2010年8月31日火曜日

先ずは楽しまなくちゃいけないのです。

全国的に、今日で小学校の夏休みが終わりますね。仙台は既に始まっていますが、幼い頃どうしてこちらは他より短いのと疑問に感じていました。その代わりに、冬休みが長いんだと言われて、何となく納得していたように思います。


夏休みや冬休みといった長い期間の休みでは、その間の宿題や自由研究をしなければならないのですが、僕にはその記憶がほとんどありません。もちろん当時もあったわけですが、なんとも思いだせません。おそらくは、自発的に好きでしていたわけでは無く、やらされていた感たっぷりで、あたかも季節ごとのルーチンワークのように感じていたからかもしれません。

自分が楽しんでしていた記憶は、たいてい思い出として残っているものです。また逆に苦しかったことも然りです。人間の記憶がどんなメカニズムなのかは良く分かりませんが、僕の場合はそれが当てはまるようです。

大人になり、たとえそれが仕事であったとしても、変わりありません。仕事と思いながらも自分で楽しめていた出来事は案外覚えているものです。(楽しかった一部のことが頭に残り、事実とは異なっていることもありますが)

それでも、四六時中そんな思い出が現れてくるかと言うと、そうではありません。何かのきっかけによって蘇ってくる場合がほとんどで、普段はそんなことを思いつくことはありません。おそらくは、そんな出来事の断片と言うべきものや圧縮されたものが、記憶の領域にランダムに保管されていて、ある瞬間に繋がったり、解凍されて、思い出す行為へと変わるんでしょうね。

辛かった過去の出来事も含めて、思い出や記憶はその人にとっての唯一無二の財産だと、僕は思います。まぁ、そういう積み重ねが、人の営みというか歴史で、あるきっかけで思い出しながら、現在の自分へと繋がっているわけです。決して懐古趣味ではなく、事実そんな気がします。

なので、先ずは楽しまなくちゃいけないのです。

2010年8月30日月曜日

やることが溜まってきたぞ!

明日で8月も終わります。暦の上ではすっかり夏も終わり、そろそろ涼しくなってよと毎朝空を見上げているのですが、一向にその思いは伝わらないようです。しかも、なんやかやといろいろとしなければいけないことが溜まっています。


これをアップした後すぐに、出かけなければ片付けられないくらいの量になっていますが、まぁ何とかなるでしょう。帳尻を合わせるという言い方は好きではないのですが、そのぐらいの気持ちの方が良い場合がありますし、自分ひとりの考えや判断でおこなっているのですから、その結果は全て自分に帰ってくるわけですから・・・。

全てをひとりで行っていても、実は色々な人との関わりの中でしていることなので、決してひとりの責任だけで済むとも思ってはいないのですが、過剰に考えていると身が持たないこともありますから、その辺りのバランス感覚は必要ですね。

この時の身が持たないというのは、もちろん体力的な部分を指していると思うのですが、メンタル的な部分が深く関わっています。むしろ、メンタル面で自分が大丈夫だと思えていれば、結果が悪くても何とかなると個人的には考えています。それでも、その現実を客観的に見た場合、愕然とする場合もあるわけで、時に現実逃避をしたくなったりもします。(実際するわけではないのですが)

何はともあれ、やることをやる、自分で決めたことを愚直に行っていくことが、今出来ることだと思っています。もちろん、合理的にかつ効率よく行動し、結果を追い求めることとのバランスも大事にしなければいけません。

でも、まぁ、それは今の僕には「ダイジ」であって、「オオゴト」ではないのです。

あぁ、そろそろ出なくちゃね。

2010年8月29日日曜日

松井冬子という女性

昨夜23:30から放送されたNHK「トップランナー」を久々に見ました。今はほとんど見ることも無くなったこの番組でしたが、昨夜は画家の松井冬子さんがゲストだと偶然知り見ようと思ったのです。僕が初めて見た松井さんの作品は、これだったと思います。


いつどこで目にしたのかはあまり覚えが無いのですが、円山応挙を代表とする幽霊画しか見たことの無かった僕にとっては、構図等はそれほど変化がないのに、何故か惹かれるものでした。長く描かれた一本、一本の髪の線の柔らかさと確かに存在しているかのような力強さが印象的たったのを覚えています。


松井さんは良く言われる美貌の日本画家的な扱いをされる場合があるのですが、作品から受けるインパクト同様に実に芯のはっきりした分かりやすい女性のように見えます。東京藝術大学の大学院までいったことは知っていましたが、まさか女子美大を卒業後、4浪の末に入学していたことを、昨日初めて知りました。本人曰く、受験は精神を蝕みますと話していたように、その時は大変苦労だったと想像しますが、一方で絵や自分の夢や行動に対しての執念のようなものを感じさせます。

コンセプトは作品の一部だとも話していましたが、それは広い括りでの現代美術を意識したものだと思います。そこにはこの時代の中で、自分の描こうとする世界を忠実に、そして常に思索しながら表現していく姿勢が感じられます。また、自分自身もそうである女性しか描けないし、描かないと言い切るところにはすがすがしささえ感じます。(作品自体はそうではありませんが)

僕は日本画自体、格別好きなわけではありませんが、使用している岩絵の具の質感や表現に魅力を感じることがあります。その伝統的な技法で描かれる少し特異な、かと言って生理的に受けつけないような類のものでは無く、普遍的なものへの繋がりを否応なく感じられる松井さんの作品を見続けていきたいと思います。

2010年8月28日土曜日

グチっぽい感じだな

最近どうもグチっぽい言葉が出がちなので、気を付けないといけないと思っています。”Sha-gaku”以降、在仙や近隣の写真家さんによる企画を行っていることもあり、お客さんも来てもらえるようになってきているし、新聞にもよく取り上げていただいたりして、少しは知られてきたかなとは感じています。


それにも関わらず、気心が知れた方と話をしていると、ついそんなことになってしまっているようで、帰られた後に、ひとり凹んでいる場合があります。と言ってもそれほど深刻な事では無く、誰にでもあるような程度のものですので、ご安心を。

先日、次回写真展の告知をサイト上で行いました。そう、次回はハービー・山口氏になります。昨年イベントも含めて、実際のハービー氏とお会いして、その人柄に触れた時から、機会があればまた行いたいと思っていたのです。人々を写真で幸せにしたいというメッセージはあまりに単純明解で、口に出すこと自体何かくすぐったい感じがしますが、これって基本かもしれないなと思ったわけです。そして、僕自身、もう一度そんな写真に触れ、笑顔になるお客さんを見てみたいってのが開催の一番の理由でもあります。

その後の年内の予定は、実はほぼ決定しています。近日中に告知をする予定ですが、個展になります。当初考えていた”Sha-gaku vol.2”をずらして行いますので、僕自身かなり期待をしていますし、全面的にプロデュースしていきます。お楽しみにして下さい。

そして、1月後半から”Sha-gaku vol.2”を開催したいと考えています。これは、写真専門ギャラリーとして、出来れば定期的な場となってくれると嬉しいのですが、まだ参加される方が集まっていない状況です。もし、自分の作品を見て、笑顔になってくれたり、あっと驚いてくれたり、感動してくれたりする姿を見てみたいと思っている方は、是非参加して欲しいのです。写真専門で行っているには、それなりの理由もあり、参加された方々へのサポートにしても他のギャラリーにも劣らないと思っています。

