2010年11月14日日曜日

ドイツからの便り


2日前に届いた一通のエアメール。


そう、前にこのブログにも書きましたが、会社勤めの時の部下だった男がドイツから僕宛に送られたものです。そこには、ドイツに滞在して34日目と書いてあります。おそらくは、言葉も文化も違う毎日に翻弄されながら、加えて全く新しい仕事に四苦八苦しながら過ごしているのだと思います。

お世辞にもきれいな字とは言えない文面を見ながら、一時的とは言え、日本からひとり離れ、心細いこともあるのでしょうが、何とか楽しんでやっている姿を想像しました。どうやら、工場でけがをしたらしく、人生初の救急車搬送を経験したようで、とても心配です。文面では大事には至らなかったとありましたが、本人曰く「大槻ケンジ」のようになると思いますと書いているので、やはり心配になります。

文化や環境が違う場所で、たとえ短期間であれ、観光ではなく、実際に生活を送る経験は今後の彼の人生にとっても貴重なものになると思います。おそらく、日本人であるとかドイツ人であるとか、国民性の違いや違和感を覚えているのではないかと想像します。そして、自分が日本人であることを強く意識していると思います。

普段、日本で何気なく過ごしている僕たちは、日本人であることのアイデンティティーを感じることは滅多にありません。むしろ、個人としてのそれを意識しながら、他人との関係に幾分煩わしさを覚えながらも、それはそれと納得させて生きているような気がします。

それでも、例えは陳腐ですが、昨日の女子バレーブラジル戦を見ている時、冷静にゲームを楽しみながらも、日本人として応援している自分がいることを否応なく感じます。これは、日本に生まれ育ち、自然に培ってきたものではありますが、もし海外で日本人として生まれ、そこで育てられた場合はどうなのだろうかとも考えてしまいます。

そう考えると、やはり日本人としてのアイデンティティーよりも、むしろ個としてのアイデンティティーの方が生きる上では重要なことのように思えてしまいます。だからこそ、国が違っていても心から理解出来たり、同じ地域にいながらも全然一致するところがないような事が起きるわけです。

まぁ、そこには相手に対する尊厳とか寛容といったものがなければいけないのですが、何かその辺りは徐々に失われていっているように感じます。彼が帰国して、人やモノの対する感覚がどう変わるかは分かりませんが、おそらくは以前のそれとは違うだろうなとは思います。

いずれにせよ、今或る時間や置かれた自分を楽しみながら、元気にやって欲しいだけですね。

ハガキをくれてありがとう。(でも、このブログは見ないだろうな・・・。)

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