2011年8月1日月曜日

今日から8月

外は曇り空、気温も低く、少し肌寒い感じです。そして、今日から8月、このまま秋に突入しやしないかと憂いながらも、まぁ、過ごしやすいし、それでもいいかなとも思ってしまいます。


何かをしても、何もしなくても月日は否応なく進んでいくものです。何もしていないなんてことはあり得ないのですが、普段の生活だけを繰り返し行っているだけでは、何もしていないような感覚に陥りやすいものです。

生きていく為の行いは、基本的に自分に向けられたものだと僕は思っています。毎日の食事や仕事、その他生活に必要不可欠なさまざまなことは、最終的に自分自身に帰ってくるものだからです。これは、人は皆自分のことだけしか考えていないエゴイストな存在だといっているつもりでは無く、ごく自然の成り行きなのだと思っています。

ごくごく自然で当たり前であることが、逆に何もしていないような印象を自分自身に持たせてしまうわけです。でも、この当たり前の事が本当はもっとも大事な部分で、それさえ出来ていれば良いとさえ言えます。

一方、自己表現を形として世に問うようなことは、生活に必要不可欠な行為ではありません。しかも、その内容がただ自分に向けられたモノだけでは、見る側(見せられる側)にとっては理解しがたく、不可思議かつ状況によっては苦痛や不快感さえ与えてしまいます。ですので、こういった行為は、多くの人にとっては、とっても不自然なもののように感じられます。

しかしながら、自分自身を含めて他者に向けられた表現(作者は常にそれを意識しているものですが)は、共感やつながりを覚え、あるいはこれまでに気づかなかった発見を生み、お互いに喜びや感動を分け与えるものとしてあります。これらは、とても自然なものとして受け入れられます。

じゃぁ、ここで言う自然と生きる行為としての自然とに違いがあるのかというと、僕はあまり違っていないのではないかなと考えています。向けられている方向が逆であることが重要なポイントなのですけど、乱暴に言ってしまうと、表現し、発表することは決して特別なことではなく、ごく自然の成り行きの一部だということです。

そんな素敵な自然な行為を多くの人に伝えたい、毎回そう思いながら写真展を行っているわけです。作者らと一緒に悩み、楽しみながら、自然のままに。

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