2011年4月6日水曜日

新たな価値観~頑張ろう-24

現在新聞、テレビ等の写真や映像はカメラという機械によって切り取られた断片です。ですから、世の中に見えているものは、震災の爪痕の一部分でしかありません。そこで暮らす人々の思いや感情をカメラは捉えようとはしません。あくまでも、目の前にある事実を収めるに過ぎないわけです。


したがって、現地で直接惨状を目の当たりにした時に覚える感覚がそのまま表れることもないし、それ自体を想起させられるものでもありません。極端な話、記録のひとつひとつに過ぎません。

これは、すごく個人的な考えで言い過ぎているとの感はあります。実際、そうではないと思い、これまでもそして今もシャッターを切っている人々が多くいることも理解しています。そして、その中には、非常に個人的なものであったとしても、やはり単なる記録としてだけではない何かが備わっている、そう感じられるものもあります。

一方、アート、芸術としてのそれは、事実を表現する必要はありません。むしろ、目指している部分はもっとコアで、真実とでも言うべきものに近いように思います。作品の表層にあるものはそのヒントであり、一部であるから、むしろその内側に宿るそれらが重要になるのです。でも、真実というものはとても分かりづらく、見えにくい性格をしています。それゆえ、作家は悩み、苦しむわけです。

そして、生み出された作品の全てが受け入れられるとは限りません。むしろ、その逆の方が多いように思います。新たな価値観を見出す為には、過去のそれを見直し、深く追求する姿勢と逆にそれらを壊すほどのエネルギーが必要だからです。誤ったやり方や薄っぺらな考えは、見る人々にすぐ見破られてしまいます。

今回の震災は未曾有の出来事です。ですから、写し撮られた写真の意味もこれまでとは違ったものになるはずです。そして、多くの写真の中には、真実を写し撮ったものがあるかもしれません。そこが、偶然性をも持ちうる写真の力でもあると、僕は思っています。

そして、復興に対しても、新たな価値観が必要になってくるでしょう。

それを見つけ、行動を起こすことは、とても辛く、苦しいことなのだと思います。

ある意味、その行為そのものが、過去からの決別となってしまうかもしれないのですから。

時間が必要です。


焦らずに頑張りましょう。

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