2011年9月15日木曜日

少しの余分

PCをネットに常時接続をしているので、時々更新の為夜間に再起動していることがあります。今日もそんな日で、パスワード入力の画面からのスタートでした。


PCとの付き合いはかれこれ20年近くになるので、買い換えるたびにインターフェースの違いに戸惑いながら、それでも動作が速くなったり、アプリケーションの新機能に感心させられたりとしたものです。初めて購入しようと考えた時は、付属するアプリケーションも検討に入れながら、これは便利だとか面白いといった理由で選んでいました。でも徐々に自分が使用するアプリケーションが限られてくると、必要最低限のPCになっていきます。

僕の場合、専門的な仕様のアプリケーションは必要にせまられないし、今は便利なフリーソフトもあるので、それらを使用しています。それでも数年使用していくと、作成したファイルやなにやらで、起動や動作が緩慢に感じられるようになってきます。実際、遅くなっているのは確かで、その度に中身を整理しようと考えながら、余分なものを捨ててしまおうと思ったりしますが、結局そのままにしてしまうことが多いです。

これはPCに限らず、生活全般に渡って言えることで、結構多くの方がそうなんだろうと思います。少し前に「断捨離」という言葉が流行りましたが、まぁそれで心身共に快適な暮らしぶりが出来るなら、それはそれでいいんじゃないのぐらいの感覚でしかありませんでした。

確かに長く生きてくるといろいろなしがらみと共に、他人から(身近であっても)はそんなことしなくてもいいんじゃないとか無くても困らないよねと言われるものが増えてきます。それらをクリアにして生活の質的な向上や調和を取っていくのが、「断捨離」らしいのですが、それも何か無理やりではちょっとなと思ってしまいます。

少しの余分は必要かなと思うのです。余裕と言ってもいいのだけれど、自分でそれを自然に作りだせる間はね。作りたくても作れない人の方が多いのだし、あくまで自然の内にそうなったのなら、人が何を言おうがそれで良いのではと思うわけです。

そんな僕でも、仙台に来てからは物質的な執着は今までよりも少なくなってきていて、写真に関わることばかりを考えているようです。これもまた自然のことです。まぁ、余裕なんてまるで無いけれど、時間だけはあるので、そうなってしまうのでしょうね。

必要なものが必要な時に、必要なだけあればいいのだけど、そううまくはいかないものだから、少しの余分がいるのだと思います。そして、それらは物質的なものよりもむしろ精神的なものの方に重きがあるように思えます。

心にほんの少しでも余分があって、それが自然である内は、意味無くまだ大丈夫と言える、そんな気がするのです。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html

Sha-gaku vol.3 Ending Party "reunion"

9月18日(日) 17:30-20:00(多分延長します)

カロス・ギャラリー

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