2010年11月6日土曜日

「箱」

今朝の情報番組の中で、築地場外市場のビルの中にあるお寺が紹介されていました。5階建てと思われるビルの3階から上がお寺のようで、屋上には自動の鐘突き堂もあります。4階が本堂で、その上のテラスのような部分にお墓が足の踏み場が無いくらい並んでいました。最近は都会ではお墓事情も色々なスタイルが出てきていて、ビル自体のフロアを納骨堂にして、例えは悪いですがコインロッカーのような感じで並んでいる様子を以前見たことがあります。でも、今回のそれはまるっきりお墓が並んでいるので、逆に不思議な感覚です。墓地って郊外の小高い丘にあるようなイメージがいまだに残っているので、そう思うのでしょうね。いずれにせよ、お墓があるだけでもまだましなのかもしれません。


よく芝居の劇場やギャラリーなんかを「箱」と言いますけど、人は生まれてから死ぬまで、いや死んでからも「箱」の中にいるような気がします。僕にとって、「箱」から浮かぶイメージは、覆い隠されて外から見えない、その中で何が行われていても不思議ではない、そんな感じです。

家族として一軒の家に住んでいても、多くの人はそれぞれの部屋を持ち、自分自身の「箱」を持っているものです。もちろんそうではない人もいますが、おそらくは見えない「箱」のようなものに包まれながら生きているような気がします。これは、家族であってもひとりひとりが別々に生きているものなんだよとか結局は他人とは分かち合えないとかを言っているのではありません。

うまく言えませんが、人がこの世に生を受け、幾度も待っている困難や苦労の現実から、唯一逃れることが出来る空間を本能的に感じ、無意識の内に退避出来る、そんな場所のようなものです。ある人はその中で妄想したり、希望のエネルギーを自分自身に注入したり、ほんの些細なことに喜びを見出したり、深く思考したりと、決して他人には触れられない聖域のようなものなのかもしれません。

そんな場所をいろいろなところに持っている人は、ある意味、幸せなんだと思います。中には苦しいだけの「箱」に入っていると感じている人もいるのでしょうが、本来そういう「箱」なのかどうかを本人ですら気付いていない場合もありますから。

僕は今、どんな「箱」に入っているのか、その「箱」は何を僕に見せてくれ、何を隠してくれているのか、問いかけは音も無く闇の中に消え去っていきます。

今はまだ・・・。

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