2010年12月14日火曜日

「らしさ」

寒波来襲です。今夜あたりから市街地でも雪が降るようなことを天気予報士の男性がテレビから盛んに話しかけてきます。もし、明日の朝、道路がうっすらと雪化粧されていたら、いよいよもって冬の訪れを感じられるかもしれません。


多くの人は、大抵自分の経験の中で事の始まりや訪れを感じるものです。それは「らしさ」から来る感覚です。論理的に言うと、仙台では冬に雪が降るとなりますが、雪が降ってきたから季節はもう冬だよねと感じるようなことです。結果や行動があって、初めてそれ「らしさ」を感じるわけです。

人に対しても、あの人「らしい」よねとか「らしく」ないなといった言い方をします。こと結果を求められる仕事に関しては、そういった評価をされる場合が多いように感じます。これは多くが予定調和を好むことの現れじゃないかと思うのですが、経験知という一種縛りのようなものを自分自身にすることで、思い通りを描き、そうなったことが安心へと繋がるからなのです。

だから、これまでに経験の無いことや自分「らしく」ないことをしようとすると、大抵は立ち止まります。また、人はどうしても他人や社会と関わりを持ちながら生きていますから、自分以外の人に対しての影響やまたそうすることによる自分への対応の変化なんかも同時に考えますから、したいと思う自分自身との間に葛藤が生まれるわけです。

本来「らしさ」というものは、他人からそう決められるものではなく、自然に現れるものであるはずです。人間や動物の赤ん坊が、赤ちゃん「らしく」とか子供「らしく」とかを意識し、そう思われようとしているのかと言えば、そうでないわけですから。

一方、人はひとりで色々な面を持っています。これは多重人格とは違います。本人が気づいていようないまいが、多面性の生き物であるということです。良い面、嫌な面、楽しい面、哀しい面、多面体のサイコロのようなものです。心持ちひとつでコロコロと変化してしまいます。

そう考えると、自分「らしさ」を出すことって、案外と難しいものなのかなと思ってしまいます。こう見られたくないとかこう見て欲しいとか頭で考えている内は、「らしさ」は見えてこないのかもしれません。

表現も然りかな・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