時間はまだ有りますので、是非検討して下さい。

http://kalos-gallery.com/event/planning.html
 
なんか、また少しグチっぽい感じだな。

2010年8月27日金曜日

秋への予兆

どんよりとした曇り空。今朝はそれほどの暑さは感じられません。それでも、天気予報では日中は30℃を超えるようで、真夏日更新が続くようです。昨日は夕立もあり、ここ数日天候が安定していないのも、もうじき来る秋への予兆なのかもしれません。


季節の中でも、秋と言えば、「○○の」と多くの形容詞が付くものです。食欲、読書、スポーツ、芸術と、今思いつくだけでもこれだけありますから、人によってはもっとあるのでしょうね。それぞれの形容には、諸説いろいろとあるようですが、本当のところは明確ではありません。僕自身は、夏のギラギラした太陽の季節から、しんとした冬の季節の間の気持ち的にも体調的にも比較的落ち着いて物事に当たれる感じからそう言われるのだと思っています。

人は不思議なもので、そう形容されることで、何かそうすることが当たり前と言うか季節的にもいい感じだよねとか思えて、行動に走ることがあります。食欲は別にしても、形容されるほとんどは生活に直接関連していませんし、特にこの時期にしなければというのも案外少ないものです。

これも一種のモチベーションなんでしょうね。形容される言葉を見たり、読んだりして、理由はどうあれ、その人自身にその気が生まれるのですから。人って、そんなに単純なのと言われそうですが、もともとはいたって単純な生き物であったはずです。それが、社会状況や自分を取り巻く環境がそんな単純な思いとか考えを阻害し、自分自身で抑制しせざるを得なくなってしまったり、複雑に考えた挙句結局は時を失して行えなくなっているような気がしてなりません。

僕は、モチベーションのもっとも大きなものは、自身の気持ちなんだとずっと思っています。あてがえられたり、押し付けられたり、促されたりしても、自分にそれを行おうとする核が生まれない限り、決して芽生えないわけです。種は自分で蒔かないと・・・。

秋は、そんな自分の気持ちをもう一度落ち着いて考えさせてくれる季節でもあるのです。

2010年8月26日木曜日

今日は、ちょっとだけ展示の紹介です。

今日は、ギャラリー内の展示状況を少しだけ紹介します。


入口のドアを開けると、すぐに菅原さんの作品が展示されています。”Jazz Bar”のタイトルよろしくライティングもかなり抑え気味にしています。普段の1/3も使用していないので、入られた方はまだ準備中のような感じがしますが、その世界に入り込むと自然に音や演奏の躍動感が感じられると思います。

その先にある、L字の小部屋に入ると、一転して明かりに溢れるような状態になります。通常のライティングなのですが、入口からの暗さと比較すると、まるで光の渦に取り囲まれるような感覚になると思います。すぐに、小出さんの作品が、整然と並んでいます。今はもう無くなってしまった商業施設の生きていた名残が切り取られ、一枚一枚を演出を省き見せることで、かつてそこにあった温度感や情感といったものが感じられると思います。


次に街の夜の情景を写した亀卦川さんの作品が続きます。街を歩き彷徨う自分の心象を、その流れの中で見せるような展示になっています。


あまり説明をすると面白くなくなりますので、この程度にします。実際に目にし、ギャラリー内の雰囲気と共に自由に感じてもらえれば良いと思っています。


おそらく、今このような形で写真表現を見ることが出来るのは、仙台ではここだけだとの自負もあります。そして、写真というものは、そこにある光を捉え、形となって表れてくるものであることを、再認識出来るはずです。





2010年8月25日水曜日

自然に枯れていくのだから・・・。

それにしても、これだけ暑さが続くと思考力が鈍ってくるのは、僕だけでしょうか。他に考え事をしていたり、さほど興味のないことは、それが目の前で起きていることでも頭に入って来ません。聞き流すとか、敢えて耳に入れないようにする場合もあるにはあるのですが、そういうわけでもなく、ただぼんやりとしている時が時折あります。


単純に暑さのせいだけではないと思いますが、ちょっと気を付けないといけないですね。僕たちは現在、情報過多の世界で生きていると言えます。そんな情報の渦の中から、自分にとって興味・関心のあるものを選択し、それを利用ないし取り込んだりしているのですが、直感的に有用もしくは有効であるかを考えている人って、意外に少ないような気がします。

もちろん生活に直結するような情報については、それを第一に考えますが、そうでないものについては、その有用性云々よりもむしろ何か引っかかるとか面白そうといった感覚の方が強いように思えます。そう考えると、僕自身、興味あるもの、関心を惹かれるものが少なくなっているのかなとも思ってしまいます。もしくは、限定されてきているのかと。

これはちょっと良くない傾向ですね。年齢と共に頭が固くなると世間では言われていますが、これは経験や常識の占める割合が、思いこみやその時の判断に多く関わっていくと同時に、自分自身の予定調和を崩したくないとの気持ちが頭に働きかける(もしくは逆)から起きるように感じます。

無理してアンテナを高く、あれこれ無用なものまで情報として取り入れる必要はありませんし、その為、足元に有る有効な情報を見逃してしまうよりは、ある程度の範囲内に抑えることも必要です。でも、そんな中で、情報が限定されてきている(限定している)ことは、僕自身はちょっとまずいと思うわけです。

昨日の内容と重複するかもしれないけど、もっと生で触れ、いろんな人やものと接しないといけないですね。何もしていなくても、自然に枯れていくのだから・・・。

2010年8月24日火曜日

ちょっと、不安を覚えています・・・。

昨日は日中、自転車で動きまくっていたこともあり、今年の日差しの強さは報道されているように並じゃないなと実感しました。こりゃ、熱中症になるのも当たり前だよとつぶやきながら、信号待ちで止まる度に、日陰に身を寄せている自分がいました。


仕事で昼間に外出することが少なくなってからも(以前の仕事も含めて)、オフの日は出来るだけ外出するようにしていました。ギャラリー、美術館、劇場、公園やら、カメラを抱えていた頃は、ホントいろんなところに出没していました。今は、カメラを抱えて外に出ることはほとんどなくなり、出歩く場所も限られたものになっていますので、これはいけないなと不安を覚えているところです。

いろいろなものやいろいろな人たちと出会い、触れ合うことは、とても大切なことだと思います。経験値が上がるという単純な理由もありますが、その時の自分自身を見直すきっかけにもなり得るからです。だからといって、出会ったもの全てが正しいこととは考えていません。その中で、自分が良しと思えたものを参考にしながら、自分でどう消化し、身に付けていくべきかを見極めたいと考えています。

よく、経験豊かな先人の話を間近で聞く機会があると、話している言葉そのものを素直に受け取り、そうあるべきとかそうじゃなくちゃいけないんだと考える人がいると思います。その言葉通り行動が可能で、その人にとって良しと自分が納得出来ているのならそれでも構いませんが、現実はそこで話されている人と自分は違うわけで、全てが当てはまるとは言えません。

ただし、経験豊かな先人は、その経験ゆえに自分には知りえなかったことを、多く持っていることは確かです。単純に良い部分が多くあるわけです。でも、その中から自分に合っているかどうかを、自分自身で考えることが大事なんですよね。言葉を変えると、見たこと、話した言葉を素直に受け取りながら、自分の中で疑問を持つことかな。

