2014年4月18日金曜日

本来自分が望むもの

昨日は2時過ぎから夕方までコンサルをしていました。気付けば、3時間ぐらいやっていたことになります。いつもながら、長すぎて迷惑じゃなかったかなと反省しているところですが、きっと次もそんなことを気にせずに行ってしまうと思います。

現在行っている企画はワークショップとレビュー、コンサルが主ですから、この機会に自分の写真に対する客観的評価やさまざまな疑問について相談をして欲しいのですが、それほど頻繁に有るわけではありません。

それは、写真を撮られる方の多くは、撮影技術やカメラに関する興味や相談事は常日頃持っていますが、そこから生まれてくる写真について深く考える方が少ないからだと思っています。

当然のように、自分の思い通りに撮れた写真は、自分にとっての良い写真であり、皆そんな写真をたくさん撮りたいのだと思います。そこには、道具としてのカメラの能力や撮影技術は欠かせないものになります。その為に、先ずは自分の望む写真ありきが、第一優先になるわけです。もちろん、これは間違ったことではありません。写真というものがカメラに依存され、そこに技術が必要であることは、これまでの写真文化の歴史的流れが証明していますからね。

だからと言って、そこにだけ目を向けていたのでは、無味乾燥で、当たり障りのない写真ばかりが生まれてくることになってしまいます。そういった作品を、写真を撮らない方が観た時には、表層の整い方や美しさ等に目を魅かれはしますが、それ以上は反応しません。つまり、己の直観として感じるところが主であり、そこから先にあるべき頭や身体での反応はしないということです。一方、写真を撮られる方はと言えば、己の知識や経験といった枠の中で、頭で理解しようとします。あえて、直観や身体で受けいれることを拒むことさえあります。

同じ作品であっても、全く違う働きかけをしているわけです。それでは共通に心打たれる良い作品とはどういったモノなんだということになります。

今この場で、簡潔に説明する勇気や技量が僕にはまだないので、別の機会にしますが、ひとつだけ言えることは、表現もしくは表現する行為そのものは、何物からも自由であるべきだということです。たとえ、道具や手段に依存されるものでさえ、唯一それは変わらないことじゃなければ、存在自体無意味になってしまうだろうと。

だから、今写真を撮られ、作品として昇華させたいと考えている方は、もっと自分の写真を見つめ、本来自分が望むものがなんであるかを感じて欲しいのです。単純に、なぜこういった写真を撮ろうとし、またこんな感じの写真が好きであるとか、そういったことから始めてみていいと思います。たとえ、それがあくまで個人的嗜好であったり、他者や世の中に受け入れがたいものだとしてもね。





新企画“No Plan””Colorful””Natural Woman vol.2” 募集中!!


皆様の参加を心からお持ちしています。




Workshop & Review weeks Ⅱ
2014412日(土)- 56日(火)                                       
13001900、 4/295/5,6を除く月曜日、火曜日休廊
ギャラリー所蔵品、写真集、図録閲覧については、入場無料


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