2010年1月18日月曜日

阪神・淡路大震災から15年

阪神・淡路大震災から15年が経ち、テレビを始めさまざまなメディアで取り上げられています。15年の歳月は、単純にもうそれほど経つのかということの一方、よくもそんな短い期間であれほどの被害から復興したものだという思いが交じります。


現在、神戸市民の中でも、約1割の人々は震災を知らない人たちだと言います。その人たちは親や親戚、周りの住民の方々から、その時の状況を聞くことはあるでしょう。戦争もそうですが、その体験を人に語ることは、その人にとっても非常に苦しいことです。かと言って、忘れ去るにはあまりにも大きな出来事だったわけで、それは後々に伝えられ、生かされていく必要があると思っています。

現在、芦屋市立美術博物館で、企画展「震災から15年」という写真展が開かれています。ニュース報道によると、5年刻みで開かれているようです。被災者が撮影した避難所などの写真を展示するほか、公募で集まった市民16人の記録写真約500点が展示されているとのことです。

今朝のニュースでは、当時は報道の過激さから被災者は写真に撮られることを極端に嫌がり、報道写真を撮れるような状況ではなかったと、当時ボランティアをしていた男性が語っていました。そこで被災者自身にフィルム入りカメラを渡して、自ら写真を取ってもらうよう協力を仰いだそうです。

そんな身近な記念写真でもあるかのような写真のいくつかが紹介されていましたが、それぞれの写真の背景には瓦礫となった家屋があったり、外で食事をしている写真なんかは撮られた日付を見ると、震災から2カ月後であったりして、やはり損害の酷さを物語っていました。

元来写真は記録媒体として重要な部分を担っています。それは、目の前のものを、あるがままの姿で残し伝えると言うことです。それは乱暴な言い方をすれば、報道カメラマンであれ素人の方であれ、記録として残る写真としては遜色のないものであるように思います。

月日が経つにつれて、記憶というものは非常にあいまいでぼんやりとしたものになってきます。その時の強烈な印象ばかりがいつまでも残り、他の小さな幸いのようなものは忘れ去られてしまうものです。

この震災で幸いを感じた人は誰ひとりいないと思いますが、その中で笑顔を忘れず頑張っていた人々の姿と短い時間で復興をしていった人々のパワーは、現実のものとして写真に残されています。そしてそれは、これから先も伝えられるべきもののひとつであると、僕は思います。

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