その為には、数多くの機会に接することが必要です。これは、年齢とかにはあまり関係ないと思っています。まぁ、早いに越したことはないけど、僕自身まだまだそうしたいと考えているし、そう思っている内はまだまだ行けるような気もします。

2010年8月23日月曜日

観に行きたい展覧会

今すぐにでも、観に行きたい展覧会があります。


現在、宮城県美術館で開催されている「新しい美術の系譜」国立国際美術館(大阪)の名作(-10/3)がそれです。サブタイトルにあるように、大阪にある国立美術館巡回展として開催されるもので、6000点に近い国立国際美術館の所蔵品の中から、同館が誇る名作約75点を精選して紹介していると、サイトに掲載されています。

1か月程前に近くにあるコンビニでポスターを目にした瞬間に、観に行きたいと思っていました。そのポスターに使用されているイメージがこれです。


1969年、ドレスデンまれの女性写真家ロレッタ・ラックスの写真作品です。パステル調の淡い色調に縁取られたとても無垢な瞳を持つ女の子ですが、数年前初めて見た時は絵ではないかと思いました。後で調べてみると、デジタルカメラで撮影した子供や風景写真、描いた背景物をデジタル合成、色彩を調整したものをプリントしているようです。

これもまた写真として新たな表現方法のひとつです。でも、その時僕はそんな技術的なこと以上に、子供たちが無機質に描かれている点に、非常に興味がそそられました。そして、同時にその中に潜む何か得体の知れない恐怖や憧れに近い感情を覚えたものです。

今回、絵画を始め、多くの写真作品が展示されているようです。その作品はいわゆるスタンダードな写真作品ではなく、現代美術のそれに近いものが多くあります。

われわれのような個人経営もしくは小さなギャラリーでは決して出来ない展覧会の類です。たとえ、巡回であっても美術館はこうでなくちゃと期待させてくれるものだと思います。

生憎、休みが被っているので、現在の企画展が終了したら観に行こうと考えています。皆さんも観ておいた方が良いですよ。

おっと、その前にうちの企画展も面白いですから、是非観に来て下さいね。
お待ちしています。

2010年8月22日日曜日

プロとアマチュア

高校野球が終わり、夏らしい行事も徐々に少なくなってきて、やっと涼しくなるかと思いきや、暑さはまたぶり返しています。先週、いつもお世話になっている画材屋さんを久々に訪ねた時に、今年は昼間のお客さんが少ないねと話されていたので、考えることは皆同じだなと思いました。暑い日中は出歩きたくないものですからね。


“Story vol.2”企画写真展も昨日開幕しました。スタートはぼちぼちといったところです。参加者3名も揃って、お互いに写真に関する話しに盛り上がっていました。訪れてくれたお客さんも三者三様の表現に感心したように、しばらく作品の前に佇んでいる様子が印象的でした。

以前お見えになったお客さんに、プロとアマチュアの違いって何ですか、と聞かれたことがあったのですが、私見ですがとことわった後、自分の作品を継続的に発表し、形として残すこと、そして伝えたい思いのようなものが備わっている人がプロの作家だと思うと答えました。今は、その道で生活をしている人がプロで、趣味の範疇で行っている人がアマチュアという枠組みは消滅してしまったと思っています。

例え職業的に写真と関係し、それを生業としていたとしても、自分自身の作品として発表をしていない方を、正直プロだとは感じていません。レベルや技術云々は別にして、アマチュア(それを生業としていないという意味で)として、長年に渡り、発表を続けている人の方をむしろ評価したいと考えています。

それは、意識や覚悟といった精神的な部分に強い繋がりを持っているように感じます。僕自身、そんな方々と出会いたいと思いながら、いろいろな企画を立てているわけです。正直、絶対数で言えば、それほど多くはないと思っています。でも、そんな方々と関わり、作品自体もより分かりやすく、効果的に展示・発表という形にして、見に来られた人々の心に残るものを創っていきたいですね。

今日も、何人かの方がギャラリーを訪れてくれるはずです。

何かが少しでも確実に伝われば、そこから繋がっていくと思います。

2010年8月21日土曜日

今日、開幕です。

いよいよ今日開幕します。


“Story vol.2”は、3人展になっていますが、それぞれの個展と捉えてもらって構わないと考えています。”Story”については、vol.1、vol.2とも、展示作品から物語を想起させるものと言うひとつのテーマがあります。奇しくも、どちらもモノクロ作品が並ぶ結果になりました。これはギャラリーとしての方針でもなんでもなくて、たまたまそのようになっただけです。

フィルムカメラ全盛の頃、自分で現像・プリントを行った方は、必ずモノクロから始めたはずです。それは、費用的な面もありますが、部屋の中にも比較的簡単に暗室を作れたことや写真撮影で最も重要な光の捉え方やそのプリントについて実践出来たからだと思います。

今はどうかと言えば、それだけでモノクロ作品を制作している人は非常に少なくなってきています。
アナログ環境や状況の変化とデジタル化の急速な進化がそうさせているのだと思います。また、大抵のデジタルカメラは、その画像を容易にモノクロ化出来ます(単純に色情報をグレースケールに変換できるという意味で)から、極端な事を言えば、どれをモノクロ作品にするかを撮影後に選択できるわけです。

作品制作方法は人それぞれですから、一概にこれとは言えませんが、個人的な考えでは、撮影前にこれはモノクロで、と決めている人の方が多いような気がします。後から見たらこれはモノクロの方がいいねと思えるような画像もあるかと思います(写真自体、偶然性が入り込むものだから)が、それでは何か違うよねと僕は思ってしまいます。

実際、写真でいう”写す”対象には大概、色があるのですから、その色情報をカットして、光で彩られた世界を表現するにはわけがあるはずです。それは単純に懐古趣味でとか雰囲気がいいからとか感情に関わることだけでは無いものです。

これだという答えがあるわけでも無いのですが、今回は三人三様で違った形のモノクロ作品が見られます。参加者それぞれの想起させる物語を感じながら、モノクロで表現していることの訳なんかを想像するのも、面白いのではないかと思います。

2010年8月20日金曜日

展示終了・・・明日開幕です。

展示終了しました。


日頃の運動不足が影響してか、腰痛持ちの僕としては、準備期間のこの時期に少しだけ腰に違和感を覚えるのですが、壁一面に作品があるギャラリーを眺めているとそんなことも忘れてしまいます。最終のライティングを終え、一斉にスイッチを入れた瞬間が一番の楽しみですね。

菅原さんの展示はライティングにもかなり気を使っています。Jazz Barの雰囲気そのままに、作品から音やその場の喧騒が聞こえてくるような感覚になってもらえると良いのですが。一方、亀掛川さん、小出さんの展示は、普通のギャラリーの明るさなのですが、入口からの全体の暗さにより、いっぺんに明かりを得たような感じになります。

その辺の対比は、初めから狙っているわけではありません。3人による写真展で、そのテーマも作品表現も異なるのですから、まとまりが付かなくても仕方ないかなと思いつつ、そんな中でそれぞれの世界を伝える為にはどうすればいいのと考えた結果のものなのです。

そうは言っても、ギャラリー全体の雰囲気は、以前のそれとは全く異なった様相を示していますので、その辺りのお客さんの反応は楽しみの一つではあります。これも、ギャラリーが、L字であったり、壁面が画一的になっていないところが活かされているのではないかなと思います。

