2010年2月28日日曜日

津波が来ています。

現在、太平洋沿岸に津波が来ているらしいです。


NHKでは各地の波の予想高さを提示して、注意を促しています。昨日15時過ぎに起こったチリでの大地震の影響のようですが、日本には13時30分ごろ到達すると言う事です。

津波が来るといって、具体的にどういう対応をすれば良いのかが分からないですが、先ずは避難なんでしょうか。それから、土のうか何かを積み上げることぐらいしか思い浮かびません。

宮城県沖は3mの予想でしたが、一口に3mって凄いことです。ギャラリーの天井高が2.4mですから、それ以上の高さになります。人なんか簡単に呑み込まれてしまいますので、絶対に近寄りたくないですね。

地震もそうですが、自然災害はいつ何時起きるか分からないし、分かっていても完全に対策出来るわけでもないですから、大抵の場合困惑してしまうだけです。最近のハイチ大地震の状況をニュースで見ると、国の貧困さや経済状態に違いはあっても、それ以上に地震そのものによる被害がいかに悲惨であることが分かります。

普段からそういった災害に備えて何かをしているかと言えば、僕の場合は何もしていない状態で、多くの方もそうなのではないでしょうか。近年の家や建物等はその耐震構造を充分に検討されて作られていますが、そうではない所も多くあるはずです。

万が一に備えて対応を打つことは非常に大事だとは誰しも思っていることですが、それを実行することは色々な面で難しいことです。僕もそうですが、自分は大丈夫だろうとの思いがどこかにありますからね。

何はともあれ、日本の裏側で起こった地震の余波が、今、現実として来ているわけです。とても不思議な感覚のように感じますが、本当に何事もないことを祈るばかりです。

2010年2月27日土曜日

100%のパフォーマンス

ギャラリーには、屋外用TVアンテナとつなぐポイントがカウンター内に1つだけあります。これまでは、特に昼間にTVを見る必要性がなかったので、放っておいたのですが、オリンピックが始まってからは、ポータブルDVDプレーヤーをTVアンテナにつなぎ、やや写りは悪いですが、こっそりと見たりしていました。


昨日もそんな状況でフィギュアスケート女子フリーを見ていたのです。ポータブルですので7インチ程の小さな画面です。それでもリアルタイムで見れることが第一ですので、あまり欲張ってもいられません。

それにしても、フィギュア女子の3選手はよく頑張りましたよね。演技中も終了後のインタビューでも悔しさや喜びが体全体から伝わってきました。彼女らはアスリートであり、表現者でもあるわけで、4年に1度の大会、日本全国からの期待による耐えきれない程のプレッシャーの中、存分に自身のパフォーマンスを出していたように思います。

以前から日本人はプレッシャーに弱く、感情表現も苦手と言われていましたが、実際僕なんかもその通りです。大した人数でもない場所で話をする時でさえ、緊張して頭が真っ白になってしまいます。当日まで自分の中で段取りをし、この話の次はこれみたいに、繰り返し頭の中で行ったり、リハーサルしたりするのですが、いざ本番になるとそんなのはどっかに吹っ飛んでしまい、結局話したいことの半分も伝えられなかった事はたくさんありました。

彼女らと僕を比較することは、大変失礼に当たりますし、その次元も違うのですが、いずれにせよ実力を100%出し切ることはかなり難しいことです。今は、色々な選手から、本番の緊張を楽しむといった言葉が出てくるほどですから、そういった面ではずいぶんと変わってきていることは確かですが、僕らはそれが普段のトレーニングがあっての言葉であることを理解しなければなりませんよね。本番に強いと言われる選手でも、練習以上のパフォーマンスは出せないと思いますし、それを発揮できるほどの事をやってきているのです。

どの世界でも一流になればなるほど、周りは結果を求めてきます。でも、その陰では並はずれた練習や行動をしていることを、理解し、支援することが大事なことで、結果はおのずと付いてくるものと思ったほうが良いような気がします。

また、そんな人たちに、僕は惹かれるのだと思います。

2010年2月26日金曜日

日本人として。

オリンピックも残り少なくなりました。今日は日本中で注目の女子フィギュアフリーが間もなく始まります。連日の夥しい量の報道で、いやが上にも注目しなければ、日本人ではないような錯覚を覚えます。


こんな時には、誰しも日本人としてのアイデンティティーを感じるものですが、普段はどうなんだろうかと思う事がよくあります。僕自身、自分が日本人であることを強く意識したことは、これまでほとんどありませんでした。仕事で海外に行っても、現地の彼らとの接し方も日本で関係している人とのそれと変わらなかったように思います。

確かに文化や習慣が違うので、時折現地では何でも無いことに面食らうケースはあります。これはまずいだろうと思ったりもしますが、その場で突っ込みを入れることはほとんどしませんでした。先ずは一旦受け入れた上で、果たして今それを正すべきなのだろうかを、日本人としての意識無しに考えてから、しかるべき行動に移すようにしていたように思います。

それが正しいやり方であったかどうかは分かりませんが、僕には合っていたやり方でした。情報のやり取りや仕事のサイクルが急激に早くなるにつれて、それぞれの判断に要する時間が更に短くなり、個々の決断力や判断力が問われるようになりました。しかも、それが早い人ほど仕事が出来るような風潮の中、僕のような考え方は古いのかなぁとも思います。

でもそれは、僕の中では日本人としての先入観を取り除いた上のことなので、少々考える猶予は必要でしたし、そういう考えをしていくと、次第に日本人だからという事にあまり意味が無くなってくるようにさえ感じます。そんなことも、日本人としてのアイデンティティーをあまり意識していない理由なのかもしれません。

さて、あと約2時間後に女子フィギュアフリーの結果が出ます。今日は素直に日本人としの気持ちを持ちながら、テレビの前で応援したいと思っています。

2010年2月25日木曜日

少しずつ暖かくなっていきます。

今朝はずいぶんと暖かい感じがしました。


仙台に来てから、部屋での暖房を初めてガスストーブに変えてのですが、エアコンに比べると早い時間に柔らかい感じで暖まるのが結構気に入っていました。それでも、寝る時には切っていたので、翌朝はいつもかなり寒い状態でした。

そんなわけもあり、暖かい寝床でいつまでもぐずぐずとしながら、polkaに急かされる毎日だったのです。それが、今朝はそれほど寒さを感じないまま、目覚めるとすぐ起きていました。あいにく部屋に温度計がないので、実際の室温は分かりませんが、体感的には先週より2℃ぐらい高いような気がします。

