ雪道仕様の靴を持っていないので、こんな日は歩く速度が極端に遅くなります。ましてやこの寒い中、自転車で動くほどの元気はないので、近くに行く場合は、のんびりと歩くようになるわけです。

そう言えば、3日前から自転車の後輪の空気が抜けてしまい、どうやらパンクをしたみたいです。以前も自転車がパンクした時に、しばらくほっておいた結果、そのまま乗らなくなった経験があります。その時は近くにあった自転車屋さんが、いつの間にか廃業していて、直すのが億劫になり、結局直さずに処分してしまいました。

その近くにあった自転車屋さんは、老夫婦が2人で開いていました。5年程前に一度パンクを直しに行った時に、一見して安物と分かる自転車を見ながら、親父さんがこの部品は良くないねとか止めが甘いんだよなとブツブツと言われたことがあります。その時は、なんだこの人と心の中で思ったりしたのですが、部屋に戻り改めて思うと、こんな職人さんの口調を久しぶりに聞いた感じがして、何故か嬉しくなった記憶があります。

約30年前、新社会人として会社勤めの頃、僕の周りは職人さんだらけでした。お付き合いする方々の多くがその道のベテランで、何も知らずに質問をする僕に対して、若輩者が何を馬鹿なこと言ってるんだという顔をよくされました。でも、次第に気心も知れてくると、とても熱心に、そして真剣にいろいろなことを教えてくれました。

現在はそんな時代ではないのかもしれませんが、そうではない部分も根強く残っているとも思っています。利便性、効率性だけでは計れない大切な何か、多分、人が見れば単なるこだわりに過ぎないようなものに惹かれる自分がいます。それは、やはり人を喜ばせたり感動させたりする物作りに携わる人々を、間近で多く見てきたせいなのかもしれません。

2010年1月15日金曜日

嬉しいニュース

昨夕のPARCO劇場からの情報メールで、嬉しいニュースが届きました。この頃は、都内の劇場から来る情報メールはあまり見ないことが多くなっていたのですが、昨日は何となく開いてしまいました。

開くとすぐに、5月公演「裏切りの街」の速報が飛び込んできました。そこには、ポツドールの三浦大輔さんがついにPARCO劇場で演出を行うと書いていました。実際、そのメールにはポツドールの文字はなかったので、多くの人はこの人は誰だろうと思うだけかもしれません。

僕は、もしやと思い、劇場HPを開き、詳細ページを確認しました。ありました。間違いなくありました。以前からブログでも紹介していた古澤裕介君が出演者にいます。古澤君は前の会社にアルバイトで入っていて、休憩時間によく芝居の話をしたり、実際彼が出演していたポツドールの公演をよく観に行っていました。2007年冬、ベニサンピットでの岩松了作演出作品へのオファーが来ていると聞いて以来の驚きかもしれません。

僕が仙台に来てからも、何度かメールのやり取りをしていました。その中にも、芝居はほとんどしていないと書いていました。最近になって、NHKの番組に出演するようになったのですが、またお客さんを前にした舞台活動をしてほしいとずっと思っていました。

それが今回のビッグニュースです。思わず、彼にメールすると、今朝早く返事が来ました。返ってきたメールには、これは僕の実力ではないので・・・、なんてことが書いていましたが、いやいや、立派な実力ですよ。

人には運や縁というものがあるもので、それは向こうから寄ってくるものではなく、自分自身の行動がそうさせるのだと思っています。古澤君も三浦さんと長い付き合いではあるけれど、長さだけではない部分が、今回のキャスティングになったのだと思っています。なので、これからが大変ですね。

でも、あまり気負わずに頑張ってほしいと願っています。

絶対、観に行きます。

興味のある方は、こちらをご覧下さい。錚々たるメンバーです。
http://www.parco-play.com/web/page/information/uragiri/

2010年1月14日木曜日

表現の可能性

昨日の続きになりますが、正月に見た「コンフィダント・絆」という舞台中継は2007年にWOWOWで放映されたのですが、これがちょっと変わったやり方で作られています。以前からWOWOWは、舞台についても放映を行っていて、三谷さんの作品も「オケピ!」を始め、何作品かを取り上げていました。


三谷さん(誰しもがそう感じていると思いますが)には、舞台は生で見るのが一番という思いがあり、舞台中継についてもいろいろと局サイドに注文を出します。「オケピ!」や「12人の優しい日本人」は、生中継で行っていました。通常、舞台中継の時のカメラは、多くても5台程度ですが、この時には10台以上ものカメラを準備し、さまざまなカメラアングルをスイッチングしながら放送していました。