世の中や世間というものは、自分の狭いフィールドで活動していると、時折平凡でつまらないもののように思えてくるものですが、その外に一歩踏み出してみると意外にそうではありません。また、人は変化を嫌う生き物ですから、各々に自分の領域といったものが感覚や感情の中にもあるのですが、少しだけその領域から外れると自分自身に或る違った部分が見えてくるものです。

今回は、3人の作品から、そんな部分を見て、感じていただければと思っています。

2010年8月19日木曜日

さてっと、作品が揃いました。

さてっと、作品が揃いました。


“Story vol.2”企画写真展 3人展「そこに、或るもの」‐それぞれの視線- の開幕が2日後に迫り、昨日午後一から展示作業にかかりました。3人の仕事の関係で、日程もバラバラになるかと思っていたのですが、偶然にも全て同日になってしまいました。

一番手は菅原さんの展示です。布状のタペストリーですので、1×1.5mの大判であっても片手で持てます。高さ設定もワイヤーで吊り下げる形ですから、それほどシビアに調整する必要も無く、すごく順調に進みました。あれこれ、構成を検討しながらの作業でしたが、無事ライティングも含めて16:00には終了しました。

その後、小出さん、亀卦川さんが相次いで訪れました。小出さんの10作品は、ギャラリーにある16×20インチアルミ額を使用する為、額装作業からスタートです。ちょっとしたトラブルはあったものも難なく終え、構成の検討になったところで、仕事帰りの亀卦川さんが19:30頃に登場です。

亀卦川さんは事前に作品を搬入されていたのですが、構成に頭を悩ませていました。今日はその再検討をしてもらって、展示配置を決定してもらわないと間に合いません。先ずは床に並べられた状態の作品をあれこれ動かしながら、1人で検討に入りました。その間、小出さんと作品の並びを決定したところで、小出さんは所用の為に退出です。

しばらくして、亀卦川さんの検討が済み、2人で展示位置を壁にマーキングしていきました。その後は額への展示金具取り付けやちょっとした修正もあり、結局は壁への展示は残したまま、気がつくと時計は24:00を指していました。

そんなわけで、2人の展示は今日中に僕が行います。一般に貸しギャラリーの場合、こんなことはしないのが普通ですが、これも僕個人で行っているから出来ることです。参加するメンバーと話しあいながら、展示までのプロセスを追いかけることが、僕自身の仕事だと思っているので、展示作業自体もなんら苦になりません。

参加者にも、この経験が次に繋がってくると思います。何かを作り、結果形として表現することで、それについての評価や自分自身を見つめ直せる機会が得られることを第一だと考えています。

そして、見に来て下さるお客さんに感動として伝わってくれれば、それだけで充分なのです。

2010年8月18日水曜日

熱帯夜の翌朝

何なんだ、この暑さは!


日本全国からこんな声が聞こえてきそうです。昨夜は仙台でも熱帯夜でした。僕も夜に一度目を醒ましてしまい、その後なかなか寝付けなかったのですが、polkaも少々暑さを感じているようで、部屋の一番涼しそうな隅の空間に身を置いていました。まだ、朝に僕を起こしにくるので大丈夫だとは思いますが、ちょっとだけ心配になります。

今は準備の為、昼間はほとんどギャラリーにいます。しかもおよそギャラリーオーナーのような格好(もしそんなものがあればですが)もしていないので、快適にすごしています。一般の方は、こんなギャラリーのオーナーをどんな人だと想像しているのかは良く分かりませんが、おそらくはほとんどの方の期待を裏切っていると思っています。

僕の夏場の服装は、ショートバンツにシャツ一枚、長髪にキャップをかぶり、足元はサンダル履きと、まるで海の家にでもいるおやじのようです。肩まで伸び、ぼさぼさの長髪にしている理由は自分なりにあるのですが、近くにいる家族には不評のようで、今はもうあきらめたのか何も言わなくなりました。

職業からイメージする服装は、ユニホームの有り無しにもよりますが、一目で分かるものから何をしているのだろうと首をかしげるものまで、色々とあります。サラリーマンは一年中スーツでなければならない風潮は徐々に見られなくなってきましたが、やはりそれなりのTPOはあるわけで、僕のような格好の銀行員は一度も見たことがありません。

身だしなみと言う点では、決して良いものだとは思っていませんし、そんな恰好でアートはね・・・なんてことを話されても説得力に欠けると言われれば全くその通りです。でもこんな僕の話を、1時間も2時間も時間を忘れて聞いて下さる奇特なお客さんはいらっしゃいます。

どんな人にも好かれたり、嫌がられないようにすることはとても大事なことなんでしょうが、今の僕にとっては、この格好が嘘の無い今の姿であって、自然に、話す言葉にも嘘があったらいけないよねということが一番なんです。

なので、ギャラリーを訪れる時は、出来るだけ普段着で、余計なことを考えないで、作品や僕に接してもらえれば、それほど嬉しいことはないのです。

2010年8月17日火曜日

思いがけない来訪

昨日は”Sha-gaku”に参加してくれた福島の江口さんが急遽遊びに来てくれたり、”Story vol.2”参加者の作品搬入があったりと、午後からの時間が慌ただしく、楽しく過ぎていきました。ちょうど木戸さんとの撤収作業も重なっていたので、奇しくも3人の写真家が集合した形になったのです。ここにいる理由はそれぞれ違ったのですが、いつしかポートフォリオ・レビューが始まり、展示作品の構成を一緒に検討し合ったりしていました。


2人は木戸さんとは面識はあったものの、自分の作品を見せるのは昨日が初めてです。写真に関しては、経験も経歴も全く違うわけで、それも含めて2人には良い経験になったのではないかなと思います。偶然が呼び起こした出来事だったのですが、こんな機会を今後も作れたら面白いなと感じました。写真家が分け隔てなく、お互いの意見を言い、それぞれが今後の制作に活かせるような場ですね。

それから、東北6県の写真家(プロ、アマチュア問わず)が集まって、ギャラリー企画のグループ展なんかしても面白いかなと、ふと思ったりして、僕にとってもとても刺激的な日でした。こちらは、全然具体的なことは考えていませんが、興味がある方は連絡して下さい。

何はともあれ、次回の会期へのスタートに入っています。ギャラリー内の壁は、早く飾ってくれよと言っているようです。でも、今日だけは、プロジェクターを引っ張り出し、壁一面をスクリーンにして、お気に入りの芝居でも見ようかと思っています。

2010年8月16日月曜日

準備期間

今週は準備期間です。実はこの期間が僕にとっては、一番楽しんでいる時なのかもしれません。撤収には寂しさがありますが、次回の展示作品が持ち込まれ、何もない白い壁面に展示が進み、それらに照明が当てられた瞬間がたまらなく心地よいのです。


木戸さんの場合は、事前に展示構成を一緒に決めていたので、予想の範疇であったのですが、先のSha-gakuや次回のStory vol.2については、概要は打ち合わせているものの実際の展示構成までは僕は口出ししていません。したがって、参加者の展示が進むごとにその全体像が見えてくる感じです。

そういった意味では、予期しない効果が出てきたりするので、不安でもあるわけです。その為、準備期間は通常の貸ギャラリーのように前日搬入・展示にはしていません。何かトラブルが発生しても、出来るだけ対処したいですからね。