もうじき3月、暦の上ではすでに春、やはり暖かくなるのが待ち遠しい今日このごろでしたので、余計そう感じたのかもしれません。暑さや寒さには絶対的な温度はありますが、その時々の気分でも感じ方は変わってくると思います。

確かに同じような寒さでも、東京にいた頃に感じたものとは微妙に違っています。毎朝7時前に出勤していた頃の冬の朝は、ひどく寒さを感じながら、駅まで歩き、まだ人影も少ないホームで震えていました。今は、同じ時間でも階下に下りていくだけなので、その時に触れる外気にも、確かに冷え冷えとした感じはしますが、震える程ではありません。でも、道路が凍りついていることもありますし、気温的にはこちらの方が低いはずです。

やはり、ある程度の温度差は、気の持ちようなのかもしれません。そして、これは気温に限った事ではありませんね。その土地土地で、さまざまな部分に温度差や習慣のようなものが必ずあり、そのあたりがかなり重要になってくるように思えます。

久しぶりの仙台での生活。まだまだ、そのあたりの按配が掴めていないように感じますが、これも徐々に分かってくるのだと思っています。

とりあえずは、気分は上々といった感じで毎日過ごせれば良しと思いながら、楽しんでいくつもりです。

2010年2月24日水曜日

Blue Moon

Blue Moon


月の満ち欠けは、平均約29.5日を周期として繰り返される。月の長さは2月を除けば30日か31日で、月の初めに満月になると、その月の終わりに再び満月が巡ってくる。ひと月のうちに満月が2回あるとき、この2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶ。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

今年は1月に起こりましたよね。多分2度とも見ましたが、その時は2度目の満月とは思わずに、今日はキレイな満月だなぐらいにしか感じていませんでした。月に2度の満月が発生するタイミングは、3~5年に一度と言われていて、その時の天候により見えない場合もあるため、とても珍しいことだと知ったのもそれから数日後でした。

今年は更にまれな年で、3月にもブルームーンが見られるようです。冬の空は空気も乾燥していてとても澄んでいるし、月も低く大きく見えるので、キレイな満月を月に2度見られることを考えるとなんか得した気分になります。

実際、大気の塵等の影響で青く見える場合もあるようですが、それは本当にごく稀な出来事なので、2度目の満月も含めて、"once in a blue moon" (めったにない)という熟語も生まれたようです。自然の織り成す事象は、文字通りであれば、ごく自然のことで何も不思議なことではないのですが、われわれはそれを特別なことと捉えて、思いを寄せるのは人としての感情の表れなのかもしれません。

それから、人はそれぞれに特別の日がありますよね。それは他の人が見れば、何でもない事にしか思えなくても、当事者にとってはとても大事な日なのです。毎日がそんな日だったら、少々疲れてしまい、何が特別かすら判らなくなるかもしれませんが、今日はこの曲を聴きながらスタートです。

http://www.youtube.com/watch?v=5eEpojMR33k

2010年2月23日火曜日

2並び・・・ネコの日

平成22年2月22日、2並びの特別な日。


昨夜22時22分22秒、その瞬間に2が11個並びました。昼のニュースで記念の切符や消印を求める方々が、駅や郵便局に並ぶ様子が流れていました。実はそのニュースを見るまでは、全くそんな日とは気付いていませんでした。

昨日は休廊日でもあり、いろいろと溜め込んでいた雑事を済ませ、次回写真展、企画について、いままでも協力していただいている会社回りをしなければと考えていたので、スケジュールや内容を整理することに集中していたのです。

夕方遅くひととおりの用事も済ませ、ギャラリーへ戻り何気なくネットを見ていると、誰が決めたのかは分かりませんが、ネコの日でもあることに気付きました。2並びがニャン、ニャンと読めることからだと思いますが、忙しい毎日ではあるけど、そういう心の余裕のようなものは必要だなと感じました。

また、楽しいことは自分自身で見つけなければならないもので、決してそちらから寄ってくるものではないと常々思っていて、出来るだけそんな行動をしようとしてきたのですが、このところ少し受けに回っている事が多いなと、その時思ったりもしました。

部屋に戻りドアを開けると、polkaはいつもと変わらず、玄関ドアの前に鎮座して、僕を出迎えてくれました。抱き上げて一緒に窓に近寄ると、きょとんとした目で少しだけを外の景色を眺めていたかと思ったら、すぐに僕の腕をすり抜け、いつものように水道の蛇口の前に上り、ニャンと鳴きました。(蛇口から出る水を飲むのが習慣になっているのです)

そう、今日はニャンの日なんだ、と思いながら、いつもより少しだけ長目に蛇口の栓を開けようと思いました。そして、首を横にかしげながら、出てくる水にかからないように、舌を出し飲んでいる姿を何も考えずに眺めていました。

2010年2月22日月曜日

私的な催し

昨日は、月一ペースで行っている私的な催しを行いました。私的な催しというように、HPにも掲載していない、ごくごく小さな集まりのようなものです。内容は写真に関わる映像や写真集の紹介、そして何より集まって下さった皆さんがフリーで会話を進めてもらう事を主にしています。


学校やフォトサークル等で写真を楽しんでいる方は数多くいらっしゃるし、写真関連の仕事をしている方、興味があり自身で写真を楽しんでいる方と様々な方がギャラリーに訪れてくれています。そんな方々は、なかなか親しい人以外の方々との交流を持つことは非常に少ないように思います。

ギャラリーを起こすに当たって、先ずあったのは、本物の作品をオリジナルで見ることで写真の再発見をしてもらえればということでしたが、それと同時に写真が好きな方々のコミュニティーの場にならないかなとも考えていました。なので、ギャラリーというイメージから受けがちな何か高尚なものであるとか、分かる人だけしか相手にしないような敷居の高いものは最初から望んでいませんでした。

4回目となる昨日も当日に直接来られたり、キャンセルがあったりと、結局4名程の参加になりましたが、僕が話を進めるというより、皆さんが話を始める方が早いので、時折、僕がいなくてもいいのではと思ってしまう程、話は盛り上がります。

そういう意味では、生の情報というか、普段中々話せない内容とかを、フランクに語れる場は、今だからこそ必要なものなのかもしれません。来月も行う予定ですが、もし、ご興味がある方は、下記のサイト、ご予約からお問い合わせ下さい。

いつでも、ご招待させていただきます。

http://kalos-gallery.com/infomation.html
 
 
 

