2010年5月25日火曜日

身の程・・・身の丈

今日は朝から自転車で2か所ほど回っていました。昨日とは打って変わって夏のような天気の中、肌に感じる風がとても心地よかったです。たった今ギャラリーへ戻ってきたので、更新もちょっと遅めになってしまいました。さて、何を書こうかとおもむろにPCの前に座ってみたものの、何も思いつきません。そんなわけで、ここしばらく感じていたことを書こうと思います。


身の程に合った生活、身の丈にあった大きさを良しとして生きていくことはとても大切なことです。でも、もし、人それぞれに器が決まっていて、その大きさを自覚し、納得して生きているのだとしたら、それはとても悲しいことだとも思います。

遥か昔、日本に身分制度があった頃は、それがごく当たり前のことのように、社会制度として理解されていました。大多数の人はそれに従い、それが自分自身の将来へ直結していたわけです。身分制度が無くなってからも、長い間、特に女性は慣例を重んじる社会環境の中でそういう思いをしてきたのだと思います。(今だってある部分ではそんなことが残っていると、個人的には思いますが)

さて、現在はどうかというと、言葉としての不公平さは世の中全体で無くそうとはしていますが、現実としてそうではないことが多くあります。昨年来の派遣切りなんかはその一例なのかもしれません。一方で情報社会として既に認知されているネット上のSNSやコミュニティーやtwitterなんかは、オープンでフラットな世界として拡大を続けています。そう言った意味では、やや健全な世界へと向かっているのかも知れません。

この場で、そんな世界上での顔の見えない匿名性とかを云々するつもりはありません。実際ネット上での言葉や行動がリアルタイムに現実の世界へ繋がっている例はいくらでもあります。ただ、その中での自分も身の程に合った自分なんだろうかと、ふと考えたりします。バーチャルの世界での身の置き方といったところなんだと思いますが、僕の場合は、自分が自分ではないような感覚がまだあるなというのが正直なところです。(ネット上でも現実なんだけどなぁ)

一方、現実(生)の世界でも、今の自分自身についての身の程や身の丈を意識しながらも、それ自体を納得というか自分自身で制限したいとは思っていません。その思いのようなものは年齢を重ねるほどに、徐々に強くなってきているようです。

やはり、これからの少ない時間で、何を残せるのかを考えるようになってきたことと関係があるように思います。決して大それたことではないにしても、自分から枠を意識し、納得してしまったのでは、まだ見えていないだけの可能性を捨ててしまったことのように思えるからです。

僕自身、単純にあきらめが悪いだけなのかもしれませんが、もうちょっとジタバタしてみようと思っているのです。

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