2011年3月10日木曜日

今という時間

昨日昼に起きた地震から今朝6時半頃の余震まで何度か感じられる揺れがありました。今朝未明には雪が降ったようで、道路は白一色といいたいところですが、春先の湿った雪質と轍の跡で、きれいな印象ではありません。


ニュージーランド地震の惨状をテレビで見て、他人事のように思っていた人でさえ、こうして実際に地震が起きていることに否応なく不安を感じているのだと思います。僕も地震は怖いです。いつも気をつけようがあるのかと思ってしまいます。

polkaはその時々には周りの異常を感じ、立ち止まるでもなくウロウロと部屋を歩き回ります。何が起きているかは理解していないけど、何か違うことは感じているようです。それでも、興奮している様子ではなく、得体の知れないものが今ここにいるような感覚で、キョロキョロとあたりを見渡していました。鳴くこともありません。そして、一旦収まると何事もなかったかのように、いつもの居場所へと戻っていきます。

3月に入ってからの雪や今回の地震といった自然現象は、どこまでが正常でどこからが異常なのかを判断するのが難しいですし、宇宙誕生からの長いスパンでは単なるアクシデントのひとつなのでしょう。それらは、遥か先の歴史が証明していくものなのかもしれません。

人が持つ将来への展望や希望といったものは、それが順調にいったとしての結果予想であるし、単なる願望や妄想に過ぎない場合もあるわけで、常にその時その時で変化し、軌道修正を迫られます。得体のしれない不安や予期せぬ出来事は、文字通り今この時に分かるものではありません。

分かっていることは現在の一瞬だけで、それすら常に流れているものです。冷静に立ち止まって考える余裕などなく、瞬時の判断を繰り返し行っていくしかないと思えてしまいます。そして、迷走や混乱の中、自分自身を見失わないように行動していければ、それで良いとさえ言えます。

さぁて、そうするにはどうすれば良いか。

考えているこの時も、すでに今という時間は過ぎているのです。

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