2010年2月21日日曜日

記憶

オリンピックも前半の1週間が過ぎ、昨夜からハイライト番組が流れています。わずか1週間の間に起こった出来事が、遥か遠い昔の記憶のように感じるのは僕だけでしょうか。人は、歳を取るにつれて自然に記憶が衰えるものですが、不思議と昔の記憶の方が思い出されると言います。ごく最近起きた出来事を思い出せなくても、何十年前の出来事を強く覚えているような事です。


それは、客観、主観の違いが大きく影響しているように思います。大きな社会的な出来事も、自分との関わり方により記憶としての溝の深さが変わってきます。ある出来事が記憶として脳に刻み込まれる(物理的な意味ではなく)仕組みはよく分かりませんが、一般的にそのように思います。

また、同じ出来事であっても、当然ながらその印象は人によって異なるわけです。たとえば、ある人はその時期によく聴いていた曲があり、後にその曲を聴くとその時の出来事を思い起こすことがあります。また、その逆もありますね。

最近感じるのですが、僕の場合は、他の人と比べると記憶が薄いように思います。しかも、主観、客観問わず言えるのですが、だんだんとその時に感じた印象が靄に包まれるようにぼんやりとしてきます。果たしてそれが本当にあった事なのだろうかとさえ思う事もあります。

昔の思い出は遥か忘却の彼方へと流れ、今この場の瞬間しか覚えていないような事になってしまうような気さえします。過去は決して取り戻せないし、未来は誰にも分からないのであれば、それはそれで良いかなとも思いますし、先ずは今を考えることが第一との思いもあるので、余計そうなってしまうのかもしれませんね。

2010年2月20日土曜日

感動

昨日は男子フィギィアスケート高橋大輔選手の銅メダル獲得に、日本中が湧いていた感じですが、街頭でインタビューに答える人々からは口々に感動しましたとの言葉がありました。見も知らない人でもそうなのですから、関係者や家族の方々の喜びは想像以上のものだったと思います。


僕も実はライブで見ていました。最初の4回転で失敗した時に、やっぱり駄目なのかなとかなりネガティブな気持ちになったのですが、それ以降の演技に引きずらない姿は誰しもが感じるように感動ものでした。覚悟と潔さみたいなものがそこにはありました。

高橋選手の前に演技した織田選手の靴ひもが切れるアクシデントがあったので、余計そう感じたのかもしれません。何が起きてもおかしくないと分かった上で、目の前にあるひとつひとつを豊かな表現力でクリアしていく、その姿勢が心を打つのですね。

織田選手の靴ひもの件は、直前に切れていることが分かっていたけど、感覚が変わるのが嫌でそれを括りつけただけの状態だったと、本人がインタビューで答えていましたが、その感じはとても分かります。(気持ちとしてはですが・・・)

アスリートは技術、体力トレーニングの他にメンタルトレーニングを行っているのが、いまや常識になっています。常に自分を極限まで追い込みながら、日々トレーニングを行い、本番の数分間や一瞬に備えているわけですから、それにはメンタル面の充実や平静が必要なんですね。やはり人間は感情の生き物であるわけです。

感情を自己コントロールすることは、非常に難しいことです。何しろ結果が形として現れるかと言えばそうではなく、これもまた自分の感情の中で処理されるわけですから、これが正しいかどうかは本人さえも分からないのかもしれません。しかしながら、そんな感情の揺れの中、出来るだけ正しくいこうとする姿や行動が目の前で形となって現われることが、人々の心に伝わり、共感や共鳴し、感動と繋がることは間違いないのです。

昨日の高橋選手はそのことを見事に証明していたと、僕は思います。

2010年2月19日金曜日

写真集「ハーレムの瞳」を入手。

中村ノブオ写真集「ハーレムの瞳」を入手しました。残念ながら1冊ですので、非売になりますが、ご覧になることは出来ます。


写真集を見ていると、中村氏がどうしてハーレムという場所を選び、その人々に焦点を当てたかが明確になります。イメージ先行では無い、暖かい心がそこには溢れています。人々の表情には、懐疑心や猜疑心は一切見られません。ただ物珍しいものを撮りたいと言う気持ちはさらさら無いことが分かります。


ストレートであるが故の哀しさを感じる写真はありますが、ここにある写真には一点の曇りも無いすがすがしさを感じます。人種を飛び越え一人の人間としての優しさやふれあいが随所に見られます。

展示されている銀塩プリントの濃密な描写もきちんと表現されていて、とてもまとまりのある写真集のように思えます。とても分かりやすく、素直で実直な印象を受けるのは、中村氏の人柄によるものなのかとも感じました。

写真集と展示品との見比べをしてもらっても面白いかと思います。

気軽にお声をかけて下さい。

2010年2月18日木曜日

次回写真展案内状が出来てきました!!

急に雪が降り始めました。首都圏でも積雪のニュースが流れていましたので、こちらでも午後ぐらいには降るのかなと思っていた矢先、堰を切ったように降り始めました。


中村ノブオ写真展も残り3週間を切りました。雪や寒さで外に出るのがためらわれますが、展示されている作品は、この機会を逃すと間近で見ることが困難であるほど貴重なものばかりです。ヴィンテージ・プリント(1980年代当時にプリントされたもの)は、必見です。是非、多くの方に見ていただきたいと思います。

そんな中、次回の吉野和彦写真展の案内状が出来てきました。今までの案内状は、僕がレイアウトを決め作成していましたが、今回は吉野氏と親しいデザイナーである儘田能光氏が行っています。使用するフォントやレイアウトを見ると、さすがにプロだなと思わざるを得ません。


儘田能光氏は奥さんと一緒に都内にデザイン室を構え、グラフィックデザイン、イラストレーション、立体、絵本など幅広い制作活動をしています。
HPはこちらになります。ご興味のある方はご覧下さい。

http://www.mamada-d.com/mamadadesignoffice/top.html

僕自身、これといった人脈も無い中、さまざまな方にご協力いただきながら、楽しみ、悩んでいる状況です。写真を通して、まだ出会っていない方々に感動や共感や驚きを受けてもらえるようにと想いながら過ごす毎日です。

2010年2月17日水曜日

朝一番、オリンピックから始まります。

朝一番から、バンクーバーオリンピックに見入ってしまいました。


スピードスケートの女子五百メートル、カーリング予選とチャンネルを切り替えながらの観戦です。今は、フィギュアスケート男子シングルSPがスタートしていると思います。

スピードスケートの女子五百メートルは、男子のメダル獲得の追い風がありましたが、残念ながら吉井選手の5位入賞に止まりました。でも、やはり岡崎選手の2回目終了の笑顔は良かったですね。成績は決して満足いかなかったと思いますが、岡崎選手の走りを見ていると、こちらまでワクワクとし、元気づけられます。

