2013年9月3日火曜日


昨日この場で書いたことだけど、カメラや写真の成り立ちや時代とともに普及してきた状況を考えると、これは当たり前にあるものだと思っています。

記録することが重要な役割である写真は、公のものであった場合、大抵は情報を補完する意味を持ち、私的に扱われる場合においては、今のこの現実を残す意味合いの方が勝っています。したがって、私的な楽しみや趣味の範疇において、不特定多数に見せることを意識していること自体、稀なことなのです。

ですので、壁というよりも、自然に取り巻く環境といった方が良いのかもしれません。しかしながら、そんな中、自己表現手段として、常に外側の世界を意識しながら、作品化する人たちは確実にいて、そうなりたいと思いながら撮影している人も実際少なからずいるのです。

ある人はその道を進むことを決め、改めて、表現についての壁にぶち当たります。考えている、思い描いているだけの人たちは、取り巻く環境としての壁は越えるのですが、自分自身で新たな壁を作るようになります。言い訳にもなり得る、その壁を破るべく、カメラやプリントを変えたり、さまざまな技術的な知識を手に入れ、時間的制約をも解消しようとしているように見えます。

どちらが良いとか悪いとかの話ではなく、一口に壁といっても種類があるということです。

いずれにしても、一つの壁を越えたとしても、また壁は現れ、いつまでも完成することが無いのなら
表現の壁にぶち当たった方が、僕は面白いと思うのですが、
皆さんはどう思われますか。




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 あなた自身にとってのかけがえのないモノを写真で表現しましょう!!
皆様の参加を心からお持ちしています。




Workshop & Review Special Weeks
2013720日(土)- 98日(日) 
13001900、月、火曜日、81415日休廊



モノクロームの世界
2013921日(土)- 1013日(日)                                      
13001900、月曜日休廊

入場料 \300(期間中何度でも入場出来るパスポート制)

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