2010年9月7日火曜日

敷居が高い。

台風9号の影響なのか昨夜から降っていた雨が、打ち水のように地面を黒く濡らし、ほんの少しだけ涼しげにしてくれました。連日の猛暑日にいい加減麻痺してしまった体内の温度センサーも、今朝は赤信号から黄色ぐらいにはなった感じがします。


台風9号は進路を東に向けており、どうやら東北地方も縦断しそうな気配です。涼しくなってくれるのは大歓迎なのですが、大雨になるとまたお客さんの足は遠のいてしまうので、痛し痒しといったところです。今週は安定しない雲行きが続きそうですね。

お客さんの動向って気候にも左右されるものですが、昨日の地方紙夕刊のコラムで、美術館は何か敷居が高く行きづらいといったことが書いていました。美術館はその運営形態から私設(と言ってもほぼ公的な意味合いが強い)と公設に分けられるのです。私設の場合は、個人のコレクションから発生しているものが多いので、独自性があります。したがって、見る側も限られてくるわけです。この事は行きづらいことと直接関係はありませんので、むしろ、公的な美術館に言えることのように思えます。理由をここで言及すると長くなりますので、それはまた別の機会にします。

さて、僕がしているギャラリーや画廊といったものも、非常に特徴を持っているものです。特に販売まで行っている商業ギャラリーとなると、その専門性は大事な要素になります。したがって、取り扱う内容に興味もあり、ある程度理解が無いと、見てもしかたないものとの印象が強いのです。その辺りが、一般に敷居が高いとの表現になってくるのですね。まぁ、以前は実際そのような態度でいる画廊やギャラリーが見られてもいましたから、ある意味仕方ないのかもしれません。

アートは、作る側と見る側のシンパシィーにより成立しているとも言えます。そして、そのシンパシィーは、お互いに押し付けられた関係性ではなく、ごく自然に感ずるがままで合って良いと、僕は思っています。よく作家自らが、観客は理解していないと嘆いていることを聞いたりしますが、そんなのは驕りに過ぎません。

そんなことが、ますますアートは敷居が高いもので、何をしているか分からない物にしているのです。まずは、見て、自分なりに感じ、考えてみて下さい。そこで、何も感じられなくても、不思議なことでは有りません。大事なのは、実際の作品をその眼で見ることです。そこから何かしら、新たな関係が発生していくのだと、僕は思っています。

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