この頃は、演劇チャンネルやDVD発売もあり、舞台中継用の撮影を行うことが多くなりました。実際、僕も何度となく撮影日と観劇する日が重なったことはよくありました。普通は、基本カメラ3台で行っている場合が多いですね。会場が大きいと少し増えますが、大概はそんなものです。舞台進行中に、カメラは動かせませんし、客席を縫うようにハンディカメラを使うことは出来ませんので、決まったアングルでの映像を別途編集するわけです。

「コンフィダント・絆」は見てしばらくすると、何か違和感を覚えます。始めは何だろうと思いましたが、ようやくすると気付きます。それは、いつも聞こえてくる客席からのリアクションが全くないのです。また、映し出される映像は、通常の固定カメラでは捉えられない部分があるので、ある意味テレビ的な感覚にも捉われます。これは何を意味するかと言うと、観客を入れている実際の舞台をビデオとして撮影したのではなく、この舞台中継の為に会場を貸し切り、お客さんを入れずに撮影しているということなのです。もちろん、クレーンやレールも使用して、撮影されているわけです。

このような趣向は、舞台放映後の三谷さんのインタビューで明かされます。インタビューでの三谷さんの言葉はとても挑戦的で、演劇といういまだ限られた人たちにのみ見られるものを、テレビという一般的なメディアを通して、生の演劇とも単なる映像作品でもないものを提示した、ある意味、表現の可能性を模索した実験者のような面持ちでした。

もちろん、実際に生で見ていただくことが一番伝わるのです。そうは言っても、本当に数多くのお客さんに来ていただくことには、物理的にも無理があるわけで、そのあたりの心境はとても理解できます。この放映を見ていると、作品自体の面白さや深さなんかよりも、そんな部分も含めていろいろと考えさせられてしまうのです。

2010年1月13日水曜日

正月三が日の三谷幸喜デー

正月の三が日、テレビをつければどの局も似たような特番ばかりで、すっかり食傷気味になってしまったので、3夜連続でギャラリーにスクリーンをしたてて、三谷幸喜さんの芝居をDVDで見ました。以前も三谷幸喜さんの芝居について書いた記憶がありますが、もう何度となく見たにもかかわらず、その度に飽かずに最後まで見せてくれます。


今回見たものは、「笑の大学」、「12人の優しい日本人」、「コンフィダント・絆」の3本でした。いずれも、発売後即日完売のプラチナ・チケットだったので、生で見ることはかないませんでしたが、幸いTV放映されたので録画しておいたものです。「笑の大学」、「12人の優しい日本人」については、映画にもなりましたので、映画を見られた方はいらっしゃるのではないのでしょうか。

僕が一番好きなのは、やはり「笑の大学」ですね。舞台には2人しか出てきません。しかも、場面は1つのみです。劇団座付作家役の近藤芳正さんとその台本を検閲する役の西村雅彦さんとのやり取りが、1日単位で繰り広げられ、ちょうど1週間目で幕がおります。

たぶんにあて書きであったりしますが、これほど完成度の高い作品はあまり無いと思っています。1週間というあまりに短い期間に、いわば敵対するような考えの2人が次第に自分の殻を解きはなっていき(主に変わっていくのは検閲官ですが)、「笑い」を介して通じ合っていく姿に都度感動を覚えてしまいます。

この芝居には、単なるコメディーであること以外に、さまざまなテーマが隠されているように思います。なので、何度見ても、前とは違った部分で気付かされることがあるのです。僕の理解力が弱いのかもしれませんが、三谷さんのストーリーテラーとしての実力と演ずる2人の演技力には本当に感心させられます。

井上ひさしさんは、笑いは人が生み出すもので、本能としてあるものではないといった意味の事を話していたと思いますが、まさにこの芝居でもそんな部分を充分に感じさせてくれます。生きる上で必要不可欠ではない「笑い」が、その実とても大切なことであり、それを創造することには大きな意味があるわけです。

アートも然りですね。

もし、これを読んで、見てみたいと思った方は、いつでもご一報を。

2010年1月12日火曜日

今日から天気が悪そうですけど・・・。

今朝のテレビで各社こぞって、寒波襲来のニュースを流していました。


何やら、今日から明日、明後日にかけて、天気は大荒れになる見込みらしいです。以前はそれほど毎日の天気なんかは気にしなかったのですが、ギャラリーをオープンしてからは結構気になることが多くなりました。

