2011年1月19日水曜日

「消えもの」

演劇、テレビ、映画の中で、「消えもの」という言葉があります。使われる小道具のうち、日々の舞台で消耗品として無くなってしまう物をそのように言います。代表的なものとして食事のシーンで出される飲食物を思い出しますが、破られてしまう紙、書類、吸われる予定のあるタバコ、点されるロウソクなんかもそれに当ります。


それらは、シーンによっては時に重要なパーツにもなり、その登場によって筋立てが変化したり、感情があらわになったりと、効果的な演出を生み出したりします。テレビドラマや映画では食事のシーンには本物の食べ物が出てきますが、それらもそのワンシーンの為に作られるわけです。

最近ではそれを専門として行うフードコーディネーターを起用するケースが増えてきました。映画「かもめ食堂」、「マザーウォーター」、テレビドラマ「深夜食堂」のスタッフとして起用された飯島奈美さんはその代表のような人です。

映画やドラマの内容にもよりますが、時折非常においしそうに見えます。「かもめ食堂」や「深夜食堂」は、ある意味それ自体が主役に飛び出し、出演している人のおいしそうに食べている姿を見ていると、自分もついつい食べたくなってしまうものです。この辺りが、フードコーディネーターを起用する所以でもあるのです。ここで大事なのは、出てくる食べ物はその場限りのものであることです。本当に一瞬の出来事の中で使用され、見えるか見えないかすら分からない場合もあります。それでも、嘘では作れないのです。

よくそれほどディテールにこだわったとしても、見ている人には分からないよと言うことがあります。確かに全体に眼がいって、細部まで気がつかない場合は多いものですし、正直見る側としてそこまで見ないよなと思うことはあります。でもね、これも少し違うような気がしていて、実は印象として残っていないようなものでも感じてはいるのだと思うわけで、その積み重ねのようなものが、自然と全体へ繋がっていくような流れを作っているのです。

ですから、「消えもの」は立派な脇役なのです。ただ日常的な情景の一部として使用され、消費されるものとしての役割でありながら、決して無駄なものではないのです。身の周りではその場限りであったり、一瞬で消えていってしまうこともたくさんありますし、無駄だと思えるものは確かにあります。でも、そう思えることの中にも、見方次第でさまざまな意味を見つけられるものです。

アートもそんなもののひとつなのかもしれません。

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