2010年8月7日土曜日

言葉を持たない作品たち、言葉を持っている僕。

最近、自分が感じたこと、思ったことをストレートに出してしまう傾向が強くなってきています。いい大人なんだから、もう少し頭で考えてから話せばいいのにと思う時が良くあります。一言多いとか、こんなこと今この場で話さなくてもいいとか、別にその人が聞いても仕方が無いようなことを話してしまっているような気がしてなりません。


もちろん自分では話す相手を選んでいることを意識しているつもりなのですが、もう少し気をつけなくてはと反省することもしばしばあるのです。それでも、話さなければ理解してもらえないこともあるわけで、そんな時は出来るだけ、押しつけがましくならないように努めてはいます。

一方、ギャラリーに展示されている作品たちは、それ自身自分の言葉を持って、見る人に語りかけることはありません。作家の考えや思い、そして伝えたい事が、写真の場合大抵はイメージとして提示されるだけです。それでも、作品自体、何か内から発せられる言葉のようなものを持っているような気はします。

じゃあ、作家や作品の思い描くテーマ性や作品性を実際、同じように感じてくれるものなのかと言うことになります。言葉を変えると、人それぞれ感じることが変わってしまうことは、本当に伝わっていることなのかどうかと言うことです。

そのあたりは非常に難しいところではありますが、個人的にはそんな違いは楽しみでもあります。十人十色と言いますけど、そうある姿が正しい事のように思いますし、全ての人が画一的に同じ思いや考えを持つこと自体気味の悪いことです。

言葉を持たない作品たち、言葉を持っている僕。

僕の話す言葉を作品たちは常に聞き耳を立てているのかもしれません。時には失笑し、たまには満足していることもあるのかなと思います。まぁ、取りあえずは、彼らが発する内なる言葉を出来るだけ理解したいと考えながらいるのです。

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