2011年3月25日金曜日

震災の写真~頑張ろう-12

一昨日の夕方、実家で夕食を終えた後に、父親が何を思ったのか僕や弟が写っている茶色に変色した写真を数枚出してきました。40年程前に写された写真の一枚、一枚は、当時はちゃんとアルバムに貼り付けられていたのですが、引っ越しの際にはがし取ったと見られ、セロテープの部分の変色が一層時の流れを感じさせました。


写っている祖父や祖母、そして父や母、近所に住んでいた友だちは、当時の様子も含め鮮やかに思い出されるものです。そして、それらは確かに今と繋がっているように感じられます。

写真はその時々の記憶を記録として焼きつけたものの結果と言えます。写真に写り込んでいない状況や空気感も取り込みながら、一枚の絵として切り取っているわけです。撮る側はそれを無意識のうちに感じとり、シャッターを切っているのだと思います。

震災後のがれきやすっかり生活感を失ってしまった光景は、ずっと人の記憶に残っていくものです。それらを撮影し、記録として残すことは大事なことのように思います。おそらくは多くの方が、今もカメラを持ち、撮影していることでしょう。

いずれ、がれきは整理され、さまざまな形で修復されていきます。どれほどの時間がかかるかは分かりませんが、少なくても人がそこで生きていく限り、その活動は止むことはないのだと思います。

そうして、何年後かに震災の状況を写真として改めて見た時に、その光景に何が見えてくるかですね。あの時はホント大変だったねと笑顔を持って見る必要はないけれど、少なくても忘れてしまったとは言えないのですから、やはり今からが大事になってくるわけです。

かといって、無理はしちゃいけません。感情に逆らって、自分を押し殺すこともありません。
皆いっしょですから。



今日も頑張っていきましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