2010年12月3日金曜日

polka・・・・少しだけピンチでした。

大雨です。そして、びしょ濡れになりながら、polkaを病院へ連れて行った帰りです。そう、いつもの糞詰まりが2日程前から起きてしまい、ちょっと無理そうなので今朝一番に連れていき、一旦預けてきました。


今回も麻酔無しで処置してもらいます。病院の先生曰く、麻酔中とても呼吸が弱いらしく、そのまま逝っちゃうかもしれないからと言われ、鎮静剤を打っての施術になるようです。こんな時にブログなんて書いているのはどうかと思うのですが、これも言葉として交わせないpolkaへの励まし(大部分は気の弱い僕への励ましですが)でもあります。僕自身は何も出来ませんから。

それにしても、朝から聞く言葉として、死であるとか逝くとかはまるで予想していないものなので、一瞬動揺してしまいます。いずれは訪れる決められたことであっても、素直には受け入れられないものです。polkaにとって、糞づまり自体苦しいことなのでしょうが、その施術によって逝ってしまう可能性があるとは思ってもいないはずです。何かまた変わったことが起きたぐらいにしか感じていないのかもしれません。

今は、再度迎えに行くまでに無事済んでもらうことを願うだけです。polkaは理解はしていないだろうけど、僕が一番苦しかった時期を見て、そばにいました。だから、僕も同じように見ていてあげないといけないんだろうと思います。

・・・と書いているところに、携帯に着信が。

鎮静剤もせず、終了したとの連絡です。普段は抱かれるのも嫌がる程ですから、見た目以上に体力は落ちていたのかもしれません。すぐに病院へと迎えに行き、状況の説明を受けましたが、それでも結構暴れたらしく、先生もちょっと苦笑いです。polkaにとっては、おまえら寄ってたかって何をするんだよと言いたかったのでしょう。

部屋に戻り、キャリアーから出した途端に、自分の居場所を探すようにウロウロとしていました。やがて、安全を確信してから、眠りにつくのでしょうが、僕の方も先ずは一安心です。

まぁ、これが現実なんですね。普段幾度となく流れる事故のニュースに対しては、まるでフィクションであるような感覚を持つ場合が多いし、それによる感情の揺れも大きくはありません。それが、本当のこととして身に降りかかってくると、初めて現実であることを意識し、気持ちが高ぶったり、消沈したりするものです。

でも、そんな現実としてあり、間近で感じられることの方が、良いにせよ悪いにせよ生きているってことなんだろうと、僕は思うわけです。(例えそれが死といった哀しい事実であったとしても)

polkaは時々、身を持って、その事を気づかせてくれる相棒でもあるのです。

多分、誰の周りにもそんな大切なものがあるはずですよね。

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