カーリングはアメリカとの初戦でしたが、ルールが良く分からないながらも、攻めている姿勢がとても良かったです。最後はメジャーで計測での勝利という幕切れで、予選とは思えない程、息詰まる一戦だったと思います。

カーリングは選手にピンマイクがついているので、試合中の会話が聞こえてきます。ゲームの組み立てについての内容はあまり分からないのですが、最後にメジャー計測になった時、目黒選手がガッツポーズをしてしまったと話しているのを聞いた時は、競技中でありながらに本心が聞けた感じで、とても面白かったです。

解説の時に、画面にボードかなんかの絵を出して、そこに次の狙いどころをマークするとかあると、より理解出来るのになぁと思ったりもしました。

真夜中にある競技はなかなか見れませんが、早朝から始まる競技は、歳のせいもあり苦も無く見ることが出来ます。そんなわけで、しばらくは朝のテレビ観戦が日課のようになることと思います。

さて、フィギュアスケートを見なくっちゃと。ギャラリー内には今のところテレビはないので、ちょっと上まで戻ります。

えぇ、仕事の方は? 大丈夫です。しっかり今日も開きます。

2010年2月16日火曜日

花のある部屋


花のある部屋は、それだけで心和むものです。


画像に写っている花は、先週土曜日にハービー・山口写真展でイベントとして「The Big Love Messege」がありましたが、それに当選された方からのものです。現在行われている中村ノブオ写真展で、「New York Style」と銘打った小部屋の入り口テーブルに置いています。不思議なもので、それだけで雰囲気が変わったような気がします。

お花を持って来られるとは思ってもいないことでした。とても元気をもらえました。奇しくも次回写真展は花とオブジェをモチーフにした吉野和彦“TRANSITION”を開催します。テーマは違いますが、自然とそれら作品群に囲まれた空間を意識してしまいました。

本当に有難うございます。

また、昨日は写真学科がある東北では数少ない専門学校の卒業展を観に行きました。若い人達のエネルギー溢れる作品に触れると、何か眩しい感覚に捉われます。イラストレーションやマンガや雑貨など様々な分野の作品群は、ジャンルに違いがあるにしても、自己表現手段は自由であることを、今更のように感じさせます。

アートは堅苦しく、分らないものではなく、より身近なものとして楽しむべきだと思います。僕はその紹介者、翻訳者のようなものだと、自分では思っています。このブログのタイトルはモノローグですが、いつもダイアローグでありたいと思っているのです。

2010年2月15日月曜日

3Dテレビ

映画「アバター」のヒットやパナソニックの3Dテレビ今春発売の発表と何やら映像の3D化が一般人や家庭へと拡がる予感がします。バンクーバーオリンピックを見ていると、その鮮明な映像が3Dで見られたら、がらりと印象も変わるだろうなと思ってしまいます。


3Dというと、飛び出すイメージが強いと思いますが、実際はその奥行き感で映像の幅や迫力を増すようです。映画「アバター」も見ていないので、実際の体感を説明出来ませんが、いろいろな人の話を聞くとそのようです。

僕も3Dには少し関わりを持っていたので、とても興味があります。もっとも僕の場合は商品や部品の3D設計や解析が主でしたから、楽しみや娯楽の対象で見たことはありませんでした。今から、15年程前ですが、当時はバーチャル・リアリティーと言われていました。

ハードやソフトがそれぞれ進化しながら、お互いに追いつき追い越ししながら、研究されていた時代です。

それにしても、それからわずかの期間で、一般家庭でも3D体験が出来るようなハードが出来たことには素直に驚いてしまいます。一方、家庭に入り込んでくると色々と問題は出てきます。ソフトの充実は勿論ですし、テレビ各局がどんな対応を見せるかとか、もっとも懸念されるのが人体への影響ですね。

1990年後半だと記憶していますが、ソニーからヘッドマウントのディスプレー「グラストロン」が商品化されました。ちょうどメガネのように装着すると目の前に大画面が見えると言うものです。たしか、一部3D映像も見られたように思います。その時も、目への影響から15歳以下の使用を禁止したり、長時間での観賞を避けるような表示がされていました。そして、その後普及されないまま発売は中止になりました。

今後商品化される3Dテレビは、その辺の配慮はされては来ると思いますが、なにしろ初めてのことなのでどのような問題が出てくるかが分からないのではないかと思います。人の欲求は計り知れないもので、最初の驚きはつかの間で、さらに上を要求するものです。しかも、その前提として、心地よさ、快適であることを望むように思います。実際、僕もそうですし。

なので、単純に開発者と一般消費者とのギャップとはならないで欲しいと思っていますし、、最先端の技術であっても、消費者の目線に沿った商品として、市場に投入してほしいのです。

2010年2月14日日曜日

何度目かの「カフェ・ミュラー」

昨夜遅くピナ・バウシュの「カフェ・ミュラー」を見ました。もう何度となく見ているこの公演は、2006年春にインタビューと共にNHKが放映したものです。


見るたびに感じる哀しさや切なさはそのままに、やはりピナ・バウシュ自身が奏でる表現力に圧倒されます。この時、すでに65歳だったと思いますが、無駄の無いなめらかな動きには、迷いも見られず、美しさや透明感を備えた立ち居振る舞いはその年齢すら感じさせないものです。

この番組のインタビューで、ピナ・バウシュ自身がマクベスをモチーフにした時の作品創作方法について述べています。しかし、ここで述べられていたことは、創作の方法論ではありませんでした。ピナ・バウシュは次のように話しています。

「私の方法というものは本当にはありませんし、方法を持とうと思ったこともありません。 私がやっているのは、どういうやり方でなら自分の言いたいこと、表現したいことのエッセンスを見つけられるかの模索です」

このことは、何もダンスに限ったことではありません。誰もが無意識に考えていることのようにも思えます。ただ、アーティストはそれを自身の内で意識的に絶えず考え、思いめぐらせているのだと思います。自己表現についても時間とその濃密さが違うとも言えます。そして、そこで見つけた本当に今表現したいことや感情の発露のようなものを作品として昇華しているのです。

ピナ・バウシュは、去年7月にガンで亡くなっています。多分、2006年の公演が日本では最後のピナ・バウシュ自身が出演したものだったと思います。この放映を見るたびに、やはり、あの時会社を休んでも見に行くべきだったと後悔しているのです。

http://www.youtube.com/watch?v=Jm70fMM3JAk

2010年2月13日土曜日

人馬一体

今日からバンクーバーオリンピックが始まります。


オリンピック開幕に合わせるように、有力選手や注目選手がテレビ各局で紹介されているのを見ていると、それぞれの人がそれぞれのドラマを持ちながら、大会に臨んでいることが分かります。

