2010年12月28日火曜日

「最初の一音」

今や音楽はどんな場所でもどんな時でも、自分が聞きたいと思わなくても自然に耳に入ってきます。ギャラリーでもBGMとして、展示会ごとに変えながら常時流しています。ウォークマンなるものが世に出て、レコードがCDへと変わり、パソコンの普及から机の上のスピーカーから流れるようになり、さらに携帯電話を始め、小型の携帯プレーヤーにより、いつでも好きな音楽が持ち出せる環境になりました。


かつて、音源としての主流がレコードだった頃、気に入ったアルバムを聴くことは、一種の儀式のようなものだったと思います。紙ジャケットからレコードを取り出し、盤面に手を触れないようにして両側で押さえながら、ターンテーブルへそっと載せる。全ての機器の電源が入っているのを確認し、アンプのボリュームを一旦「0」にしてから、プレーヤーの針を回り始めたレコードへと落とします。

すぐに、ボリュームを適正なポジションへと変え、最初の一音が出るのを待ちます。ここまで来て、ようやく聞くぞとの態勢が整うわけです。今だったら、面倒くさい、CDを入れると自動で再生してくれるし、マウスをクリックすれば自然に流れると疎まれ、敬遠されるのではないかと思います。

そう、このアルバムを聴くと決めることから始まって、一連の動作を繰り返さなければ、それを全うすることは出来なかったわけです。つまり、常に積極的な行為が必要でした。何もこうじゃなきゃ音楽を聞いていることにはならないと昔を懐かしんで言っているのではありません。僕自身もそんな面倒なことをするより、スイッチポンで聞ける方が楽だし、便利になったことを素直に歓迎しています。

それでも、やはり聴くんだぞという気持ちは、レコードで聴く時の方が強かったかもしれません。特にまだ耳にしていない新しいアルバムの、最初の音が出た瞬間に覚える高揚感や安堵感、逆に落胆といった感覚は、今とはちょっと違っていたように思います。最初の一音で身体に電流が走るとかそこでの世界観を感じたりすることは、実際にありますし、それもアナログ的な行為と聴くという気持ちがあるから余計そう感じるのかもしれません。

展示会を観に来ることは、お客さんの積極的な行為そのものです。興味があるから来られるわけで、ギャラリーへの道すがら、おのずと期待感は高まっていると思われます。

そうすると、見せる側の僕としては、どうしてもドアを開け入った瞬間、眼にするものが一番の肝のように感じます。レコードに針を落とし、ちょっとの間で流れる一音と一緒のことです。

そこで何かを感じ、さらに作品へと眼が行くようになれば良いよねと思いながら、展示を考えているわけです。これはとても難しいことです。多分永遠にこれだと言えるものは出来ないと思っているのですが、現在出来るであろうことは、今回の写真展にはあります。

そして、実は2重の仕掛けにもなっています。

今年は今日を含め、残り2日です。

その眼で、「最初の一音」を確かめてみて下さい。

0 件のコメント:

コメントを投稿