やはり、天気が悪いとお客様はめっきり来られなくなりますからね。会期も長いので、またこの次の機会にすればいいやと思うことは、心境としてはとても分かります。実際、僕も多くのギャラリーや美術館へ休みごとに見に行っていた頃は、天気が悪いとあまり駅から離れていない所や傘をさほど差さなくてもいけるような場所を選んでいたように思います。

芝居なんかで、前から入場券も購入し、この日でなければという時には、少々の雨でも気合いを入れて行っていましたが、そうでなければなかなか足が向かなくなってしまうものです。会場によっては、傘の置き場にも困るようなとても小さいところもあり、出来る限り折りたたみ傘を持っていったものですが、ちょっと強い雨だと体中濡れてしまい、これもまた隣の人に迷惑にならないかとか余計な心配をしてしまいます。

その日の体調や気持ちのコンディションって結構影響するもので、ちょっと気になることがあったりすると、なかなかその芝居や作品の中に入り込めなくなってしまいます。それでも、そんな気持ちや気分であったことすら忘れさせてくれるものは、数は少ないのですがあるにはあります。

そんな時には、大げさかもしれませんが、何か大きな幸福感に包まれている自分がいることに気づかされます。これまで体験出来なかったこと、そして今まさにそれを体験し、確かに感じられたことに対して感謝の気持ちすら湧いてくるのです。

理想かもしれませんが、ギャラリーに来られる皆さんには、そんな気持ちを感じてほしいといつも思っています。

2010年1月11日月曜日

二十歳の頃

今日は成人の日です。


今年新成人となる人は、全国で約127万人と言うことで、やはり過去最少とことです。良く分かりませんが、まぁ既に生まれてからの話ですので、年々減って行くのでしょうかね。

僕の場合は、はるか昔のことで、その時の状況はほとんど覚えていないのですが、きっと地元からも離れ、大学生だったこともあり、何事もなく普段の休日のような過ごし方だったように思います。これから、大人として自覚を持って生活しようとも意識せずに、毎日顔を合わせる友人らとの会話を楽しんだり、好きだった映画なんかを見に行くばかりで、大学にも行かずに遊んでいたような気がします。

当時は金は無かったけど、時間はたっぷりあったように思います。午前中に講義の無い日はようやく昼頃に起き出し、学食で朝、昼兼用の食事をした後、必修の科目が無ければ、そのまま行きつけの喫茶店にもぐり込んでいました。僕がいた米沢という街は、今でこそ米沢牛やラーメンなんかで全国的にも有名になりましたが、その頃はスーパーを少し大きくしたようなデパートを中心に商店街が1か所に固まっているようなとても静かな街でした。冬は雪がしんしんと降り、夏はこれでもかというくらいの蒸し暑さでしたが、今思うと、不思議と不便さを感じた記憶があまりありません。

その頃通っていいた喫茶店が、「ポッポ」という名でした。マスターが米沢の工芸品である笹野一刀彫のお鷹ぽっぽを作られている方で、そこからその名前が付いたのだと思います。金が無い僕や仲間が何時間もそこにいることを、嫌な顔ひとつせず、いつもお代りのコーヒーを出してくれました。時には、閉店までいたりすると帰りに家まで送ってもらったりもしていました。

今はもうすっかりご無沙汰してしまって、本当に失礼なことだと思うのですが、実家にある卒業した時にいただいたお鷹ぽっぽを見るたびに思いだします。近いうちに一度行きたいとは思っています。でも、もう30年も経っているので無いかもしれませんね。

そんな二十歳の頃、僕たちにはまだ社会への入り口までのモラトリアム期間があったように感じます。今はどうなんだろう。全ての流れが速くなり、高校生がアルバイトするのが当たり前で、世間との関わりも早くから持つようになったから、そんな余裕はあまり無いのかもしれませんね。

何はともあれ、新成人の皆さん、おめでとうございます。

2010年1月10日日曜日

未来の財産

何か新しいことを行う場合、それを阻害する要因は経験と知識だと聞いたことがありますが、一方で経験や知識の裏付けがあってこそ、新たなものが見つかるとも言われています。さて、どちらが大きいかと、時々考えてしまう場合があります。