アマチュアスポーツの場合、多くは活動する為の資金が大きな問題になっています。世界的スケールで活躍している場合でも、そのスポーツ自体の人気や注目度があまりない場合は、スポンサーも付かないことがほとんどです。オリンピックに出場するクラスの選手は、アマチュアの域をはるかに越えているように思うので、この辺はもっと公的に援助をしてほしいと思っています。

特に冬のオリンピックは、シューズやウエアを別にして、必ず道具を使っています。雪上、氷上で行うわけですから、普段の格好では出来ないわけです。テレビやメディアでも様々な用具の解説が行われていました。

よく目にするスキー板やスケート靴の多くは大手企業のものですが、普段目にすることのないリュージュやスケルトン等の用具は、中小企業や町工場で製作されていたり、その部品が使用されています。大企業による研究、開発は容易に想像出来ますが、直接利益に繋がらないと思われるトップクラスの用具製作が職人の技術で行われていることに驚いてしまいます。

今でも、日本の技術の域は世界でもトップだと思っています。その下支えをしているのが職人と言われる人々です。職人の技術を生かしながら、機械化や大量生産化し、世界トップの品質に上げていったわけです。

そんな人たちの真摯な姿勢や技術の結晶のような用具が、選手と一緒にオリンピックの舞台で披露されます。用具自体には感情もなく、ましてや生き物ではありませんが、そのひとつひとつにはそれを作り上げた人々の想いのようなものが込められていると思います。

昔から人馬一体という言葉がありますが、まさにそんな感じがするのです。

2010年2月12日金曜日

やっぱりエレベーターは苦手です。

やっぱりエレベーターは苦手です。


変な書き出しですけど、マンションのエレベーターはどうにも馴れません。閉所恐怖症というわけでもないし、高層ビルはとても好きで用事もないのによく上っていたりしていたのですから、他に理由があるのだと思います。

そんなわけで、これまで僕が住んでいたアパートやマンションは低層でエレベーターもないものでした。仙台での部屋探しにあまり時間がなかったこともあり、広さと賃貸料の兼ね合いから選んでしまったのですが、エレベーターでの上り下りはやはり好きにはなれません。

公共や居住区のないビルは、それこそ不特定多数の人間が乗るもので、しかもほんの数秒ではありながら、見も知らない人と密室状態になるわけですから、よっぽどそちらの方が危ないような気もしますが、そんな場所ではあまり気になりません。むしろ、今自分が住んでいるとか知り合いがいるようなマンションの方が妙に気になり、出来るだけ一人で乗るようにしています。

それから、途中の階で止まったりするとその度にドキリとしてしまいます。扉が開いた瞬間に時間が止まっているような感覚を覚えることもあります。大抵は、何事も無く降りるわけですから、単純に人見知りなだけなのかもしれません。

また、時折エレベーターに乗り込んだ際の残り香が気になることがあります。気になると言うか、何か生活感を感じてしまうと言うか、そこに居たであろう人を勝手に想像してしまう傾向にあるようです。特にマンションは、同じビルで時間を共にしているのですが、隣の人も分からないような状態です。もちろん、部屋の中は全くのプライベートな空間なので、そこで何が起こっているかは知る由もないのですが、そのひとかけらがエレベーターという特殊な空間に運ばれてくるような感じがするのです。

こんなことを考えているのは僕だけでしょうか。

2010年2月11日木曜日

休日の過ごし方

今日は建国記念日で祝日です。


10年以上、祝日、日曜関係なく平日に休みを取っていた為、休みの感覚が世間とはずれています。実を言うと、今日の祝日も、はて、何の日?と思い、改めてネットで建国記念日と確認した程ですから、いかに祝日に対して無頓着であるかが分かります。

平日の昼間の雰囲気は、やはり人通りも少なく、割とゆっくりとしていられますし、美術館やギャラリーも閑散としている場合が多く、その分落ち着いて見られるので、いつしかそれが当たり前のような感覚になってしまっています。

ごくたまに、祝日と平日の休みが重なった時なんかは、知らずに遊びに出て、今日は何か人が多いなと思う事がありました。そんな時は、そそくさと部屋へと戻り、わざと時間を無駄にしているような気分で、だらだらと過ごしたりもしました。これもたまには良いものです。

以前の休日は、昼はギャラリー回りや写真を撮ったり、夜は大抵芝居を観に行っていたので、特に夜のスケジュールは2カ月ぐらい前から決まっていました。決まっていたと言うより、自分で決めてしまっていたわけですが、意外に後で他の予定が重なったことはありませんでした。まぁ、その分他の人にだいぶ迷惑を掛けていたのかもしれませんが…。

芝居やコンサート、友人との食事なんかで、予約を取ると、もうその時点から自分の中でイベントが発生しているように感じます。そこに至るまでのシミュレーションを頭の中で考えたり、内容はこうだよなとか勝手に想像したり、関連する事柄を調べたりしているのです。これもある意味、楽しみの在り方のような気がします。

見るものにも寄りますが、美術館やギャラリーに行く時なんかは、事前のチェックをある程度しておくと、見方が変わったり、より深く作品を見入ったりします。たまに、事前のワクワク感や期待する部分が大きすぎて、がっかりしたりもしますが、それは本物を見ることでしか得られない結果と思っています。

もし、ぽっかりと予定が空いてしまった方は、是非ギャラリーへお越し下さい。

2010年2月10日水曜日

少し苛立っていましたが・・・。

ベランダの雨漏り?が直ったようです。
昨日午前中に家主に状況を確認しに来てもらい、対応をしてみますとの回答を貰った後、夜までギャラリーにいたのですが、自室に帰ってカーテンを閉める際に見てみると雨漏りは止まっていました。

雨は降っていなかったので正確には雨漏りではなく、雪解けの水が上の階できちんと排水管に入っていかなかったらしく、ボードの隙間からもれてきたようです。なにはともあれ水びたしになる心配をせずにすんだので、ほっとして眠りました。

だいぶ昔、初めて東京で一人暮らしを始めた安アパートに住んでいた頃、2階で風呂の水を出しっぱなしにして、それが1階に住んでいた僕の部屋へ溢れ出てきたことがありました。その時も幸い台所だけだったので、掃除が大変でしたが、被害はそれほどでもありませんでした。まぁ、運がいいのか悪いのかよく分かりませんが。

