思いっきり寝不足の朝です。
深夜一時過ぎに僕の身体に乗り、暖を取り始めたpolkaが、3時頃から何を思ったのか部屋中をうろつき始め、耳元で鳴くはで、そこから寝れずに今に至っています。当の本人は水もエサも充分に取り、すっかり満足げに、身を丸めながら、ぐっすりと寝ています。
ネコをペットとしている人は分かるかと思いますが、とりあえずは気まぐれでマイペースですから、毎回毎回付き合っていると疲れてしまうので、適当に付かず離れずで良いのですが、時折執拗に絡んできますので、そんな時はしょうがないなと思いながらも付き合ってしまうものです。
病気の時なんかは、言葉が交わせれば良いのにと思うのですが、普段はお互いにそうでない方がいいよなと感じます。人同士のコミュニケーションや関係性とはおのずと違うのですから、あえてお互いに思い違いをしながらも、言葉ではないもので繋がっている方が健全と思えるからです。
言葉ほど強い情報伝達の手段はないわけで、その為、誤解や行き違いもあるのですが、それでも大抵は伝わるものです。では、そうではない絵画や写真といったアートはどうなのでしょう。眼にしたその時に本当に真意が伝わるかと言えば、決してそうではありません。また、何かを感じることはあっても、多くはとても漠然としたものです。だから、これらを眼にして、分からないということが唯一分かっていることと考えている自分を恥ずかしいと思う必要もないわけです。
ましてや、作りだす本人に伝えようとする意思や働きかけが希薄な作品を前にして、理解しろという方が無理な話で、見る側は勝手に想像をめぐらせ、自分なりの一定の理解を得ようとします。これは、見る側の経験や知識やリテラシーという部分に大きく影響されるもので、より直接的な感性や認識とは違うものです。
至極個人的で、あえて乱暴な言い方をするなら、分からないものは分からない、感じないモノは感じないとして良いのです。
逆にモノを作り出す側は、当たり前ですが、それらを充分に理解している必要があるということです。
女性だけの写真展 「Natural
Woman」
2013年4月6日(土)- 4月28日(日)
13:00~19:00、月曜日休廊
13:00~19:00、月曜日休廊
入場料 \300(期間中何度でも入場出来るパスポート制)
樋口清之写真展 「溶け出すように」
2013年5月11日(土)- 6月2日(日)
13:00~19:00、月曜日休廊
13:00~19:00、月曜日休廊
入場料 \300(期間中何度でも入場出来るパスポート制)
○オープニング・パーティー
5月11日(土) 19:00 – 21:00(延長あり)
場所:ギャラリー内 参加費 ¥300(入場料は別にお支払いいださきます)
予約不要、入退出自由、差し入れ、持ち込み大歓迎!!
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