終身雇用という習慣の中で社会全体が動いていた時には、変革はあまり良しとは思われない節がありました。それは伝統的な会社程その傾向は強かったように思います。僕も若い頃、自分の提案を頭ごなしに否定されたような思いを感じたことが多々ありました。その時は自分の考えが正しいと信じていて、すでにその時点で周りが見えない状態であったように思います。

その後、世の中の環境や生活スタイルの変化により、さまざまな新しい風潮が生まれては消え、常に新しいものが一般的にも求められるようになりました。もはや、就職してもその一社に固執することなく、自由に自分自身の求める道へ乗り換えることが、当たり前の社会環境になってきたわけです。

それ自体の良し悪しは、それぞれに事情や理由があるので、どうのこうのと言うつもりはありません。それは、時代時代の成熟度や個人の考え方によるものが大きいからです。

人は、同じ社会や組織の中で立ち居ふるまっていくと、慣れの中で自然に安定を求めていき、まるで違う経験の人や出来事に出合うと一瞬にして拒否感が生まれるものです。

僕はギャラリーをオープンしてからは、大抵の事は受け入れようとしています。それが良いことなのか悪いことなのかは、しばらくして分かるだろうとは思います。何しろ、今僕が行っていること自体、僕にとっては全て新しいことなのですからね。

さて、明日から今年初めての写真展が始ります。

今年もさまざまな人や作品との出会いがあるのでしょう。一度限りで終わってしまう出会いの中にも、永遠に記憶に残るような出会いがあると思っています。そんな出会いの一つ一つが、今の僕には未来の財産になるものと感じて止まないのです。

2010年1月9日土曜日

展示終了間近

中村ノブオ写真展の展示がほぼ終了しました。


今回の展示点数は41点と、過去の写真展よりも多めになっています。大判作品は1点のみですが、11×14、8×10インチサイズが、逆にスタンダードな写真作品として成立しているように思います。

もちろん、全て、モノクロ・ゼラチン・シルバー・プリントです。作品ひとつひとつの描写力、プリント品質は圧倒的で、写真本来の良さが余すことなく表現されています。会場の雰囲気や大きさを意に介さないような佇まいは、何か潔さすら感じさせます。

今回はそんな作品群を、2種類の会場設定で見ていただく予定です。前半はギャラリー内部を3つの部屋のような設定にし、それぞれの趣向に合わせた形で見ていただきます。後半は、広い空間の中で自由に見ていただけるような形にする予定です。

たぶん、好みは分かれると思っていますが、展示という表現手段の違いによる趣向は、自身の個展や発表の方法の参考にもなるものと思っています。また、昨今の作品の大型化はいたずらに見る者にインパクトを与えるような印象があり、時に息苦しささえ感じる場合もありますが、そうではなく、カメラアイとして日常の光景や人々が切り取られた情景を、そのサイズに近い形で表現された作品で再認識していただきたいと考えています。

2010年1月8日金曜日

アリス=紗良・オット

アリス=紗良・オット


先週TBS系列「情熱大陸」でピックアップされた弱冠21歳、新進気鋭の女性ピアニストです。名前から察せられるように、ドイツ人の父親と日本人の母親のもとに生まれ、現在もドイツを本拠地とし、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学の特別奨学生として学生生活も送っているようです。

公式サイトのプロフィールによると、4歳でピアノを始め、5歳の時に初めてのコンサートで入賞、その後ヨーロッパを中心に数々のコンクールでの優勝、数年前からは日本でもコンサートも行い、2008年にニューヨークデビューをしています。

その中でも、2008年にドイツ・グラモフォンからCDアルバムをリリースしたことは、特筆すべきことだと思います。ドイツ・グラモフォンと言えば、世界でもっとも長い歴史を持つクラシックのレコードレーベルで知られていますが、番組の中でも、彼女と契約することはひとつのギャンブルであったというような事を話していました。その言葉は、実力や実績がある程度あっても、その人物にプロとしての資質やオリジナリティー、何より人を魅了するような何かが伴わなければ契約は出来ないことを物語っています。

番組での彼女の表情は、同じ年頃の女性とは少し何かが違って見えました。それは威風堂々というか、音楽で生きていくことへの自信や覚悟から得られたものが、ごく自然に表れているような感じです。日常の生活の中で、妹と交わされる会話では普通の女性と同じだよと思えなくもないのですが、僕にはそれでも何かが違って見えます。

日本でも今後更に注目されていくことは、間違いないような気がします。今年はショパンの生誕200年に当たる年のようですし、メディアが取り上げる機会が多くなると思いますから、またどこかでクローズ・アップされるかもしれませんね。

2010年1月7日木曜日

展示作業真っ最中!