それでも今回はちょうど1週間なので、平日仕事を持っている参加者にとっては、結局は1日ないし2日の展示日程しかないのが現状です。その中で、満足のいく展示・発表をしてもらう為のサポートが出来ればと考えています。

これまで、ギャラリー空間はそれぞれの会期により、様変わりしています。お客さんもそれぞれに違った印象を持たれ、空間を楽しんでいるのではないかと思います。個人的には商業ギャラリーであっても、ただ整然と並べて展示する方法だけでなくて構わないし、むしろ特徴的な構成や独創的な見せ方があっても良いと思っています。

より具体的にそんなことを考えていると、つい時間を忘れてしまいます。

2010年8月15日日曜日

無事終了です。

木戸孝子写真展"The Ordinary Unseen"が昨日無事終了しました。昨日は木戸さんも開廊から終了までギャラリーにおられ、多くの来廊者の方々と時間を惜しむように歓談されていました。オープニング・パーティーへの60数名の参加や最終週にかけて集客数も増えましたので、本当に多くの方が、「日常の見えざる情景」を堪能されたのではないかと思います。


本当に有難うございました。

現在、サイト上でも作品はご覧になれますが、オリジナル・プリントの質感や描写力には敵いません。それでも、興味や関心がある方は、是非作品を購入していただければと願っています。作品を購入していただくことは、作家を直接サポートすることを意味します。これは僕自身にとっても、ギャラリーを続けて行くことへのもっとも必要なものです。

作家は自らの技術力、創造力を持って、作品制作に取り組み、多くの制作品の中からセレクションを重ね、展示・発表に到ります。その行為自体は、とても孤独で寡黙なもののように感じます。しかも、生み出される作品そのものは言葉を持っていない為、作家本来が持っているメッセージ性は、見る側の主観に寄ってしまいます。その為、作家が意図していない感情を見る人が呼び起こしてしまうこともしばしばあるわけです。

まぁ、それもアートの面白さであり、醍醐味ではないかと思っています。人は感情の生き物であると同時に常に思考している動物です。時には、思考することを止め、ただ感じるだけの時間も必要だと思います。そんなひとときをもたらすことも、アート作品の役割なんですよね。

だから、ギャラリーで作品を目の前にした時には、あれこれ難しく考えずに、先ずは素直に感じるままに身を置き、楽しんでほしいと、いつも願っているのです。

2010年8月14日土曜日

いよいよ最終日です。

いよいよ最終日です。1ヶ月というととても長い期間に思えますが、去年はほぼ2カ月単位で行っていましたので、あっという間に終わってしまう感覚です。新聞等の展示会情報を見ていると、そのほとんどは一週間程度の会期のようです。まぁ、予算等の兼ね合いもあるのでしょうが、とても短く感じてしまいます。


作品を制作し展示に至るまでの準備期間は、会期の何十倍もの時間と労力が払われているわけで、そんな作品たちが1週間程度しかお披露目出来ないのは、ちょっと寂しい気がしてなりません。

今回の木戸さんの展示作品は22点です。5年以上の歳月をかけて、撮影したものから選んだもので、言わばこのプロジェクトの集大成のようなものです。繰り返し、繰り返しセレクションを重ね、展示していない作品数は計り知れない量になっていることは容易に想像がつきます。

写真作品の場合、撮影、プリントを繰り返し行うわけですが、実際テーマ性に沿ったものを狙って撮っている場合とそうでない場合があります。しかも、そこには必ず偶然性が存在します。プリントした時点で、期待にそぐわなかったものやおやっ、これは意外にいいなと思えるものがあったりします。

ただやみくもにシャッターを押せば、偶然良い写真を撮れるとは限りませんが、先ずはシャッターを押さなければ何も起きません。そんな繰り返しの中から、自分自身の考えや作品化としての方向が決まってくるのだと思います。

これは、写真に限らず、おおよそのものに当てはまることだと言えます。無から有を生む行為は人類発祥の時点から延々と続けられていますし、未来永劫無くなることはないと思います。そのひとつとしてアートも存在しています。

会期期間の話からずれて来ていますが、要は創造された物たちにも何か生のようなものが宿っているので、出来るだけ長い期間で、多くの人に見て欲しいとの思いが、僕の中にあるということですね。

今日は生憎の雨模様です。でも少し涼しくなりましたので、散歩がてらに来てもらえると嬉しいです。作品たちもそれを望んでいるだろうと思います。

2010年8月13日金曜日

息苦しくなる程の湿気

昨夜は台風が東北地方上陸するとの報道があり、少しだけ心配しながら外の様子を眺めていたわけですが、どうやら主に日本海側に雨をもたらしたようで、こちらではほとんどそれらしい状態ではありませんでした。ただし、夕方からの外の湿気は異常で、ギャラリーを訪れた方は、息苦しくなる程の湿気だねと仰っていました。


日本は湿度が高く、展示品や作品の保管・日常の管理が大変です。とはいっても、年中調湿を施した倉庫のような部屋を作る程余裕があるわけではありませんので、除湿機やエアコンを使用しながら、対応しています。除湿機は結構大型用のものを使用していますが、これがまた気持ちが良くなるほど、水分を取ってくれます。

水が見る見るうちに溜まっていく様子は、これほどまでに部屋の中に水分があったのかと思わせてくれるには充分なものです。今は、エアコンでも除湿をしているので、その分は直接外に流れているのですから、それを思うとちょっと怖い感じもします。

日本は四季折々様々な表情を見せてくれ、大変美しい国だと思っています。これは、海外に住まれた方は、誰しもそう思うのではないでしょうか。ですので、そんな自然の一環のひとつとして、付き合っていかなければならないのかもしれません。

まぁ、後1カ月程の辛抱ですからね。

2010年8月12日木曜日

アーティスト

サザンの桑田佳祐さんが食道がん発症を公表し、同じ年代として少なからずショックだったのですが、どうやら手術もうまくいき、経過も良好とのニュースが流れているようで、先ずはホッとしているところです。デビューからリアルタイムでずっと見ているので、僕と同年代の人たちには自然に影響を与えているはずですし、後々知った若い人たちにも広く受け入れられている点では、とても珍しいバンドと言ってよいですね。また、元気な姿を見せて欲しいと願っています。


さて、それとは別に最近良く聴いているアルバムがこれです。

ドリカム、吉田美和さんのソロ・アルバム「beauty and harmony」です。1995年に当時ニューヨーク・LAで活躍していたマイケル・ブレッカー(以前紹介しています)やデイヴィッド・T・ウォーカーらとの豪華共演で出来たものです。タイトルは、自身の名前を英訳したものですね。バラードには定評のある彼女の声を聴くだけで、充分心地よく元気になるのですが、それに加えて僕の大好きなミュージシャンが奏でている音が、たとえ短いフレーズであっても分かってしまうので、とても楽しいのです。

アーティストには個性が必要だと、僕的には思っています。長年同じような作風や曲想で制作され、ある意味マンネリ化しているような感じに思えても、実はそれを続け、一目見た時、耳にした時に、あぁ、この人だなとかこの色だなとかで、アーティストを連想、確信出来ることは、すごいことだなと思うわけです。

もちろん、常に変化を求め、創造の可能性なりを探っていくタイプを否定するわけではありません。実はそんなタイプのアーティストもとても好きなのです。ただ、同様な作風、テーマ性であれ、長く継続して発表し、しかもそれが一定以上のレベルを保持していることは並大抵のことではないはずです。そこには、アーティストとしての確固たる覚悟のようなものを感じます。