そんなこともあり、最近は色々な部分で少し苛立っていました。人間、感情を伴い生きている以上、誰しもそんな時があるわけですが、過度のストレスや苛立ちは日々の行動や考えをネガティブな方向へと向かわせてしまうので、出来るだけ気にしないようにしています。かと言って、聖人君子よろしく常に平常心を保てるとも思っていないので、その辺のバランスが難しいところですね。

世の中の動きや流れがますます速くなり、身の回りで起きることをその時々で瞬時に判断することすら困難になりつつあります。僕自身、意識的に無意識的に社会との繋がりを感じながら日々を過ごしています。そして、意識的な繋がりは、その関係性から自分の本位ではないことが多いように思います。そういったことが、時代の閉塞感をますます大きくしていっているような気がします。

一方、そんなことばかりではないよね、といった希望のようなものは誰しも持っているものだと思っています。宮沢賢治が求めた「ほんとうのさいわい」なんかもそのひとつなのでしょうね。

2010年2月9日火曜日

いよいよオリンピックが始まります。

いよいよ今週末から始まるバンクーバーオリンピック。


テレビ、メディアの報道は活発に見られるようになってきました。内外のメダル候補選手の近況やドキュメントが多く放映されています。

開催されるバンクーバーは異常気象の暖冬で、雪不足が問題になっているらしく、大会運営に大きな影響を与えないことを祈るばかりです。4年に一度、オリンピックを目標にしてきた選手にとっては、晴れの大舞台ですからね。

大会日程やテレビ放映の予定を見ていると、以前書いていますが、深夜から翌午前中にライブで見られます。決勝の多くは、早朝から昼ごろまでに行われるので、少しだけ早起き、少しだけ覗き見をすれば、同時刻に体感出来るわけです。

スポーツはそのルールが良く分からないと、楽しみも半減してしまいがちですが、より速く、より遠くへといった競技が多いので、単純に速いなぁとかうまいなぁと言いながら楽しむ方が良いような気がします。

でも、一番の関心は日本選手がメダルが取れるかどうかですよね。長野以来、ほとんどメダルが取れていないこともあって、やはり期待してしまいます。この時ばかりは、日本人としての血を思い出す人々もいるわけです。

僕なんかもそんな一人なのかもしれません。普段は日本人としてのアイデンティティーをほとんど感じることがないまま生活しているのですが、オリンピックのような大会で日本人が活躍する姿を見ていると、素直に嬉しくなるものです。

時にスポーツは、作り物以上のドラマを見せてくれますし、そんな感動や感嘆を受けたいがために見ている場合もあります。それは、生活に直接必要不可欠かと言えば、決してそうではありません。

アスリートとアーティスト。語源的にどうなのかは分かりませんが、その姿勢やメンタルの部分では何か共通点を感じてしまいます。

2010年2月8日月曜日

何もしない日

自室のベランダが雨漏りをしているようです。


築30年を越える老朽化したビルなので、いろいろと問題はあって当たり前との感覚は、住む以前からありました。

実はギャラリーにおいても、オープン後いろいろと問題がありました。幸いなことに会期と会期の間であったり、甚大なものではなかったので、休まずに処理を行えました。

ビル管理を任されている担当の人とも何度か会って、すっかり顔なじみになってしまいましたが、最近はテナントの空室化とビル自身の老朽化で頭を悩ましているようでした。

このビルも当時は高層で、最先端だったと思います。その頃は僕もまだ仙台にいたと思われ、この付近に10階建のビル(今ではすっかり当たり前の高さですが)なんかはあまり無かったように記憶しています。時代も移り変わり、家主も変わり、当時の施工を知っている人はほとんどいません。

そんなわけで、ビル管理会社や家主自体でもよく分からないことがあって、改修には一苦労するそうです。結構、ずさんな取引の中、引き継がれている場合が多いのです。

さて、この雨漏りをどうしようか。とりあえずは、午前中は様子を見て、それから連絡しようと思います。ベランダには濡れて問題になるものもあまりないし、何より、今日は何もしない日にしようと決めていたので。

2010年2月7日日曜日

そこから始まる人

朝一番に窓から見る外の景色は、僕にとってはその日一日の元気の発露にもなっていて、眩しい光が差し込む瞬間、普段と変わらない風景が少し違って見えることが時折あります。それが気分というものなのかもしれませんが、そんな気持ちの積み重ねの中、日々生活しているわけです。


そう言った事では、昨日の雪景色は、あまり気分の良いものではありませんでした。でも吹雪の中、何人かのお客さんがお見えになった時は、素直に有り難いなと感じ、それだけで気分が上々になってしまいます。

ギャラリーの性格上、会期は2カ月と長めに設定されています。僕自身は毎日、1日の点検から始まって、その間ずっと眺めているので、正直なところ徐々に新鮮な感覚は薄れてきます。

それでも、見えられるお客さんは初めて作品や雰囲気に触れるわけですから、お話をするときには、出来るだけ感じた印象なりを崩さないように気をつけています。人との出会いの中で、第一印象が強く残る場合が良くあります。良いにせよ、悪いにせよ人は外見を先ず見るわけですから、自然にそうなってしまいますし、逆にとても大事なことだと思います。作品についても然りです。

ギャラリーサイドの解説や説明はあくまでも作品に対して付随しているもので、性格やテーマなりを理解してもらう為のものです。そこから、自身が感じることには、こちらから間違っているとか理解していないとかは言えません。

なので、先ずは自身の第一印象を信じてほしいと思います。それから、さまざまな種類の作品や空間を直に体感したり、経験を重ねることで、第一印象で湧き上がる感情に変化が生じてくるようになります。それが経験知であったり、未知のものに対する理解力であったりするわけです。以前読んだ本をその後読み返した時に、感じる場面や言葉がまるで違ってくることも同じ理由だと思います。

それは、そこで終わってしまう方、そこから始まる方という言い方に置き換えられるのではないかとも思っています。その根本として、生存という意味合いでは、必ずしも必要不可欠なものではないからですね。それでも、太古の人々は壁画として絵を残し、多くの芸術は未来の技術へと繋がっています。

深刻ぶることはさらさらありませんが、人の一生はそれほど長いものでありません。だから、僕は「そこから始まる人」を続けていたいと思っています。

2010年2月6日土曜日

外は大荒れです。

外は一面雪景色です。天気予報通り、昨夜からの雪が地面を真っ白に変え、今も横殴りの風を交えて、降り続いています。しっかりと積もりそうな乾いた雪です。日本海側や内陸の地方に比べれば、大したことはない程度だと思いますが、それでも足元に気を付けて歩かなければならないのがとても億劫です。