昨日午後、作品が届けられました。梱包を解き、個々に収められた作品を箱から取り出す時はいつもわくわくと心躍ります。今回の作品は、いわゆる大判と言われるものが1点のみです。その他は半切やインチ判といった比較的小さなものになります。それでも、作品点数にすれば、41点に及びますので、展示作業は時間が取られてしまいます。


僕の場合、実際の展示は、先ず全体のテーマに沿った配置と流れを考え、大部屋を何分割かする感じでイメージします。そのイメージを思い浮かべながら、梱包された一点一点のイメージを確認し、大きさや枚数を見ながら、大まかな展示場所に置いていきます。

そんな作業と並行して、照明との関係やベンチシート等の備品の位置を考えています。これまでの過去3回の写真展では備品の位置は違っていました。それは家庭で部屋に調度品を置く場所を考えることと一緒で、優先は邪魔にならないこと(見る人と作品に対して)、アクセントとして突出しないことなどです。

一通り壁に作品を立てかけた後、少し休憩してから、初めて見るお客さんのようにゆっくりとギャラリー内を歩き回ります。その時は作品の順番や大小サイズ違いの作品に移る際の違和感、そして、自然に歩み見た時のリズムのようなものを確認しているように思います。他人事のような表現ですが、見るのはあくまで僕では無いので、ある程度客観視した自分がいるからです。その中で、写真展全体の構成や見せ方、居心地良さといったものを表現しているわけでもあります。

ほぼこれでいこうと決めてからは、いよいよ壁にくぎ打ちを行います。メジャーと水準器を使用しながら、躊躇なく打ち込んでは作品を展示し、他とのバランスを取っていく作業がひたすら続きます。昨日は約半分が終了しましたので、展示自体は今日で終了の予定です。その後キャプション作成、取りつけ、照明の調整等がありますが、会期には充分間に合うと思います。

それにしても、今回の作品群はとても密度が濃いというか、写真本来の力が突出し、ビンビンと迫ってくる印象を受けます。これは作品の大きさにはまるで依存しないものです。

皆さんもきっと感じられると思います。是非、お楽しみにしていて下さい。

2010年1月6日水曜日

本格的に写真展の準備に入ります。

来週から始まる中村ノブオ写真展の準備が今日から本格的に始まります。年末年始がはいったので、作品は今日届く予定です。


いつも作品が届く都度、自然とモチベーションが上がります。梱包された箱から一点一点作品を取り出し、イメージを確認、同時進行で配置や構成を考えていきます。大まかな部分での展示内容はすでに考えてはいるのですが、実際作品を見ると変わってくることは良くあります。

今回はHPでの展示点数、構成が若干違ってきています。詳細は別途HP上でも更新する予定です。また、展示に伴い、会場設定も少し変わる予定です。当初から見に来ていただいているお客様は、ギャラリーに入られるたびに前回と違う雰囲気に気付かれていると思います。毎回無い頭を絞りながら色々と考えていますが、そんな部分も楽しんでいただければと思っています。

ハービー・山口写真展に引き続き、メッセージ記入帳も置きますので、ご来廊の際は是非記入していって下さい。

昨夜はものすごい風で、眠れない夜を過ごしましたが、今は作品が無事届くことを祈り、開けた瞬間の高揚感を楽しみたい気分でいます。

2010年1月5日火曜日

PCが動かない!

先日部屋のPCが起動しなくなったと書きましたが、昨日からサポートも始まったので、早速電話をしてみました。年明け初日だということもあるのか、平日の午前中だったのですが20分程度待ちました。「今お切りになりますと、順番が最後になります。もう少しお持ち下さい。」とのメッセージが何度か繰り返された後、しばらくして「あと3分程度でお取りつぎ出来る予定です。」と変わりました。オンフック状態にしながら昼食の準備をしていたので、時間はそれほど長く感じませんでしたが、急いでる人にとっては結構イライラするでしょうね。


2度目のメッセージが聞こえた後、取次のダイヤルが鳴り、女性オペレーターの声が聞こえたところで、受話器に手を伸ばしました。明らかに日本の方ではない話し方に少し戸惑いながらも、症状と対応を行っていきましたが、結論的にはOSのファイルが壊れているようです。なので、再インストールが必要とのことです。重要なデータは他のPCや外付けHDに移管しているので、大きなショックはありませんが、また設定が面倒だなとの思いが頭にもたげました。