常に絶対的評価に身を晒し、自分の内面に問いかけながら制作をしている姿は、何か修行僧のそれに似ているのかもしれません。表だって、そんな素振りは見せませんが・・・。

2010年8月11日水曜日

ほぼ変わらない毎日の中・・・

何やら雲行きが怪しいです。もちろん、今のお空の状態です。台風4号が本州を通過する予定らしいのですが、もう空全体が暗くなってきました。ちょうど、夏休みで帰省をしている方々は、どこにいても暑苦しい毎日でしょうが、これで台風が来るとなるとせっかくのお休みどころではないですね。


僕自身はほぼ変わらぬ毎日の中、ギャラリーに展示されている作品たちをいとおしいもののように眺めています。今週で現在の写真展も終了ですから、少しだけ寂しさを感じます。祭りが終わった後に感じる充実感や達成感みたいなものと、同時に発生する寂しさに似たものかもしれません。

いままで開催してきた写真展は、それぞれに違った狙いや思いがあり、全てが満足したものだったかと言えば、そうではなくて、自分自身の反省と共に終了していきました。これは、ひとつひとつの写真展開催を一種の通過点として位置づけしているせいかもしれません。そこにある考えや試みを上手く伝えられたか、充分な形として発信出来ていただろうかと思いながら、一歩ずつ階段を登っていくような感じです。

答えなんか無いものなのかもしれませんが、何か一つでも結果として得られればと思っています。そこから、また違う何かが僕の中で生まれ、そうして他の誰かとそんな何かを共有し合い、共感まで行けることが出来れば、また新たな結果に繋がっていくような気がします。

遠く長い道のりのように感じますが、あまりネガティブにならないように・・・。

表情に出ちゃいますからね。

2010年8月10日火曜日

考える、ということ。

昨日は休養しようと書いてはみましたが、次の企画展やらその先の企画の事を考えている内に、その資料作りなんかを始めてしまい、結局は一日PCの前に居てしまい、ほとんど休んでいませんでした。貧乏性というか何かをしてないと不安になってしまうのかもしれませんし、日々の業務の中では、お客さんの対応は少ないとは言え、落ち着いて考える時間が少ないのが現状なのです。


午前中と夜に時間はあるじゃないかと言われるかもしれませんが、なかなか上手く使えていないのですね。サラリーマンの頃は、残業で帰宅するのはほとんどが深夜、後はもう寝るだけのような生活でした。少しは自由に時間を使えるかと思いながら、ギャラリーを始めましたが、現実はそうではありません。

もっと、時間を上手に使わなくちゃと思っていても、ひとつの事に捉われると抜け出せなくなる傾向があるため、区切りの良いところまでしてしまい、次の事が後送りになってしまいます。以前から物事に優先順位を付ける習慣は付けていましたが、ひとりで物事を進めるに当たって、更にその判断は慎重にしなければなりませんし、結局はひとりでやれることは、その時はひとつだけですからね。

以前から、人の素晴らしい点は、考える力だと思っていました。今もそうだと思っています。大抵の場合、人は何も無いところから、何か形あるものを作るために、先ずは頭の中でイメージします。それから、これまでの知識や経験、発想といったものを総動員して、漠然としたイメージをより具体的な形に変え、実際それを作るための行動を起こすわけです。

何をしているか分からない、ただボーとしているように見える状況の中で、徐々に進行していっているのかもしれませんし、実際、これだと確信のようなものを感じる時は、ふとした瞬間の方が多いように思えます。僕の場合も、ある仕事で何故か分からないけど、自信めいた確信を得られる瞬間がありました。理由の無い確信といったものですね。

今は、それはあまりありません。たかだか、1年しかしていないわけですから、当然と言えばその通りです。でも、きっとそんな瞬間が来るだろうとは期待しながら、ああでもないこうでもないと自問自答しながら、考えているのです。

2010年8月9日月曜日

今日は少し頭と体を休めます。

どうやら台風が来ているらしいです。そう言えば、連日の猛暑やゲリラ豪雨のニュースは聞き飽きるほど流れていましたが、台風の接近は夏になってからは初めてです。4年振りに遅い時期での初接近のようです。梅雨時期のとんでもない雨が各地で被害を及ぼしていたので、もういいでしょうと言いたいですね。


昨日からお隣の「可らし」さんが夏休みのせいか、朝ドアを開けた瞬間の感じが少し違っていました。夜の間の「可らし」さんからの冷房の影響は若干あるようで、今日はいつもより暖かく感じられました。共同で使っているトイレを境に、前と後ろの関係だけなのですが、意外に空気の流れはあるのですね。

それにしても、こうも連日暑さが続くと、さすがにちょっとバテ気味です。polkaも動作が鈍いですね。出来るだけ動かないようにしている様子が、普段以上に見られます。ベランダの鳩もいつの間にかすっかり羽が整い、飛び立っては、時折帰ってくる生活スタイルになったようです。

さて、木戸孝子写真展もあと一週間になりました。これまでの写真展と比較しても、多くのお客さんが見えられています。昨日も弘前から来たお客さんと木戸さんが話をしている様子を見ながら、やっぱり直接会って話すことって大事だなと感じました。木戸さんもホント良く来て下さっていますし、僕としても大変有り難いと思っています。

まだ来られていない方は、是非お出で下さい。お客さんの顔を見て、お話することが、僕にとって一番の清涼剤になりますから。

そんなわけで、明日からの1週間に備えて、今日は少し頭と体を休めます。やらなければならないことは多々あるのですが、休養もひとつの仕事として考えようと思います。

2010年8月8日日曜日

環境

「それは環境だと思います。あのW杯での試合を年間5試合、6試合、南米予選やヨーロッパ予選のような試合をやっていれば、彼ら(日本代表選手)は必ず伸びます。もっともっと、そういう厳しい環境での試合、プレッシャーの中での試合、親善試合でなくて相手が本気でやってくる試合、そういうものをたくさん経験させてやりたい。それがあれば彼らは必ず伸びると感じました。」


これは、今から一カ月前、サッカーワールドカップの帰国会見で、「日本のプレーヤーがこういうところを磨いていけば、さらに上に上がっていける。そういうふうに感じているものはあるか?」との質問に、岡田監督が答えた言葉です。

まだ一カ月しか経っていないのに、遥か昔のように感じるのは僕だけでは無いと思いますが、僕にとってはとても印象に残った言葉だったので、今でも覚えています。多くの方は今野選手が闘莉王選手のモノマネをしたことは覚えているでしょうが・・・。

言っていることは実に簡単なことです。本気で立ち向かってくる相手と本気の試合を行うことで得られる経験は、親善試合のような中途半端な試合を何回行うことよりも、ずっと価値あるもので、繰り返し継続して行うのが大事だと言うことです。言葉で言うのは簡単ですが、実際に行うことは非常に難しいことです。物事は常に理想と現実の擦り合わせの中で進んでいくものですからね。とは言っても今までと同じことを行っていてはいけないのも確かなのです。

ここまで大それた考えはないにせよ、僕がここでギャラリーを開設した理由の一つがこれだったのです。僕が若い時分には、自分のやりたい事や見たいものがあったとしても、環境がそうでなかったことが多く、結局は外に目を向けざるを得ませんでした。特に、文化・芸術を取り巻く環境は、首都圏のそれとはまったく違ったものだったと思います。現在でもそれほど変わっていないようには思われますが、一部の美術館などでは独自の方向性を持ちながら優れたものを地方から発信しています。

