2010年11月12日金曜日

一線

今朝は寒さが顔に来ました。朝起きる前からタイマーを設定してガスストーブを点火させていればそんなことにはならないのですが、今からこれではとの気持ちもあり、そうはしていませんでした。人から見れば大した理由にもならないものです。


個人的な問題や行動に関わるものの中には、そういった理由もなくやってしまっていることはあるはずです。他人との関わりが発生し、それが一般常識として通用しないものであったり、抵抗されるであろうことは、自分の意に反していても、我を通すことはあまりありません。でも、100%個人的に消化されるようなことについては、他人が首をかしげようが、苦言を呈してこようが聞かない場合がありますね。

信念とか生き方とかそんな大それたことではなくても、譲れない一線のようなものです。朝のガスストーブを付けておかないことは当然ながらそれには当たりませんが、本人が気付いていようがいまいが、自然にそうしていることって必ずあるのではないかと思います。

これがどうしても他人と関わりを持ってしまう場合、その時どうするかが問題になってきます。大抵の場合、意見の衝突や議論であったり、上下関係による軋轢なんかが生まれてくるわけで、損得やお金が絡んでくると一層複雑なものになってきます。それでも、お互いに良いものを作り上げていくにはといった同じ目標でそうなっているのなら、まだ救われます。そうではなく、互いのエゴだけでぶつかり合っている場合は、傍から見ていても最悪に感じられます。

物を創るもしくは生み出す人たちのほとんどは、そんな一線を持っています。これが時折エゴと見られたり、理解不能なものと捉えられる場合があり、アーティストはちょっと変わった人のような印象を与えています。本当は全く違っていて、そんな人だけが目立つだけです。一般の方と変わらず毎日生活し、些細なことで悩む普通の人たちが多いのです。

ただ少しだけ違うのは、その一線が一般の人と比べて、固くて太いことだと思います。

だから、その線が崩れたり、ブレたりすることが少ないわけです。そして、作品を通して自分の思いを伝えようとし、俯瞰した眼で時代を敏感に察知しながら、自分の居場所なり立ち位置を考えつつ、世に問いかけを行っていけるのです。

まぁ、あまり固く太くなってしまうと、ちょっと敬遠されがちになってしまいますが、そこもアーティストと言われる所以でもあると思いますし、何よりそれが自然に行われていることの方がその人にとっては大事なのです。

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