お天気のことはどうにもなりませんので、今日は一人のんびりとしていようと思います。さて、今朝もテレビを付けてみると、トヨタが大変な事になっています。お天気どころではない状況ですね。トヨタ自身も、今回のようなリコール・不具合が立て続けに起きたことは初めてではないでしょうか。

物作りを行っているメーカーは、あらゆる状況を想定しながら、品質テストを繰り返し、市場に出してからの不具合を限りなくゼロに近い形で生産を行います。リスクマネージメントの方法も、時代性に則して変更を重ねながら行われています。

それにしても、今回の一連の出来事は、トヨタらしくないです。まぁ、事実そうなので、これほどの問題になっているわけですが。世間的によく知られているカンバン方式は、徹底的な品質基準の順守があってこそ出来ることだと、僕は思っていました。乱暴に言えば、その日の生産はその日に調達したもので行うわけですから、何かあった場合は生産が止まってしまいますからね。

90年前半からだと思いますが、バブルもはじけ、物作りの世界でも急激に生産の海外シフトが始まりました。部品の調達はもちろん工場建設、移設などを行い、より安く、より早く、変化への対応が第一目標に変わっていきました。もちろん、一定のライン引きを行った上での話で、自社の品質基準に満たないものは受け入れられないが根本です。

当時、何度か海外(特にアジア圏)で現地調達等の仕事をした人は誰しも経験していると思いますが、先ず、質に対する考え方のギャップに頭を悩まします。それは実際物作りを行う、いわゆるワーカーの人たちに対して、どれほど理解してもらえるかで成功するかどうかが決まると言ってもよいと思います。

今回の場合は、アメリカでは現地調達品質、プリウスのブレーキ制御は開発・検証での甘さが直接の原因のように感じますが、本当はそれだけではない気がします。車産業は日本の基幹産業のひとつでもありますので、早く解決し、信用回復してほしいと思っています。

研究・開発のスピードは年々その早さばかりを求められ、その為、ある種妥協も生まれることは事実としてあります。それでも、技術者には自分の納得しないものを世に送り出すことは出来ないとの思いやプライドもあります。今一度原点回帰し、らしさを取り戻す必要があるように感じるのは、僕だけではないと思います。

2010年2月5日金曜日

真冬日に思う

連日寒い寒いと言っていますが、今年は冬らしい冬になっているだけなのかもしれません。今朝も、寒さに震えながらカーテンを開け、下を覗くと積雪がありました。昨夜遅くからいつのまにか雪が降っていたのですね。

天気予報では、今日、明日は真冬日に近いようです。真冬日は、最高気温が0度未満の日と言われていますが、これに風が加わってくると体感気温が益々下がってきますから、より防寒して表に出なければなりませんので、それだけで億劫になってしまいます。

近頃はどうなのかよく分かりませんが、仙台って北国の中でも寒さに対しては中途半端なような気がしていました。雪国のように家全体で防寒対策をしているわけでもなく、部屋の中もぽかぽかになるほど暖めてもいないので、家の中でもある程度着こんでいる事が多いように思います。

よく、もっと寒い地方の人が仙台に越してきた時、寒さの捉え方が違うと言っているのを聞くことがあります。これまで部屋の中ではそれほど厚着をせずに過ごしていたのが、余計に一枚着ていないと寒いね、なんてことも言われたりします。

僕も久しぶりに帰ってきたわけで、確かにそうかもしれないなと時折感じます。もっとも子供の頃は今よりもっと寒かったり、雪も積もっていた記憶もあるので、その頃の感覚とはまるで違うものだと思います。

人の感覚は、非常におぼろげでその時その時で変わっていくものです。それは、その人を取り巻く環境に大きく左右され、慣れや習慣、経験によっても変化していきます。また、一見平凡な日常の中で徐々に変わっていくものについては、その速度がゆるやかであるので、自分自身でも気が付かない場合があります。

僕自身ドラスティックな変化は、生理的に好きでは無く、その傾向は年齢とともに上がっているように思います。変化に対する順応という事だけを捉えれば、若い時分のそれよりも劣ってきているとも感じています。

それでも、いろいろな物や事に対する感覚は、絶えず変化しながらも、常にONの状態でいたいと思っているし、その状態が無くなった時がサヨナラの日なのかなとも漠然と考えたりします。

2010年2月4日木曜日

polkaは元気です。

いやぁ、寒いです。昨晩も刺すような寒さに震えながら、自転車に乗っていたのですが、今朝はまた一段と寒さが強くなったように感じます。このところ、陽が射していても雪が舞っていたり、雪解けの水たまりが夕方過ぎには凍っていたりして、仙台も立派に北国であることを意識させられることが多いですね。


そんな中、polkaは年末のフン詰まりからすっかり癒えて、調子が良さそうです。猫はこたつで丸くなると言われているように、寒さにはそれほど強くはないので、僕が部屋にいない時は、ベットにもぐり込んでいるようです。それでも、夜部屋のドアを開けると、すでに起き出してきて、目の前で出迎えてくれています。

東京で借りていたマンションは、4階建で1フロア1世帯というちょっと変わったところで、しかも1階が駐車場だったので、合計3世帯しか入居していませんでした。2階に住んでいた僕はある時部屋にpolkaと友人を置いて、外に買い物に行ったことがありました。買い物を終えマンションへ戻り、1階の共同玄関のドアを開けた瞬間に、polkaは部屋の玄関ドアまで走りその前で待っていたと、一緒に残された友人が話していたことがあります。

また、僕ひとりだけではなく遊びに来た人なんかと一緒に玄関ドアを開けた時は、必ず奥の部屋に隠れていました。その人が自分に安全な人かどうかを先ず確認しているようで、決してドアの前で待つことはありませんでした。マンション自体に滅多に人が入ってこない事もあったので、余計そうだったのかもしれません。

最近は休みの日に昼間一緒にいることが多く、自然にその行動が目に入ります。日常茶飯事的に起きている音(テレビや音楽など)にはほとんど関心を示さず寝ているのですが、ある特定の音については非常に敏感で、特に廊下を歩く人の足音やドアを開け閉めする音がするとすぐに首をもたげます。

元来、polkaは臆病で、人になつくことがありません。ですので、他人にとってはかわいくもなんともない猫だと思います。僕に対しても、それほど甘えることもありませんし、すり寄ってくる基準は自分が心地よいかどうかのような気もします。競争も無くとても正直すぎるほどの生き方なので、多分このまま外に放り投げられたら生きていけないと思います。全幅の信頼と言えるほど大層なものではありませんが、今のこの状況が永遠に続くものと疑っていないようにすら感じます。