一旦電話を切り、ギャラリーでの仕事を片付けてから、夜に再インストール作業をおこなったのですが、これがうまくいきません。まぁ、仕事関係にはあまり影響がないのが、不幸中の幸いですが、次々に出現するエラーメッセージに少し凹みながら、昨夜は結局あきらめてしまいました。

さて、今日はこれから何箇所か年始回りをしたり、展示品を送ったり、色々と用事があるので、落ち着いてPCに向かえないような気がします。PCはあって当たり前で、普段何事もなく動くものと思っている人が多いと思います。トラブルが発生した時に、まるで厄災にでもあったような感覚になるのは、PCが生活の中で欠かせないものに認知されている証拠なのかもしれません。

明日以降は本格的に展示準備です。今日しかないと自分に言い聞かせながら、一つ一つ片付けていくつもりですが、なんとかなるだろうという楽観的な思いと面倒くさいなぁという投げやりな気持ちが交錯しています。

先ずは、仕事からこなさないと。

2010年1月4日月曜日

対話のあるギャラリー

ここ数日、ギャッリーにいる時間も少なかったので、朝入るとひやりとします。年末営業をしている日は暖房で常に暖められているので、翌日朝も少しは暖かい状態でした。年明け3日は、午前中から2、3時間しかいなかったことと、気温が非常に下がったこともあり、エアコンを入れてからしばらくは上着を着たままでいなければなりません。


正月3日はとてもぼんやりと過ごしていました。年賀状やメールもぼちぼちといただき、それらを見ながら、送っていだたけた方の顔を思い出していました。例年、ごく決まった方にしか年賀状を出していなかったのですが、今年はお世話になった方には出来るだけ出すようにしました。といっても、来廊された方やイベントに参加された方で、住所まで分かっている方はまだ多くはないので、全体の1/5程度だと思います。

本当は一枚一枚手書きで行う方が良いとは分かっているのですが、字もへたくそで、間違いがあっても良くなかったので、住所はラベル印刷にしました。あまり、気にしていなかったのですが、昨日改めて眺めていると、同じ名字の方が意外に少ないことに気がつきました。

僕は、日本で一番多い名字で、学校や職場では同じ名字の人が必ず何人かはいました。その為、普段は名前で呼ばれることが多かったと思います。今回出した年賀状で同じ名字の方は、斎藤さん4名(書き方が違うものも含めて)、鈴木さん2名だけで、他の方は全て違う名字の方でした。これが何を意味しているかは想像出来ませんし、ただの偶然なのかもしれません。地方は割と特有の名字や多い名字があるものですが、そんな傾向もありません。

一期一会の言葉のように、この一度限りの出会いの方もいらっしゃるのだと思います。ですので、出来るだけお話やお付き合いをさせていただければとの思いがいつもあります。これは、営業につなげるという意味合いはあまり強くなく、単純にお客さん自身の言葉が聞きたいだけなのだと思います。

今年も対話のあるギャラリーでいきますので、来られたら、是非話しかけて下さい。
まだまだ、いろいろな引き出しはありますので。

2010年1月3日日曜日

時間の感覚

正月三が日と言いますが、今年は今日が日曜なので、明日から仕事始めのところも多いと思います。年始の休みが3日までだと、何か慌ただしく終わってしまうような気がします。


帰省してきた方々は、今日には戻らなければならないですから、行き帰りの時間を考えると、ゆっくり出来る時間が少ないかなと思います。

東京、仙台間が新幹線で2時間と、特急しか走っていなかった時代に東京に出て行った者としては、それはもう便利で、ひと眠りすれば着いてしまうように感じます。それでも、仕事以外ではそう頻繁に乗るようなことはありませんでした。

以前から感じていたのですが、東京から関東近郊に電車で遊びに出たりすると、すぐに2時間はたってしまうことが多いのです。特にバスを使ったり、乗り継ぎが不便だと、なんでこんなにかかるのと首をかしげることもままあります。

関東では通勤で1時間はもはや当たり前で、毎日2時間近くもしくは越えた時間を過ごすサラリーマンがたくさんいます。でも、その2時間と東京・仙台という遠距離に要する2時間はまるで違う感覚を受けていました。

