2011年2月16日水曜日

自然の成り行き・・・そうあってはいけないこと。

僕は以前から映画が好きでした。今こうして好きでしたと書いた訳は、映画館やDVD購入、レンタルでの視聴がほとんど無くなってしまったからです。数年前の何度目かの引っ越しからホームシアターを入れ、ほぼ毎日のように部屋で観ていた程でしたが、映画館へ出向くことが少なくなり、そのかわりに芝居を観に劇場に通うようになってしまいました。


仙台に来てからは、その環境も自宅には無くなり、会期準備中にギャラリーへ設置したものの、観るものは映画ではなく、芝居のDVDの方が多かったのです。だから、以前ここに書いた「空気人形」は、ホントに久しぶりの映画鑑賞だったわけです。今でも話題に上がる映画や好きな俳優、監督の映画に興味が無いかと言われるとそういうわけでもなく、何となくそうなってしまったような気がします。

映画の興行収入は過去最高を記録している一方、ミニシアター系の映画館が相次いで閉館している、またDVDの売り上げが5年前の4分の1といった状況を耳にすると、話題性、娯楽性、3Dのような特殊?な映画が一極集中的に良く観られているように思えます。

確かに3D映画を現在家で観るには、その為のコストや環境を整えること自体大変ですし、多くの映画は今までと同様にいわゆるDVD画質でしか観られないわけですから、ちょっと変わった面白さを味わえる、今までとは違うものが観られる、大画面での迫力といった点が、それほど映画に興味がない人たちを映画館に足を運ばせているのかもしれません。

出演している俳優や制作する監督が好きだったり、日常的なものを離れたドキドキ、ワクワクするような映画に娯楽性や芸術性を感じ、それを観たいと感じる欲求が無ければ、わざわざ観に行くことはないと思うし、映画って本来そういうものですから、関係者の苦悩を別にすれば、案外昔に戻って来た、自然の成り行きなのかなと思ってしまいます。

表現の手段や姿、形を変えながら、様々な試みをしながら、より良いもの、興味の惹くもの、或いは感情に訴えかけるものを観客に提供することが、映画を問わず、「見せる」ことの基本だと思っています。

そう考えると、今は規模は小さいながらも、僕自身「見せる」側の立場であり、まだまだ前途は明るいわけでもなく、日々不安を抱えながらも、それを考え、現実化することの方が重要で、かつ自分自身楽しいことでもあるから、知らず知らずの内に遠ざけてしまったのかもしれません。今は、舞台にも滅多に足を運ばなくなりましたからね。

何か事を成そうとするには、必ず何かを犠牲にしなければならないといった言葉を聞きますが、他人に影響を与えない部分については自然にそうなってくるものです。僕が映画や芝居を観なくなっても、誰にも迷惑はかけないですし、人から見ればどうでも良いことです。実を言うと、僕自身犠牲だとの認識もありません。

問題は、それを行うことで、身近な人であったり、他の人を犠牲にしていないかということ。常に頭にはそのことを入れておく必要があります。

自然にそうなってしまったということだけは無いようにしない為にも・・・。

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