一方、人は…と考えると、ちょっとだけ気が滅入ります。でも、誰の心にももっとシンプルに素直に生きていければという想いがあるはずです。また、そんな自分の気持ちに逆らわずに生きるというか、そのことを考える行為だけで、それで良しなんだろうと感じます。

そして、それは年齢や経験に依存しないものだと、僕は思っています。

2010年2月3日水曜日

節分の日・・・鬼って。

節分の日の今朝、仙台では雪が降っていました。節分、文字通り、季節の分かれ目を表わしています。なので、明日が暦上では立春になるわけです。春近しと言ったところですが、乾いた雪が降る様子を眺めていると、もうしばらくは寒さが続くのだろうなと感じてしまいます。


今夜、一年の厄や邪気を追い払う豆まきを行う家庭もあるかと思いますが、最近ではそんな光景も少なくなってきているのでしょうね。僕も小さい頃に、自分の年齢より1つ多く豆を食べると、丈夫な体になると言われたような記憶がある程度です。

節分と言えば、無くてはならない存在が、鬼です。大抵の場合、鬼は受け入れがたい悪の象徴となっています。実際、幼いころから聞かされる物語の多くでは、鬼は人間と敵対する相手として登場していますからね。

野田秀樹さんの芝居に、「赤鬼」と言うものがあります。かなり有名な芝居ですので、聞いたことがあるかと思います。この芝居は、何度か再演もされ、さまざまなバージョンがあります。僕が知っている限り、日本、イギリス、タイ、韓国バージョンがあり、それぞれ登場する役者の数や演出が異なります。

ここで登場する鬼は、明らかに架空の存在である鬼では無く、異文化圏の人間です。ただ見たことが無い、受け入れがたい存在の象徴として「赤鬼」と称されているのです。この場で、物語の詳細やレビューを書くととても長くなってしまうので、それはしませんが、野田さんはこの芝居で、さまざまな問題提起をしています。その手段として、日本を始め、違った言語、文化圏での演出方法の違いを見せているのではないかとも思います。

一年の厄や邪気を追い払う節分の日、いまやイベントとしての趣の方が強く、有名人や著名人が神社で豆まきをしている様子がニュースとして流されることでしょう。暗い世相や不況感を少しでも明るくしようとする試みは、それはとても良いことだと思いますし、そんな心持や気概のようなものに対しては、鬼でも受け入れたい気分にもなります。

鬼は外!福は内!との掛け声よろしく一年の厄払いをすることも良し、でも、そんな厄も含めてまずは受け入れることが大事と考えられたら、今までとは違った発見が出来るかとも思います。
だって、鬼は自分の内にあるのかもしれませんから。

2010年2月2日火曜日

外は雪でしたが・・・。

昨夜から降り始めた雪が、関東でも積雪となったようで、朝一番のニュースはまずそこからでした。東京では2年振りと流れていました。そう言えばそうだったかなぐらいの感じで表に出てみると、ギャラリーの前の道路には積雪はほとんどありませんでした。平日でもあったし、車の往来で雪は道端の方に残っているだけです。


そのかわり、きんと冷えた中にも朝のまぶしい光が一面を照らしています。このまま気温が上がれば、一両日中には溶けてしまうのではないでしょうか。路面凍結の方が危険ですから、暖かくなってほしいですね。

さてと、「THIS IS IT」見ました。久しぶりの5.1chの感覚はやはりいいものです。映像自体は始めからこれを制作しようとしていないので、特筆することはあまりないように感じますが、ドキュメンタリーとしてのリアル感は充分伝わってきます。マイケルはもちろん、このショーを成功させようとしている多くのダンサーやバックメンバー、何よりスタッフの熱意は尋常では無いですね。

あんな50歳見たことないです。(僕も違った意味でそう言われることがありますが)マイケルは言い尽くされているように、稀代のエンタテイナーです。しかも、音楽やショーといった部分に対する謙虚な姿勢や発言が随所に見られ、アーティストとして超一流であることが分かります。

また、非常に感心させられたのは、自分の思いや気持ち、技術的な部分も含めて言葉として伝えようとしていたことです。時に、抽象的な言葉であっても、ニュアンスとして伝わることはままあります。合点がいくといったことです。

まぁ、監督であるケニー・オルテガ自ら、舞台下からハンディ・カメラを回している様子が何度も映り込んでいましたが、この姿がマイケルへの思いの全てを表わしていたような気がします。

2010年2月1日月曜日

準備は万端です。

準備は万端です。


何がかって言えば、「THIS IS IT」を見る準備のことです。いつもは会期の合間にホームシアター化している場合が多いのですが、今回は本日だけの為に、わざわざリアスピーカーもセットしました。普段は、リアスピーカー無しで、センター、ウーファーを含め3.1chにしています。見るものの多くがドラマ系なので、リアをセットしてもそれほど効果的でない事もありますが、まぁ単純に面倒なのでそうしています。

マイケル・ジャクソンは、正直言って僕のアイドルではありませんでした。まだ若く多感な頃にはフォーク全盛で、皆がそうであったように荒井由実やら拓郎とかにはまっていたからです。それでも、ミュージックビデオ(死語?)なるものが初めて出現して、マイケルのそれを偶然テレビで見た時に、単純にすげえなぁと感じました。今思えば、その時の映像としてのすごさよりも、パフォーマーとしてのすごさに圧倒されたのかもしれません。

マイケルはジャクソンファイブのメンバーとして、1970年代半ばにモータウンから離れました。その後、モータウンや家族間でのいざこざもあったりながら、徐々にソロとしての活動が増えてきます。そして、アルバム「Off the Wall」の大ヒットにより、これまでの少年ボーカリストから脱皮したと言われています。

そして、1983年、くしくもモータウン25周年コンサートで、「Billie Jean」の間奏であの伝説と化したムーンウォークを初めて披露したそうです。

このDVDは、幻のLONDON公演のリハーサルやオーディションの様子を映し、編集したものです。普段アーチィストは自身のリハーサルや稽古の姿をあまり見せることはありません。なので、余計興味深いのです。

偶然ですが、今回の中村ノブオ写真展で展示されている作品の多くは1983年撮影のものです。当時のハーレムは、危険で衰弱していて、近づくことすら嫌がられた街でした。それでもそこにいる人々は、穏やかで素直な表情をしています。

そんな作品達に囲まれながら、もうじき届けられるDVDを心待ちしているのです。