多分、2時間の密度というか濃さが違うんでしょうね。それは気分や雰囲気といったものにも大きく影響されると思います。楽しい時間がアッという間に過ぎてしまうとは違いますが、僕の場合は、新幹線での2時間は気分的にはとても希薄に感じられます。それでも日帰りで600km超の移動距離は、移動時間の割には肉体的に疲労感を残します。

移動時間が短くなった分、疲労感も希薄になってよいはずですが、そうもいかないのが不思議なところです。科学や文明が発達していっても、思いのほか人は変わっていないので、本来の感覚がそれに付いて行けないからなのかもしれません。もちろん、それは僕だけのことかもしれませんが。

去年は一度も東京へ行くことはありませんでしたが、出来れば機会を作って行きたいとは思っています。そして、もし行くことになった時に、僕の体がどんな感じを受けるのだろうと楽しみではあります。

2010年1月2日土曜日

当たり前に食べられること

新年2日目。


昨日未明から風が強く、部屋の窓ガラスがバタバタと声を上げています。築30年の鉄筋マンションなので、多少スキマ風が入っているような気もします。polkaも時々顔を持ちあげて窓の外を眺めています。

天気は良いので、今頃は初売りに出ている人も多いのかと思います。仙台の初売りは全国的にも有名で、僕がいた頃は3日が初売りだったと記憶しています。前日から徹夜で並んでいる人も出るほどで、まさに一年がこれから始まるんだというお店の気概が感じられました。

最近は地元色も若干薄れてきているような気もしないではありませんが、コンビニやスーパーが元日も休まず開いていますので、それはそれで仕方ないことなのかもしれません。でも、正月、元旦から食料が買えたり、お店でご飯を食べられたり出来るようになってからは、一人暮らしの方にはすごく便利になりましたね。僕的には気持ちが楽になったというか。

僕も一人暮らしが長かったので、東京でも正月が休みになった時は、さて、晩ご飯はどうしようかと思ったことがよくありました。実際、自分で料理もしなくなり、正月用の食料買いなんか出来ないほど年末ぎりぎりまで仕事をしていたりしていたので、ほんと困りました。

でも、もう10年近く生活感のない生活をしていたので、部屋に炊飯器がないことも当たり前のようになってしまい、冷蔵庫に飲み物しか入っていないこともごく自然に思えていたのですが、去年仙台に戻ってからは、近くにある実家で食べさせてもらっているので、だいぶ食生活も変化しました。

食べる事って、人のもっとも基本的なことなので、それが一変すると肉体的な部分はもちろん、気持ち的にも変わるものだと思います。今はお腹周りが少したるんできましたが、ほんと有り難いことだと感じています。あまり口に出して言えないのですが、いつも感謝しているのですよ。これが当たり前だと思わないように。

2010年1月1日金曜日

新年明けましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。


仙台の元旦の朝は、雪模様でした。昨夕から降っていた雪がうっすらとギャラリーの前の通りに積もっています。初日の出はどうだったのでしょうか。

僕は4:00頃一度目を覚まし、外を覗いてみたのですが、当然外は真っ暗で、雪が舞っていました。その後、また寝てしまい、起きた時にはすでに窓から陽が射しこんでいました。今は、雪が降ったり、止んだりと落ち着かない天気です。

そんなわけで、初日の出の様子がわかりませんので、昨日最終日だった「光のページェント」の画像をアップします。最終日ということもあり、点灯の17:30前にはすっかり観客はスタンバッていて、身動き出来ないほどでした。そしていよいよ点灯となり、その瞬間にあちらこちらで歓声が上がりました。



この画像は定禅寺通り入口から撮ったもので、画像右側の木々に取り付けられた光が、そこから先ずっと続いています。ちょうどその頃から雪が降り始めました。夜空に向けられた光が、舞い降る雪をきらきらと反射させ、なかなかの光景でしたね。


さて、今年がどんな年になるかは想像も付きませんが、昨日聞いた歓声はとても勇気づけられるものでした。それは、作られた歓声ではなかったからですね。まだまだ、人々は感動や驚きといったものを純粋に求めているのだと思います。それは生活するにはそれほど必要のないものかもしれません。でもそんな出会いや発見が心豊かにすることだけは確かなのです。

人々が集い、感動や衝動を共有出来るような空間。気がつくと、こんなにもいたんだと思えるような、そんなギャラリーでありたいと思います。

今年も、皆さんのお出でを心より願っています。