2011年2月8日火曜日

料理はアートである

料理はアートである。


よく耳にする言葉です。日本料理の繊細さ、イタリア料理の大胆さ、フランス料理の華麗さ、各国様々な形容のされ方をします。本来、食べ物は生きる源で、そこに美しさや華美な演出は必要ないことのように感じますし、毎日家庭で食するものにそれを求めるものではありません。日常では得られない環境や料理だからこそ、そこが生きてくるわけです。もちろん美味くなくては意味がありません。

そこで重要なポイントは、個人的には先ず素材だと思っています。2番目には、良い素材を活かすアレンジが出来る料理人の技術と発想力、そして緻密な計算とバランスです。それから、忘れてはいけないのが食べる側への配慮ですね。

これらが絶妙なバランスとハーモニーを奏で、味覚以上の「見」覚も刺激され、自然の内に新たな価値を認め、その場かぎりでしか味わえない貴重なものになるのだと思います。その為に、場の雰囲気、佇まい、テーブル、料理をのせる器や皿、出すタイミング、言わば間といったところまで気を配り、さらには見えない部分にこだわりを持っているのです。

先の「料理はアートである。」は、前提としてアートなるものが存在していなければいけません。その認識が無ければ、この言葉は成立しないわけです。生活に関係の無いものがアートとしてのひとつの認識であることが、直接本能としての食に対して形容されることに僕は大きな意味があるように思っています。

極端な言い方かもしれませんが、アートは生活に欠くことが出来ない大きなもののひとつなのです。アートが無くたって生きていけるとうそぶいてみたところで、ふとした瞬間に感じることはあるはずです。

さて、今回のSha-gakuは、各国料理が会し、バラエティー豊かにそれぞれを楽しめるものになっています。表現に対して前向きに明るく取り組んでいる様が感じられると思います。最後はまた宣伝になってしまいましたが、こちらもその場限りのものです。これまでに体験したことのない「アートという料理」を味わえるはずです。

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