個人でやれる範囲は非常に限られたものですし、それを支えてくれる人々がいなければ、まるで進んでいかないことも分かっています。世間が必要としていないから現れなかったのか、そんなものは趣味の世界の話で、商売として成立しないという考えがあって誰も行わなかったのかは今でも良く分かりませんが、これまで誰も手を付けていない種類のものですからね。

話が長くなりそうなので、この後は別の機会にします。

今言えることは、この地で、本物のアートとしての写真作品を見ることが出来ます。
そして、現在作品制作を行っている方々へサポート、提供出来る場がここにあると言うことです。

2010年8月7日土曜日

言葉を持たない作品たち、言葉を持っている僕。

最近、自分が感じたこと、思ったことをストレートに出してしまう傾向が強くなってきています。いい大人なんだから、もう少し頭で考えてから話せばいいのにと思う時が良くあります。一言多いとか、こんなこと今この場で話さなくてもいいとか、別にその人が聞いても仕方が無いようなことを話してしまっているような気がしてなりません。


もちろん自分では話す相手を選んでいることを意識しているつもりなのですが、もう少し気をつけなくてはと反省することもしばしばあるのです。それでも、話さなければ理解してもらえないこともあるわけで、そんな時は出来るだけ、押しつけがましくならないように努めてはいます。

一方、ギャラリーに展示されている作品たちは、それ自身自分の言葉を持って、見る人に語りかけることはありません。作家の考えや思い、そして伝えたい事が、写真の場合大抵はイメージとして提示されるだけです。それでも、作品自体、何か内から発せられる言葉のようなものを持っているような気はします。

じゃあ、作家や作品の思い描くテーマ性や作品性を実際、同じように感じてくれるものなのかと言うことになります。言葉を変えると、人それぞれ感じることが変わってしまうことは、本当に伝わっていることなのかどうかと言うことです。

そのあたりは非常に難しいところではありますが、個人的にはそんな違いは楽しみでもあります。十人十色と言いますけど、そうある姿が正しい事のように思いますし、全ての人が画一的に同じ思いや考えを持つこと自体気味の悪いことです。

言葉を持たない作品たち、言葉を持っている僕。

僕の話す言葉を作品たちは常に聞き耳を立てているのかもしれません。時には失笑し、たまには満足していることもあるのかなと思います。まぁ、取りあえずは、彼らが発する内なる言葉を出来るだけ理解したいと考えながらいるのです。

2010年8月6日金曜日

ブログに書き、残す行為。

今日から仙台七夕です。昨日見に来てくれた写真好きで自分でも撮影をしている若い男性が、この後七夕前夜の花火大会を観に行くんですと言ってましたが、それを聞くまでは全くもって、七夕のことは頭にはありませんでした。人は興味の対象であるものや事以外は、聞いていても頭に入りませんし、残らないものです。それにしても、ほんの少し前にこのブログにも七夕の話題を載せているにも関わらず、こんな調子ですから、ある意味困ったことではあります。


このブログに書いていることって、僕にとっては流れゆくもので、一旦ここで残してしまうと、いつまでも頭の中に残っていることが少ないのです。後から読み返すこともほとんどしませんし、何かの拍子で過去の掲載を見た時に、こんなことを書いたんだと思うことがある程度です。

数は少ないといえ、これを読んでくださっている方々には大変失礼な話ですが、正直そんな感じなのです。それでも、一対Nの関係で、お互い顔も見えないわけですから、微妙な発言には気を使わなければいけないとは思っています。しかも、僕は説明することが苦手と言うか面倒になる性格なので、自分自身まどろっこしいと感じながらも、出来るだけ誤解が無いように、文章として残すようにはしています。

もう少し自分の言葉に責任を持てよと言われそうですが、本当に自分自身の中にも残っているような発言って、結局はその人自身の根幹に関わるものだけのような気がしてなりません。だからといって、その時その時に発した言葉には嘘はないつもりですし、そうしたいと思っています。(もっともこれは僕だけの話かもしれませんが)

大人になるにつれ、意図して言わないこと、言ってはいけないこと、人はその状況に応じて、考え選びながら言葉にする機会が多くなります。時として自分の本位ではないことも話す必要に迫られます。だからこそ、責任を持つ必要があるのだと思います。

まぁ、このブログに関して言えば、ほとんどの言葉に嘘は無いわけで、僕自身そんな調子ですので、気軽に読んでもらえればと思います。

2010年8月5日木曜日

語らいの場として。

ギャラリーには色々な人が来られます。現在行っている木戸孝子写真展も先の”Sha-gaku”も、在仙であったり、仙台近郊の方の展示ですので、お知り合いが来られる場合が多く、これまでの企画展とは客層に変化が見られます。ざっくりと7割がたは自分でも写真を撮っている方、以前から来ていただいている方も5割程度で、写真展なるものを始めて見に来られる方も増えています。


僕は占い師でもなく、予知能力もありませんから、一目見ただけでその人がどんな職業であるとか、自身で写真を撮られているかまでは分かりませんし、話の内容から推察するわけです。それでも、よほどのことが無い限り、こちらから職業や年齢を聞くことはありません。主に展示している作品の内容やアート写真を取り巻く環境やその他アート全般に関する話を、正直すぎるなと思えるほど、あけすけに話してしまっています。その為、自分でも余計なことを行ってしまったのではないかと、反省することはたびたびあります。

昨日も作家のお知り合いの市会議員が見えられて(話の最後で名刺をいただき分かったのですが)、少し話をしていたのですが、仙台の文化環境や状況をあからさまに話してしまいました。いやはや、大変失礼なことをしてしまった感じで、名刺を拝見した時に、至極恐縮してしまいました(今更遅いっ!!)。

また、閉廊間近に、以前中村ノブオ写真展を見に来てくれた当時高校生で、現在はお隣の山形の専門学校に行っている女性がみえられました。昨日山形へ戻る前に、寄ってくれたのです。一度来ていただいて、連絡先を教えていただいた方や話をした方の顔はおおよそ覚えているのですが、名前までは覚えきっていません。失礼だとは思いつつ、ついつい名前も聞かずに長い時間話をしてしまいました。

親子以上に離れた年齢なのですが、そんな感じはしません。もっともそれは僕がそう感じているだけで、相手にしてみればそうではと思います。でもね、仙台で買い物をして、そのまま戻ればいいところを、わざわざこの暑い中訪れて来てくれたのには、もちろん作品を見たかったことが一番でしょうが、それだけでも無いと勘違いしてもいいですよね。(変な意味での勘違いではありませんが)

結局、終電近くまでいてくれて、僕ひとりが話をしていたように思います。もっと話を聞かなくちゃいけないと反省しつつ、名前を思い出し、お礼のメールをしました。しばらくして返信があり、電車には間に合ったようです。ほっと、一安心です。

毎日どんなお客さんが来るのかを楽しみにしています。もし、お客さんさえ気が向けば、いろんな話が出来ればと思っています。ギャラリーって、本当はそんな場ではないような気もするのですが、それでも良いのではと素直に思います。

