2010年5月28日金曜日

暖かな陽の光のように。

日差しが部屋に差し込んでくる朝は、それだけで気持ちの良いものです。気温は低いものの、それだけでとても穏やかな心持ちになります。天気予報は一日中曇り空になっていますが、今は雲の切れ間から暖かい陽の光が顔を出しています。


僕たちは普段そこにあるものに、それほどの関心を持って過ごしていないことが多いです。そこにあることが当然であるように感じ、実はそこにあることすら忘れている場合があるように思います。逆に、非日常的な出来事や光景、物については、敏感に反応するものです。それがこと生活に直接関連してくる場合は、尚更ですね。

ギャラリーや美術館、劇場といったものは、非日常的な空間です。大抵の人はそのような空間に日常性を求めていませんし、そんな場所にはおそらくは興味も示さないでしょう。その為に、さまざまな趣向や内容で普段目にすることではない何かを目の前に提示し、集まってもらうようにするわけです。

それでは、何故そんな生活と関連してこない非日常的なものを求めて、ギャラリーや美術館、劇場に人々が集うのかと言うと、普段の生活では得ることが出来ない感動や喜び、あるいは恐れや悲しみといった感情の揺れを直に体感したいがためじゃないかと、僕は思うのです。しかも、感情というものは、現在の自分自身の考えや外部環境とかと密接な繋がりもあるので、体感するレベルはその時々で違っていきます。そんな意味では、自身の現在の立ち位置なんかを思わず確認できる場所でもあると思います。

実は発表する側も同じことで、創造し、制作する過程は非常に孤独なもので、ともすれば自分自身を見失いがちになることも多くあります。だからこそ、発表、解放する機会が必要なのです(そこで、自分を見直すというか)。

そう考えると、非日常性は常に日常に隠れているだけで、普段見えていないだけなのかもしれません。なので、不必要なものであるとか、無駄であるとか、価値の無いものでは決してありません。それは、普段気にも留めていない陽の光に、時として優しさや安らぎを感じてしまうことと一緒だと、僕は思うのです。

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