2011年2月18日金曜日

エコの必要性

強くて大粒の雨が降っています。普段より気温も高いので、どんよりとした空気に身を包まれたようで、何ともすっきりとしません。これも、春に近づいている兆候で、一種儀式のようなモノですが、数日前までの雪の方がまだ良かったよなと思えるのは僕だけでしょうか。


Sha-gakuも残り3日となり、幾分かの寂しさを感じ始めてきた時に、まるで水を差されているようで、少しだけ気が滅入ります。自然は僕たちの暮らしやその時々の感情とはお構いなしに、日々の営みを繰り返します。勝手に日々変化をしているのは僕たちの方で、その影響を受けながら、否応なく変わってしまっている自分自身に驚き、悲鳴を上げているのは、むしろ自然の方なのかもしれません。

何も変わらずに生きていけることは、それはそれで良いことには違いありません。それは、結論的には現状を良しと感じているからで、もしそれが個人レベルの話で、社会的影響も与えない状態であれば、尚更のことです。でも、どこかで変化し、今の生活をより快適にしたいとかもっと違う何かを欲するのが人としての性なんだと思います。

もちろんその部分が無ければ、科学や技術、文化、芸術さえも発展しないわけです。何もないところから形あるものを生み出す能力は人として優れたもので、これが他の人に対しても有益であればある程、拡がりを見せます。たとえ、自然やそれを必要としない人たちに悪い影響を与えたとしてもです。(その時点では気付いていないことがほとんどですが)

昨今は環境、省エネとかエコという言葉を、どこでも目にします。決して悪いことではありません。たとえ気付くことが遅かったとしても、今からでも良くしていこうとする姿勢は尊いものですから。それでも、あまのじゃくの僕は、ちょっと違う方向に行きやしないかと心配もしています。僕は一国の総理でもないので、そんなことまで考える必要はないわけですし、言葉にしたところでなんら影響を与えるわけではないのですが・・・。

取りあえずは、周りはどうあれ、今の自分自身に問いかけをしていくしかないと考えていて、そこから生まれるかもしれない貴重なモノを掬い上げていくことが第一と思っています。
だから、僕自身の身体や頭には、省エネやエコは必要ありません。
目一杯、それらを動かし続けないといけないし、そうすることしか出来ませんから。

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