2010年8月4日水曜日

ほんの少しの不平・不満

最近映画を観る機会がめっきり減りました。と言うより、仙台に戻ってから一度も映画館に足を運んでいません。東京にいた頃にも、頻繁に観に行く機会があったわけでもなく、家でDVDを楽しむのが主でした。それでも、年に2、3回は観に行っていたかな。


ホームシアター化した部屋を作っていたので、DVDをレンタルしては、特に週末だからとは限らず、いつでも好きな時に見ていました。平均すると週に2本程度は見ていたように思います。今は、そんな状況にはないこともあって、レンタルもほとんどしなくなり、テレビも以前よりかは見るようになったので、購入したDVDも棚から動くことが無くなりました。

それよりも、以前録画していた芝居のDVDを見る機会の方が多くなりました。こちらも劇場に行って生で観る機会が減ったことが原因ですね。当然、DVDは市販のものに録画しているものなのですが、困ったことに再生不可になっているものが何枚か出て来ています。繰り返し見ていたり、HDDレコーダーが古くなってきているのが原因なのかと思いますが、当初からHDDレコーダーと生ディスクとに相性があり、実際、初めから使用出来ないメーカーのディスクもあったので、録画されているとは言え、とても不安定な状態なのかもしれません。

さて、こんな状況を考えると、環境が人に与える影響って、非常に大きいことが分かります。以前はホームシアター化した環境が、映画館へ行くことを減らし、現在、毎週のようには芝居を観る機会が無くなった(遠出も出来ないし、こちらでは毎週のように行われていない)から、録画したDVDをよく見るようになったわけです。

そんなもの見なくたって、生活に支障は無いじゃないと言われれば、全くその通りです。あれこれ不平・不満を感じても、そんな状況に慣れてしまえばどうってことないのかもしれません。多分頭では理解はしますが、何か違うよなと、個人的には思うのです。

そうなってしまったから、今はそうなので諦めるとか我慢していれば、自然に解消出来るかと言えば、決してそういうことでもありません。もし、自分がそれを望むなら、何か出来ることはあるはずだから・・・。

2010年8月3日火曜日

血が騒ぐって、

今週末は仙台七夕です。毎年8月の6日~8日の3日間にかけて行われるようになってから、今年で100年目のようです。元々は旧暦の7月で行われていたものが、明治の頃の新暦への切り替えから40年後にそのようになったとのことです。理由は良く分からないのですが、幼いころからそうだったので、他の地域で7月に行われているのを知るまでは、特に違和感なく8月に行うことが当然のように思っていました。


毎年、七夕と言えば雨がつきもので、急な雨に対処している商店街の人々の姿が今でも記憶にあります。今年はどうやら快晴のようです。これも梅雨明けの時期が関係しているようで、普段より10日程早い梅雨明けで、高気圧の勢力を押し上げるのに充分な時間が取れた為と言われています。それで、先週は雨模様が多かったわけですね。

夏は全国でお祭りが多い時期です。東北地方は8月頭から青森を筆頭に続けて行われます。年に1回の大きなイベントとして、普段はあまり表だった行動を起こさないと思われがちな東北の人たちが一気に爆発するようです。そこにある歴史や綿々と繋がって来た生活との密着性がそうされるのかもしれません。

これも文化・表現のひとつですね。地方独自に発信している点でも、とても素晴らしいものだと感じます。性急に何かを起こさないとの考えで行うような村おこしや街おこしとは異質なもので、すでに東北人のDNAに組み込まれているものなのかもしれません。ごく自然に、ごく当たり前に参加し、楽しめること、そして利害をほとんど考えずに行えるものであるわけです。

血が騒ぐって、そういうことなんじゃないかな。

2010年8月2日月曜日

今日は結構忙しくなりそうです。

今日は結構忙しくなりそうです。


先ずは、今月開催の”Story vol.2”のDMが出来てきたので、その配布です。午前中に自転車でぐるぐると市内を回るようになります。一旦戻ってきて、郵送分のラベルを作って、その間にメールを何通か出しましょう。

ちょっと落ち着いてから、サイトの更新をします。今日の更新内容は2点あります。ひとつは、”Sha-gaku” Special Siteです。会期は終了していますが、ポートフォリオ作品は現在もサイトで販売しています。改めて参加者の意向をくみ、新しいイメージを追加したり、構成を変更したりしています。

もうひとつは、”Sha-gaku vol.2”として、12月開催を予定に募集をします。6月の”Sha-gaku”を企画として考えた時に、出来るなら定期的に行っていければと思っていました。見に来ていただいたお客さんの反応は、次を期待されている方も多く、これまでに経験したことのない写真展と印象を持たれた方が大半でした。

僕としては、自分の写真作品を展示・発表する機会をいつの日か持ちたいと考えている方は、潜在的にいらっしゃると思っています。ただその労力は非常に大きいので、躊躇しておられるように感じます。また、自分の作品を展示し、一般の方に見ていただくことに、まだまだ時期尚早と自分でハードルを上げてしまっている人も中にはおられるのではないかと思います。結論から言うと、そんなことはやってみて初めて分かることなのです。

そう簡単に言うなよとの声が聞こえてきそうですが、考えていただけでは何も起こらないことは充分に分かっているはずです。

もしかしたら、この”Sha-gaku”から何かが動き出す可能性もあります。そんな写真展として、世間から認められるようなものにしていきたいと、僕自身も夢見ているのです。どんな著名なアーティストでも、始まりは無名のアマチュアに過ぎません。僕はそんな無名の力を信じていますし、そんな原石の光のようなものを見たいと思っています。

ご応募をお待ちします。

それでは、出かけてくるとします。

2010年8月1日日曜日

Story vol.2 のDMが届きました。

今日から8月です。先週は雨模様だったこともあり、暑さも一段落でしたが、どうやら今週からまた暑さが復活しそうです。文句を言っても仕方ないので、バテずにやっていこうと思っている次第です。


昨日は”Sha-gaku”参加メンバーの2人が見に来てくれて、遅くまで話をしてしまいました。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。あれこれ、他愛も無い話をしながらも、改めて表現・発表することの大切さを感じました。今はまだ話は出来ませんが、また面白そうなものが出来そうな予感がします。

また、次回開催予定のDMが届きました。こんな感じです。


言葉を意図的にイメージの下に隠しています。本来、写真を始め、アート作品を見る場合、特に言葉は必要ありません。論理的にあれこれ説明を受けても、実はその瞬間に感じた事の方が正しい場合がありますし、「感じる」ことを大事にした方が良いと思います。


今回は”Story”と銘打った企画の中で、さまざまな言葉なりを感じて欲しいとの思いから、敢えて曼荼羅のように言葉を羅列しています。その辺は好き嫌いがはっきりと分かれるところだとは理解しています。まぁ、手に取って見て、イメージに隠された言葉を想像しながら作品を見ることも面白いのでは、といったぐらいの感覚です。

展示作品はまたモノクロです。特にそのことは意識はしていないのですが、結果としてそうなってしまいました。それでも今回はそれぞれの制作方法が違っていますので、その辺りが見どころにもなります。(展示方法も含めて)お楽しみにしていて下さい。

でもその前に、現在行われている木戸さんの作品をお見逃しないようにして下さい。スタンダードな空間による展示は、ストイックで画一的な印象を受けがちですが、決してそうではないことが、直に肌で感じられるはずです。

残り、2週間です。一服の清涼を感じながら、これもひとつの日常であることを意識してみて下さい。