2010年12月5日日曜日

また昨夜もイッセー尾形さんを見てしまった。

僕の好きな役者のひとりがイッセー尾形さんです。昨夜もだいぶ前に録画していたDVDを引っ張り出してきて、その一部を見ました。もう幾度となく見ているものですから、どんなものとか何を見せてくれるといった新鮮な感覚は起きませんが、飽きるということはありません。


イッセーさんを初めてテレビで見たのは、確か「お笑いスター誕生」だったと思いますが、他の漫才やコントとは全く違う切り口で、ずいぶんとテレビ的じゃないなと感じながらも、それほど印象的ではありませんでした。その数年後、原宿のクエストホールでの公演を観に行った時に、その印象は180度変わりました。

あくまで個人的な印象ですが、イッセーさんの舞台の中心は、「共感」にあると言うことです。イッセーさんが演じる人々は、一見して変わった人間ばかりのように見えます。実際、見る側も始めはこんな人はいないだろうとか、随分誇張しすぎてやしないかとか感じるのですが、次第にその言葉や表情、態度、そこから移り変わっていく気持ちなんかが、あぁ良くあるよねとかどこか自分でも持っている部分のように思わせてくれます。

それはもちろんイッセーさん自身の演技力やリアルと思わせる技術によるところが大きいのですが、綿密に構成し、ひとりの人間像を作り上げている演出や本の良さに負うところがあります。そして、何より肝心なのが、演じられている空間です。

クエストホールを始め、イッセーさんの公演の多くは、客数200名程度のいわゆる小さい箱で行われ、舞台にはほとんど何もなく、小道具らしいものがいくつかあるだけです。つまり、いやが上にもイッセーさん自身だけしか見ないことになります。表情やしぐさのひとつひとつが入り込んでくるわけです。そんな雰囲気や状況が、見る側の想像を刺激し、日常では決して得られない感情へと繋がっていくのです。テレビや大ホールでは成立しない芸(と言って良いと思ってます)の類と言って良いですね。

そんな「共感」を味わうにはその場にいないと分からないわけで、大衆的じゃないよね、人気があってなんぼの世界なんだからそれでいいのかと言われるかもしれません。それでもイッセーさんはそのスタイルを崩さずに、全国各地で継続的に公演を行っています。

僕はこうも思います。伝えるべき何かが自分にあり、その伝達手段が非常に限られたものであっても、そこでなら自分を表現出来ると確信し、実際の行動として起こせるのであれば、そこに価値は生まれるのだと。

時々取り出してきては、ひとり暗い部屋の中、画面に映し出されるイッセーさんの姿を見ることで、結局はそんなことを僕自身に言い聞かせているのかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